「綺麗に紅葉が咲いちゃったね」
「アンタも生傷が絶えないわねー。お祓いにでも行ってきたら? ああ、でも男子的にはこういうのご褒美なんだっけ」
「……自分にはそういう趣味はないです」
喜多村先輩の率直な感想に続く、岡先輩の茶化しに顔をしかめた。実際、分かりたくもない境地だ。
熱を持ち、少しばかり腫れあがった右頬をつまみながら、つい先程の音楽室での出来事を思い返した。
――アンタねえ! 先輩に向かってなんて口叩いてんのよ!!――
傘木が退部した翌日の部活。音楽室に入って早々、罵声と共に吉川さんから往復ビンタを頂いた。比較的小柄で、筋肉質という訳でもない彼女のビンタはさほどの威力もない。大して痛くもなかった。傷害事件があったばかりだし、あるいは手加減していたのかもしれない。
むしろ、はたいた手をさすりながら顔をしかめる彼女の方が被害は大きそうだったが。
「でもあれはリボンちゃんのファインプレーだったと思うよ? あの人達の事だから、あそこまで言われて何にも無いとは思えないし」
「ま、アンタのあの暴言には私らもスカッとしたけどね。後でどうなるか怖いところはあったけど……、あれで三年連中も溜飲が下がったんじゃないの」
先輩達の言う通り、吉川さんのフォローには本当に助かった。
勢いとはいえ、昨日は後先考えない暴言を吐いたものだと思う。中川の事を責められない。言った事を後悔してはいないが、そのツケがどれほどになるのか。内心戦々恐々としていた。
あの後、更に追撃をかけようとした吉川さんを三年生の方が止めに入った位だ。多少なりとも気は晴れたのだろう。ビンタ1発で事が収まるなら安い取引だった。
「軍曹も目を光らせるようになったしね。めったな事にはならないと思うけど」
岡先輩の言葉に、無言で頷いた。
松本先生は昨日、そして今日と吹部の活動をしっかり見張っている。
長瀬さんの楽譜、そして自分の怪我。もう次は無いぞ、と無言のプレッシャーをかけてくる。三年生も今までの様な好き勝手は出来ないだろう。
その時、不意に教室の扉が開いて、鎧塚さんが入り込んできた。肩で息をして、いつもは感情が読みとれない彼女の顔に珍しく動揺の色が見える。
「……先輩、蔵守君」
「あ、鎧塚さん。遅かったね」
合奏練習はかなり前に終わって、岡先輩もとっくに教室に戻ってきていた。
音楽室で気になった部分の練習を続けていたのだろうか。
「……さっき優子から聞いたんだけど、希美が部活やめたって本当?」
鎧塚さんのその言葉に、自分も先輩達も訝しんだ。
「ああ、本当だけど。……傘木から聞いてないの?」
瞬間、鎧塚さんの表情が強張った。彼女の表情が蒼白になっていくのを見て、自分が余計な事を口走ったのを悟った。
それから始まったパート練習は、全然うまくいかなかった。
「みぞれ、また音とりこぼしてるよ」
「……。すみません」
岡先輩の指摘に、鎧塚さんは力なく頷く。
……まるで別人だ。
集中力を欠いているのもそうだが、普段の無表情な彼女の素がそのまま出たような、面白みのない単調な演奏。初めて演奏を聞いた時のような、抑揚に富んだフレーズがまるで感じられない。
「みぞれちゃん、調子悪いみたいだから今日はもう上がっていいよ? 今のままじゃ練習続けてもしょうがないし」
「はい……」
喜多村先輩がやんわりとフォローを入れて、教室から鎧塚さんが姿を消すと岡先輩が呟いた。
「みぞれったら、なんか暗くなったよね。もしかしなくても友達が退部しちゃったせいなんだろうけど」
それは勿論あるに違いない。傘木の力になれなかった事には自分も
「吉川さんから退部の件を聞いたって言ってましたけど、傘木の奴……鎧塚さんには話してないみたいですね。そっちの方がショックだったんじゃないんですか」
「意外と薄情だね、その傘木って子も」
岡先輩も渋い顔をする。
自分を怪我させた事に対する負い目で、今はそこまでする精神的余裕が無いだけかもしれない。
とはいえ、退部を考えるくらいなら、友達である鎧塚さんに連絡の一つはあってもよさそうなものだが。嫌な思いは
「そうかな。気を遣ったんじゃない?」
「気、ですか?」
初夏とはいえ、六月中旬とは思えない猛暑日。衣替えを済ませた夏服でも暑さを感じるのか、
「蔵守くんは男子だから、そういうトコ分かんないよね。女子ってね、男子と比べると言葉に含みを持たせるトコロあるの。額面通りには受け取れないんだよ」
「下手に退部する事を知らせたら、私も辞めるからみぞれも部活やめない? コンクール辞退しない? ……そう受け取りかねないのを心配したって来南は言いたいワケ?」
「うん。ありえなくもないと思うよ。実際南中出身の子、ほとんど辞めちゃったし」
岡先輩も納得したように頷く。
人数以上に、やる気のある彼女達が抜けた事で、他の教室から聞こえる音量もめっきり減った。
「そういう言外の圧力をかけるのを気にして、あえて黙っていたのかもしれないよ。他の子と違って、みぞれちゃんはコンクールメンバーだから」
女子の心の
ふと、田中先輩の事が頭に浮かんだ。
あの人が吹部の部員のなかでも特に大人びて見えるのは、そんな風に相手の言動を深読みする癖がついているからだろうか。
「……先輩達にも、そういうところはあるんですか?」
「美貴と仲良くなるまではね。この子はストレートに言わないと話が通じないんだもん」
「うっさいなー。私は回りくどいのが嫌いなの」
そういうさばさばしたところは、岡先輩も吉川さんと似ている。自分にとっては話しやすいが。
「それで美貴。合奏練習の方は、みぞれちゃん大丈夫なの?」
「まーね。調子落としてるとはいっても、もともとよく吹けてたし。吹ける吹けない言い出したら他のパートの方がもっとひどいからね」
それもどうなんだろう。もうコンクールまで、あと一ヶ月ちょっとしかないのに。
「みぞれも心配だけど、アンタもよ。最近、音が小さくなってる。塞ぎ込みたくなるのも分かるけど……、気持ち切り替えなさいよ」
そう言って、岡先輩が自分の背中を叩いた。先輩も先輩なりに、自分に気を遣ってくれているらしい。内心、おかしくなった。
結局、鎧塚さんは翌日・翌々日の授業中でも抜け殻状態。
そしてそんな彼女を注意する為に、ノ―コン先生方からやっぱり飛んでくる流れ弾。
またしてもハチの巣にされるところだったが、今度の事態は想定内。
あらかじめ机に置いておいたハンドタオルを盾代わりにかざして、被害は最小限にとどまった。
「……どうしたものかなぁ」
放課後。流し台でハンドタオルを水洗いしながら物思いにふけった。
本当は楽器を吹いた時、管体から出てくる
喜多村先輩の推測を鎧塚さんに伝えるのもいいが、それを真に受けてこのタイミングでコンクール辞退されるのも困る。
傘木も落ち着けば鎧塚さんと話をするだろうし、今は下手に手を出さない方が無難かもしれない。とはいえもう梅雨はあけたのに、相方がいつまでもじめじめとした雰囲気だとこっちまで気が滅入ってくる。
結局部活をサボって、ストックが切れかけているリードの補充に楽器店へ行くことにした。
「いらっしゃい。お? 北宇治の坊主か」
「お邪魔します。親父さん、いつものリードお願いします」
「あいよ」
顔馴染みの店員さんとの挨拶を済ませて、早速注文を切り出した。
店内には真新しい楽器がそこかしこに陳列され、生来の楽器好きの購入意欲を刺激する。実際には高いから買えないが。
リードの用意が出来るまで適当に店の中をぶらついていると、あるチラシが目に入ってきた。
"初心者から中級者へステップアップ!!
オーボエ・ファゴット奏者の皆様、リードを自作してみませんか!?
申込は○○○-△△△△-××××まで"
「待たせたな。ん? どした」
「親父さん、これ……」
「ああ、ウチの店を懇意にしてくれてるプロの人が、今度この辺で演奏会を開くんでな。それでしばらく宇治市に滞在するからボランティアでって事らしい。興味があるなら手続きしとくぞ?」
取るものも取り敢えず、チラシをひったくった。
「このチラシ。タダですよね!? 一枚貰ってもいいですか?」
「あ、ああ。それは構わないが……。そんなに急いで何処に行く?」
「学校!」
今から戻れば、部活が終わるまでにまだ間に合う。
『リード製作講習会?』
学校に戻るや否や、いつもどおりパート練習を行っていた三人に話を切り出してみた。
「ええ。今週末の土曜に、町はずれの楽器店で開かれるそうなんです。鎧塚さん、行ってみない?」
自分はコンクールに出る訳でもなし。部活にいても気が塞ぐ事ばかり。渡りに船だった。
「……でも」
「いいんじゃない? 行ってきたら、みぞれ」
「いい経験になると思うよ、こんな機会そうそうないから。みぞれちゃんが自分で作ったリードでどんな演奏するか、私も聞いてみたいかな」
土日も自主練に精を出す事が珍しくない鎧塚さんだ。本来なら休日出勤も苦にはならないはずだった。しかし思った以上に調子が悪いのかもしれない。気乗りしない様子でいる鎧塚さんの背中を、先輩達が押している。
「先輩達もどうですか? ファゴットのリード製作講習会も別にありましたよ」
「ゴメンね。興味はあるけどその日は外せない用事があるの」
「そうですか……。岡先輩はどうです?」
「メンドイから私もパ……」
先輩、空気読んで下さい。自分と二人きりなんて展開になったら鎧塚さんも行きづらいでしょ?
そうアイコンタクトを試みた。
しかし、底意地の悪い笑顔を浮かべる岡先輩から返ってきたのはとんでもない爆弾発言だった。
「そーね。みぞれと二人でデートがてら行ってきたら?」
「ちょ!」
「……蔵守君と二人で?」
いつも通りの無表情だけど声色から嫌そうなのが丸分かりだ。
そりゃあ好きでもない同年代の男子と外歩きなんて嫌だろうけどさ。どんな噂が立つか、わかったもんじゃないし。
「別に友達と一緒でも構わないよ。あんま広い所でやる訳じゃないから、大勢連れてこられても困るけど」
とはいえ、タイミングがタイミングなだけに傘木がついて来るとは思えない。
登下校、そして部活。
普段と変わった行動は何一つとっていないが、あれから傘木とは一度も顔を合わせていない。鎧塚さんに会いに来た時のついでで、クラスで一緒に世間話する事もなくなった。
あんな事があって、今は顔をあわせにくいのだろう。どうも避けられている様に感じる。
「……少し考えさせて」
「ああ、うん」
鎧塚さんの態度ははっきりしなかったが、無理に勧める気にもなれずそこで話を打ち切った。
……こういう押しが弱いところが、自分の欠点なのかもしれない。購入したリードの具合を一つ一つ、確認しながらそう思った。
講習会当日。楽器店の最寄りのバス停前は、休日とはいえ閑散としている。やはり町はずれだからか、道路沿いに設置されたベンチに腰掛けているのも同僚1人だけ。すぐ近くの自販機で購入した注文のオレンジジュースを、彼女に手渡して声をかけた。
「吉川さん、今日はよろしくね」
「よろしく。みぞれの付き添いだから、別にアンタと絡む気はないけどね」
つっけんどんな対応をとる吉川さん。今日も相変わらず、頭にサイズ間違ってるリボンがのっかっている。
おかげで遠目にも、すぐに彼女と分かったけど。
「でもちょっと意外だったよ。中学の吹部から一緒だとは聞いていたけど、二人って話してる所はあんま見なかったから」
「まーね。みぞれはお喋りなほうじゃないから。たまたまあの子が悶々としていたのを見つけたの。それで勢いで理由を聞き出して、一緒についてくから参加してみたらって言っただけ」
自分の事といい、吉川さんも大概世話焼きだな。
「私はみぞれが心配なの。あの子、私達一年で一人だけのコンクールメンバーだから。合奏練習の手伝いついでに様子見てたけど……最近のみぞれ、どこかおどおどしてる。私はああいう弱いみぞれを周りに見せたくない。本当はもっといい演奏できるんだから」
「お前は鎧塚さんの親か何かか」
思わずツッコミを入れたが、弱さを見せたくない、というのはむしろ男子部員である自分の方が切実な問題かもしれない。
ただでさえ女所帯の部活で軽く扱われがちなのだ。好き好んで格好悪いところを見せて、舐められたくはなかった。
「パー練の方は、みぞれどんな感じ?」
「元々上手いから大きな問題にはなってないけど、以前と比べるとちょくちょくミスをするのが目立ってきてる。心ここにあらずって感じなんだ」
「やっぱり希美が退部したの引きずってるのね。今日の講習会で少しでも気分転換できればいいんだけど」
「そうだね。傘木、今どうしてるんだろ……」
「……何で希美の事なんか気にしてるの?」
吉川さんの頭の大きなリボンがピンと張り詰めたように見えた。表情もどこか苦々しい。
……どうしたんだ? コンクールメンバーの件では一緒になって愚痴りあってたし、仲が悪い様には見えなかったのに。
「何でって。そりゃああんな事になったんだから、気にはなるよ。吉川さんは違うの?」
「……希美なら市民楽団に入団する事を考えてるみたい。謹慎中だし、活動を始めるのは今しばらく自重するつもりらしいけど」
「そっか、良かった。フルート続ける気ではいるんだ」
社会人、大学生、高校生。多種多様な立場の人が集う市民楽団は部活動と随分勝手が違うだろうが、それでも傘木にとっては今の吹部に留まるよりはマシかもしれない。
「むしろ私はアンタの方が心配。あんな大口叩いて。希美達の後を追って退部するんじゃないかと思ってた」
その節はお世話になりました。具体的には右頬が。
「実際あの時はそのつもりだったよ。もういい加減北宇治の吹部には愛想も尽きたしね。でも……今ここでやめたら、自分に向けられるはずの三年の鬱屈の矛先が鎧塚さんや先輩達に向かいかねない。三年が引退するまでは止められない」
吉川さんのフォローがあった。松本先生も目を光らせてくれている。
とはいえ、万が一という事もある。暴言を吐くだけ吐いて、後足で砂をかける訳にもいかない。三年の引退までは居残るつもりでいた。
傘木と違い自前の楽器を持たない以上、それでオーボエから手を引く事にならざるを得ないのは残念だが仕方ない。
バス停の時刻表を見つめながら思いの丈を打ち明けると、隣から視線を感じた。吉川さんがじとっとした目を向けている。
「……三年生が引退しても、退部するなんて許さないわよ」
「え?」
「あんな大口叩いておいて逃げるなんて許さないから。卒業したってOGとして何のかの文句つけてくるかもしれないのよ。悪いと思ってるなら、来年も部活に残って弾除け役引き受けなさいよ。香織先輩や私と一緒に吹部立て直すのに協力しなさいよ」
そういって、そっぽを向く吉川さん。心なしか顔が赤い。
両手を上げて降参した。
「……わかったよ。もう少し、頑張ってみる。楽譜の件じゃ中世古先輩には迷惑かけたしね」
トランペットパートからは、結局一人も退部者は出なかった。中世古先輩の人徳だろう。あの人が最上級生になって吹部を引っ張れば、部の風通しはずっと良くなるのは間違いない。
"お降りの際は、お忘れ物のないようお気をつけください"
「あ、鎧塚さん来たみたいだ」
停留所に止まったバスから、見覚えのある人物が降りて小走りに駆け寄ってくる。
「みぞれ、こっち!」
「……お待たせ、二人とも」
これで三人揃った。だがしかし。
「ちょっと二人に尋ねておきたい事あるんだけど」
『?』
「何で二人とも制服で来てんの? 休日なのに学校で自主練でもしてたの?」
一人だけ私服の自分が、あからさまに浮いてるんだけど。
「……動きやすくて良いよ?」
「そりゃそうだろうけど」
「アンタに私服姿を見せるほど、私もみぞれも安くはないわよ」
「……」
二人の私服姿がどんなものか、好奇心をそそったのに。
特に吉川さんは、リボン1つ取ってもセンスが明後日の方向に飛んでるし。
滝野達との雑談ネタが一つ潰えた事を残念に思いながら、二人を行きつけの楽器店に先導した。
「これで全員揃ったようですね。では、始めましょうか」
楽器店の奥、講習会の為に用意されたと思しきブースには、既に自分達以外の参加者が集っていた。パッと見ても明らかに年上の人ばかり。時間に遅れた訳ではないが、自分達が一番最後に来た事もあって気遅れを感じた。
「これがリードの素材となる
講師の人が参加者に手順書を配り終えると、製作工程の実演に移った。
人差し指程の長さの
「この葦の丸材を
机に立てられた丸材が、ナイフで真っ二つに断ち割られた。
その片方、大きな方に再度ナイフが押し当てられて、三つのかまぼこ状の木片になる。
「このカマボコ型ケーンを二つ折りにして、舟の形に整形したものが舟形ケーン」
思いの外、簡単に折り畳まれた。木化したといっても元々は草。強度はそれほどでもないようだ。
「この舟形ケーンと、楽器本体と接続するチューブを、糸で巻きつけて固定する。これでようやくオーボエ用のダブルリードの出来上がりです」
講師の人が手際良く、サンプルを完成させた。しかし、一通り眺めていただけでも細かい手作業が多いのがわかる。
実際に製作に取り掛かりながらも、作り方を問題無く習得できるか不安がよぎった。
隣に視線を移すと、鎧塚さんが葦の丸材を机に
「葦……、うまく三つに割れない」
「力足りてないんじゃないの? みぞれ、ちょっと私にやらせて」
鎧塚さんから受け取った丸材を、机に
バキッ!!
「出来た! 綺麗に三等分」
「優子、それ違う……」
「薪割りの要領で縦に割れって言われただろ。大根じゃあるまいし、輪切りにしてどうすんだ」
「あ、あれ? そうだっけ」
親指未満の長さに化した寸詰まりな丸材に、もはや修復の余地はない。
ため息をついてゴミ箱に放り投げると、いつの間にか講師の人が自分達の様子を眺めているのに気づいた。
「ははは、面白い子達だね。君達は学生だね?」
「は、はい。高校生です」
恥ずかしい所を見られてしまった。
人あたりの良い笑顔を浮かべて話しかけてきた講師の人に、慌てて頭を下げた。
「そうか、オーボエのキャリアはどれ位?」
「自分は今年で五年目になります」
「……私は四年目です」
「私も四年目!……トランペットを」
「誰も聞いてないぞ」
「うっさい」
ガラにもなく、おちゃらけて顔を赤くしている吉川さんに突っ込みを入れると、講師の人が笑いを噛み殺している。
「仲が良いみたいだね。そういう事ならアシやかまぼこから作るのはまだハードルが高いかもしれないな。舟形ケーンとチューブを糸で巻きつけるところからやってみようか」
「はい」
ケーンの糸巻きもなかなか面倒な作業だったが、要はケーンとチューブを糸でしっかり固定できればいいのだ。何度も繰り返している内にコツが掴めた。
「よし、出来た」
「……私も」
「へえ。君達、なかなか筋が良いね」
「ありがとうございます。……でも欲を言えば丸材を加工する所からリードを作れるようになりたかったです」
リップサービスが入っているんだろうな、と思いつつ素直に心情を吐露すると、講師の人はうんうんと満足そうに頷いている。
「学習意欲旺盛でよろしい。ただ、学生がイチから製作するには時間も手間もかかるからね。
リードの事に気を取られて、オーボエの練習時間を削るようになってしまったら本末転倒だ。
リード作りに慣れてくれば、市販の完成品の簡単な修正もこなせるようになる。
当面は今日学んだ事を忘れずに、しっかりマスターできるように頑張るんだよ」
『はい!』
本当は鎧塚さんの気晴らしに誘った講習会だったが、終わりの方は二人をそっちのけで夢中になってしまった。
講習会が終わってから週明けの月曜までは、早く自作のリードの具合を試したくて興奮状態。
部活の時間まで待ち切れずに早朝から音楽室に駆けこんだ矢先、先客とバッタリ出くわした。
「鎧塚さん、早いね。そっちも昨日作ったリードを試しに来たの?」
「……ううん。家で試してみたけど、私のオーボエには合わなかった」
「そ、そうなんだ。ゴメン、せっかくの休日に時間とってもらったのに」
冷静に考えてみれば、コンクールまでもう時間はない。
たとえ相性良く仕上がっていたとしても、このタイミングで使い慣れてないものに変えるのは抵抗があるだろう。
意気消沈していると、鎧塚さんが珍しく慌てた様子で声をかけてきた。
「気にしなくていい。一発で合うものが作れるなんて初めから思ってなかったから。それに……」
「?」
「リード作りって大変だけど楽しい。自分で音をアレンジできるのが実感できるから。誘ってくれてありがとう」
「あ、ああ。どういたしまして」
まだどこか陰を残しながらも、沈みがちだった彼女には最近見られなかった微笑み。
それが思いの外、眩しく感じられた。