北宇治高校ダブルリードパートへようこそ   作:言巫女のつづら

7 / 26
第7話 傷だらけのオーボエ

「……それで、長瀬の方は大丈夫なのか?」

「全然駄目だ。後藤がつきっきりで傍にいるけど……長瀬さん、ちょっとナーバスになってる。後藤の奴も低音の三年としばらく顔をあわせたくないって言ってるし。気持ちが落ち着くまで当面は部活に顔を出さないと田中先輩に連絡したそうだ」

 

 音楽室を後にして、それぞれの教室へパート練習に出向く途中。小声で話しかけてきた滝野に、声を潜めて答えた。

 

「……そうか。にしてもさっきのミーティングはひどかったな。三年は三年で、一年は一年でまとまってロクに話もしねえ」

 

 楽譜の一件は、間接的な原因である自分の口から打ち明けるのを躊躇(ためら)っている内に、途中から様子を見ていた部員達により数日経たずして部内に知れ渡ってしまった。

 経緯を一から十まで知ってる訳ではないので、ある事ない事、話に尾ひれがつきまくっている。

 三年に暴言を吐いた一年が悪い、意地の悪い真似をする三年が悪い、お互いひそひそ声での陰口の叩きあい。二年生は間に挟まれて居心地の悪そうな面持ちだ。

 

「俺、吹奏楽部ってもっと賑やかで楽しいところだとばかり思ってた。男にとっては仲間少なくて居心地悪い事は覚悟してたけどよ……」

「ここまで酷くは無いだろうが、どこの吹部も大なり小なりドロドロしてるとは思うぞ」

「そんなもんか」

 

 入部直後は女子だらけの華やかな部活環境に心躍らせていたという滝野も、最近は部内における女子の暗闘に困惑と苛立ちを隠せないでいる。

 

「部活を真面目に頑張りたいって思ってる傘木達の悪口を言いたくは無いけどよ……。ウチの吹部ってそんなガチな部活じゃねーみたいだし。今度の事だってあいつらが他のパートにまでちょっかい出さなければ、中川の奴がもう少し言葉を選べば、長瀬があんな目に遭う事もなかったんじゃないか?」

「……今更それを言っても仕方がないだろう」

 

 愚痴をこぼす滝野をなだめる自分の声にも力がない。

 自分自身、空気を読まない行動を取り続ける傘木達に思うところがない訳でもない。

 彼女がなぜ弱小の北宇治高校の吹部に入ったか、そのいきさつを知っている自分でもそうなのだ。他の人はもっとだろう。

 そして三年生も三年生で、傘木達のコンクールに対する熱意に目を向けようとしない人ばかりだ。最上級生という立場と数の圧力で、反対意見を封じにかかる。

 

 お互いの価値観が根本からして違うから、どうしようもない。

 結果的に、長瀬さんがとばっちりを喰らう羽目になった。

 

「トランペットは中世古先輩が色々とフォローしてくれてるおかげで、吉川も大分大人しくなってるけど……。他の連中は大丈夫なのかねえ」

「とっくに孤立してる」

「……傘木の方は、そんなにヤバいのか?」

「初めてフルートパートと練習した時点で、傘木以外誰も来なかった。最近じゃ、隣の教室からは先輩達の気配すらしない」

 

 こうるさい傘木の相手をするのに疲れて、他の空き教室に移動して駄弁っているのだろう。

 今にして思えば、自分が入部する前からパート内では相当浮いた存在になっていたと分かる。

 

「鎧塚さんが心配して様子見に行ってるが、かなりキツそうだ」

 

 傘木に限った事ではないだろう。

 最近、南中の面子が自分との距離を露骨に縮めている。今まではさして接点もなかったのに。

 喜多村先輩も言っていたが、どうも自分は傘木のシンパと見られている節がある。

 それぞれのパートで孤立感を深めているなか、立ち位置が近いと思っている同級生を一人でも仲間に加えたいと考えているのかもしれない。

 

「それなら、いっその事お前のとこと一緒に練習するとかはどうなんだ?」

「……さすがに先輩達が許さないだろう」

 

 滝野の提案にかぶりを振った。

 先輩達からだけでない。田中先輩からも目立つ事はしない方がいいと釘を刺されたばかりだ。

 パート練習中に他のパートと一緒に活動なんて勝手な真似をしたら、三年に目をつけられるくらいでは済まない。自分は勿論だが、鎧塚さんや先輩達も。

 

「ダブルリードの先輩もつれないな……」

「よせよ。お前のとこの先輩が物分かりが良すぎるだけだ」

 

 中世古先輩は、楽譜の件で三年の暴走を止められなかった事に良心の呵責を感じているらしい。既に決まっていたコンクール出場権を放棄して、南中出身の一年と三年の対立解消に奔走している。

 

――楽譜係である私の管理不行き届きのせいだから、責任を取らないといけません――

 そう言って先生に出場辞退を申し出たと聞いた時、翻意を促したが中世古先輩は(かたく)なだった。

――これが、今の私に出来る事。せめてもの償いだから――

 そう力なく答える先輩の姿は何とも痛々しかった。

 先輩にそう言われては、同じく楽譜係である自分もこの件で声を大にする訳にもいかない。

 

「中川の奴も、すっかり元気なくしちまったしなぁ……」

 

 元々真面目とは言い難いところもあったが、彼女も今回の件で心が折れてしまったようだ。勝気な性格もすっかり影を潜めて、部活に居残る時間もめっきり減った。

 

「同じ金管の初心者同士、そっちはお前がなんとかしてくれ。後藤も長瀬さんの事で手いっぱいだろうし、傘木はこっちでなんとかするから」

 

 どこを向いても、気が塞ぐような事ばかり。今更ながら、ろくでもない部活に足を踏み入れたものだと嘆息した。

 

 

 

 

「なんか音が刺々しいよ」

 

 パート練習の時間も終わり、先輩達も早々にいなくなって閑散とした三年六組の教室。

 ままならない部活の現状に対して、鬱憤(うっぷん)を晴らすかのようにオーボエを吹いていると、陽気な口調で傘木が教室に入ってきた。

 

「お疲れくらむー。今日も精が出るね!」

 

 ……またパート練習、一人でやってたんだな。

 

 傘木の目は、泣き腫らしたように真っ赤だった。

 気丈に振る舞ってはいるが、声のトーンも微妙に低い。

 

 傘木は教室を見まわして、自分一人しかいないのを見て首を傾げた。

 

「みぞれは?」

「鎧塚さんなら今日は風邪で早退したよ。連絡入ってないの?」

「え、ホント!?」

 

 傘木は慌ててポケットからスマホを取りだして細々と操作しだしたが、すぐにがっくりと肩を落とした。

 

「ヤバい。充電するの忘れてた」

「フルートの先輩達は今日もサボリなんでしょ? 早めに帰宅して連絡いれてあげたら」

「まあそうなんだけど……できれば今日あたり、二人に話したいと思ったんだけどな」

「話?」

「あの三年達のこと! くらむーはどう思う?」

「……話っていうのは三年の愚痴?」

 

 だとしたら御免こうむりたいのだが。

 長瀬さんの一件以来、三年生にはもう嫌悪感しか沸かない。

 

 あの事件が起きるまでは、三年生にもまともな人はいる。

 その人達の手を煩わせるべきではない。気長に状況が改善するのを待つつもりだった。

 

 今はもう違う。

 

 悪質な同級生を放置しているという時点でまともとは言えないのではないか。

 

 事件の顛末が頭をよぎる。

 ……結局、低音パートの三年達は予想通り指紋を消して、証拠不十分でうやむやにされた。そればかりか、パートリーダーの人は私の管理不行き届きだと言い出したのが(いさぎよ)いと、逆に梨花子先生から褒められたらしい。

 それを聞いた時は流石に憤慨した。

 事情を知らない先生は別にしても、あの場には低音パート以外の三年生の姿もあったのだ。誰か一人でも、同級生の悪行を諌めようとは思わなかったのか。

 

 ……どうせ話題に昇るのはロクでもない事ばかり。気分を悪くするだけなので、もう耳にしたくもなかった。

 

「ああ、ちょっと違うの。私はもう三年の事は堪忍袋の緒が切れてね。決起する事にしたの。話ってのは、くらむーにそのお誘いをしにきたの」

 

 また不穏な言葉がでてきた。

 

「決起って。一体何をしようっていうんだ?」

「ふふん、これを見て!」

 

 彼女が自分の目の前に広げたノートには、一年生の吹奏楽部員の名前が並んでいた。

 

「トロンボーンの羽丘、サックスの岸、クラリネットの小浜に湯浅、安藤……」

「そのノートに書いてるのは決起に賛同してくれたメンバーよ。ま、全員南中の部員だけどね」

「十人以上もいたのか……」

 

 吹部の一年は二十七人いたはずだから、南中出身者だけで三分の一を超える。

 

「決起の実行タイミングは明日の基礎合奏。今までもそうだったけど……、どうせチューニングも不十分でテンポも合ってないまま惰性でやるに決まってるからね。そこで三年生を注意するから私達と口裏を合わせてくれないかな」

 

 一瞬、耳を疑った。

 

「基礎合奏!? 正気か!?」

 

 基礎合奏は、大勢の部員が音楽室で一堂に会して行う。

 三年生の数の圧力の前に、文句はあっても口に出すのが最も(はばか)られる時間でもある。

 

「勿論。パー練の時に発破かけても、らちが明かないからね。みんなの前で声をあげれば、きっと二年生も立ちあがってくれるよ!」

 

 確かに意表は突けるだろうが、上手くいくかとなると話は別だ。

 四十人近い三年生部員の大半が、部の活動方針は今のままでよしと考えている。

 一年の総意というのであれば、傘木の思惑通り二年生も翻意してくれるかもしれない。しかし実際の所、南中出身の部員と、それ以外の部員の間には微妙な温度差が存在する。

 ノートに記載された連中に、数こそ多いが傘木の身内しかいない事がそれを明確に語っていた。十数人程度では逆に握りつぶされるかもしれない。

 

「……そう上手くいくかなぁ」

 

 独り言のようにつぶやいたつもりだったが、耳聡く傘木に聞き咎められた。

 

「なによー。二年生は同意してくれないとでも言いたいの?」

 

 やはり傘木は、良い意味でも悪い意味でも強豪校のOGだ。骨の髄まで、ハードスケジュールをこなす事・実力順をよしとする部活スタイルに染まっている。

 それはそれでいいが、物事をなあなあで済ませたがる人もいるという事を分かっているのかいないのか……。

 

「傘木。コンクールメンバーの選抜基準って知ってるか?」

「何を今さら……。三年生優先でしょ」

「三年生になれば確実にコンクールに出れる。二年の人達がそれでいいと考えてるとしたら、三年の反発買ってまで無理に一年に同調しようとするかな」

 

 コンクールメンバー発表の翌日。落ちたにも関わらず、まるで意に介さない様子だった喜多村先輩。多分あれが、大半の二年生の偽らざる心情なんだろう。

 

「……」

 

 自分の言葉に、傘木の表情が歪んでいくのがはっきりと分かった。

 

「とにかく、やるだけやってみようよ! もう皆に声かけちゃったし、今更引き下がれないよ!」

「……分かった。だけど、口裏を合わせるだけだ。それ以上の事はできないぞ?」

 

 そこが妥協できるラインだった。

 気乗りはしない。長瀬さんの楽譜の件があったばかりだ。

 あの時と同じ様に、今度は先輩達や鎧塚さんが巻き添えを喰らう事になりかねない。

 そう思う一方で、傘木が苦しんでいるのに何の手助けも出来ずにいる事に後ろめたさもあった。

 

 自分のパートの事だ。自分が目を光らせておくしかない。腹を据えた。

 

 

 

 

 翌日の部活。

 不十分なチューニングが繰り出す音のうねり。それが修正される事もなく続けられ、バンドとしてのまとまりをつくるという本来の体を成さない基礎合奏。悪い意味でいつも通りだ。

 

 そんな中、自分に目配せしてくる傘木に無言で頷いた。南中出身の部員同士で試みられるアイコンタクト。

 それに気付いた周りが不審の目を向けるが、これから何が起きるかを知ればその程度のリアクションでは済まない。

 

 傘木がフルートを膝に下ろして、声を張り上げた。

 

「先輩達、音あってませんよ。ちゃんとチューニングしないと」

 

 音楽室がざわついた。

 傘木達が部活の現状に強い不満を抱いている事は、もう誰もが知っている。だが、まさかこのタイミングで声を上げるとは思いもしなかったのだろう。三年生ばかりか、二年生も目を丸くしている。

 

「そうですよ。それに本番は大ホールでやるんですから、今の音量じゃ響かないと思いますよ」

「クラリネットは音出し過ぎ。フルートは逆に音足りないです。全体のバランスが取れてません」

「これじゃ全員で集まって練習する意味ないですよ……」

 

 傘木の後を受けて、南中の面子が口ぐちに文句を言い立てる。

 彼女達が一通り不平不満を言い終えたのを見計らって、自分も言葉を繋げた。

 

「先輩方。コンクールは他の学校の人も聞くんですから、傘木達の言う通りもうちょっと真面目に練習した方がいいかと。笑われにいくようなものですよ」

 

 ざわめきが、更に大きくなる。

 吹部のあり方について、本心はどうあれはっきり異議申し立てをしてきたのは南中の人間だけだった。これまでは。そこに自分が加わった事は、いささかの驚きをもって迎えられた。

 

「ちょっと蔵守……」

 

 背後から岡先輩の非難がましい声が聞こえてきたが、今回ばかりは無視する。

 南中出身の部員達の不意打ちに面喰っていた三年も、次第に剣呑な表情へと変わってきた。

 

「あのねー。ワタシらって別に上目指してるワケじゃないの。毎年府大会銅賞常連の吹部なんだから、そこんとこ言わなくてもわかるでしょ? なのにアンタ達事あるたびに練習練習ってウルサイのよ。楽しめればいいの」

「それはわかりますが……」

 

 声を荒げる三年に、どう言葉をかけるべきか。

 内心悩んでいるうちに、たまりかねたように南中出身の部員から怒声が放たれた。

 

「じゃあ香織先輩みたいに、コンクールメンバー辞退すればいいじゃないですか!!

あんな下手糞な演奏で、あわよくば金や銀取れるかもなんて夢みてるんじゃないでしょうね!!」

「何ですって!!」

「何が楽しめれば、ですか! 練習して音揃えなきゃ楽しめるものも楽しめないでしょーが!!」

「私達一年だけならまだしも、真面目にやってる二年の先輩達まで出さない事に良心が痛まないんですか!?」

「二年の先輩達もそれでいいんですか!」

『……』

 

 一様に複雑な表情を浮かべている二年生達。

 内心思う所があっても三年に逆らうのが怖いのか、それとも自分達に火の粉がふりかかってきたのにとまどっているのか、迷惑に思っているのか。

 ただ一つ、はっきりしているのは傘木達に諸手を挙げて賛同する二年は誰もいないという事だ。

 

『せ、先輩……』

 

 そんな二年の様子を絶望的な表情で眺める傘木達。対照的に三年は満足げな笑みを浮かべている。

 

「二年生達は特に文句ないみたいよ。これでわかったでしょ。部をひっかきまわすのはいい加減にしてよね」

「一年の癖に生意気なのよ。少しは空気読んで大人しくしてなさい」

「……なーるほど、二年生も半分腐ってる訳か。よくわかりました! こんな部にこれ以上居残っても時間の無駄ですね!」

 

 南中出身の部員達の暴言は止まらない。三年生達もさすがに顔色を変えはじめた。

 

「お前ら、言葉を……」

 

 選べ、とたしなめる暇もない。

 

 三年生達が頭に血を昇らせて椅子から立ち上がったのだ。

 

「言わせておけば……! 一年の癖して!」

「何よ! この性悪!」

 

 そこから先は売り言葉に買い言葉。遂にはキャットファイトに陥った。さすがにこれはマズい。

 

『先輩! 抑えて下さい!』

「傘木も落ち着け!」

 

 滝野、それにナックル先輩達二年の男子部員も止めに入る。

 自分も、取っ組み合うフルートの三年と傘木をひき離そうと慌てて間に入った。

 

「一年坊は引っ込んでなさいよ!」

「蔵守どいて!」

 

 お互いヒートアップしてるので、自分を振り払おうとする動きにも遠慮がない。

 腕力のないもやしっ子の悲しさ。情けないことだが、力一杯突き飛ばされてしまった。

 それだけならどうという事もなかったが、二人の自分を突き飛ばすタイミングと方向が一致してしまったのが、運が悪かった。自分の体は勢いよく、すぐそばの壁に激突した。

 

 

「がっ!!」

 

 

 後頭部と右肘(みぎひじ)に激痛が走る。立ちあがろうとするが体に力が入らない。そのまま突っ伏してしまった。

 

『!!』

『きゃああ!!』

「頭から血が出てる! ヤバいよこれ!」

「早く! 誰か保険医呼んできて!」

「お、おい蔵守! 大丈夫か!! しっかりしろ!」

 

 ナックル先輩が必死に呼びかけてくるが、意識が混濁して声が出ない。どうも打ち所が悪かったようだ。

 そういえば傘木に呼び捨てされたな。……なんてどうでもいい事を考えながら意識が途切れた。

 

 

 

 

「……ん?」

「! よかった…気がついたんだね」

 

 目が覚めると、そこには喜多村先輩と岡先輩の姿があった。

 

「ここは……保健室?」

「そうよ、ナックル達が運んでくれたの」

 

 ベッドに横になっていた体を起こそうとすると、喜多村先輩に慌てて制止された。

 

「まだ動いちゃだめ。保健の先生は大事ないって言ってたけど、このまま安静にしていて。

今、先生がキミのお母さんに連絡してる。今日は一緒に車で帰りなさいって」

「ごく軽い頭部打撲と右肘の捻挫だって。出血もすぐに止まったし、良かったじゃん。ま、一応病院で確認してきたら?」

 

 気絶していた間、処方の手伝いでもしていたのか、岡先輩が湿布の切れ端をゴミ箱に捨てながら呟いた。右肘に貼られた湿布のひんやりとした感触が、ほどよく痛みを中和する。確かに大した怪我ではなさそうだ。

 

「それにしても、アンタもヤワね。女子二人に突き飛ばされてノックアウトとか。もうちょっと体鍛えなさいよ」

 

 心底呆れた表情で、岡先輩がため息をつく。

 

「返す言葉もありません……」

 

 確かに今回の事は我ながら情けない限りだ。穴があったら入りたい。

 

「美貴も言い過ぎだよ! 女子が相手だったんだから本気出せる訳ないじゃない!」

 

 それは買い被りです。

 

「……にしても、大変な事になっちゃったわね」

「そうだ! 先輩、あれから傘木達はどうなったんですか?」

「キミが怪我した事で、みんな頭を冷やしたみたい。今は大人しくなったけど……。梨花子先生と松本先生が、それぞれ三年生と一年生に事情を聞いて回ってる」

 

 ……それから先は親が来るまで、大人しくしてろと言ったのに人の話聞かないんだからとか、(なだ)めろと言ったのにミイラ取りがミイラになってどうすんのとか、岡先輩からネチネチ嫌味を飛ばされた。その間、喜多村先輩がずっと浮かない顔をしているのが気にかかったが。

 

 

 翌日の金曜日、念の為病院で精密検査を受けたが異常はなし。右肘の痛みも大分和らいだ。

 結局その日も大事をとって学校を休むことになったので、部活に顔を出すのは翌週の事になってしまった。

 

「お早うございまーす」

 

 始業前。軽く朝練をこなす為に音楽室のドアを開けながら挨拶したが、いるのは病み上がりの鎧塚さん一人だけ。

 おかしい。コンクールが近い事もあって、ここ最近は岡先輩も真面目に練習してはいたのだが。

 

「もう登校してきたの……。頭大丈夫?」

「……」

 

 鎧塚さん。その言葉足らずなところ、直した方いいよ。

 怪我の事心配してくれてるのはわかってるけど。その言い方じゃ自分が頭おかしい人みたいじゃないか。

 

「ああ。病院の先生からも、頭の怪我も右肘も両方とも異常ないってさ」

「そう、よかった。先輩達から話は聞いた。私が休んでる間、いろいろあったみたいだけど……」

「まあね。先輩達は、まだ来てないの?」

「ううん。松本先生に呼び出されてお話し中」

「話?」

「今度の事で、先週から部員一人一人個別に呼び出されてる。貴方も呼ばれると思う」

 

"一年一組の蔵守啓介君、松本先生がお呼びです。四階音楽室前準備室まで来て下さい"

 

「ほら」

 

 ……どうも自分が休んでいる内に、思った以上に大事になってしまっているようだ。

 

 

 

 

「まずは座れ。事の経緯は他の部員達から大体聞いている。お前は今度の件での被害者だ。よって、教員会議で決まった事を特別に伝えるが当面の間は黙っていてくれ。与えるショックが大きいだろうからな」

 

 頷いて席に着くと、松本先生から関係者に処分が下る事を聞かされた。

 今回の件は、学校側も捨て置く訳にはいかなかったらしい。

 結果的に自分に怪我を負わせた当事者二人……傘木とフルートの三年生は、今年のコンクール出場権剥奪(はくだつ)の上、部活動一ヶ月停止。他に喧嘩に加わった一年と三年も同様にコンクールの出場権剥奪という事になった。

 一年生はともかく、三年生の方はコンクール前に実質的な引退勧告を出された格好だ。

 

「……もう少し寛大な処置は取れないんでしょうか」

「お前の気持ちはわからんでもない。だが故意でないにせよ部活動で傷害事件が起きた以上、お咎めなしという訳にはいかん」

 

 先生は困ったような表情をして、ひとつ息を吐くと内心を吐露してくれた。

 

「……実を言うとな。教員会議で、今年のコンクール出場辞退も検討されたのだ。あくまで一部の部員の暴発という事にして、それは抑えたが……。実際の所、今回の件は氷山の一角のようなものだ。一・二年から話を聞いた所では、三年に反抗的な一年がいじめられたり、無視されたりしていたそうだな」

「はい。自分達一年の方にも言い方がまずかった所はありますが……」

「うむ。私はな、今の吹部の(ぬる)い方針には反対なのだ。たかが部活、されど部活。学生時代に一生懸命やり抜いた事は一生ものの思い出になると思っている」

 

 そう言うと、先生は椅子から立ち上がって窓から校庭を見つめた。松本先生は北宇治のOGと聞いている。高校時代を思い返しているのだろうか。

 

「先生がめったに部活に顔を出さないのは、指導方針の違いで梨花子先生と仲が悪いからだって部内じゃ噂になってますが」

 

 こうして松本先生とサシで話すのも、今日が初めてだった。

 自分達コンクールメンバーから漏れた面子は、文化祭で演奏する曲の練習を行っている。先生はその場にたまにしか顔を出さない。そしてその時は、きまって不景気な表情をしていた。

 

「そりゃ仲は悪いとも。だがそれ抜きにしても、副顧問の私が出ずっぱりにならなければいけないほど、お前たちは練習してる訳でもあるまい」

 

 ごもっとも。

 

「……それでも、生徒達がそういう部活を望んでいるなら、致し方ないが認めるつもりでいた。部活動が厳しくなれば吹奏楽を嫌いになってしまう子がでるかもしれない。コンクールメンバーを実力順にすれば三年間頑張っても出場できない子が出てくるかもしれない。それで本当にいいんですか? 子供たちはプロを目指してる訳じゃないんですよ? そう彼女に問われると返答に窮してな」

 

 梨花子先生の考えは、なんとなく理解出来る。完全な実力順となると、割を食うのは高校から吹奏楽を始めた初心者だ。コンクールに向けて練習を重ねても、その成果を披露できない。結果が出ない努力ほど続けて空しいものはない。

 大成した人は皆、努力を続けるのが大事と言う。だけど、最初からなにもしないロクデナシなんてそうそういない。結果が出ないから努力をしなくなるんだ。

 

 梨花子先生も全くの善意から、今の部の体制を構築したとは思う。高校から吹奏楽を始めた初心者にも楽しめる環境を提供しようと。

 ……それがどうして、上級生が下級生を食い物にするような環境へと変化してしまったんだろう。

 

 ため息をつく自分をじっと見つめながら、松本先生が声を発した。

 

「だが! こういう事が起きてしまった以上、もう手をこまねいてはいられん。彼女には今年いっぱいで吹部の顧問を辞めてもらう事になるだろう」

 

 管理不行き届きで梨花子先生にも処分が下るという事だろうか。

 

「……松本先生が顧問になるんですか?」

 

"自分は北宇治では一番厳しい教師である事を誇りにしている"

 なんて事を公言して(はばか)らない人だ。この人が顧問になったら、また別の意味で部員達は大変な目に合いそうな気もするが。

 

「いや、形ばかりとはいえ副顧問だったのだからな。私にも責任の一端はある以上そうはいかん。北宇治の(たる)んだ空気に染まっていない指導者を外部から招聘しようと思っている」

 

 松本先生にも減給処分が下されるそうだが、副顧問から降ろされる事にまではならないらしい。

 その後は長瀬さんの楽譜の件の説明を求められ、一通り話して先生との面談は終わった。

 

 

 

 

 処分が周知されるのは今週末になるという事だったが、それを待たずして傘木達は退部した。

 涙ぐみながら自分に平謝りする傘木が言うには、今回の件に対して責任を取りたいという事だった。

 

 勿論自分を怪我させた事について申し訳ないという思いはあるのだろう。

 しかし、それはきっかけにすぎない。

 三年生だけでなく二年生もアテにできない。もうこんな部に居たくないという思いの方が強いのは容易に想像がついた。

 

「……怪我も大した事なかったし、気にしなくていい」

 

 傷心の彼女に、それ以上かける言葉は見つからなかった。

 

――頼りにしてるからねっ――

 

 結局、自分は最初から最後まで何の力にもなれなかった。

 

 

 傘木達が去った後、三年生達もさすがにバツの悪さを感じてか、形ばかりとはいえ頭を下げて謝ってきた。

 

「でも傘木達も、自分らの都合ばっかりで部活を振り回そうとしなきゃ丸く収まったのにねえ」

 

 この期に及んで、この人達はまだそんな事を言うのか。

 

 確かに傘木達は部の空気を乱したが、真面目に部活に取り組もうという動機自体は非難されるような事でもない。怪我をさせた事についても、三年への言い訳がましい事は一言も口にせず、ただ謝るだけだった。

 

「先輩方も、自分達の都合で部活を振り回しています。それは問題ないと思ってるんですか?」

 

 自然と皮肉が口からこぼれた。

 部員達の視線が集まってくるのも、音楽室の空気が凍りついていくのもまるで気にならない。

 言葉を失う三年生達を一顧だにせず、帰り支度を始めた。

 

「……今日はもう帰ります。お疲れ様でした」

 

 無念の思いで吹部を去った傘木達にしてやれる、これが自分の精一杯だった。

 

 




 
落ちるところまで落ちたら、後は這い上がるだけだ。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。