北宇治高校ダブルリードパートへようこそ   作:言巫女のつづら

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第5話 頑張るトランペット (トランペットパート2年・中世古香織 視点)

 自由曲は決まったけれど、吹部の活動は相変わらず低調。

 形ばかりのコンクールの準備に入った六月。

 テナーサックス担当の(あおい)と、途中入部したオーボエ担当の一年生……蔵守君だったっけ。それに私。楽譜係の三人総出で、お役御免になったサンフェスの楽譜の整理に勤しんでいるなか、先輩から依頼が舞い込んできた。

 

「明日までにコンクールの自由曲の楽譜、人数分用意しといてね」

 

 先輩のその言葉に、蔵守君が困惑した表情を浮かべている。

 

「明日まで、と言われましても……。通販で調達するにせよ、楽器店で購入するにせよ、すぐには揃いません。いくらかかるかも分からないし、二、三日時間をください」

 

 本来なら至極当然な彼の発言に、先輩は怪訝そうに言い返した。

 

「何言ってんの? それぞれのパートの楽譜は用意してあるから、あとは印刷室でコピーするだけよ。すぐ終わるでしょ?」

「……部費で人数分、購入しないんですか」

「お金勿体ないじゃない。コピーでいいって」

 

 気乗りしない様子で確認を取る蔵守君に、先輩は平然と言ってのけた。

 

「でもそれは、「わかりました。早速済ませてきます」

 

 彼の言葉を遮った。先輩は正論が通用する人じゃない。

 

「終わったら楽器準備室に置いておきます。……ほら、蔵守君。行くよ?」

「……はい」

 

 ここで先輩とやりあっても意味は無い。

 葵も、それは分かっているので衝突を避けるように蔵守君を促した。彼はまだ何か言いたそうだったけれど、私と葵を一瞥(いちべつ)すると後に続いてくれた。

 

 

 印刷室へ赴く彼の歩調は良くも悪くも男子のそれ。

 本来なら追いつくのは少しつらかったはずだけど、私も葵も足並みを乱す事にはならなかった。

 彼以上に、嫌な仕事を早く済ませたいという気持ちが歩みを速めたのかもしれない。

 

 

 

 

 印刷室の空気は重苦しかった。

 コピー機の、規則正しい稼働音ばかりが耳に響いてくる。

 ひたすら無言でコピーの様子を見守る私と葵を見て、蔵守君も空気を読んだのかもしれない。何も言わず、コピーが済んだ楽譜を手に取っていく。

 ただ、時折困ったような視線を私達に向けて、訴えかけているようにも見えた。

 

 

 こんな事しちゃっていいんですか、ばれたら大変ですよ。  と。

 

 

 そんな彼の視線に耐えられなくなったのか、葵がうめくように口を開いた。

 

「……いけない事だって分かってるよ。でも部費には限りがあるし、北宇治の吹部はここのところ実績残せてないから。学校からでるお金も雀の涙だし」

 

 本当は、楽譜のコピーはやってはダメな事。吹奏楽部の活動で用いるものであってもそれは例外じゃない。

 もっとも……お金の無い学生の悲しさ。何かとお金のかかる吹奏楽の部活動において、厳密に楽譜のコピーを禁じている学校がどれだけあるのかは怪しい。北宇治のような弱小高なら尚更。

 

「皆で集めた大事なお金だからね。他の消耗品に少しでも回す為だから、ね?」

 

 葵に同調して私も言葉を繋げたけれど、消耗品、のくだりで蔵守君の表情に影がさした。

 

香織(かおり)!」

「あっ……」

 

 たしなめるような葵の声色に、余計な事を口走ったのを悟った。蔵守君がうつむいている。

 消耗品の負担、という意味では彼や来南達が担当するダブルリード楽器が最も重い。金管のマウスピースと違って、木管のリードは消耗品。特に、繊細なダブルリード楽器のリードは、サックスやクラリネットのそれよりずっと高くつく。

 自分のせいで私達にこんな事をさせている、と思いこんでいるのかもしれない。

 

「コンクールでいい成績出せれば、学校から出るお金もアップするから。あんまり深く考えないで大丈夫だから」

 

 慌ててフォローを入れたけど、口から出てくるのは自分でも信じていない言葉ばかり。今の部の状況では、府大会銅賞が関の山なのに。

 

「そうですね……」

 

 蔵守君もそれは分かっている。力なく愛想笑いする彼の姿が痛々しかった。

 

 

 

 

 印刷が済むと、蔵守君はコピーした楽譜を一人で抱えて、足早に立ち去ってしまった。話の流れから、この場に居づらくなったのかもしれない。

 

「香織もなかなか賢いね。消耗品の負担を盾に彼の口を封じるなんて」

「私、そんなつもりで言ったんじゃないよ……」

 

 皮肉を口にした葵に、思わず口を(とが)らせた。

 

「知ってるよ。だけど、このほうがいいかもね。下手に口を滑らせちゃうよりは。彼にとっても部にとっても」

「葵……。その事なんだけど、蔵守君には話しておいた方がいいんじゃないかな。私達が調べるようになったのもサンフェスの時の楽譜のコピーからだったし。今度の事で、彼も気付くかも……」

「……止めておいた方がいいと思う。彼、先輩に目をつけられてるフルートの子……希美ちゃんと仲いいみたいだから。下手に知らせたら藪蛇になるよ」

 

 南中出身の一年生達が三年生と角突き合わせている事は、もう部内では周知の事実。

 特にフルートの希美ちゃんを中心とする木管メンバーは強硬で、一昨日も低音パートにまで発破をかけてきたとあすかが言っていた。

 蔵守君を通して彼女達に情報が伝わる事を懸念する葵の気持ちも良く分かる。

 

「でも、もし気付かれちゃったら。どう言い繕っても言い訳としか受け取られないかもしれないよ?」

「気付かないでいてくれる事を祈るしかないよ。私だって本当はあんな事、知りたくなかった」

 

 

 

 私も知りたくなかった。まさか、お菓子代に部費を流用しているなんて。

 

 

 

 ……きっかけは四月末。サックスのリードのストックが枯渇して、葵が三年生の会計係に一括購入のお願いをしに行った時だった。

 楽器準備室の金庫の中、部費が保管されているポーチを開いて、葵がおかしな事に気付いた。

 やたらと一円玉や十円玉が多い。部費は月千円。直近で徴収されたのは新入部員が入った後の四月半ば。

 

「それほど日にちも経っていないのに、一体何に使ったんだろう……」

 

 そう訝しむ葵に、

 

「去年の部費の残りじゃない?」

 

 と思いつきで返したら、葵も納得した。

 だから、その話はそれで終わるはずだった。

 

 不審感が頭をもたげてきたのは、サンフェスの準備を始めた五月初め。

 マーチングに使う楽譜の調達方法にあった。今回のコンクールの自由曲と同じように、勿体ないからと先輩からコピーをお願いされた。

 

「こういう時の為に集めた部費なのに、どうしてそんな事するんですか」

 

 そう言ったけれど、ひと睨みされて二の句が継げなかった。

 消耗品に部費を回す為。目をつぶるしかない。

 そう思って、先輩にそれ以上口答えできないでいる自分を納得させていた。

 

 ただ、腑に落ちない事があった。

 

 楽器準備室の棚に、うず高く積まれたお菓子。

 先輩達が部活そっちのけで雑談に興じる為に買ったもので、私達下級生も時折そのお相伴にあずかったりしている。

 部活動を終えた後の息抜きに甘い物をつまむのは、疲れが取れるし何より楽しい。

 だから一、二年生もついつい先輩達の好意に甘えてしまっているのだけど、楽譜の件を知っている私と葵だけは、その温度差にキナ臭いものを感じるようになるのも時間の問題だった。

 

 部費から出す楽譜代を節約したがるのに、自分達の財布から出すものはどうしてそんなに気前がいいんだろう。普通なら逆なのに。

 

 それから、カマをかけてみた。

 五月の部費の徴収の翌々日。今度はトランペットのメンテ用のバルブオイル購入のお願いをした。

 同行してくれた葵に、ポーチの中身を確認してもらったところ、やっぱり消耗品の購入だけでは説明のつかない不自然な小銭の増え方をしている。

 そして楽器準備室の棚には、真新しいお菓子が並んでいる。

 

 どう考えても、楽譜のコピー代で浮いたお金を菓子代に回しているとしか思えなかった。

 

 お菓子代なんてたかが知れている。一人二人が一度二度使う位ならどうという事はないけれど、吹部には四十人近くの三年生が所属している。先輩達の間でこんな事が常態化しているとなると、事態は深刻だった。積もり積もれば費やされる金額だって馬鹿にならない。

 何より、皆から集めた部費の使い方として健全であるはずもない。

 

 腹が立ったけれど、みんなに知らせるべきかどうかとなると、私も葵も二の足を踏んだ。

 部費が不正に使われているのは、ほぼ間違いない。

 

 でも、事を公にすれば確実に部内が混乱する。

 一年生の中には、年功序列でメンバーが選抜された事に不満を持っている子がかなりいる。

 どうせ出れないのならば……と考えて、北宇治の吹部は自由曲の楽譜をコピーしてますよ、なんて大々的に公表でもされたらペナルティーとしてコンクール参加すら危うくなるかもしれない。

 

 あんな人達でも高校生活最後の舞台、と思うと追及の矛先も鈍る。

 それに……この不正に関わっている三年生はどれだけいるのか、関わっていないのは誰なのか。そこまでは、まだはっきり掴めていない。真面目に活動している三年生まで巻き添えにするのは気が進まなかった。

 関与している人達を見極めたうえで、先生に相談して内々に処理をする。時間はかかるけれど、穏便に事を収めるにはそれしかなさそうだった。

 

「……来年は私達が最上級生。こんな事、止めようね」

「うん。一年生には我慢を強いる事になるけど……」

 

 最上級生。葵が言ったその言葉を、心の中で反芻した。

 こんな悪習、来年は断ち切ってみせる。

 

 

 

 

 トランペットパートが練習に使っている二年六組の近くで、蔵守君を見かけたのは楽譜のコピーを任された翌日の事だった。

 

「……という訳なんだけど、どうだろう」

「いいんじゃねーの? 俺も一枚噛んでみるか」

「すまん、助かる」

 

 地図を広げて、一年生の滝野(たきの)君と何事か話し合っている。二人でどこか遊びに行く計画でも立てているのかな。

 

「どうしたの、蔵守君。二階で見かけるなんて珍しいね」

 

 ダブルリードパートが練習に使っている教室は三階。トランペットは二階。だから何か連絡でもないかぎり、パート練習中に彼の姿を二階で見る事は無かった。

 

「あっ、先輩! ちっす」

「うん。こんにちは滝野君。今日もよろしくね」

 

 元気良く挨拶してくれる滝野君に、私も笑顔で挨拶を返す。

 新入部員の滝野君はトランペットを初めてまだ日も浅いけれど、才能はあるみたいだった。なかなか物覚えが早くて、部活に対する取り組みも悪くない。

 

「こんにちは、中世古先輩。ちょっと滝野に相談に来たんです。お菓子の残りもなくなりそうなので、三年生から買ってこいといわれたのでその件で」

「えっ……」

 

 よりにもよって昨日あんな事があったばかりなのに間が悪い。

 

「そ、そっか。それで、話はまとまったの?」

 

 ま、まあ今から心配してもしょうがないか。よっぽど勘が良くてもすぐ気が付くはずもないし……

 

「はい、学校からはちょっと遠いですけど、隣町にある百均ショップと駄菓子屋で買ってくる事にしたんです。これでお菓子代に割く()()を少しでも減らせるかと」

「ふうん……。って、えええ!!!」

 

 蔵守君も何事でもないように淡々と言っちゃうんだから。危うくスルーするところだった。

 

「おお、いつも朗らかな笑顔を絶やさない先輩がノリツッコミするとは。なかなかレアなもん見れたぞ」

「そうなのか……?」

 

 はしたない大声あげちゃった。だけど今はそんな事に構っていられない!

 

「ど、どうして部費からお菓子代出てる事を知ってるの!?」

 

 そのうち気付かれるかもしれないとは思ってたけど、昨日の今日だよ!? いくらなんでも早すぎだよ!!

 

「どうしてって……。お金は部費から出すから気にするなって三年生に言われましたから」

「ナックル先輩達も、お使いやらされた時に同じ事言われたそうっすよ」

 

 まさかの自爆!?

 頭が痛いよ! 先輩達はほんとうにもう……。喋っていい事とだめな事の区別もつかないのかなあ。

 泣きたくなって顔をくしゃくしゃにしていると、蔵守君が心配げに話しかけてきた。

 

「あの……、中世古先輩? 別にそこまで気にしなくてもいいんじゃないんですか? みんなから集めた部費で買ったお菓子は、みんなのお腹に入ってる訳ですし。ちょっと健全な使い方じゃないなとは思いますけど、まあ栄養費みたいなものだと思えば……」

「余計ダメだよ!! それ裏金じゃない!?」

 

 蔵守君的には、楽譜のコピーよりは許容範囲内みたい。彼の判断基準がわからないなあ。

 

「ま、傘木あたりが知ったら発狂しそうなネタっすよね」

 

 滝野君の軽口に、ハッとした。

 

「そうだ。希美ちゃん! あの子はその事知ってるの?」

「多分知らないと思います。お使いは自分達男子の仕事ですから。ナックル先輩達も傘木達とは中学違うし、接点もないから話してはいないでしょう」

 

 蔵守君の口振りから察するに、彼も希美ちゃんに喋るつもりは無いようなので内心安堵した。

 

「……でも、どういう経緯で隣町まで買いだしに行こうと思ったの?」

「別に深い理由はないです。部費でお菓子買うの止めましょう、なんて言ったって三年生が聞いてくれるとは思えないですし。それなら安物で済ませて嫌がらせ……もとい、節約にご協力いただこうかと」

 

 楽譜係として仕事をしている時は割と真面目な印象があったけれど、今は滝野君と一緒にいるせいか軽口を叩いているのが新鮮だった。

 

「ご苦労な話だね。学校からだと隣町の駄菓子屋まで、歩いていくにはちょっと遠いよ?」

 

 行って行けない距離ではないけれど、荷物を抱えてだとかなりの重労働になる。

 

「楽器を吹くのに必要な、肺活量を鍛えるトレーニング代わりとでも思えばいいんです。今までは校内で鬼ごっこしたりして、それをやってましたけど……。女子から物笑いの種にされる事もあったので(かえ)って好都合ですよ。まあ、やるだけやってみます」

 

 ……屈託無く言い放つ蔵守君に、ただ呆気に取られていた。

 私も葵も、不正をどうやって解決するか、そればかりに気持ちがいっていた。現在進行形で流出し続けるお菓子代はどうすればいいか。すっかり失念していた。

 

「……蔵守君は凄いね。私は部費の流用を解決するにはどうすればいいのか、考えるのはそればっかりだった……」

 

 伏し目がちになる私を、彼はきょとんと小首を傾げながら眺めている。そして、おもむろに口を開いた。

 

「そんな大層な事でもないですよ。これは後藤……チューバの同級生ですけどね、そいつからの受け売りです」

「後藤君の?」

「ええ。一年生が上級生と衝突しても意味は無い。それよりも出来る範囲で状況を改善していこうって……。自分もおおむね、その意見に賛成なので何か出来る事はないか、考えただけです」

 

 その言葉を聞いて、ますます萎縮した。

 

「ゴメンね。気を遣わせちゃって。ただでさえ男子部員が少なくて肩身の狭い思いをしてるのに」

 

 後藤君も、蔵守君も、滝野君も、自分達なりに考えて行動に移そうとしている。

 頼もしく思う反面、そこまで一年生に気を遣わせている事に歯がゆい思いがした。

 

「そんな事ないっすよ!」

 

 いきなりの滝野君の絶叫に、私も蔵守君も目が点になってしまった。

 

「急に大声出すなよ……」

「うるせえ。先輩! 俺は先輩の指導のおかげで、トランペットもそこそこ吹けるようになったんっすよ。だから、そんな事言わないで下さい」

「……滝野君」

「上下関係のしがらみで、今はいろいろと上手くいってないっすけど……。先輩は良くやってくれています。吉川の奴も、きっとそう思ってますよ」

「そ、そうかな……」

 

 ちょっと目頭が熱くなる。

 

「そうっすよ。ナックル先輩達も言ってましたよ。先輩は去年から一番トランペット上手かったって。それなのに去年も今年もソロ奪われるわパシられるわ。コンクールメンバーから漏れた同級生からの妬み嫉みが凄いわで、先輩も鬱憤が溜まってるでしょうに。後輩の事なんか気にしている余裕なんてないはずなのに!」

「……」

 

 なんで私、こんな吹部に入ったんだろう……。

 

「滝野。お前先輩を(はげ)ましたいのか、(けな)したいのか、どっちなんだ……?」

「励ましてるに決まってるだろ。二年生の中では先輩はまともだぞ」

 

 それはつまり、滝野君視点では二年生もまともじゃない人が多いと。

 

「お前こそどう見てるんだ? ダブルリードの先輩の事」

「そうだなあ。身内の事だから色眼鏡かかってるかもしれないけど、()()まともな方だと思うよ。二年の中では」

 

 蔵守君もまた微妙な返答をする。

 知らず知らずのうちに、私達二年生も三年生の色に染まっているのかなあ。部費の事よりも、そっちの方が気になってきた……。

 

「おっと、なんか話が長引いちゃいましたね。滝野には了解を取り付けたんで、後藤の方にも買い出しの件、話してきます」

「あ、うん」

「後で結果聞かせてくれよ。お前を(けしか)けた手前、後藤の奴もまさか嫌とは言わねーと思うけど」

「断られそうになったらそう言ってやろう」 

「もう、無理強いは駄目だよ?」

 

 あまり風通しがいいとは言えない、今の吹部。そんな中でも笑顔で冗談を言い合える二人の姿が眩しく見えた。

 

「出来る事から、か。私も頑張らないと」

 

 一年生に負けていられない。あすかや晴香、葵にも相談してみよう。今からでも、やれる事が見つかるかもしれない。

 

 


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