北宇治高校ダブルリードパートへようこそ   作:言巫女のつづら

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タイトル詐欺にならないための、ファゴットコンビ主役回(今更)


前日譚
ファゴットの邂逅 前編 (ミッションスクール中等部・岡美貴乃 視点)


 わたしはひとりっ子。おとうさんもおかさんも、ともばたらき。

 がっこうからかえったら、おゆうはんまで、わたしがおうちのおるすばん。

 おとうさんもおかあさんも、わたしのために、いっしょうけんめいはたらいてる。

 だからもんくをいっちゃいけない。もんくをいうのはわるいこだ。

 ともだちだってちゃんといる。ここちよいしずけさがわたしのともだち。

 

――みきちゃん、あたらしいげーむかったんだけど、あそびにこない?――

――ごめん、きょうはだめなんだ。またこんどね――

 

――みきちゃん、がっこうおわったら、こうえんでおにごっこしない?――

――ごめん、おうちであそばなくちゃだめだっておかあさんが……――

 

――みきちゃん、つきあいわるーい――

――みきちゃんのおやは、きびしいね――

 

 わたしはわるくない。いいこだもん。おとうさんもおかあさんもやさしいもん。だからもんくをいっちゃいけない。もんくをいうのはわるいこだ。もんくをいうのはわるいこだ。もんくをいうのは……

 

 ……いい子であろうとした、昔の思いが頭をよぎった。ひとりでいるのはつらいなんて、ひと昔前の考えだ。そう考えるのは、きっと私以外にもいる。今の時代、一人っ子なんて珍しくないんだから。大抵の事なら、人は慣れてしまう。孤独な時間が長ければ、孤独に慣れる。

 

――このバッグ、いいよねー――

――ねー――

――(あー、中身ペラペラな雑談、ダッル……)――

 

 ……私は、ひとりでいる時間が長過ぎたと思う。

 

 

 

 

「岡先輩って、いっつも音楽室でお昼摂ってますよね。一人で」

 

 私以外誰もいない音楽室は、貸し切りみたいで気分が和む。心地よい静寂に浸りつつ、お昼代わりのサンドイッチを頬張るのが、私が学校に居て二番目にくつろげる時間。

 そんな時、いつもの時間にいつも通り姿を見せた後輩は、型通りの挨拶を済ませた後にそんな台詞をのたまった。

 なんか似た様なこと、前にも言われた気がする。

 

「なに、バカにしてんの? 倒置法でことさら一人で、ってとこ強調してんの先輩舐めてんの? マジ名誉棄損で訴訟も辞さない案件なんだけど」

 

 そうだ。確かあの時も、こんな感じに返していたと思う。

 それも仕方ない。クラスに友達いないんですかあ? とでも言いたげな言葉をぶつけてくるんだから。後輩の癖に生意気。

 一人でいる事を別につらいとは思わないけど、友達いないのと見なされるのは、悪意がなくてもイラッとする。ましてそれが下級生からなら尚更だ。気分を害したので(にら)みつけてやると、後輩は慌てて機嫌を取りつくろうとした。

 

「いえいえ! この学校って給食ないですからね。別にここでとってもおかしくないですよね」

「そーそー。このしょーもない学校には食堂もないんだから」

 

 家庭で弁当を作るのも、親子のコミュニケーションである。

 カトリックの教義だがなんだか知らないが、そんなありがたい言葉のおかげで、この学園の中等部には給食もなければ学生食堂もない。申し訳程度に購買でお惣菜を売っているだけだ。

 見栄で子供を入学させたはいいが、今は夫婦共働きの時代。毎日の弁当づくりに根を上げてしまう親を持つ生徒も少なくない。かくいう私も、その一人。

 

「今日も購買は大変な盛況でしたよ」

「知ってる。このサンドイッチも、そこで買った奴だから」

「あ……、そうでしたか」

 

 後輩は不器用にも話題を逸らすのに失敗して、音楽室脇に設置された楽器棚の方に逃げた。たいして強くも無いこの学校の吹部で、昼練の為に音楽室に顔を出す部員なんて、片手で数えるほどしかいない。

 そんな環境にあって、この男子の後輩は律儀に昼練に取りかかろうとしていた。どこの吹部も男子は少ないだろうが、昨年共学化したばかりのこの学校は殊更(ことさら)少ない。小六からオーボエを始めたというけど、腕前の方は要領よくサボる3年生に最近ようやく追いついた程度。

 つまり才能は大してなく、真面目なのがとりえ。どこにでも、こういうタイプは探せば一人位いるものだ。

 その後輩が、楽器棚から引っ張り出してきたケースには、猫をあしらったキーホルダーがくくり付けられている。キーホルダーといっても男子が携帯しているものなので飾り気が無く、余分なものはついていない。猫のデザインも可愛いというよりは格好いい感じで、前足に剣を構えた紋章風。どこかの国旗に、あんな感じのあったっけ。

 

 そんな事を考えている内に、後輩は机に置いた楽器ケースを開いて中身を確認し始めている。私も机に近づいて、キーホルダーを手に取ってみた。

 端っこに、"蔵守"と名前を書いたシールが貼ってある。

 

「蔵守は、こういうのが好みなんだ。センスはまあまあじゃん」

 

 片手でキーホルダーを弄りながら、皮肉でも何でも無く本心からそう言った。自然と口元がほころぶ。蔵守は、そんな私の反応を見て笑顔で頭を下げたが、すぐに真顔に戻った。

 

「岡先輩。耳障りなのは百も承知なんですが、あまり面白くない伝言が」

 

 せっかく私の方から機嫌を直してあげたのに、コイツは馬鹿なの?

 無意識に机を指先で二度、三度たたいた。苛々(いらいら)が募った時の、私の癖だ。蔵守も、これが癇癪(かんしゃく)の前兆である事を知っている。この状態の私を刺激するような事は、普段はしない。

 一睨みしたが、先程とは対照的に、蔵守の目に怯みの色は無い。声は震えているあたり、導火線の上で踊っている事は分かっていても、なお伝える事があるという事なんだろう。確かに、面白くない話になりそうだ。

 蔵守に背を向け、少し歩いて音楽室の窓の手すりに寄りかかった。

 

「顧問から、クラスでお昼を取るように伝えろとでも言われたの?」

「違います」

 

 違うんだ。

 それなら良かった。お昼休みの音楽室は、私の居場所だ。それを取られるのだけは、嫌だった。

 

「昨日の帰り、シスターから愚痴られたんですよ。また岡さんが聖書の朗読をサボったのよって。で、風紀委員ならなんとかしなさいと、先輩にひとこと言っとくよう頼まれて」

 

 要するに、同じ吹部の縁で面倒事を押し付けられた訳だ。気弱さと小狡(こずる)さが同居したような、シスターの表情を思い浮かべた。生意気な後輩は気に食わないが、風紀委員だからといって後輩に仕事を押し付けるシスターはもっと気に入らない。

 

「言いたいことあるなら、直に言いにくりゃいいのに。アンタもアンタで律儀に引き受けちゃって。相変わらず人が良いんだから」

 

 私の皮肉にも、後輩はさしたる痛痒(つうよう)を覚えてないようで、ただ肩をすくめるだけだった。

 

「誉めてませんよね?」

「勿論。手間賃代わりに一つ教えてあげる。人が良いって、扱いやすいの裏返しだから」

「なに中学生の癖に、悟った様な事言ってるんですか……」

「女はね。男より早く大人になるの」

 

 蔵守が、じっと私の体を見つめてきた。なんかやらしい目だ。思わず両腕で胸を隠した。

 

「ちょっと、何見てんの」

「……いえ、先輩はどこでそういう人生訓を学んでくるのかなあ、と思いまして」

「私には大学1年の従姉がいるの」

「初耳です」

 

 言ってないからね。

 

「で、その従姉には年上の彼氏がいたんだけど」

「いた、って事はもう別れて?」

 

 私は頷く。

 

「付き合い始めの頃は、それはもう耳タコレベルで熱々っぷりを聞かせられたの。でもその人は交際開始時点から浪人で、一昨年も去年も滑って、いっぽう従姉は見事志望校に合格して、とうとう席次が逆転」

「oh……」

「私が傍にいればあの人を変えられる。そんな妄想は、私が傍にいたんじゃあの人は大人になれない。そんな現実の前に敗れ去ってしまったの。アンタも女を泣かせる男になるんじゃないわよ」

「お言葉、しかと心に刻み付けました」

 

 蔵守は神妙に頭を下げたが、喉元過ぎれば何とやら。忠告した私にしても、絶対に従姉の二の舞は演じないと言い切れるか。(はなは)だ怪しいところではあった。

 

「それはそれとして、聖書の朗読は」

「やんない」

 

 蔵守が顔をしかめる。

 

「内申に響いても知りませんよ」

「蔵守、どうして今年から、朝会終わりから一時限目までの時間、聖書を朗読させられることになったか分かってる?」

「そんなの、ここがミッションスクールだからじゃないんですか?」

「それは建前よ。シスターも、もう若くないおばさんばっかだから。朝っぱらから私らがキンキン声で喧しくしてると精神衛生上よくないのよ」

「ははあ、なるほど」

 

 蔵守は、ようやく合点がいったようでニヤリとした。

 

「確かに先輩は、うるさくしてませんからね」

「共学化して、このお嬢様学校もうるさくなった。でもそれは私のせいじゃないし、要は静かにしてりゃいいんでしょ。シスターにはそう伝えて」

「それはいいですけど」

 

 蔵守は、そこで一旦間を置いた。そして、深刻そうな表情をして私を見つめてくる。

 

「そもそもこんな話、学年の違う自分にまで回って来るなんておかしいですよ。……大丈夫なんですか?」

 

 多分、クラスメイトにも私に諫言するように、シスターも話はしたんだろう。それでは埒が明かないと判断したから、蔵守にまで話が飛んだ。ただそれだけの事だ。

 正直な所、クラスに私の居場所は無い。不良だのギャルだの、陰である事ない事言われているのも知っている。クラスメイトは、誰も私の相手をしたくないのだ。

 嫌われている訳ではない。ただ苦手に思われているだけだ。今更、そういう態度を修正して欲しいとも思わない。こちらも近づかなければいいだけの話だ。

 

「大丈夫ってわけでもないけど、我慢できないってほどでもないから。どうせこの学校ともあと少しでおさらばだし。合わないなりに三年間過ごして、愛着も全く無いってワケじゃないからね。下手に事を大きくしたくない。最後は綺麗に終わりたい」

「……やっぱり、高等部には進まないんですか」

「この学校は息が詰まるの。もっと普通の子が通う普通の高校ではっちゃけたい」

 

 そこまで言うと、蔵守が黙り込んだ。

 

「葉月ー! 早く弁当食べちゃいなさいよ! テニス部のミーティング始まるよ!」

「ちょっと待ってよー!」

 

 不意に、開け放していた音楽室の窓から、陽気な笑い声が聞こえた。

 

「東中の人達は、元気ですね」

「そうね」

 

 蔵守は、うるさいとは言わず、元気と言った。

 窓に寄りかかる私の視線の先には、大吉山東中学校の校舎がそびえ立っている。東中とうちの学校は、片側一車線の道路を挟んで向かい合っていた。あちらも昼休みのようで、まるで悩みの無さそうなどら声がこっちにまで響いてくる。それが羨ましかった。公立と私立の違いがあるとはいえ、こんな近くに学校を隣接させなくてもいいじゃないかと思う。

 今更後悔しても遅いが、私は変な見栄はらないで東中に行くべきだった。あっちの学校なら、まだしも周りに合わせる努力が出来ただろうから。

 

 

 

 

 そもそも、この学園に入学したのは必ずしも私の本意じゃない。いい年してミッション系に憧れる母の勧めで、記念受験のつもりで受けたら本当に受かってしまった。母は浮かれていた。私も舞い上がっていた。……小学校からのエスカレーター組と、私みたいな中学受験組とでは、そこはかとない格差が存在する事を知っていたら、呑気に喜んでばかりもいられなかったのだけれど。

 

 入学式で、先生生徒総出で賛美歌を歌うあたりはさすがミッション系だと感心していられたのも束の間、左を見ても右を向いても皆手ぶらで賛美歌を(そら)んじるところから違和感が生まれた。私と同じで、外部入学の子もいるはずなのに。こんなの教養の範疇だろと言わんばかり。教室に戻っても、はやりのラノベや漫画、アニメの話をしたりなんかしない。そんな彼女達と一緒のお昼は、息が詰まって仕方がなかった。

 

 どこか人目につかないところで、一人で食事をしたい。そんな気分になるまで時間はかからなかった。出来ればみじめな気分にならずに済むところがいい。さすがに便所飯はいやだ。

 そして、格好の穴場を見つけた。

 この学校に入学して、唯一よかった事は屋上が解放されている事。遠目に見える大吉山を眺めながらランチタイムとしゃれこめる。学校に居て、一番解放感に浸れる時間になった。

 お昼になったら弁当片手に教室を飛び出し、屋上へとつながる階段へ一直線。

 

 そんな日々が半月ほど続いた頃、変化は訪れた。春とはいえ、まだ肌寒さが残る時分。私みたいに屋上でお昼にする物好きはそう多くない。貸し切り気分で屋上に備え付けられた長椅子に座って、もごもごとサンドイッチを咀嚼していると、クラスメイトの喜多村が不愉快な言葉を投げつけてきたのだ。

 

「岡さんって、お昼屋上で摂ってたんだあ。一人で」

「なに、文句あんの? 倒置法でことさら一人で、ってとこ強調してんの同輩おディスリあせばせてんの? 奥歯ガタガタ言わせたろうかコラ」

 

 一人で悪いか。そばに誰かがいる方が、私はわずらわしい。

 一人でいる時間が長いと、他人との距離の取り方が分からなくなってくる。私の場合は、それが素の攻撃的な言葉使いになって現れてしまった。

 

「あ、気に障ったらごめんね! ついうっかり、思春期真っ盛りで絶賛ひねくれ中のうちの愚舌が失礼な事を。こらっ、口! 頭が高いぞ!」

「零距離フォースグリップ」

「首絞め! ただの首絞めだからそれ!!」

 

 暗黒面に堕ちた私の必殺技を間一髪で喜多村はかわす。教育的指導を避けきれなかった空間が衝撃波となって彼女の首筋をなでる。

 

「チッ……」

「舌打ち!? いま明らかに『外した』的なニュアンスで舌打ちしたよね?」

「……」

「無言の圧力!? そして目を逸らすという露骨な話題転換!!」

 

 ああもう、うざいなあ。いちいちリアクション大きいんだよコイツは。

 

「あーはいはい。じゃあそういうことで」

「待ってよー。折角話しかけてるんだから、もっとこう、会話を楽しもうよー」

「…………」

「ほら、無視しないで」

「…………」

「おーい、既読スルーするなー」

「…………」

「ふえぇ……ブロックしないでよぅ」

「…………」

「…………(胸元チラチラ)♡」

「おい」

「返事してくれた! 嬉しい!」

「何してんのアンタ」

「岡さんが全然反応してくれないから、つい出来心で」

「通報しました」

「やめて!?」

 

 私は携帯端末をポケットにしまって、改めて喜多村の顔を見る。

 喜多村 来南(きたむら らいな)。コイツの事は、校内でもちょっとした噂になっている。この学園の生徒は、おかっぱとか三つ編みのおさげとか、校則にひっかかりようもない大人しい髪型の子ばかり。そんな中で、喜多村はただ一人校則とおしゃれとのせめぎ合いを楽しんでいる、ように見えた。

 同性から見ても思わず嫉妬したくなる綺麗な髪を、左耳下で束ねた彼女のルーズなサイドテールに、校則ギリギリまで丈を切り詰めたスカートから伸びるスラリとした足。どちらも確かにこの学園の雰囲気にそぐわない。お嬢様というより、むしろギャルに近い奔放(ほんぽう)な態度に、教師も頭を痛めているという。

 嘘か真か、欧米人の血が入っているハーフだなんて噂まである。確かに他の子達を比べると、身長が高く、肌が白く、彫が深い。いわゆる美少女を構成するパーツ一つ一つを見ていると、あながち嘘とも思えない。

 

「それで、なんでまた私に話しかけてきたわけ?」

「シスターに、岡さんの話し相手になってあげてって言われたの!」

 

 あのババア、余計な事を……。

 

「その言い方だと、まるで私がぼっちみたいじゃない。ていうか普通に傷つくんですけど」

「ぼっちちゃんのつまらないプライドは捨てた方が身のためだよ。はーい、それじゃ友達と二人一組になってー」

「やめんか!! 私は気の合わない子と顔突き合わせてるより、こうして一人でいる方がよっぽど楽なんだ!」

 

 禁断の呪文に耳を塞ぐが、実際この学園に限らず、学校生活では集団でいないと面倒な事が多い。逆に言うと、そのデメリットを受け入れても良いと思うほどに、追い詰められてもいた。そんな私の内心などお構いなしに、喜多村は妙に感心したような表情をした。

 

「私は初等部からの繰り上げだからよく知らないけど、外の子って岡さんみたいなタイプ珍しくないんだろうね。一匹狼みたいで、勇気があって、格好いいなあ」

「……いや、私も別に勇気があるってわけでもないんだけど。一人でいるのはこの学校じゃ浮いてるからだし」

「そうだね。岡さんってば言葉遣いは荒いし。いつまでたっても賛美歌覚えないから、本当にこの学園に受かる頭があるのか怪しいし。ここもあったかくなったら人が増えるし、もう他に一人で居られるとこがないからって便所飯とか冗談抜きでやりそうだし。私もこの学園では浮いてる方かなって思ってたけど、岡さん見てるとまだまだだなあって思えて安心しちゃうし。こんな人私の周りに今までいなかったなあ」

「ほっとけ」

 

 コイツは人が気にしてる事をポンポンと……。

 それに一人でなきゃ絶対嫌ってわけでもない。言葉使い位なら妥協して周りと合わせられる。話題だって、何とか勉強して合わせる。

 金銭感覚の違いは、どうにもならなかった。

 今日は美術館、明日はコンサート。彼女達の高尚な遊びに付き合った結果、五月を待たずして、私の財布の中身は秋の気配を帯び始める始末。まだ春だってのに。

 

 ♪~

 

 昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴り響いた。この後は睡魔と戦う聖書の授業。眠気覚ましに、聖書の中のやらしい単語漁りでもしようかな。

 

「そろそろ教室に戻らないと。アンタはもうお昼取ったの?」

「うん。部活の、吹奏楽部の子達とだけどね」

 

 部活。自分の身の落ち着き先を探すのにいっぱいいっぱいで、すっかり頭から抜け落ちていた。もう体験入部期間も終わってしまう。

 

「あ、あのさ。岡さん」

 

 教室に戻ろうと、腰かけていた椅子から立ち上がると、喜多村が私のスカートの(すそ)を引っ張ってきた。

 

「もうちょっとだけ、ここにいない? 予鈴鳴っても、授業まではまだちょっと時間あるし」

「それは別にいいけど。なに、クラスに戻りたくないの?」

「……うん、ちょっとね」

 

 もじもじして、一向に話を進ませようとしない喜多村にいらついて、飲み干したイチゴ牛乳の紙パックを手近のゴミ箱に放り投げた。紙パックは綺麗な放物線を描いて、フレームにぶつかる事もなく網かごの中に収まった。ストライク。

 気分を良くしたのもつかの間、喜多村がう゛っと喉を潰したような(うめ)き声をあげて抗議してきた。

 

「岡さん! そういうの、良くないと思う」

「何よ。ちゃんと燃えるゴミのかごに入れたでしょ。牛乳パックは燃えないの?」

「牛乳パックは資源ごみだよ……って、そうじゃなくて! ゴミを投げたりするの、はしたないよ」

 

 これだ。これだから、この学校の連中とそりが合わないんだ。何でもかんでも、いつでもどこでも品性ある振る舞いをしろとうるさい。先生のいない所でくらい、気を緩めたっていいじゃない。

 私が顔をしかめると、喜多村はしょんぼり視線を床に落とす。

 

「このおせっかいな所がいけないのかなぁ。喧嘩になったきっかけもそうだったし」

「喧嘩? クラスメイトと?」

「うん。聞いてくれる?」

「聞くだけなら」

 

 (そば)に座られたまま無言の空間で居るのも億劫だ。つまらない話なら、まだ生覚えの聖書の一節を暗記ついでに脳内で唱えてやり過ごそう。そう決めて、私は喜多村のちょっと昔語りに耳を傾けた。

 

 

 事の起こりは、一週間前。下校時の事だったらしい。

 

「私達の学校って、平等院の方から通学してる子は宇治川を渡らないといけないじゃない」

 

 喜多村の言葉に、二つ返事で頷いた。宇治川を挟んで、平等院とは向こう岸にあるうちの学校に通学するには、いくつかの道がある。平等院の南側にある喜撰橋(きせんばし)を渡るか、あるいは北側にある橘橋(たちばなばし)を渡るか。どちらの道も中州を経由して、さらに朝霧橋(あさぎりばし)を渡る事になる。

 どちらを使うかは、その日の気分次第だった。

 川沿いに北へ進んで、宇治橋から向こう岸へ渡る、というルートもなくはないけれど、登校時に使うには遠回りになる。せいぜいが下校時、たまに気分転換したい時に通るくらいだ。

 

「私がクラスの子達と一緒に、喜撰橋を渡ってた時なんだけどね。小学生の女の子達二人が喧嘩していたの」

「小学生が? アンタ達じゃなくて?」

「うん、その時まではね」

 

 それから、喜多村は整然と事情を語った。

 クラスメイト達が喧嘩の様子を遠巻きに見守る中、喜多村はお節介な事に喧嘩を止めさせようと、なだめに入ろうとした。話を聞くと、どうも橋の手すりについての意見の食い違いが原因らしい。

 

――橋を渡るのって、怖いよね。手すりから転げ落ちたらどうしようって思っちゃう――

 

 栗色をしたセミロングの癖っ毛の、どことなくタコを連想させる髪型をした方の子が、橋を渡るときに、そんな事を言ったそうだ。

 その子は小学5年生だったらしいが、なるほどそれにしては背が高い方で、そう思うのも無理はなかったという。

 ただ、もう片方は一目で平均身長よりも背が低いと分かる子で、そういう感覚がいまひとつ掴めなかったらしい。

 かみ合いそうにない話は切り上げて、別の話題に移れば何も問題なかった。が、タコっぽい髪型の子はあいにくそこまで器用で無かった。というか、はっきり言って不器用だった。

 

――……ちゃんは、ちっちゃいもんね――

 

「……小学生達が喧嘩になった事情は分かったけど、それで何でアンタがクラスメイトと喧嘩する事になったの?」

「それは私が背が高いのが原因なの」

 

 喧嘩に至った経緯が経緯なので、聞き耳を立てていたクラスメイト達もタコ(面倒くさいので以下省略)の失言を揃ってたしなめたそうだ。

 

「その子も悪気があった訳じゃないんだから、そこまで責め立てなくてもいいじゃないって思ったの」

 

 喜多村は、自身のコンプレックスをその子に重ね合わせたんだろう。同級生達と比べると、彼女の身長は高い。背の高さにまつわる嫌な思い出があったのは、容易に想像がつく。先程までの淡々とした語りとはうって変わって、言葉に熱がこもり始めた。

 結局、喜多村だけタコの肩を持って、それがきっかけで今度は喜多村とクラスメイト達の喧嘩に発展した。つまり、そういう事らしい。

 

「……お嬢様達も、割としょうもない理由で喧嘩するんだね」

 

 私は苦笑した。なんか、この学校に入学して、始めてここの連中に親近感を持てた気がする。

 

「しょうもなくないもん」

「それで。もう一週間経つのに、まだぎくしゃくしてんの。独りで頑張るね」

「私的には、譲れない線だから」

「身長が?」

「ううん、尊厳」

 

 何だかよく分からないけど、自分の信念を貫く所だけは凄いと思った。そこに痺れもしないし憧れもしないけど。

 

「でも、仲直りはしたいんでしょ?」

「うん。だけどどうしたらいいか分からない。」

「じゃあ、私が仲直りの秘訣を教えてあげるよ」

「本当!?」

 

 私の申し出に、喜多村は目を輝かせた。別にコイツには義理も何もないが、周りから浮いてしまった者同士、親近感が湧かないこともない。何より本人が望んでいるのなら、手助け位してやってもいいだろう。

 

「何も難しいはないよ。アンタ吹奏楽部なんでしょ? 仲直りしたい気持ちを言葉で表現し辛いなら、音楽で表現すればいいじゃん」

 

 




ギャルっぽい上に、気の強そうな岡先輩とみぞれがひとつところで上手くやっていく絵面がどうにもこうにも想像できなかったので、昔はわりとボッチだったという設定にしてみました。同病相憐れむってやつです

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