北宇治高校ダブルリードパートへようこそ   作:言巫女のつづら

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第1章 滝先生・北宇治高校赴任1年前
第1話 ファゴットからの誘い


《それではただいまより、府内各高校によるサンライズフェスティバルを開催いたします……。一番手は北宇治高校吹奏楽部の皆さんです》

 

「よーし、みんな行くよ!」

『はい!!』

 

 パーカッションが刻み始めたリズムを合図に、自分もフラッグを掲げて右足を踏み出した。

 

 

 北宇治高校からはおよそ九キロ、車を使えば往復でも一時間かからない太陽公園。公園内の緑道は大勢の人でごった返している。まだ時刻は午前九時を過ぎたばかりだ。大半は今日のサンライズフェスティバルに参加する府内の学校の吹奏楽部員だが、早々と鑑賞に訪れた熱心な観客の姿もちらほら目につく。

 どの学校の参加者も出番はまだかという興奮で、観客も目当ての学校のマーチングはいつだという期待で顔が輝いている。

 対照的に、自分の気分は陰鬱そのもの。背後から時たま響いてくる不協和音のせいだ。理由は分かっている。行進の際の振動が唇をぶらつかせて、マウスピースに普段通りの吹き込みをさせていないのだ。マーチングに不慣れな……というより練習不足な団体の演奏ではよくあることだ。この振動を抑える術を会得しないと、座奏でいい演奏が出来ても本来の実力を披露できない。

 

「北宇治だしなぁ……」

「まあ、こんなもんだよな」

 

 できの悪い他人の家の子を見つめるかのような、微笑みと苦笑が入り混じった微妙な表情を浮かべる観客の視線が痛い。

 幸か不幸か、大多数の耳目を集めているのはパレード終盤に登場する立華高校と洛秋高校なので、目につく観客もまばらだ。

 

 ……こういうマーチングパレードでの、午前中の出場は不利だ。

 まだ五月初め。肌寒さの残る屋外とあっては、奏者の調子も上がらない。音の響きも今一つ。そのうえ、楽器の輸送もあるので早朝から学校に出向かなければならない。だから、どこの団体も奏者の調子が上がり、観客も集まる昼過ぎに競って出演したがる。

 誰もが嫌がる貧乏(くじ)を北宇治が引いてしまったのは、端的に言えば前年度の評価が相当低かったせいだ。パレードの出演順は、参加する各団体の要望に応じたものになってはいるが、重複した場合、前年の評価が高い団体に優先権が与えられる。つまり自分達みたいにパレード開催直後、観客もまだ少ない内に出演する団体は、概して低レベルなのだ。

 

「あだっ!!」

 

 個人的によく知っている先輩の景気のいい悲鳴に続いて、金属が地面に落ちる音が聞こえる。もうそれだけで後ろの方で何か起きたのか察した。さっきからトロンボーンの音がどこかおかしかったし、スライドを勢い余って前に吹っ飛ばしてしまったのだろう。

 

「ぷっ」

 

 すぐ後ろのチアリーダー担当の部員が、観客と一緒になって含み笑いの声を漏らしている。内心、頭を抱えた。笑われているのは自分達も一緒なのに。祭り事特有の熱気に頭をやられたのか、羞恥心はどこぞに消え去ったらしい。

 

 

 

 

 自分達のマーチング……と言えるレベルかどうか怪しいものも、ひとまずは終わった。

 楽器の片づけが済んだ後は自由行動。他校のマーチングを見物したり、出店を周ったり、みんな思い思いに行動している。

 

 自分はというと、早朝からのハードワークに疲労困憊。周囲の喧騒をよそに鑑賞スペースでまどろんでいると、傍に誰かが座りこむ気配がした。

 

「おつかれ、蔵守(くらもり)。最後の方のフラッグのトスが怪しかったけど、急ごしらえだったしね。ギリギリ及第点ってとこかな」

 

 そう言って、彼女はペットボトルのお茶を勢いよく口に注ぎ込んだ。

 高校生になって色気づいたのか、中学の頃は首筋までしか届いていなかった黒髪は今や背中まで伸びている。そのボリュームある長髪は緑のシュシュでサイドポニーにまとめられ、風にゆらめいていた。

 

「本当ですよ……。本番前日になってヘルプに来いとか。無茶振りが過ぎます、(おか)先輩」

「しゃーないじゃん。カラーガード(旗振り役)の子が風邪ひいて欠席しちゃったんだから。フラッグ無しなんて見栄え悪いし。去年もガードやってたんでしょ? 何とかできると思ったの」

 

 元々ガードが一人しかいなかったのか、というツッコミはさておく。

 

「あのマーチングの出来じゃ、見栄えどうこうもないと思いますが」

 

 出番が終わってから分かった事だが、やはりというか何というか……行進の足並みも全然揃っていなかった。ガードをまともにこなせていようがいまいが焼け石に水だ。

 

 周囲で無邪気にはしゃぐ部員の声が忌々(いまいま)しい。

 急なヘルプだったとはいえ、なるだけ足を引っ張らない様に昨日今日と必死に練習を重ねた。それなのに当の部員達はこの体たらくだ。

 

「せっかくの休日だし、断った方が良かったかな……」

 

 その(つぶや)きを聞き咎めた岡先輩は、ペットボトルのお茶から口を放して怪訝な表情を向けてきた。

 

「アンタ来年ポンポンやる気なの? 私、男のポンポンなんてキモいの見たくないんだけど」

「そんなの自分だって見たくないですよ。急に何の話ですか」

「だから、来年のサンフェス。マーチングでオーボエ使う訳にはいかないでしょ。そうなるとガードしかやる役ないじゃん。怪我も治ったみたいだし、いい練習の機会だから今度の事も快く引き受けてくれると思ってたのにな~」

「……」

「中学じゃ同じパートだったから目をかけてあげたのに、一年会わない内に随分とドライになったじゃん」

 

 恨めしげな視線を向けてくる岡先輩への返事に窮していると、首筋を襲うひんやりした感触。

 

「冷たっ!」

「まだ病み上がりなんだから、そんな簡単に引き受けるわけにもいかないでしょ。はい、蔵守くん。差し入れ」

喜多村(きたむら)先輩……」

 

 ウェーブがかったオリーブ色のロングヘアーを左肩に一つ束ねにした髪型。それは中学の頃からさほど変わっておらず、岡先輩とは対照的だ。

 手渡されたペットボトルを受け取ると、喜多村先輩は岡先輩の隣に座り込んでため息をついた。

 

「ほとんどの三年生がやる気無いからね。なかなか全体で練習できてなかったの。演奏の方はともかく、行進の練習なんて私達もほとんどやってないんだよ。一年生には真面目に練習しようって意見の子もいたんだけどね」

「行進の話は聞いてましたけど、あれって冗談でも謙遜でもなかったんですね」

 

 急なヘルプ要員の自分にプレッシャーをかけまいと、軽口を叩いたとばかり思っていたのだが。

 

「一発本番とはいえ、ここまでヒドイとは私も思わなかった。ゴメンね、無駄骨折らせちゃって」

来南(らいな)も甘いんだから。後輩なんてパシって何ぼでしょ」

 

 休日を割いて手伝いに来たのに何という言い草。岡先輩も少しは喜多村先輩の爪の垢を煎じて飲むべきだと思う。

 渋面を浮かべていると、岡先輩はスカートについた草をはたきながら立ちあがった。

 

「鬱な話は止めにして、せっかくサンフェスに来たんだし出店周らない?」

「うん、行こう! 蔵守くんも一緒にどう?」

「自分はいいです。二人でどうぞ」

「え~、なんで~」

「この服のまま出歩くのは、かなり気まずいので勘弁してほしいんですが」

 

 今の自分が身にまとっているのはマーチングの際のジャケットそのまま。

 衆人環視の中、コールド負けしたチームがユニフォームそのままで次の試合を観戦するが(ごと)し。気分はさながらピエロ。というか早く着替えたい。

 

「キミもノリ悪いなぁ……。それじゃかわりに私と美貴(みき)の写真取ってくれない? こういう機会でもないと、こんな服着ないから」

 

 写真か……。

 

「香織せんぱ~い。一緒に写真とりましょうよ~」

「もう……優子ちゃんたら。そんなに焦らなくても大丈夫だよ」

 

 周囲を見渡すと、そこかしこで部員同士声をかけあってお互いのチアガール姿を撮影している。

 写真写りに一喜一憂する姿。女子にとってはこれはこれで楽しいものなのだろう。

 

「それ位ならいいですよ」

「よかった。じゃあ、これ」

 

 喜多村先輩が自分にスマホを手渡してきた。

 

「撮り方はわかるよね?そこのボタン押せばいいだけだから」

「後でアンタにも送ってあげようか?」

「いりません」

 

 どうせ代価は高くつく。

 

「撮りますよ。はい、チーズ」

 

 口ではああ言ったものの、先輩達はノースリーブのユニフォームにミニスカートのチアガール姿。ひらひらとしたミニスカートが風になびいて、健康的な脚線美を披露する。体にぴっちり密着したユニフォームは、先輩達のS字にくびれたボディラインを強調している。

 普段のセーラー服とは肌の露出が段違い。なんとも刺激が強い。

 男の自分を前にして臆面もなく脇や太ももをさらけ出す先輩達。その無防備さに内心動揺と不安を感じながら、なるべく直視せずにポーズを次々変える先輩達の撮影を続けた。

 

「……もういいんじゃないんですか? 先輩のスマホ、電池残量ほとんどないですよ」

「え~。もっと撮りたかったのに……仕方ないなあ」

 

 不満気な表情の喜多村先輩にスマホを返すと、彼女はじっと自分の右手を見つめて笑顔を浮かべた。

 

「でも良かった。具合もすっかりよくなったみたいで。これなら来週には部活始められそうだね」

「入学早々、利き手を怪我するなんてドジなんだから。吹奏楽続けるのならもっと体を大事にしなさいよ」

「……はあ」

「何よ、その気のない返事は。今日のマーチングの様子見て入部する気なくしたの?」

「た、確かにウチの吹部あんまり上手くないけど! 個人練習は部員の裁量に任せられてるから。

時間制限もないし、その気があるなら下校時間まで好きなだけ練習していいんだよ!」

 

 喜多村先輩が慌てて吹部のフォローをするが……物は言いようだ。要するにロクな指導もなく、放任されているという事だろう。てか、時間制限て何だ。

 

「……北宇治の吹部が上手でも下手でも、それはどうでもいいんですけどね。ただ、オーボエ一人だとコンクールや演奏会でのプレッシャーが」

 

 高校でもオーボエを続けたい気持ちはある。だけど。

 癒えた右手を左手でさすりながら、中学時代の吹部での日々に思いを馳せた。

 

「ああ、それなら心配いらないよ。オーボエはもう一人、経験者の子がいるから」

「え、そうなんですか?」

 

 吹奏楽では無名に近いはずの北宇治で、オーボエをやってる物好きがいるなんて。一体どんな人か、にわかに興味がわいてきた。

 

「ほら。今日欠席したガードの子が、オーボエ担当の子なの。キミと同じ一年生。でもやっぱり一人だけだと練習中寂しいだろうし、来てくれると嬉しいかな。パートは一緒でも楽器が違うから、何か相談された時に適切なアドバイス送れる自信ないの」

「大人しい子だからさ。壁にぶつかった時、内にこもりそうでちょっと心配なのよ。上手くはあるんだけどね。アンタにその子のパートナーになってもらえないかと思ってるワケ」

 

 そういう事情であれば、断るのも心苦しい。

 

「岡先輩……。すみません、自分誤解してました。先輩もちゃんと後輩の事考えて」

「ついでに私達の雑用係も担当してくれればなおよし」

 

 前言撤回。パートナーとかもっともらしい事言っておいて結局それか。どうせタダ働きさせられるなら、さっきの写真貰っておけばよかったかもしれない。そう思ったが今更だ。

 

「……まあ、吹部に入るにしても、ブランクが空いたままなので週明けすぐにという訳には。以前通ってたスクールの先生にちょっと稽古つけてもらってきます。部活の方に伺うのはそれからでいいですか?」

「勿論! そうだ。学校のオーボエ使えるように先生の方に話を通しておくね。スクールの楽器をレンタルできるかもだけど、どうせ吹部に入ったら学校の使う事になるんだし」

 

 喜多村先輩は本当に気を利かせてくれて助かる。

 

「そうしてもらえると有難いです。任せちゃっていいですか?」

「うん、任されました。高校でもよろしくね」

 

 笑顔で手を合わせる先輩に、姿勢を改めて答えた。

 

「ええ、よろしくお願いします」

 

 

 

 

「……ところで岡先輩。トロンボーンのスライドぶつけられた頭の方、大丈夫ですか?」

「忘れろ」

 

 


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