すいません、黙ります。言ってみたかっただけなんです。
イニシエーター、入江真由は暇だった。と言うのも、感染源ガストレアが未だに見つかっていない為、動こうにも動きようが無いからである。基本的にガストレアが出現せず且つ正宗が珍しく早朝から出勤している間、真由は出来る事が無い。家でゴロゴロはいつもしているが、正宗と組んでいる間一日一時間は必ず外出している為その癖が付いてしまった。かと言って司馬重工は建物の構造を熟知してしまう程何度もうろついている為、遊びに行った所で結局退屈してしまう。
ならばどこへ行こう?
正宗は基本的に放任主義で出歩く時間に門限は無い(夜に出たい時は民間人や警察との面倒事を避ける為に随伴しているが)。あるとしても精々連絡義務で、行く場所、所在地の変更、帰宅後の報告を求める程度で、行ってはいけない所などの制限も無い。
仕事中でもプライベートでも東京エリアは練り歩いた。銀座、渋谷、赤坂などの都会の街並みから原子力、トカマク型、太陽光、水力、風力そして地熱発電所などが建てられた荒廃したビル街も見慣れている。
カレンダーを見ると、今日の日付に印が付けられていた。そして今日は届け物を運ぶ日だと言う事に気づいた。いつも通り、玄関に同じ大きさのケースが二つ置かれている。一つには縁まで一杯に敷き詰められた札束で、もう一つはコバルトブルーの薬液が入った大量の小瓶だった。それをリュックに押し込み、肩にかける。
これを届け終わったら何か思い浮かぶまで適当にそこら辺を歩いて行こうと決め、もはや自分のトレードマークと化しているカーキのモッズコートに袖を通すと、あても無く歩き始めた。動きやすさ重視のカーゴパンツと七分袖のシャツ、ワークブーツを身につけた姿は自分でもかなり気に入っているし、自慢の一つだ。正宗も最初に服を見繕って貰った時にスタイリッシュだと褒めてくれた。
ファーが付いているフードをかぶり、あても無くトテトテと歩き出した。春の朝はやはりまだ少し肌寒く、真由は小さく身震いをした。元来寒い天気や季節は嫌いなのだ。人が行き来する見慣れた風景を退屈そうに流し目で見ていると、丁度交差点で何時ぞやのプロモーターに出くわした。何やらただならぬ様子で自転車に飛び乗った所だった。よく見ると目が窪み、頬も少し痩けている。
「あ、里見浩太朗。」
「だから蓮太郎だっつってんだろ!・・・・って苗字は合ってるからまあ良いか・・・・え〜っと、入江真由、だっけ?」
「せいか〜い。何してんの?競輪のトレーニング?」
「延珠を探してるんだ。こいつだ。見てないか?」
携帯の写真を真由に見せた。
「見てないよ。何で?愛想尽かして出て行ったの?」
「違う!」
喰い気味に蓮太郎が否定した。
「あ〜・・・・そう言う事?」
ようやく理解が追いついたのか、真由は小さく何度も頷いた。
「秘密、
蓮太郎は俯き、沈黙した。
「何でそこまで回りくどい事するかな〜?人間社会に溶け込むのは良いとして、これ、綱渡りだよ?バレれば後で余計面倒な事になるじゃん。お金から何から負担が増えるし、イニシエーターの為にもならないよ。」
「お前には関係ないだろ。それに、何が自分の為になるか、何がそうでないかを決めるのはお前じゃない、延珠だ。」
語気を荒らげて言い返したが、真由の言葉で蓮太郎ははっと思った。
「お前は・・・・・もしかして学校、行ってないのか?」
「ん〜ん。正宗が全部教えてくれるし、いない時は自習だよ?分からない所は正宗かグーグル先生に聞くから。今の世の中とりあえず読み書きと数学が一通り出来れば困らないからさ。まあ、偶に違う事も教えてくれるけど。あ、勘違いしないで。行かせて貰えない訳じゃ無くて、自分が行きたくないだけだから。ほら、行こ?」
「・・・・何処に?」
「イニシエーター、探すんでしょ?どーせ暇だから私も付き合う。外周区にもちょっと用事があるし。行く心当たりとかは?」
「ある。三十九区だ。」
蓮太郎は力強く自転車を漕ぎだし、真由もその後を追った。
二人が向かった先は東京エリアの中心街から最も離れている地区の内の一つで、人の気配は全く無かった。蓮太郎は記憶を頼りにマンホールの前に立つと、二、三度ノックした。
しばらく経ってから少女がマンホールを持ち上げ、顔を覗かせた。
「何〜?」
「人を探してるんだ。入れてくれるか?」
「ケーサツの方ですか?立退く気はありませんですので。のでので。帰って下さい。」
「いや、警察じゃねえよ。」
「じゃあせーはんざいしゃの方ですか?」
「それも違う。」
「マリア、マリア、違うから。」
これ以上会話が変な方向に脱線する前に真由が口を挟んだ。
「あ、まっちゃんだ!お久しぶりですので〜!」
「うん、久しぶり。後、まっちゃん言うな。大丈夫、その二択のどっちでもないのは間違いないから。長老、まだいる?」
「いるよ〜。入って入って。」
中に通されたはいいが、嗅ぎ慣れていない生活排水の悪臭に鼻が曲がりそうな程痛くなった。マリアと呼ばれた少女と真由は慣れているのか、身じろぎ一つしない。しばらく待っていると、撞木杖をついた背が低い白髪の老人がやって来た。還暦は過ぎているだろうが、長老と呼べる程歳をとっている様には到底見えない。
「里見蓮太郎だ。」
老人は彼が提示した民警ライセンスをしげしげと眺めるとははぁと頷いた。
「あの子が言っていた長老って、あんたの事か?」
「ええ、あくまで愛称なんですがね。本名は松崎健二と言います。」
「失礼だが、あんたは・・・・?」
「ええ、御察しの通り、この子達の面倒を見ている者です。大戦前は保育園の経営者兼園長をしていましてね。子供の扱いは得意なんですよ。貴方と一緒に来た真由ちゃんも元は私達と一緒に暮らしていたんですがね。」
一瞬だが松崎の目はとても悲しそうな物に変わった。
「元気だったかい?」
「うん。いつも通り。はい、これ。」
真由はリュックの中からケースを二つ取り出し、それを松崎に渡した。
「いつもすまないねえ。無くても生活には大して困っていないんだよ?」
「でもあって困るって訳でも無いんだから使ってよ。」
「ありがとう。正宗君にもよろしく伝えておいてね?」
「ん。」
松崎はフードの上から真由の頭を撫でた。
「子ども達は全員『呪われた子供達』なのか?」
「ええ、全員が全員感情を上手く制御出来る訳ではありませんから。いずれはここを出て普通の子供と変わらぬ人生を過ごしてくれれば良いと思っているんですが、赤い目が世間に晒されると厄介なので、私が出来る限り教えています。」
「松崎さん、あんただってその・・・・『奪われた世代』なんだろ?」
「私にそんな事は関係ありませんよ。確かに、我々は多くの物や人をガストレアの侵略によって失いました。彼女達とて例外ではありません。普通の人間として暮らす機会を理不尽に奪われた彼女達『無垢の世代』もまた『奪われた世代』と同じ被害者です。」
松崎の言葉と考え方に内心感服した蓮太郎は溜息をついた。もし誰もが彼の様な考え方を持てば。それだけでどれ程『呪われた子供達』の肩身が広くなるか。そう思ったが、自分の本来の目的を
思い出した。
「悪い、急いでるんだった。こいつがここに来なかったか?名前は藍原延珠だ。」
画像を見せられた松崎は首を傾げ、考える様な素振りをしたがやがて首を横に振った。
「残念ですがお力にはなれませんな。」
「そうか。」
逆にあっさりここで見つけてしまえば拍子抜けしてしまう。
「これからどこへ?」
「この区を虱潰しに探す、あいつはここ出身だったし。じゃあな。」
「じゃ〜ね〜、私はもうちょいここにいるから。」
「ああ。付き合わせて悪いな。」
「貴方は、どうやらパートナーに逃げられたイニシエーターらしい。」
去ろうとした蓮太郎はギクリと歩みを止めた。図星を突かれ、視線を泳がせた。
「民警のペアで性格の不一致は珍しくありません。ペアの解消または死亡の場合、IISOに連絡して新しいイニシエーターと契約を結ぶ事は可能です。序列は一旦大きく下がりますが、貴方の年齢なら実績を上げて返り咲くことも出来るのでは?」
「俺はイニシエーターとかプロモーターとか、そういう立場に関係なくあいつを探している。あいつは俺の家族だ!あんたは良い人だし、その考え方や姿勢は尊敬に値すると思ってる。けど、わかった様な口を聞くんじゃねえ!」
しかしその言葉を最後に、蓮太郎は腹に鋭い衝撃と痛み、そして吐き気を感じた。真由の拳が鳩尾にめり込んだのである。痛みに腹を押さえてうずくまった蓮太郎を、一対の赤い目が見下ろした。焼けた鉄の如く真っ赤でありながら、その視線は冷ややかだった。
「何も分かってないのはあんたでしょ。ここに来る前も言ったよね、あんたとそのペアの子がやってる事は綱渡りだって。今まで優しくしてくれた人が『赤眼』だってバレたら途端に掌を返すって事ぐらい分かってるでしょ?」
反論をしようにも、蓮太郎は口をパクパク動かしても痛みに呻く事しか出来ない。
「子供が普通の人間なのにガストレア呼ばわりされていじめられて、自殺したってニュースでやってたよ。大戦で重傷を負ってもなんとか生き延びた親を授業参観日で見て噂が一人歩きした、ただそれだけで。普通の人間であれだよ?イニシエーターがそんな風に何度も何度も裏切られたら、どうなるか想像出来る?自殺したくても傷の治りが早いから致命傷でもすぐ治る。死にたくても死にきれない。」
確かに蓮太郎もそんな記事を電車でサラリーマンが読んでいた新聞で偶然見た覚えがある。大体の内容を把握出来た直後に嫌悪感に目を逸らしたが。
「現実を見なよ。差別意識はそんなに早くは変わらない。あんたが長老ぐらいの年齢になってからようやく違いらしい物が見えて来るかもしれないけど。」
「真由ちゃん、もうその辺で。」
更に何か言おうとした所で松崎がストップをかけた。
「ここにはいないみたいだし、用が済んだんだったらさっさと帰って。」
蓮太郎は痛む腹を押さえながら立ち上がり、立ち去った。重い足を引きずりながら歩き始めた。確かに彼女の言葉は間違っていない。ガストレアという単語に過敏になっている昨今の社会は、赤眼であれば誰であろうと、何だろうと恐怖と嫌悪の対象としてしか見ない。学校ならまだしも、他の『呪われた子供達』の様に彼女がリンチに遭う事だってあり得る。そしてその可能性に少なからず恐怖を覚えていた。
そんな中で延珠を普通の人間として人生を謳歌させるは、あまりにもリスクが高すぎるギャンブルだ。しかしそれに踏み切り、今まで上手く行っていた。今日までは、だが。
いっその事、彼女の言う通りホームスクールの方が確実かもしれない。自分は高校生だし、小学校レベルのことなら教える事も出来る。
だが延珠のあの性格を考えればやはり学校へ行きたいと言うだろう。傷つくと分かっていても友達を、理解者を求めて手を差し伸べるだろう。
だったら自分はその意思を尊重するだけだ。
マンホールの上蓋が閉じる音がした所で真由は瓶が入ったケースを開き、薬液と共に入っている針が無い注射器を二つ取り出し、一つを松崎に渡した。
「どこからこんなに沢山の侵食抑制剤を調達してきているのか、毎回不思議に思うよ。」
『呪われた子供達』は皆例外無く体内にガストレアの因子を宿しており、緩やかだが確実に体を侵食されている。抑制剤はその速度を下げる為の物だ。しかしこの薬はIISOに管理されているイニシエーター達にのみ配布される物であり、そうでない上戸籍すらも無い彼女達が手に入れる事は実質不可能だった。
「それは秘密。あ、それとこれだけで三日分はあるから。」
真由は先程蓮太郎を見下ろしていた時とは打って変わって明るく悪戯っぽく笑った。
「じゃあ、みんな集まって二列に並んでね〜。」
「すぐ済むから怖がらないで良いよ。」
二十人近くいる子供達が恐々と並び、一人、また一人と抑制剤を打たれた。
「良い青年じゃないか。本当にあのまま一緒に帰らなくて良かったのかい、お嬢ちゃん?」
皆が集まっている灯りから離れた闇の中から、藍原延珠が沈んだ顔を覗かせた。
「ってそいついたの、長老?!」
「ごめんね、自分を探しに来る人が必ずここを尋ねるから知らない振りをしてくれと言われて・・・・のっぴきならない事情があったみたいだから深くは聞かなかったけど。」
真由はフードを脱ぎ捨て、苛立ちまぎれに短く切り揃えた亜麻色の髪をぐしゃぐしゃと掻き毟った。一部鱗に覆われた顔が苛立ちに歪む。松崎の子供好きな性格と面倒見の良さは美徳ではあるが、同時に子供に甘いと言う短所の裏返しでもある。
「良いよ、もう・・・・・今に始まった事じゃないし。私も用事済んだから帰るね?また何か必要だったら正宗に電話して。」
「え〜、もう帰るの〜?」
「もっと遊ぼうよぅ。」
他の子供達も口々に真由を引き止めた。
「じゃあ、もうちょっとだけ。」
正宗にもう少しここにいるとだけメールを送り、何をして遊ぶかを決め始めた。
一時間以上は遊んでから真由は帰り支度を整えて帰路に付いた。政宗に電話をかけ、愚痴を言いながらもその一部始終を話した。
『そりゃ災難だったな。そこまで怒ってたなら一発と言わず骨格変わるまでぶん殴ってやりゃ良かった物を。勿体無い。』
「あんなヤツ殺したって意味無いでしょ。それに長老に止められたんだよ。あの人に嫌とは言えないし・・・・・」
『まあ確かに、俺も十代の頃から知ってる人だし早死にはして欲しくないな。ああいう人間は貴重かつ希少だ。奥さんが生きてりゃもっと色々楽に出来るだろうに。』
「ねー、それよりさ、見つけたの?ガストレア。」
『いんや、まだだ。社長には何度か聞いたんだがな、やはりまだ足取りが掴めてねえらしい。高々蜘蛛の子一匹だってのにな。業を煮やしてマグナムオートぶっぱなしゃしねえか周りの人間は戦々恐々して冷や汗かいてるぜ。』
「案外空を飛んでたりして。」
『冗談きついな。ああ、それと松崎のおっちゃんから離れてお前について来た奴は?』
「いない。まだ、ね。」
『ま、
「バレたら洒落にならないよ、この綱渡り。あの里見って人がやってた事と変わんないよ?」
『そうならない様に上手く立ち回るのが俺達の仕事だ。で、これからどうする?』
「もうちょっとぶらついてる。昼は自分で何とかするから。何かあったら言って。」
『了解。入江真由は優秀であ〜る。』