ブラックブレット:破滅の風   作:i-pod男

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Stage III: The Office (Part 1)

蓮太郎がガストレアとの交戦に入ったのは、グランド・タナカを出てから凡そ十五分程後だった。その場には既に藍原延珠———不慮の事故で自転車から振り落として放置してしまった相棒———がいる。

 

「延珠、大丈夫か?!」

 

互いに向かって駆け寄った二人だが、延珠は両手を広げた蓮太郎の股間を力一杯蹴り上げただけだった。

 

「ぐぉ、ぉぉお〜〜、く、ぉ・・・・・」

 

股間を抑えながら蓮太郎の額は自然に地面へと落ちた。女には一生理解出来ないその激痛に身を捩りながら歯を食い縛る。

 

「全く・・・・妾を自転車から振り落としておいて何事も無かった様に振る舞う蓮太郎が悪いのだぞ?」

 

「お、怒ってるのかよ?」

 

「当然だ!」

 

「仕方無かったんだよ。この仕事取り逃してたら木更さんにぶっ飛ばされてるとこだぜ?」

 

「妾を見捨てて行ったから妾もぶっ飛ばす。」

 

「じゃあ俺にどうしろってんだよ!?」

 

夫婦漫才宛らの会話を一発の銃声が遮った。多田島が黄色と黒の斑点模様と四対の紅色の複眼を持ったガストレア モデル・スパイダーに向けて発砲したのだ。

 

「おいお前ら、漫才でアレを倒すつもりか?とっとと仕事しやがれ!」

 

被弾した箇所から血が流れ始めたが、その傷はみるみる治って行き、やがて減り込んでいた38口径の弾が弾き出されてアスファルトに転がり落ちた。ガストレアは多田島の方へ向き直り、耳を劈く咆哮を上げた。

 

その間に蓮太郎は彼を押しのけて、自分のスプリングフィールドを引き抜いた。

 

「何しやがる!?」

 

「ガストレアに普通の兵器は効果ねえんだよ。無駄に興奮させるだけだからやめとけ。」

 

「ならどうすんだ?」

 

「見てろ。」

 

彼のスプリングフィールドXDから放たれるバラニウムで出来た黒い銃弾はモデル・スパイダーを貫いては弾け、紫色の体液を撒き散らした。続け様に撃ち続けたが、十数発撃った所で銃のスライドが後退したまま動かなくなり、弾切れを報せた。

 

足、目などを吹き飛ばされたモデル・スパイダーは残った足で胴体を守る様に丸まり、ぴくりとも動かなくなった。ゆっくりと用心しながら蓮太郎は近付いたが、ガストレアの銃創は撃った弾の半分も無く、加えて命中した物はどれも急所から外れていた。

 

次の瞬間モデル・スパイダーは立ち上がり、蓮太郎に向かって走り出した。脚を欠損しているとは言え、脚が八本あった頃と比べても殆ど速度が変わっていない。不意をつかれた蓮太郎は反応出来ず、目を閉じて身を堅くした。

 

だが、いつまで経っても襲いかかる筈の激痛が来ない。目を開けると、目の前にビジネススーツに身を包み、髪を無造作に後ろで纏めた男が立っていた。仮面男との戦闘の後に現れた正真正銘の同業者の男だ。イニシエーターも連れていない彼の言葉はどこか嘘くさかったが、今それが違うと確信を持って言える。

 

何故なら彼の真後ろには飛び蹴りを放とうとした延珠の脚を片手で真っ向から受け止める子供がいたからだ。顔は膝まであるだぼついたモッズコートのフードに隠れて見えないが、延珠と同じ澄んだ赤色の双眼が奥から見えたのでイニシエーターである事は間違い無い。

 

男の右手にはモデル・スパイダーの目の如く赤く発光する太刀が握られており、新手のイニシエーターに気を取られていた所で撃発音を聞いて再び視線をガストレアに戻すとそこにはステーキの様に切り分けられたガストレアだった気色悪い肉塊がアスファルトに横たわっていた。

 

しかし彼はガストレアよりも得物の刀の方が気掛かりらしく、刀身をあらゆる角度から検分していた。

 

「試し斬り、どうだった?」

 

「刃毀れ、歪み、無し。アームの動きとパイルの機構も問題無し。パーフェクトだ。」

 

そう呟きながら太刀の血を払って鞘に収めると正宗は屈託の無い笑顔を見せた。

 

「悪いな、ムラサマの試し切りが待ち遠しかったから、お前の獲物盗っちまった。」

 

多田島は開いた口が塞がらなかった。実際にガストレアとの戦闘はこれが初めてなのだから無理も無いが、あの二人は、小柄ながらも明らかに人間という種族ではありえない身体能力を有していた。

 

地面が抉れる程のジャンプが出来る子供がいるだろうか?

 

それ程の勢いがついた蹴りを真っ向から、それも片手で受け止められる子供がいるだろうか?

 

どちらも、否である。

 

「あれが・・・・・・イニシエーター・・・・」

 

そして刀を持ったあの男の力量もそうだ。銃と言う便利な武器が重宝される昨今、今時近付かなければ相手に届かない刀を使う輩等そうはいない。いるとすれば命知らずの馬鹿か余程腕に自信があるかのどちらかだが、彼は明らかに後者だ。六十キロは軽くある筈のモデル・スパイダーを瞬きする一瞬の内に食材を切り分けるかの様に四分割した。明らかに人間の身体能力の範疇を越えている。下手をすればイニシエーター並みだ。

 

しかし呆気に取られた多田島などお構い無しに延珠は真由に噛み付いていた。

 

「何故邪魔をした!?この依頼を受けたのは妾達だぞ!」

 

「正宗が試し斬りしたいって言ってたから。高級オイルサーディンの缶詰十五個が報酬。」

 

理由などそれで十分だとばかりにフードの奥からくぐもった声が返事をした。

 

「此奴め、言わせておけば・・・・・後からしゃしゃり出て来た癖に・・・・・!!」

 

「延珠、やめろって。格下のステージ I 相手に油断してたのは俺だし、結果的に助けて貰ったんだ。手柄、貰っていいんだよな。」

 

正宗は無言で頷き、ほうけた顔の多田島を顎で小さく指し示した。

 

蓮太郎は背筋を伸ばして多田島に敬礼をした。

 

「2031年、4月28日、16時30分、イニシエーター藍原延珠並びにプロモーター里美蓮太郎。ガストレア殲滅、完了しました。」

 

「お疲れさん。」

 

あくまで形式的な物だが現場指揮官としての立場もある為、多田島も敬礼を返した。

 

「なあ、蓮太郎。早くタイムセールに行かなくて良いのか?」

 

「あ。」

 

延珠が引っ張り出したチラシを見ると、蓮太郎の顔から一瞬にして血の気が失せて真っ青になった。

 

「やっっっべええええええぇぇぇぇぇぇぇ〜〜〜〜〜!!!!!一袋六円のもやしぃぃ〜〜〜!!!」

 

夕日の逆光で後ろ姿が影絵の様になった二人は実に絵になる光景だった。あの叫び声が無ければの話だが。

 

「正宗、帰る?」

 

「いや、先にここの後始末を済ませる。獲物を分捕ったけじめって奴だ。え〜っと多田島警部、だっけ?」

 

「ん?お、おぉ、おう。」

 

「事後処理、出来る所は手伝うが、良いか?」

 

「そりゃ別に構わねえが・・・・あんた、一体何者なんだ?あんなでっけえ化け物をなます切りにしちまうなんて、ただもんじゃねえ。」

 

「こう見えても足腰が立つ時から二十年程剣術をやってた。親父も警察官だったし。ああ、そうそう。あの二人に払う筈だった報酬、貰えない?俺の腕と所属に免じて。」

 

司馬重工は超一流の兵器会社として名高いが、民警部門にも事業を展開しており、統率の取れた選りすぐりの民警ペアを雇い入れている。信頼に足るブランド名としては十分過ぎる。

 

「・・・・・まあ、漁父の利とは言え実質倒しちまったのお前だしなあ・・・・わーったよ。俺が出来る限りフォローしておく。署まで付いて来な。」

 

 

 

 

 

 

 

「死ぬ前に何か言い残したい事はある、里美君?」

 

社に戻った蓮太郎は鋭い目付きで睨め付ける天童民間警備会社の社長にして己の上司、天童木更を前に冷や汗をかいていた。今日は全くもって厄日だ。

 

美人程怒れば恐ろしいと言われているが、彼女はそれをしっかりと体現していた。陶磁の様な透き通った白い肌は長い絹の様な黒髪と彼女が通う美和女学院の白いラインが入った黒い制服によってより引き立てられていた。

 

「・・・・す、過ぎた事はしょうがねえだろ?」

 

言うや否や、木更の拳が飛んで来たが、蓮太郎は迷わずに避けた。

 

「何で避けるのよ!?腹立たしいわね!」

 

忌々しそうに蓮太郎を睨んだ。

 

「無茶苦茶言うなよ!」

 

意地でも一発ぐらいは絶対殴ってやると木更は部屋中蓮太郎を追い回したが、やがて彼女の方が先に体力を消耗し切り、直ぐに諦めた。髪を肩越しに払い除け、再び高級感溢れるグランドピアノ程はあるデスクの後ろに回って革張りの座椅子に腰を下ろした。

 

財政が逼迫していると言うのに何故こんな物を買ったのか、今更ながら正気を疑う。何より絵になっていると言う事実が余計に腹立たしい。

 

「つまり君はタイムセールの商品を買う為に急いだら、警察から報酬を貰い損ねた事に気が付いた。連絡しても払って貰えず、それでもモヤシは二袋買って来た、と。」

 

「一人一袋までだったから、延珠と一緒で二袋せしめて来た。あんたも食べるか?木更さん。」

 

「仕事してる時は社長って呼びなさい!」

 

ドンとデスクを叩き、肩書きと名前を記したネームプレートが跳ねた。そして深く溜め息をつくと、がっくり項垂れた。

 

「ちょっと里美君、今月は収入ゼロよ・・・・!?誰の所為だと思ってるの?この甲斐性無し!最弱!おバカ!それと、君の中では社長への報告よりもタイムセールを優先させるの!?何より、どうして私にセールの事教えてくれなかったの?!」

 

そう言った瞬間、木更の腹の虫が盛大に空腹を訴えた。空き腹を抑えながら虚ろな目で椅子に崩れ落ちた。

 

「もう駄目・・・・ビフテキ、食べたい・・・・」

 

「・・・・・俺だって食いてぇよ、ミディアムレアで。」

 

「会社経営って思ったより大変なのね・・・・それもこれも、里美君が甲斐性無しのおバカな所為ね。」

 

「寧ろ俺は立地が大きな問題の一つだと思ってるんだけど?」

 

と言うのも、天童民間警備会社はマルチテナントビルの三階に設立されているのだが、一階にはゲイバー、二階にはキャバクラ、そして四階には闇金業者がそれぞれ店を構えている。そんな後ろ暗い連中がいる所に足を運んで仕事を頼みに行く人間等、いよう筈も無い。

 

「実績が伴ってる本当に良い会社なら、立地なんて些末な問題よ。」

 

確かにそうだ。

 

「あ、じゃあ木更さんがビラ配りをすれば良いんじゃないか?メイド服着て。」

 

彼女なら間違い無く似合う。十人中十人の男が必ず振り向く。広報は確実に成功する。だが木更はそのアイデアを聞き、顔を真っ赤にして背筋を伸ばした。

 

「この私に女給の真似事をしろって言うの!?それよか里美君が『天童民間警備会社ここにあり』って叫びながら衆人環視の中燃えるか爆発しなさい!!」

 

「それじゃ———」

 

「只の自爆テロだと思うぞ?」

 

蓮太郎は聞き覚えのある声に思わず振り向くと戸口に男が立っている。妙に機械的な、マガジンが突き刺さった鞘に収まった太刀を携え、顔には人を喰った様な薄ら笑いを浮かべたスーツの男だ。手には白い紙袋があり、もう一つの手には食いかけのメンチカツがある。おまけに、それに内包されたチェダーチーズの香ばしい匂いが部屋に充満し、木更と蓮太郎の腹の虫は更に胃を満たせと催促して来る。

 

本人に自覚があるかどうかは分からないが、これでは生殺しだ。

 

「あんたは・・・!!」

 

「よう。悪いな、立ち聞きしてたみたいで。説教の最中に入るタイミングって分かんなかったからな。えっと・・・・・堺屋松五郎だっけか?」

 

「誰だよそれ!?里美蓮太郎だ、僅か一文字しか合ってねえよ。で、何の用だ、ワザワザこんな所まで来て?」

 

「何の用とはご挨拶だな。大事な届け物だよ。ほれ。」

 

残りのメンチカツを口に放り込むと、茶封筒を上着の内ポケットから取り出し、アンダースローで投げた。綺麗な放物線を描くそれは、見事木更のデスクに置いてあるノートパソコンのすぐ隣に落ちた。封筒を見ると、そこには警視庁の三文字と桜の代紋の封がある。木更は封を切り、怖々と中を覗いた。ぎっしりと一万円札が詰まっている。

 

「え、これって・・・・・まさか・・・・?」

 

「ああ。社長の表現を借りて言うと甲斐性無しの最弱おバカが回収し損なった報酬だ。」

 

「やったぁぁ〜〜〜〜〜!!」

 

木更はデスクに飛び乗るのではないかと心配してしまう程に鬼気迫る歓喜の雄叫びを上げた。

 

「どこの誰かは知りませんけど、ホンッッッッッットにありがとうございました!はぁ、これで里美君は減給するだけで済むわ。」

 

「ちょ、おい!何でだよ!」

 

「当たり前でしょ!最初に報酬貰い損ねた諸悪の根源の癖に!」

 

「あ、ちなみに俺も民警な。桐生正宗だ。」

 

デスクの方へ大股で歩み寄り、ライセンスをそこに置いた。

 

「桐生、正宗・・・・・桐生?失礼ですけど、もしかして貴方のお父上って・・・」

 

「ああ、桐生三厳だよ。」

 

「是非内で働いてもらえませんか?」

 

「おい、木更さん!?よせって、こんな得体の知れない男を雇うなんて!」

 

ずいっ、と言う擬音が出る様に近付いた木更を蓮太郎は慌てて引き止めた。自分のミスの尻拭いをしてくれた事は悔しくも勿論ありがたい。だが、桐生正宗と名乗るあの男はどこか異様な雰囲気を醸し出している。それに中てられ、脳裏の警鐘がコイツには関わるなと言っているのだ。

 

「美人からの仕事の誘いを受けて断るのは心苦しいが、残念ながらもう雇われてる身でね。」

 

今度は袋の中から肉マンを取り出すと、大きく噛りついた。

 

「行儀悪いのは承知だが、勘弁してくれ。それを回収する前は書類整理やら始末書やらを片付けてたんだ。それも昼飯抜きで。」

 

「いえ、それは、別に、全然・・・・・お構い無く・・・・アハ、アハハハ・・・」

 

死ぬ程空腹である事を必死で気取られまいと後ろに隠した手で脇腹を全力で抓っている木更は、乾いた笑い声しか出なかった。

 

「で、もう一方は見つかったのか?」

 

「え?」

 

まさか正宗はこの状況で話を進めるつもりなのか?彼の用事は報酬を届けに来ただけの筈だ。かと言って貰い忘れると言う失態を犯した自分が用事が済んだなら帰れと追い出せる筈も無く、蓮太郎は言葉に詰まってしまった。

 

「多田島警部に確認を取ったが、あの時点でガストレアは感染源と感染した人間が変異した合計二体がこの東京エリアにいた。一つは社長さんの部下が倒した。報酬の大ポカは兎も角、それは本当だ。」

 

真っ赤な嘘をまことしやかに言いながら正宗は再び袋に手を伸ばし、今度はコロッケを取り出した。本人に自覚があるかどうかは分からないが、彼の食事は最早只の嫌がらせになっている。

 

「でもまだ警察の網にも引っ掛かってないから、見つけてそっちで始末したんじゃないかと思ってな。」

 

木更は首を横に振り、デスクに置いてあるパソコンの画面を正宗の方に向けた。

 

「それは里美君からの報告を聞いてからすぐ調べましたけど、撃破の報告は疎か目撃情報も全く無いです。」

 

「冗談キツいな。ま、良いや。今後とも同業者同士よろしく。」

 

空になった紙袋を丸めてゴミ箱に捨てると、小さく手を振ってオフィスを後にした。

 

「なあ、あの桐生って男、そんなに凄いのか?」

 

正宗の足音が遠ざかってから蓮太郎は木更に尋ねた。

 

「里美君が知らないのは無理からぬ事かもね。私みたいに剣術を嗜むか警察官やってたら知らない人はいないわ。交番勤務の巡査から警視にまで上り詰めた叩き上げの鑑よ。で、あらゆる剣道大会の表彰台に登った新陰流の達人で、警視庁でも師範をやっていたの。事故で片目を失明したらしいけど、そんなハンデを物ともしない技量と気迫から『柳生十兵衛の再来』とまで言われた人よ。悔しいけど、天童式の武術よりもよっぽど古い、由緒ある家系なの。」

 

「柳生十兵衛の再来、ねぇ。」

 

歴史にはあまり詳しくない蓮太郎だが、柳生十兵衛の名は時代劇や時代小説で登場人物として良く使われている事位は知っていた。あれはあくまでフィクションだが、ガストレアを秒殺した正宗の強さは本物だった。それに恐らくあの時の彼は本気を出していない。

 

そう言えば、多田島が提示されたライセンスを見て司馬重工民警部門所属と言っていた。一応木更に伝えておくべきかと一瞬思ったが、直ぐにこの案を却下した。ステージ Iのガストレアに苦戦するわ報酬を貰い損ねるわ貰い損ねた報酬を別の民警に届けてもらうわと踏んだり蹴ったりの厄日だった。もうこれ以上自分から地雷を踏みに行く気など更々無い。

 

それに、もし自分がこの事を言えば、この場にいない正宗に変わって自分に木更の怒りと八つ当たりの矛先が向く事は容易に想像出来た。

 

今はとりあえず黙っておこう、と蓮太郎は決めた。


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