「はあ?お前が俺達の応援に駆けつけた民警だぁ?」
殺人課に所属する強面の私服警官が胡散臭そうに目の前にいる制服姿の男子高校生を値踏みする様に睨んだ。
「まだガキじゃねえか。」
名を里美蓮太郎と言うその男子高校生はやかましく鳴きながら巣へと戻って行く鴉を羨ましそうに見上げた。本音を言うと、自分もさっさと帰りたい。
「ガキなのは仕方無いだろ。俺が民警だよ、刑事さん。」
侮った物言いに蓮太郎は皮肉っぽくそう返した。
「銃もライセンスもある。社長にここに行けって言われた以上仕方無いんだよ。」
「チッ、今時ガキでも民警ごっこかよ。ライセンス出しな。後、俺は刑事でもヒラじゃねえ。警部の多田島だ。覚えとけ。」
蓮太郎は懐から運転免許証ほどの大きさがあるカードを取り出してみせた。それに載った顔写真と蓮太郎の顔を見比べると、小刻みに体が震え始める。笑っているのだ。
「ガハハッ、お前、良く見りゃ結構な不幸顔だな!」
余計なお世話だと内心噛み付きたかったが、我慢した。
「にしても、天童民間警備会社、だっけか?聞かない名前だな。」
そう言いつつ多田島はライセンスを投げ返した。
「大手じゃねえし、知名度も大して高くないからな。急かして悪いけど、仕事の話しねえか?」
蓮太郎は多田島の後ろに建つ六階建てのマンション、『グランド・タナカ』に目を向けた。古ぼけたそのマンションは所々罅が入っており、金属部分にも軽い腐食や錆びが見られる。お世辞にも目を引く様な所でも、増してや自分から住みたいと思う様な所ではなかった。
「102号室の住人が通報してな。雨漏りでもしてるかの様に血が滴ってるんだと。情報を総合するとガストレアで間違い無いらしい。やれやれ、お前さんが来てやっと入れるぜ。」
多田島は鼻を鳴らしながら、わざとらしく『やっと入れるぜ』を強調してマンションに足を踏み入れた。
その無礼な態度に、蓮太郎は怒りよりも驚きの方が大きかった。
街の治安を守っているのは紛れも無く警察だが、それはあくまでガストレアが絡んでいなければの話だ。ガストレア大戦の後、警察官の殉職率を少しでも下げる為に彼らがガストレア関連の事件現場に警察官が踏み込む事は今や法によって禁じられているのだ。踏み込みが可能となるのは、その場に民間警備会社の人間がいる時だけである。
しかし、いくら自分達の命を救う為の措置とは言え、その法律に良い顔をする警察官は一人もいなかった。
「そう言えば、お前の相棒の『イニシエーター』はどうした?民警の戦闘員は二人一組で戦うのが基本だろ?」
「あ、あいつの手を借りるまでもないと思ってな。」
多田島のその質問に蓮太郎はぎくりとしたが、まさか『置いて来た』などとは口が裂けても言えない。急がなければ仕事が別の警備会社に回ってしまう為、自転車を息せき切って飛ばして来た、その時に彼女を見捨てたのだ。場所は彼女も分かっているから今は迷っていない事を祈るしか無い。
現場の202号室の前に着くと、既に大勢の警察官がドア付近に待機していた。
「何か変化は?」
「す、すみません・・・・・たった今、我々のポイントマン二人が懸垂降下して窓から突入・・・・その後、連絡が途絶えました。」
特殊装備に身を包んだSAT隊員の言葉に多田島の目は吊り上がり、胸ぐらを掴んだ。
「馬鹿野郎!何で民警が来るまで待たなかった!?」
「こんな奴らに手柄を横取りされたくなかったんですよ!!」
「・・・・どけ、俺が突入する。」
もう手柄がどうの縄張りがどうのと言っている場合ではない。蓮太郎の言葉に多田島はあごを突き出し、二人のSAT隊員が壁に身を寄せてドアの両端に立った。ベルトからスプリングフィールドXDを引き抜いて安全装置を外すと、身構えた。
「行くぞ。」
SAT隊員がショットガンでドアの蝶番を破壊するのと蓮太郎がドアを蹴り破ったのはほぼ同時だった。夕日に照らされた六畳の部屋は窓から差し込む夕日の色に染まっていたが、壁や床はもっと暗い、もっと赤い物で染まっていた。無視出来ない程に濃い、噎せ返る程の鉄の臭いが血だと言う事を物語っている。
突入した二人の警官は可部付近で折り重なる様に倒れており、既に息はなかった。だが問題はそこではない。問題は、部屋の中心に立っている燕尾服に身を包み、シルクハットを被った二メートル弱はある舞踏会で付けるマスケラで顔を隠した痩身の男だ。ガストレアで無い事は間違い無いが、常人の人間とは違う異様な雰囲気を醸し出している事から、蓮太郎は更に警戒心を強めた。
「やあ。随分遅かったじゃないか、民警君。」
「なあ、あんた・・・・・同業者、なのか?」
「確かに私も感染源ガストレアを追っていた。が、同業者では無い。何故ならこの警官二人を殺したのは、私だ。」
蓮太郎は即座に反応し、掬い上げる様な拳の一撃を放った。角度もタイミングも申し分無いが、いとも容易く仮面の男にいなされた。
「ほう、やるじゃないか。」
嬉しそうに言いながら彼も反撃した。繰り出した拳は蓮太郎の胸に沈み込み、吹き飛ばした。蓮太郎はリビングのガラステーブルに背中から叩き付けられた。息が出来ない。
痛みに顔を歪めながらも蓮太郎が片目を開けた時には仮面の男が正に拳を振り下ろさんとしていた。テーブルから転がり落ちて距離を取った所でガラスが粉々に砕け散る音がした。
しかしそこに移動する事を読んでいたのか、狙い澄ました回し蹴りがこめかみ目掛けてが飛んで来た。蓮太郎はそれを辛うじて受け止める事が出来た物の、その蹴りの凄まじい勢いに押し負けて今度は壁に叩き付けられた。
長身とは言え、あんな細身の体のどこからこれ程の膂力を生み出しているのだろうか?そもそも、この男は何者だ?
蓮太郎は必死に食らい付いてはいたが、二人の力の差は歴然だった。
嘲る様に鼻を鳴らした仮面の男は蓮太郎から視線を外し、着信音を鳴らす携帯を取り出した。
「小比奈か?ああ、うん。これから合流する———」
「こっちだ、化け物!仲間の仇だ!」
部屋の入り口で警官達が仮面の男に向けて銃を構えていた。だが彼らが引き金を引くより速く仮面の男も腰の銃を引き抜き、警官達に銃弾を浴びせた。それも、全く彼らの方に見向きもせずに。青いSATの突入服から鮮血が吹き出し、玄関先の壁を彩って行く。
倒れながらも追い打ちの銃撃を浴びせられ、更に三人の警官が凶弾に倒れた。
「隠禅・黒天風!」
蓮太郎が放った回し蹴りは顎を反らすだけで回避されたが、蓮太郎は軸足を変えて二撃目を放った。
「隠禅・玄明窩!」
狙い澄ました上段蹴りがマスクに当たり、仮面の男の首は絞られた雑巾の様に捩じれていた。手応えはあった。しかし、男は手を頭に載せて、捩じれた方向とは逆に力一杯首を捻った。ボキボキと耳を塞ぎたくなる様なおぞましい音と共に頭が元の位置に戻ると、手に持った携帯を保持したまま何事も無かったかの様に会話を続けた。
「いや、何でも無い。直ぐにそっちに向かう。」
携帯を仕舞い、仮面の男は蓮太郎を凝視した。仮面の位置を直すと小さく笑う。
「お見事!油断していたとは言え、まさか一撃貰うとは思っていなかったよ。本当なら今ここで殺しておきたいのだが、ちょっと用事があってね。」
仮面の奥で、面白い玩具を見つけた子供の目に灯る様な輝きを見て、蓮太郎は血が凍りついて行くのを感じた。
「君の名前は?」
「・・・・・里美蓮太郎だ。」
里美、里美、と呟きながら男はベランダまで足を運び、欄干に飛び乗った。
「縁があったらまた会おう、里美君。」
「お前・・・・一体何なんだ?」
「私は、世界を破壊する者。誰にも私を留める事は出来ない。」
言うや否や、男はそこから飛び降りて姿を消した。
体中を駆け巡るアドレナリンによる興奮で蓮太郎は暫く動く事も喋る事もままならなかった。世界の破壊者を自称する仮面男があのまま帰ってくれたから良かった様な物の、もし本腰を入れていたら恐らく自分も無事では済まなかった。
重傷を負った警官達の弱々しい呻き声でようやく我に帰り、振り向いた。救急隊員が彼らを担架に乗せて運んでいる最中だった。恐らく多田島辺りが連絡を入れたのだろう。同僚達が彼らの名を呼びながら付き添っている。
「・・・・・ガストレアはどこだ・・・?」
先程の戦闘でかなりの時間を浪費してしまったが、依頼された仕事はまだ終わっていない。全ての部屋を探し回ったが、ガストレア程の大きな生き物が隠れられる様なスペースは無い。それに仮面男が立っていた所にある血は明らかに致死量だった。しかし彼の物ではなかった。
「なあ、多田島警部。」
「んあ?」
「ここの住人、一人暮らしか?」
「ああ。妻と子供とは別居中だ。一応箪笥の中を見たが、子供や女用の服はねえからそれは確定だぜ。・・・・ん?何だありゃ・・・・」
多田島の視線は天上に縫い付けられていた。そこには緑色のゲル状の物体が張り付いている。蓮太郎は飛び上がってそれに指で触れて、指先を擦ってみると非常に粘着性が高かった。その出所不明の物体のあまりの気色悪さに多田島は不快感にくしゃっと顔を歪めた。
「被害者は間違い無くここで襲われた。その後、多分あの窓から逃げて助けを求めに言ったんだろう。これだけ血を流して、二階から落ちて、それでもまだまともに動けるって事は・・・・」
多田島は緊張した面持ちでポケットを探り、煙草をくわえて点火しようとしたが、手が少しばかり震えて火花を出せる程の勢いでに鑢の部分を回せなかった。しかし、すぐ目の前にジッポライターを持った手が現れ、多田島の煙草の先に火が点いた。
「じゃあ感染源も感染者も町中を彷徨いてるってのか?」
「まあここにいないなら消去法でそうなるな。」
答えを返した声は蓮太郎の物ではなかった。そう言えば先程煙草に火を点けたライターの主は誰だ?
ライターを差し出した腕の持ち主は、正宗だった。
「何だぁ、お前?おい、コイツを現場に入れたのは誰だ?」
「騒ぐな、俺も民警だよ。」
文句を言われる前に正宗はライセンスをちらつかせた。
「司馬重工民警部門所属・・・・」
事細かに記載されている項目に目を通し始めた多田島の手からライセンスをもう充分見せたとばかりに奪い取った。
「偶々通りかかってな。何があったかちょいと見に来たのさ。心配しなくても捜索の邪魔はしない。」
ああ、そうかよと蓮太郎は鼻を鳴らした。今はこの闖入者に構っている場合ではない。
「多田島警部、直ぐにこの辺り一帯を封鎖してくれ。近隣の人間にも避難勧告を。パンデミックを防ぎ損ねて降格処分なんて嫌だろ?」
「分かってるよ、こちとら昨日今日始めた仕事じゃねえんだ!」
皆が慌ただしく退室して感染源及び感染者捜索の為に動き出した。正宗以外は。
「真由、聞こえてたな?感染者でも感染源でも良い。探してくれ。」
誰もいない部屋で声を張り上げると自分もその場を後にした。
「もうやってるよ。」
正宗には聞こえないが、グランド・タナカの屋上で瞑想でもするかの様に胡座をかいて目を閉じている真由がそう答えた。暫くの間その場を動かずにいたが、やがて目を開けた。風でフードが外れ、焦げ茶色の短髪の少女の顔が露わになった。その髪はまるで自分で切った様に不揃いだったが、不思議と彼女には似合っていた。
そして人間にはある筈の無い、鱗に覆われた肌の一部が露わになった。
「・・・・・・見つけた。」
直ぐにスマートフォンをモッズコートの内側から取り出して正宗に連絡を入れた。
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