銀河HP伝説   作:アレグレット

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フレデリカの迷病

 フレデリカ・グリーンヒルは一時期、ヤン・ウェンリーには勿体なさすぎる、とまで言われた才媛の副官である。794年に士官学校を次席で卒業した人物であり、女性ながら射撃術や格闘術にも後れを取らない。ヤン・ウェンリーを間一髪で救ったのもその卓越したブラスター射撃術である。また、抜群に記憶力がよく、投降したバクダッシュの顔を記憶していたこともヤン艦隊を救った一因でもある。

さらには、彼女の父親であるドワイト・グリーンヒルは宇宙艦隊総参謀長の重職にある大将であり、どこからどう見ても「完璧な」お嬢様であり、輝かしい次世代の将官候補である。

 

 そんな彼女であるが、一つだけどうにもならないことがあった。書類仕事でも副官業務でも、そつなくこなす彼女がたった一つだけできない事――。

 

 フレデリカ・グリーンヒルはそわそわしていた。今日のスケジュールの記憶が正しければ後4分23秒後に例のあの人はこの通路を通って自室に戻る。それを知っているから先ほどからこうやっていったり来たり。

 どうして4分が長いのだろう。何でもない時にはあっという間に過ぎ去ってしまうのに、いざとなると長く感じられるのはカップラーメンの出来具合を待ち望んでいる時だけではないらしい。

 

(来たわ!!)

 

 ついに目的の人物を目視し、深呼吸したフレデリカ。何度も何度も練習した言葉をもう一度素早く胸の中で唱え、そして握りしめてもはやしわになってしまった書類をもう一度手の中で確認する。

 

 今度こそは――。

 

「あの・・・閣下――。」

「あぁ、グリーンヒル大尉。決済欄にハンコを押して決裁箱に戻しておいたからね。」

「え・・・・。あ・・・!あ、はい、ありがとうございます、閣下。」

「後は君に任せたよ。」

 

 そう言いながら、歩みを止めず、ヤンはさっさと自室に戻っていってしまった。

 

(私の馬鹿・・・・!!)

 

 書類なんてどうだってよかったのに!!どうしてっ!!と嘆きながらさきほどとはうって変わった重い足取りで引き返すフレデリカであった。もはやつぶれてしまったヤンへの熱いラブレターが空しく自分のぬくもりで湿っていくのを感じながら。

 

* * * * *

「え?意中の男性を落とす方法?」

 

イゼルローン要塞を出立予定の輸送船団の航路設定の作業をしていたイヴリン・ドールトン大尉は振り返って声の主を見つめた。なかなかの美貌の持ち主で引く手あまたの存在だったが、本人は「我関せず」の状態だった。既に決めた人がいるのだそうだ。

 

「そ、そうなんです!私、好きな人がいるんですけれど、どうやっても振り向いてもらえなくて・・・でも、こんなこと誰にでも相談できるわけじゃないですから――。」

「ん~~そうね~~・・・・。」

 

ドールトン大尉は指を顎に当てて天井を見つめていたが、

 

「私だったら迫るけれどな。ここでOKするか、さもなくばあの恒星に一緒に突っ込んで心中するか、どっち選ぶ!?・・・って!」

「・・・・・・・・。」

 

 絶句するフレデリカ。求めていたのはそんな危なっかしい脅迫まがいな事ではない。もっとロマンティックな方法で、しかも断られず自分の気持ちを伝えたいのだ。

 

「じょ、冗談よ、冗談!」

「・・・・・(冗談に聞こえなかったんだけれど。)。」

「まぁ、そうね・・・。それだけ気持ちを伝えたいのなら、そっと枕元に手紙を忍ばせるとか。そして翌日になったら告白するの!その方がかえってすっきりするでしょう?」

「そ、そうですよね!!そうすればよかったんだわ!!ありがとうございます!!」

「どういたしまして!頑張ってね!」

 

 ドールトン大尉の声援を背中に受け、フレデリカは力強い足取りで歩き出した。そうよフレデリカ。いくら何でも文字にすれば絶対にヤン提督は気が付くはずだわ!!

 

* * * * *

翌日――。

イゼルローン要塞司令官執務室――。

「大尉、ちょっと聞いていいかな?」

「はい、閣下(来たわ!来たっ!さぁ、落ち着いてフレデリカ。深呼吸よ、深呼吸!)」

 

顔を赤らめているフレデリカは自分を懸命に自制しようと気づかれないように深呼吸した。

 

「昨日決裁箱にこんな書類が入っていたのだけれど、これはどこの部署の物なのかな?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(私の馬鹿!!!!)」

 

 フレデリカは絶句する。一瞬にして彼女の聡明な頭脳は何が起こったのかを理解していた。

 つい、つい癖で書類の決裁箱に入れてしまったのだわ!!なんてドジな私!!これじゃ何のことかわからないといわれても仕方がないじゃないの!!!いいえ、ちょっとまちなさいフレデリカ。いくら何でもヤン提督も中身をご覧になればすぐに――。

 

 

「6月3日 副官業務における最近の留意事項(重要度レベル10(マックス))――。」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(私の馬鹿!!!!!)」

 

 フレデリカの表情が固まる。一瞬にして彼女の聡明な頭脳は何が起こったのかを理解していた。

 どうして!!どうして報告書形式にしてしまったのよ私!!こんな書き出しをみたら、ヤン提督だって何事かと思われるに決まっているわ!!

 完全に仕事の範囲から逸脱できていなかった、と反省したフレデリカがやったことは、何とかこれを取り繕う事だった。

 

「申し訳ありません閣下、私が誤ってその書類を入れてしまったのですわ。」

「え?そうなのかい。君にしては珍しいね。まぁ、そういうことであれば構わないけれど。」

「今後は注意致します。申し訳ありません。(フレデリカ何言っているの!?そんなことを言いたいのではないでしょう!?)」

 

 と、心の中で叫びつつも、既に事態は動いている。ヤンは「誤った報告書」をフレデリカに返し、フレデリカは副官の事務的な態度でそれを受け取る。けれど――。

 

 心の中の彼女は涙を浮かべていた。

 

 

* * * * *

士官専用カフェテリア個室スペースにて――。

 

 フレデリカ・グリーンヒルは頼りになるであろう一人の人物に相談をかけていた。恋愛経験にかけては百戦錬磨、全同盟軍の将兵の5指に入り、あのリン・パオを凌ぐだろうといわれる人物――。

 

「あの司令官殿を落としたいとは、ミス・グリーンヒルも物好きですなぁ。」

「シェーンコップ准将、私、本当に困っているのですけれど・・・・。直接告白するのは失敗に終わりました。ですから、他の方法がないかどうか・・・・必死に考えているのですけれど・・・・。」

「まぁ、美人に頼られるのも悪くはない。なに、方法は簡単な事ですよ。」

「え?」

「問題は、ヤン提督に貴女の魅力を気づかせるにはどうすればいいか、という事ですよ。そうなれば嫌でも距離は縮まる。距離が縮まれば回りくどいことをせんでもいいでしょう。」

「私の・・・・魅力・・・・・。あぁ!!」

 

立ち上がったフレデリカはシェーンコップに礼を言うと、勇んで歩み去っていく。

 

「准将、あんなことを言っていいんですかね?」

 

リンツが怪訝そうな顔でシェーンコップに尋ねる。

 

「恋愛という物は自ら経験を重ねて成就させるものさ。それがわからないようではいつまでたっても先には進まんよ。」

 

 シェーンコップの視線はフレデリカの背中を面白そうに追っていた。

 

* * * * *

翌々日――。

 

 キャゼルヌ家での夕食に招かれたヤンはそっと周りを見まわすと、元先輩に小声で耳打ちした。うなずいたキャゼルヌは彼を書斎に入れた。夫人は料理中。ユリアンはシャルロットたちの相手をするのに夢中でこちらに気づいていない。

 

「どうした?そんな辛気臭い顔をして。」

「グリーンヒル大尉の様子が変なんです。」

「変?」

「はい。夕食の時にはワンピースを着るようになったり、その際にはいささか、その、化粧が変わったり、何というか――。」

「おい、ヤン。」

 

 キャゼルヌはこの後輩に対して苦笑と温かみのある微笑を入り混じった顔を向けた。

「いい加減に気づいてやれ。グリーンヒル大尉の心情を。」

「え!?それはどういうことですか?」

「こういうものはな、人様に言われて気づくよりも、自分自身で気づいた方がいいんだ。さ、夕食前に一勝負といくか。」

 

 そういうと、後はヤンがどう懇願しようが頑として口を割らず、三次元チェスに興じるキャゼルヌであった。

 

* * * * *

翌日――。

イゼルローン要塞司令官執務室――。

 

「・・・・え!?」

 

 フレデリカは固まる。目の前に差し出された一通の許可証。

 

フレデリカ・グリーンヒル大尉に1週間休暇を与えるものとする。

 

 簡単に言うとそういう物である。

 

「あの・・・閣下。私の働きぶりに何かご不満でもありましたか?」

「いや、君が疲れているのではないかと思ったんだ。ここの所仕事が続いただろう?その反動で、その、ああいう格好をするのではないかと思ったんだ。だから思い切り羽を伸ばして帰ってきてほしいと思って、その――。」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(私の馬鹿!!)」

 

 心の底からフレデリカは後悔した。

どうして、どうしてこうなるの!?ヤン提督との距離を縮めるどころか、さらに距離が広がってしまったじゃないの!!いったい一週間もヤン提督の顔を見ずに過ごすことなんてできるのフレデリカ!?

心の中で後悔の叫び声をあげまくっている彼女をしり目に、ヤンは気の毒そうな気弱そうな視線を優秀な副官に向けていた。

 

後日これを聞いたキャゼルヌ少将は頭を抱え、夫人からひとしきり「正論」を浴びせられたのだということである。

 

* * * * *

一週間後――。

 

「大丈夫ですか?グリーンヒル大尉。顔色が悪いですよ。休暇に入る前よりも体調が悪くなったんじゃありませんか?」

『ううん、違うのよユリアン。私どうしていいかわからないの。』

 

ヴィジホン越しにもわかるグリーンヒル大尉の疲労の色を見ていると、どうにかして力になりたいと思うユリアンである。

 

「何か僕にできることはありますか?」

『ええ、教えて頂戴ユリアン。私、副官として自信がなくなったの。いったいどうしたらヤン提督に気に入られるのかしら。』

「ええっ!?」

 

 ユリアンは仰天した。ヤン提督はフレデリカ・グリーンヒル大尉の事をとても優秀な人だといつも言っているのに。一体どうしてしまったのだろう。

 

『提督は何をして差し上げるとお喜びになるの?』

「そ、そうですね~。やっぱり紅茶入りのブランデー・・・・じゃなかった、紅茶を差し上げるとお喜びになりますよ。」

『紅茶・・・・・。』

 

 フレデリカは考える。今まで紅茶の淹れ方についてはうまくいったためしがないけれど、これを機会に頑張って練習して美味しい紅茶を飲んでいただければ、もしかしたら――。

 

『ユリアン。お願いがあるのだけれど――。』

 

 フレデリカ・グリーンヒルの切実そうな表情を見たユリアンは、彼女の願いを断ることはできなかった。

 

* * * * *

翌日――。

イゼルローン要塞司令官執務室――。

 

「閣下、一週間不在にして申し訳ありませんでした。今日から務めさせていただきますわね。」

「あぁ、疲れは取れたのかい?休暇は楽しめたのかな?」

「はい。久しぶりに―ヴィジホン越しでしたけれども―父ともゆっくり話ができました。」

「それはよかった。書類が溜まっているから早速整理を頼むよ。」

「はい、閣下(いい感じいい感じ!そして頃合いを見計らって『アレ』をお持ちするのよ、フレデリカ!)。」

 

 しばらくは執務室に静かな時間が流れる。フレデリカも能率的な自分を取り戻し、仕事に取りかかる。

みるみるうちに片付いていく書類。それを見ながらヤンはほっとした表情を浮かべていた。一時期はどうなるかと思ったが、やはりフレデリカは優秀である。こうして元の能率的な副官に戻ったのだから。

 

「閣下、そろそろ休憩になさいますか?」

「え、あ、うん(休憩と言っても、私自身はたいして何もしていないのだけれど・・・・。まぁ、フレデリカの方が負担になっているから休むのもいいか。)。」

「お茶をお淹れいたしますわね。父がシロン産のティーバッグをよこしたのです。」

「ほう?」

 

ヤンの表情が動く。

そうよ、フレデリカ。今こそチャンス!好機到来!これでヤン提督に美味しいお茶を淹れることができれば!!

 

 フレデリカは平静さを装いながら、席を立ち、綺麗な水で沸かしたお湯を使って慎重にティーポットとカップにお湯を注ぐ。容器を温めるためだ。それを捨ててからになったティーポットに慎重に適量の茶葉をいれ、そこにお湯を注ぐ。しっかり4分間待ったところで、お湯を捨てたカップにそれを注ぐ。馥郁とした香りがあたりに立ち上った。

 

「・・・・・・・・。」

 

震える指を何とか落ち着け、フレデリカはヤンの下にそれをもっていく。

 

「閣下、お待たせいたしました。どうぞ。」

「ありがとう。お、今日のお茶は香りが違うな。まるでユリアンが淹れたようじゃないか。」

「閣下・・・・!!」

 

それは最高の褒め言葉だった。ヤンが賞賛するユリアンに匹敵する淹れ手だと認められたことはフレデリカにとって、どんな昇進祝いにも、士官学校次席卒業よりも、格段に嬉しい事だったのである。

馥郁とした香りを堪能したヤンがカップに口を付ける。それを見つめるフレデリカは幸せいっぱいだった。

 

(ユリアン・・・本当にありが――。)

 

ブ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッ!!!!!!!!!!!

 

 途端に、ヤン・ウェンリーは口から紅茶を逆噴射して目の前のデスクにぶちかましていた。

 

「きゃあっ!!!!」

 

 思わず悲鳴を上げるフレデリカ。ゲホゲホゲホェッ!!!と盛大にせき込むヤン。パニックになりながらも雑巾を取って戻り、雑巾をヤンの口に押し付けそうになり、慌ててそれをティッシュに切り替え、目の前の机を拭き始める。

 

「フ、、フ、フレデ・・・・ゲホゲホゲホェ!!・・・・リカ・・・・・!!いったいこれは・・・・ゴホェッ!!何のお茶・・・・なんだ・・・?!!・・・ゲホゲホゲホッ!!」

 

 せき込みながらヤンが尋ねる。フレデリカは慌てて残っていたカップを傾けて味を見た。結果、ヤン提督と間接キスをしたことになったのだが、今の彼女はそんなことを考える余裕は全くなかった。何故なら――。

 

 思わず吐きだしそうになるほど不味かったからである。

 

 いったいどうして!?手順を守ったのに、なんで、何故!?混乱するフレデリカはもはや優秀な副官としての能力を失っていた一介の女性である。ふと、眼の端に例のティーバッグがあった。取り上げてみたフレデリカの表情が固まる。

 

 『ロンシ産紅茶ティーバッグ』

 

 下に小さく注意書きでこう書かれていた。

(注意:シロン産の紅茶ではありません。飲むときには細心の注意を払い用法要領を守って正しく服用してください。)

 

 ロンシ産紅茶というのは、まずい事で有名な紅茶であり(と言うよりも一種の漢方薬なのである。)シロン産の紅茶と名前が似ていると言うので、間違えやすい。むしろそれを売りにしている商品だったのである。普段の冷静なフレデリカなら絶対に見落とさない間違いだった。誤って送ってきた父を恨むよりも、自らのミスをフレデリカは責めていた。こうなったらもう、告白どころの騒ぎではない。

 

(私の・・・・・馬鹿ぁっ!!!!!!!!!!)

 

 がっくりと崩れ落ちそうになるのを懸命に耐えるフレデリカであった。

 


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