「…………」
あれから数時間後、一夏のいる教室は今、一夏――彼一人しか居なかった。今の時間帯は午後を回っているが放課後だった。
夕日は地上から消える様に沈みかけ、空はオレンジ色になっているがその上には紺色――言わば夜空が見える。周りにいる女子生徒は皆帰ったか部活を見る為に学園内に残っているだろう。
しかし、今の一夏には関係なかった。マイクは近くには居ない――居るのは彼一人だが彼は窓際に立ちながら窓の外に広がる夕焼けを寂しそうに見ていた。
オレンジ色の空は学園をオレンジ色に染めているが彼は言った。
――今日も一日が終わる――。彼、一夏はそう言った。もう少ししたら人の役目は終わり、逆にまた夜での生活を好み、夜の仕事をする人達の一日が始まるだろう。
が、一夏は夜行性の人間ではない――彼は朝は起き、昼は活動し、夜は寝ると言う規則正しい生活を送っている。
彼はそう考えたのも彼自身がその事を続け、何時の間にかそれが習慣となったからだ。
一夏は未だ窓の外を見続ける中、ふと、ある人物を思い出し、悲しそうに俯く。
――更識刀奈――。自分が一番逢いたかった人である。彼女は三年前、あの約束を覚えているのだろうか? それに自分をどう思っているのだろうか?
否、彼女とは朝、再会出来た。それは喜びと哀しみの感情が湧き出て、自分でも判らない内にそれ以上の感情があった。
――罪悪感――。それは一夏自身が刀奈と言う少女との約束を破り、彼女を傷付けた事であった。
あの日から、今日までの三年間……自分が居ない間、彼女はどう過ごしていたのだろうか? 哀しみに暮れた日々を過ごしてしまったのだろうか?
それは全て自分のせいだ――自分は、一人の少女を傷付けた最低な男だ――一夏は自分に対して怒りを覚える。それだけではない――彼女との約束をもう一つ、破ってしまった。
――また後でね、一夏、君! ――。朝、刀奈は自分にそう約束してくれた。なのに自分はその約束をしたにも関わらず、彼女とは逢ってない。
何故なら、自分は彼女にあの時の約束を破った事で罪悪感を覚えてしまい、あの朝以外、刀奈とは逢っていなかった。
否、それには理由があったが一夏から見れば約束を破った様な物だった。
――ごめん、刀奈さん……――。一夏は俯きながら呟いた。だが逆に言えば、一夏自身が更に後悔している様にも捉える事が出来た。
最早自分には刀奈に逢わせる顔は、ない。一夏はそう思ってしまう。
刹那、後ろの扉が開き、一夏は扉の音に反応し、振り返ると、そこには、廊下にはある人物が居た。
――一夏……――。それは千冬だった。彼女はクラスの担任だが一夏のたった一人の姉。一夏は元より、千冬は一夏に対して哀しみや困惑の表情を浮かべていた。
それに今は違う。今の彼女、千冬の表情は何処か影がある。本来の千冬は凛々しい。だが今は弟を心配する姉その者だ。
それだけでなく彼女が教室に来たのは単なる偶然でもなく、忘れ物を取りに来た訳でもない――彼女は弟、一夏がいる教室へと来たのだ。
一夏が教室に残ったのも千冬が言った事であったのだ。否、今は二人しか居ない。
それは幸か不幸かは判らない。判るとすれば千冬は誰にも邪魔されず、弟である一夏と話しがしたい、という切な願いがあった。
千冬は一夏に近づくと、一夏の前に立ち止まる。
「一夏……大きくなったな……」
千冬は一夏を見る。三年前とは違い、あの幼かったか弟は三年と言う長い年月を経て、立派な青年と成長した。あのあどけない頃とは違い、逞しくなった。
千冬から見れば喜びと罪悪感が沸いて来る――千冬は一夏から目を逸らすが、一夏は姉を見て首を傾げる。
「どうしたの、千冬姉?」
一夏は千冬を心配そうに見つめ訊ねる。が、千冬は俯くと、涙を浮かべる。姉としての罪悪感がある事を物語らせていた。が、千冬は一夏に抱き着く。
「ち、千冬姉!?」
一夏は千冬の行動に戸惑う。が、千冬は一夏に抱き着いたのも二度目だが姉としての喜びと罪悪感に嘖まれている様にも思えた。
三年前のあの日、千冬は日本政府が黙っていたせいで名誉を得ると同時に掛け替えの無い者を喪ってしまった。
弟、一夏を喪ってしまったのだ――これには千冬は怒りを覚えると同時に大きな哀しみに暮れた――だが今は違う、今は彼が、一夏は生きている――それだけでも嬉しかった。
「千冬姉……ちょっと恥ずかしいよ……」
「済まぬ……だがもう少しだけ、もう少しだけこうさせてくれ……」
一夏のお願いを無視する様に千冬は抱き締める力に入れる。千冬は女性だが一夏はどうする事も出来なかった。
そして少しの間だけ、千冬のなく声が教室内に木霊いた。
「もう落ち着いた、千冬姉?」
少し経った後、一夏は千冬に訊ねると千冬は深く頷き、一夏から離れると顔を上げる。未だ目には涙の痕が残っていたが千冬の表情は何処か嬉しそうであった。
「一夏、良く生きていた――そして済まぬ……」
千冬は頭を下げる……彼女なりの謝罪だったが一夏は千冬を気遣い、顔を上げる様に言った。
「顔を上げてよ千冬姉……俺は気にしないから」
――だが! ――。千冬は顔を上げながら否定しょうとしたが一夏は何処か悲しそうでありながらも微笑んでいた。
それを見た千冬は表情を青くしたが下唇を噛みながら俯いた。彼女は一夏なりの気遣いや優しさに後悔した。
何故彼は、弟は、こんなにも優しいのか? 彼は自分が居ない間、家事全般を引き受けてくれた。それだけでも嬉しかったが何故今も優しいのだろうか?
千冬は疑問に思ったがある疑問を一夏にぶつける。
「それよりも一夏、教えてくれ」
千冬の言葉に一夏は「何を?」と訊ね返したが千冬は言葉を続ける。
「あの日、三年前に何が遭ったのだ!? あの時、お前の物であろう血があったんだぞ!?」
千冬は三年前の事を話し始める。三年前、千冬はドイツ政府に教えられ、そして政府が派遣した少数のドイツ軍兵士と共に一夏が監禁されていたであろう場所に踏み込んだ。
しかし、一夏は居らず、居たのは三人の誘拐犯であり彼等は既に息絶えていた。
しかし、他にも大量とは言えないが誰かの血が床にあった。検査の結果、一夏の元と判明した。これには千冬は泣き叫んだが彼女から見れば日本政府への怒りしかなかった。
否、今は違う――今は一夏にあの日何が遭ったのかを訊いた。
「……ごめん、それだけは言えない……」
「だが一夏、お前を助けたのは誰だ!? それにあの血は」
「あれは俺の血だよ」
千冬が何かを言うのを遮る様に一夏が答える。それを聞いた千冬は瞠目するが一夏は突然、上の制服のボタンを外し始めた。
これには千冬も驚くが一夏は制服を脱ぎ、近くの机の上に置くと、シャツのボタンを外し、ある場所を千冬に見せた。
――っ!? ――。千冬は言葉を失った。彼、一夏が見せた場所は胸だった。少し筋肉が付いているが銃で撃たれた後に出来た銃創が一つだけあった。
それは心臓がある場所とは少し離れているが一歩間違えれば彼は死んでいた事を物語っている。
彼、一夏は成長しただけでなく銃創と共に成長した様にも思えた。
「い、一夏、そ、その傷は……っ!」
千冬は恐る恐る一夏の胸に出来た銃創に手を伸ばし、触った。彼の胸には筋肉は付いていたが銃創は痛々しくも、幼い彼には死を味わう程の激痛だったに違いない。
千冬は彼の身体にある銃創を触った後、再び涙を浮かべ、その場で崩れ落ちると共に泣き崩れた。
「あ、あぁっ、あぁっ!!」
千冬は嗚咽を上げた。そんな千冬に一夏は膝を折り、千冬の背中に両手を回す。
彼は千冬を慰めるが千冬は嗚咽を上げ続けていた。彼女は一夏に大して罪悪感と共に泣き続けていた。
しかし、一夏は千冬を怨んではいなかった――彼は姉を心配しているのだ。そうでなければ、彼は千冬を慰めはしないだろう。
「済まぬ一夏……済まぬぅ……あぁっ!」
千冬は泣き続けるが、一夏は悲しそうに笑いながら千冬を慰め続けると、こう言った。
それは一夏の姉を気遣う様な言葉だった。
――俺は大丈夫だよ、怨んでないよ、千冬姉……――と。
次回、学生寮での、青年と二人の少女のぎこちない三角関係。