あれから三十分後、此所は一夏とマイクが共同で泊まっているホテルの部屋。
部屋の出入り出来る扉が外から開き、一人の青年が部屋へと足を踏み入れる。一夏だった。
一夏は扉を閉めると、部屋の奥へと歩く。二つのベッドや、テーブルやソファーはあるがベッドには一人の青年が寝転がっていた。
一夏はベッドの方を見ると同時に、青年は身体を起き上がらす。
「一夏、久しぶりの日本はどうだった?」
彼の第一の発言はそれだった。勝手に行動しながらも一夏を気遣うような口調にも思えた。
一夏は彼に対し哀しそうに笑いながら頷く。
「ああ、悪くなかったよ、マイク――変わった所もあれば、変わってない所もあった」
「そうか……それよりもお前、何かを隠してねぇか?」
青年は――マイクは呆れた後、鋭い眼差しを一夏へと向ける。一夏はマイクの視線にたじろぐ事は無かったが、逆にソワソワし始める。
マイクから見ても明らかに挙動不審にしか思えず、不信感を抱かせるには充分だろう。しかし、マイクはそれを敢えて言わず、目を閉じる。
「まあ、良い――それよりも飯を食ったか?」
「あれ? お前、朝飯食ってないのか?」
一夏の言葉にマイクは呆れながら、言い返した。
「当たり前だ、一人で食うよりも二人で食った方が美味い――何より、お前の手料理の方が美味いがコックの料理も悪くないがな?」
マイクはそう言いながらベッドから降りると、サイドテーブルの上に置いてあるスマートフォンを手に取り、ポケットに仕舞うと、今度はナチスのマークが刻まれているリストバンドを手に取り、それを右手首に嵌めた。
しかし、それを嵌めても、マイクは自分がドイツ人である事に気付き舌打ちする。
そんなマイクに一夏は何も言わず哀しそうに笑う。
「レストランに向かうか? それに、忘れ物は無いか?」
「――無い、財布やスマートフォン、それに、
マイクはそう言った後、両手をポケットの中へと入れる。
「そうか……じゃあ、行こうぜ」
一夏はそう言うと、マイクは無言で頷き、二人は部屋から出ていった。
部屋には誰も居ないが二人が戻ってくる事はあるだろう。勿論、そこで泊まっている限り、その部屋は彼等の部屋だろう……。
一夏とマイクがレストランへと向かってる頃、ここは、とある和風の豪邸。
その豪邸のとある部屋。その部屋には箪笥やベッド、机等が置かれていた。
そんな部屋の中には一人の少女がベッドの上に座っていた。その少女は十代後半であり、水色の長い髪に紅い瞳が特徴的な少女であった。
上は白のブラウスに水色の上着、下には紺色の女性用のジーパンを穿いていた。しかし、少女の表情は何処か哀しい。
嫌な事が遇った訳ではない。少女は、ある出来事を思い出していた。それは少女にとって、忘れる事の出来ない思い出だった。
どんなに忘れたくても、彼女は忘れる事は出来なかった。否、少女自身がそれを忘れたくなかった思い出だった。
あの時の、三年前の夕日が沈み掛かる頃の公園で、少女は、ある少年と約束をしていた。
――ドイツから帰って来たら、再び自分と一緒に遊んで欲しい――。少女は少年にそう約束した。
少女は少年の為に御守りを渡し、指切り拳万までした。だが、少年は帰って来なかった……。
少年は少女の前に現れる事は無かった。否、二人を引き裂いたのは、紛れもなく、あの人の存在があったからだ。
あの人は一夏を気遣い、一夏を守る為に一夏を殺されたと言う意味で抹消した。これには代償もあった。
彼を偽りの形で殺した事は、彼を慕う者達を哀しませ、泣かした事だろう。身内、友人達――勿論、その中には少女もいた。
少女は少年が居なくなった事に哀しんだ――少女は何時の間にか、少年に想いを寄せていた。
公園で遊んでいく内にではない――少年が自分との約束を果たさぬまま帰らぬ人となった事と、死んだ彼を忘れぬ内に、彼に想いを寄せてしまった。
無論、それは今は儚い夢だろう。そんな事をしても死人が生き返る訳ではない――少女は現実を見ているが少女は少年を忘れないようにしていた。
自分はもう、刀奈ではない――楯無を襲名し、その名に恥じぬように精通しなければならない。
そう――少女は刀奈だった。あの時の少年、一夏に御守りを渡し、約束までした少女が、あの幼かった少女が美しく成長したのだ。
誰もが見惚れるぐらいであり、一夏も惚れるだろう。しかし、彼はそう言う所は疎く、彼女の気持ち等解らないだろう。
否、二人が再会すれば変わるのかも知れない。あの時の約束を、二人は忘れていないからだ。
「一夏君……貴方は死んだの? それとも、ううん……死んでる人の事を馬鹿にしたら罰が当たるわね」
刀奈は不意に呟くと、哀しそうに笑う。そして、刀奈は楯無当主として、楯無の名を襲名した者として恥じぬよう、頑張らなければならないと心に決めた。
「さて、久しぶりの休日を堪能しょうかしらね……」
刀奈は立ち上がると部屋を出た。そして、部屋には誰も居なくなり、寂しい、虚しい、その言葉に相応しいようにガランとしていた。
「美味いな――流石、見た目が綺麗だけじゃなく、味も良い」
その頃、一夏とマイクはレストランで朝食を摂っていた。レストランには二人の他にも、朝食を摂る為に他にも何人かは居た。
因みに一夏は鯖味噌を主菜とした鯖味噌定食、マイクはベーコンエッグにトースト、コンソメスープ、サラダと言った朝食である。
一夏は和食、マイクは洋食――どう見ても、各々食している者が自分の国では当たり前のようにも思えた。
「まあ、良いだろ? 此所のコックさんの腕が良い証拠だ」
「まあな……流石は高級ホテルだけであって、腕は悪くない」
マイクはそう言いながら手に持ってるフォークを使って、サラダのレタスを食べる。
そんなマイクを一夏は苦笑いしながら味噌汁を啜る。
「それにしても……変わらない朝だな」
マイクは、ふと、窓の方を見る。窓の外には朝日が既に昇っていた。
「ああ、お前の居たドイツもこんな感じだったんだろ?」
「まあな、だがそれも変わらない……朝も、昼も、夕方も、夜も……永遠の繰り返しだよ」
「それもそうだな、だが雨や雪や台風もあるだろ?」
「それは有るかどうかも誰にも判らない……判るとすれば、否、無いな」
マイクはトーストをかじる。そこから、会話は無くなった。どちらも咀嚼していた。食べながら何かを話すのは御法度なのだろう。
「それよりも、これからどうする?」
マイクは一夏に訊ねると、一夏は首を左右に振る。
「判らない、でも観光ぐらいは出来る――お前は日本に来るのは初めてだろ?」
「まあな、日本はドイツと違ってお茶や納豆、林檎や蕎麦等の日本食が盛んだろ?」
「ああ、でもお前のドイツではソーセージやビールも有名だろ?」
「それだけか? それじゃドイツ人は皆太っていると言いたいのか?」
マイクは呆れながら訊き返すと、一夏は「別に」と答えた。どちらも各々の国の良い所がある事を話していた。
日本には日本の、ドイツにはドイツの良い所がある。それに二人は生まれ育った国は違えども、二人の間には固い絆があった。
何故なら、二人は互いに迫害され、それを誰も責めようとはしなかった。
一夏は姉の附属品として迫害されながらも、マイクはドイツ人である理由で、ナチスの者達を嫌うユダヤ人に迫害され続けていた。
しかし、彼等はそれを言い返せなかった。彼等はある人達との約束を果たす為に、それをしょうとはしなかった。
一夏は迫害されながらも、自分には自分を心配してくれる者達や、あの少女との約束を果たす為に。
マイクは、ある人からユダヤ人を恨んでは、迫害してはいけないと教えられた――ドイツ人にはユダヤ人を迫害しない人もいるのを、忘れてはならない、と。
二人は互いの心に決めた決意を忘れては居なかったが、二人は迫害された者同士、気が合い、互いの背中を預け合う事も出来る相棒となった。
最初は反発したがいざと言う時は、互いの良い所を吐き出す事も出来た。
そして、二人は朝食を終えた。が、マイクがふと、ある事を言った。
「一夏、観光に行こうぜ」
マイクが言うと、一夏は少し嬉しそうに「ああ」と答え、二人は立ち上がると、会計を済ませる為にレジへと向かう。
そして、テーブルには二人が食べた後の食器だけが残っていた。