『貴様らドイツ人はユダヤ人を迫害し続けてやがった!!』
『お前はナチスの血を残している!! ナチスは俺達ユダヤ人を虐殺した!!』
『お前なんか、俺達ユダヤ人の敵ダァァァッ!!』
あれから三年後の三月の某日。ここは東京にある高級ホテルの一室。
その部屋にはホテルだけあって、フカフカの高級ベッドが設けられ、テーブルやテレビが置かれているのと、浴室も備えられていた。
しかし、その部屋は個人ではなく二人用の部屋であり、カーテンが閉められているのか薄暗い。
二人用である事を意味するようにベッドは二つあり、間にはサイドテーブルが置かれていた。
そんな二つのベッドの内、片方のベッドには、身体を布団で覆い隠すように寝ている者がいた。
刹那、そのベッドから唸り声が聞こえた――同時に、その主はゆっくりと瞼を開ける。その主は外人なのか蒼い瞳をしていた。
その瞳は透き通る程美しく、髪は金髪であるがとても綺麗であった。が、その主は哀しそうに起き上がる。
布団はずり落ちるがお構い無しだった。それだけでなく、彼はシャツを着ていた。
彼は十代後半の青年であった。が、彼は手を顔に当てながら俯く。
「また、あの夢か……」
その人物は哀しそうに呟いた。彼はさっきまで夢を見ていた。それは悪夢であった――その夢は周りの者達が誰かを糾弾している。
怒り、憎しみ、哀しみ――彼等はそれらを全てぶつけている。勿論、ぶつけられているのは彼だった。
彼等が彼を責めているのは、彼がドイツ人である事に怒っている。
が、彼は自らがドイツ人である事に判りながらもそれを言い返せないでいた。
別に弱い人間ではなく、相手が多い訳でもない。彼は、自分が決めた事から逃げたくないだけだった。
しかし、さっきの悪夢は彼の心を蝕み、彼に追い討ちを掛けているようにも思えた。
証拠に、彼は汗を掻いている。彼が悪夢に苦しんでいる事を物語っていた。
「……あっ、一夏」
青年は何かに気が付いたのか向かい側にあるベッドを見る。
そこには誰も居なかった――嫌、ベッドには人がいたような形跡はあった。
ベッドの掛け布団は少し捲れており、ベッドカバーには少しシワが出来ている。誰から見ても人が使った形跡はあるが、青年は辺りを見渡す。
人の気配はない。浴室からシャワーの音も聴こえない。恐らく、一夏と言う青年は、この部屋には居ない事に青年は気付いた。
「一夏? 何処行ったんだろ……でも、此所は一夏の故国だろうな」
青年は哀しそうに笑うと、視線を自分がいるベッドと、一夏が使ったと思われるベッドの間にあるサイドテーブルへと移す。
サイドテーブルの上にはテーブルライトが置かれており、近くには二つの何かが置かれていた。
青年はテーブルライトの紐を掴み、下に軽く引いた。刹那、オレンジ色の灯りが点く。そして、灯りが点いた事により、二つの何かが判断出来た。
一つは、青年の物であろう黒いカバーが付けられているスマートフォン。もう一つは、青年の物であろうリストバンド。
リストバンドは全体が赤だが中央には白い丸があり、その中には
青年はリストバンドを見て何も言わなかった。が、青年は溜め息を吐くと、ベッドから降りる。
ズボンは穿いてた。が、青年はある事に気付く。時間だった――青年は起きた物の、今何時かまでは判らなかった。
青年は部屋の壁に掛けられている時計を見る――――朝の七時二十四分だった。
その頃、此所は東京の某所。そこは公園だった。今の時間帯は朝の七時半ぐらいなのか人は居ない……訳ではなかった。
公園には、一人の青年が居た……十代後半の青年が公園を見渡していた。
黒い髪に黒い瞳、爽やかかつ凛とした顔立ち。着ている服は長袖の白いシャツに、穿いているズボンは黒のジーパン。
誰から見てもごく普通の青年だろう。しかし、彼の瞳は哀しみが宿り、彼の表情も哀しみに満ちていた。
彼は公園を見渡していたのは、彼が久しぶりに、この場所へと来たのと、彼が今日まで忘れない過去があった。
三年前、彼は此所で、水色の髪と紅い瞳が特徴的な少女と遊んでいた。
短い間だったが青年から見れば楽しく、少女から見れば有りのままの自分を晒け出す事が出来た。
彼女と最後に逢ったのは三年前――それは良い思い出ではなく、彼女との約束を破った意味にも等しい。
青年は彼女に謝りたいのか目を閉じる。彼女との思い出が脳裏に過る。たがそれも記憶にしかなく今の彼には無意味だろう。
刹那、彼は目を開けると、ポケットに手を入れ、ある物を取り出し、それを見た。
ある物とは、水色の御守りだった――それも少し古くなっていた。
「……刀奈さん」
青年は御守りを見つめながら不意に呟いた。この御守りは、刀奈と言う少女が自分の為に作ってくれた御守りだった。
そう、彼は一夏少年――否、少年だった者だ。彼はドイツで誘拐され、殺されそうになったがとある者の助けにより難を逃れ、三年振りにこの日本へとやって来たのだ。
三年――それはとても長く、一夏と刀奈の二人を逢わせない為の長い時間のようにも思えた。
だが、今は違う。彼は、一夏はやっと日本へと戻って来る事が出来た。これなら彼女に逢える事が出来る。
彼は逢いたい気持ちがありながらもそれを躊躇していた。今更、自分が逢いに行っても、彼女は哀しむだろう。
今まで何処に行ってた、今まで何をしていたのか、と。彼女は自分を罵倒するだろう。
自分は三年間も音信不通だった。否、あの人から外部との接触を避けた方が良いと言われたのだ。
あの人は自分を気遣い、自分を守る為に自ら悪役を買って出たのだ。あの人なら、偽装殺人を装うのは容易く、自分はあの人の為に身の回りの世話をして上げた。
三年間、あの人と一緒に居て――他にもあの人が保護した人と、自分と同じ境遇の青年と共に過ごしてきた。
楽しい事や、苦しい事はあったが良い思い出であった事に変わりはない。
が、今は刀奈が何をしているのかと、刀奈が何処に居るのかを気にし、心配していた。
彼女に逢えるのならばあの時の約束を果たし、あの時の約束を破った事を謝りたい。一夏はそう自分に言い聞かせ、今日まで、刀奈が自分へとくれた御守りを手放さなかった。
刀奈を哀しませた罪と、刀奈との再会を果たす為に、と。本当ならあの人の力を借りれば良かったが、一夏はそれをしなかった。
彼女は、自分の手で見つける、と。一夏は御守りを見つめ続ける中、何かの音に反応した。
音はポケットからだった。一夏はポケットに手を入れると、ポケットからある物を取り出す。
スマートフォンだった――画面には「マイク」と言う文字が映っていた。一夏は画面をタップすると耳に当てる。
「どうしたの、マイク?」
一夏はスマートフォンの向こう側にいるマイクと言う人物に訊いた。
「何処に居るんだ、一夏?」
此所はホテルの個室。そこにはさっきまで寝ていた青年がベッドに腰掛けながら、一夏が居ない事に不信感を抱き、一夏に電話していたのだった。
彼はマイク――ドイツ人の青年であり、一夏の相棒である。
『ごめんマイク、勝手に居なくなった事は謝る――でも久しぶりに、懐かしい場所に来たかったんだ』
一夏の声がスマートフォンから聴こえる。その言葉には哀しみが籠り、一夏自身の哀しみとも思えた。
一夏の言葉を訊いたマイクは呆れるどころか、気遣うように言った。
「そうか……だが置き手紙ぐらいは残して置け――そうしなければ心配するのと、勝手な行動は危険を伴う」
『ごめん……マイクはまだ寝ていたから起こすのも悪いと思ったんだ……でも俺は――取り敢えず直ぐホテルに戻るよ、三十分ぐらいでそっちに着くから、もうちょっとだけ、ホテルで待ってて』
一夏は謝罪の言葉を述べると、勝手に切った。
「おい……ったく、相棒をほったらかしかよ? 日本人は身勝手な奴が多いのか?」
マイクは一夏に呆れる。が、本当は一夏を心配していたが彼はそれを口には出さないようにしていた。
「……それよりも、俺も準備するか」
マイクはスマートフォンをサイドテーブルの上に置くと、ゆっくりと立ち上がり、近くにあるテーブルへと向かう。
テーブルの近くにはソファーもあったがソファーの上には、上着が放り投げられていた。
マイクはソファーの上にある上着を手に取り、それを羽織る。上着の色は濃い緑で背中にはナチスの象徴とも思われる、卍のマークが刻まれていた。
そしてマイクは、顔を洗う為に浴室へと足を運んだ。