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それでは今回もよろしくお願いします。
いつも通りの道を真っ直ぐに辿り、海未の家の前に到着すると、俺が来た方とは逆方向から、彼女が普段通りきびきびした歩き方で帰ってきた。予想だにしない完璧なタイミングに、ついつい駆け出してしまう。一秒でも早く、近くで顔が見たかった。
やがて、海未は俺に気づいた、のだが……。
海未は俺を見るなり、顔を真っ赤に染め、立ち止まった。あれ?想像とリアクションが違う気が……。
一瞬戸惑いが生まれかけたが、気を取り直し、とりあえず彼女へと一歩踏み出す。
しかし、両手で『待て』の合図を出された。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「?」
「まだ心の準備が……」
何の話かわからず、沈黙と首肯で先を促すと、海未は俯きがちになり、自信のなさそうな口調で喋りだした。
「コスプレの準備はしているのですが……まだ色々と準備が……」
おっと、ここで予想外の単語が出てきました。
「……落ち着け、海未」
一歩踏み込み、彼女の肩に手を置くと、ようやく目を見てくれた。
「八幡……」
普段が凛とした立ち振る舞いのせいか、こういう姿にはグッとくるものがあるが、ひとまずそこは置いておき、本題を切り出す。
「……お前に渡したいものがある」
「え?でも今日はバレンタインデーじゃ……」
「別に男から渡しても構わないらしい」
俺は海未に……一枚の紙きれを渡した。
案の定、彼女はキョトンとした表情を見せた。
「これは?」
海未はそこに書かれている言葉をゆっくりと読み上げた。
「何でも言うこと聞く券?」
「……本当は手作りで何か渡そうと思ったんだがな……悪い。上手くいかなかった……」
「それで……これを?」
「あ、ああ……」
「ふふっ……あはは!」
海未が珍しくお腹を抱えて笑い出す。
「いや、浅はかだってのはわかってるんだが……」
「違いますよ。はい、これ」
笑顔のまはま、海未がポケットから出したのは、一枚の紙きれ。
まさかと思い、確認すると……
「何でも言うこと聞きます券……か……」
「その……私も何か特別なことをしたかったのですが、上手く思いつかなくて……」
海未は、手に持っている白い紙袋を掲げる。
「それで……絵里から、こういう提案をいただいて……コスプレの衣装や水着も……」
「そっか……」
絢瀬さんが何故そんなものを所持しているのか、という疑問はこの際置いておこう。
彼女の躊躇いの理由がわかったわけだが……というか、わかった事により、情欲をかき立てられ、妄想がちらつき始めた。
「だから、その……何でも…」
「……こ、今度でいい」
「え?」
「いや、あれだ。今、何でも言うこと聞きますなんてお前に言われたら、絶対におかしくなっちまうからな……だから、使うのはまた今度にしとく」
少し早口でまくしたて、海未の口を塞いだ。
また意気地なしと言われる覚悟をしたが、海未黙って柔らかく微笑んだ。
「そうですか……じゃあ、私も……」
海未は何でも券をポケットにしまう。
「お前は使ってくれていいんだが……」
「ふふっ、最高の機会が訪れたらそうさせていただきます。それより今は……」
そして、上目遣いに甘える素振りを見せてきた。それだけで、彼女の欲しがっているものがわかった。
「八幡、ちょっとだけいいですか?」
「ああ……」
練習後にシャワーを浴びたのだろうか、甘い香りを撒き散らしながら、海未は俺の胸にこつんと額を当て、優しく抱きついてきた。二月の冷たい風が通り過ぎていく度に、その優しい体温が強調され、つい引き寄せてしまう。さっきまでの緊張やら何やらが、全て忘れられるようだ。
「ん……温かいですね」
「……ああ」
「ずっと……こうして……」
「あら、海未?」
「「!」」
聞き覚えのある声に、慌てて体を離す。甘ったるい空気の余韻に浸る間もなく、俺は意味もなく、袖の確認なんかしてしまった。
そして、海未は俺よりはるかに慌てていた。
「お、お、お母さん!どうしたのですか!?」
「どうしたって、ただ帰ってきただけよ」
「あ……おかえりなさい……うぅ……」
「ふふっ、お邪魔だったかしら?」
「いえ、そんな事は……」
美空さんがこちらを向いたので、俺ははっとして頭を下げる。
「八幡君もいらっしゃい」
「……どうも」
「ほら、お父さんも電柱の陰に隠れて泣かないの」
「「え?」」
美空さんの言葉に従い、電柱の陰から大柄な男性が出て来る。
それと同時に、鋭い双眸が俺を見据えた。ぶっちゃけかなり恐い。だが、よく見れば目の端に涙の跡がある。
「……よろしく。比企谷八幡君。うちの娘が世話になっているようだね」
これが俺と海未の父親の初顔合わせとなった。
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