最近、時打の様子がおかしい。
「・・・・」
翔鶴は、ふと、胸中にそんな事を思い浮かべた。
最近、考え事が多くなっており、声を掛けても気付かない事が多くなったり、あまり他人に関わらない様に執務室に引き籠る様になったと来た。
明らかに何かあった。
もしかしたら、睦月に何かあったのだろうか?
否、それはもうとっくに確認済み。
どうやら、無事回復に向かっているようだ。
ならばなんだろうか?
「ほんと、どうしてしまったのでしょう・・・」
「ああ、本当にな」
「はい・・・・ってきゃあ!?」
突然横から声が聞こえ、飛び上がる翔鶴。
そこには、この鎮守府に居候している響夜だった。
「響夜さん・・・・」
「おっす翔鶴」
軽く会釈する響夜。
「しっかし、本当にどうしちまったんだ、時打・・・」
「仕事はちゃんとやっているみたいですけど・・・・部屋からもあまり出てきてませんし・・・・」
「らしいな。瑞鶴から聞いたよ」
「そうですか・・・・最近、瑞鶴どうですか?なんだか、最近嬉しそうでして」
「そうなのか?まあ最近、俺と一緒にいる事が多くなったかね」
口角を僅かに上げる響夜。
「・・・・春ですねぇ・・・・」
ふと、口からこぼれた翔鶴。
「それ、お前にも言える事だぞ」
それが聞こえていたらしく、そう返す響夜。
「え?」
それに首を傾げる翔鶴。
「なんでもねーよ」
ニシシと笑う響夜。
翔鶴にはその意図は分からない。
ふと、進行方向の十字路から、叢雲がやってくる。
何かを探しているような素振りを見せ、二人に気付くと、そちらに駆け寄ってくる。
「響夜、翔鶴さん。吹雪見ませんでしたか?」
「吹雪だぁ?見てないが」
「私も、見てませんね」
「おかしいわね・・・いつもなら電たちと一緒にし合ってると思ったんだけど・・・・」
う~ん、と唸る叢雲。
「ま、もしかしたら、街に出て言ってるのかもね。ちょっと行ってくるわ。司令官に言っておいて」
「分かったわ。気を付けてね」
そう言うと、叢雲はさっさと走って行ってしまった。
「そんじゃ、ちょいと時打の所に行くか」
「はい」
古ぼけたスケッチブックを棚から引き抜き、中を見る。
どれも、一人の女性をえがいたものだ。
まあ、時々、元気の良い、ぼろぼろの服を着た中年の男たちや女や子供、老人まで描かれている。
だが、やはり、一人の女性の絵が多い。
白い道着に藍色のスカートの様な袴。髪の色は黒で、サイドポニーテールと呼ばれる、頭の横で髪を結った髪型をしている。
その表情は、大人びており、毅然とした美しさを兼ね備えた女性だ。
その左手の薬指には、銀色に輝く、指輪が――――
しかしそれは、時打の記憶の中にある女性の姿だ。
この絵は、鉛筆のみで描かれており、モノクロだった。
しかし、その美しさは見事に再現されていた。
色あせる事も無く、そこに生きているかのように。
ふと、時打は、自分の来ているシャツの下にある、ネックレスのチェーンに通した指輪を取り出した。
所々傷付いており、いつかの輝きは失われているも、時打は、それをみすぼらしいとは思わなかった。
これには、これを贈った者の想いと、受け取った者の想いが詰まっているのだから。
しかし―――――
天井を仰ぎ見る。そして目を閉じる。
そして目を開けた訳じゃないのに、真っ赤に染まった血だまりと、幾人もの無残に地面に転がる人間
その心意は、命を失った事でもあるし、
鉄の匂いが鼻孔をくすぐる。
内臓が眼にうつも、何も思わない。
斬り飛ばされた人間の恐怖に満ちた表情を見ても、何も思わない。
今にも死にかけている人間を見ても、何も思わない。
ただただ、何も思わなかった。
『――――お前だな』
不意に誰かの声が聞こえた。
『―――お前が僕たちを殺したな』
足に、
そこには、真っ赤に染まった体の、子供や赤ん坊。
『お前だな』
『お前だな』
『お前だな』
連鎖的に聞こえてくる、声。
『お前がお母さんを殺したな』
『お前が妻を殺したな』
『お前が
『
まるで、呪詛の様に、時打の体に這いずって頭に向かって上ってくる。
『お前のせいだ』
『お前のせいだ』
『お前のせいだ』
時打は、その怨念たちを見て、
「―――くだらない」
そう、吐き捨て、
『許さない』
『許さない』
『許さない』
『飛天に災いあれ、童子に不幸をもたらせ、その凶刃が、汝に向けられよ。幸せを奪え、孤独を与えろ、一人孤独に朽ち死ね―――』
断末魔の様に、呪いの言葉を吐きながら、怨念たちは、ただの屍に戻る。
そんなものを見ても、何も思わない。
しかし、一つだけ思う所がある。
これで、良いのだと。
これが、
コンコン・・・・
「!?」
ドアを叩くノック音で現実に引き戻される時打。
慌ててスケッチブックを机の引き出しに隠し、指輪を服の下に入れる。
「提督、翔鶴です」
「ああ、入っていいぞ」
若干の冷や汗が頬を伝うが、それを意識の外へおいやり、入って来た来客を迎え入れる。
入って来たのは、翔鶴と響夜。
「どうした?」
「叢雲が外出してくるからよろしくだとよ」
「そうか、分かった」
時打は頷く。
「それだけか?」
「・・・・・あの」
時打が尋ねると、しばし考える素振りを見せた翔鶴が問いかける。
「最近、お疲れではありませんか?」
「そうか?まあ、他人からそう言われるならそうなのかもしれないが、大丈夫だ。別に
「・・・・・」
確信。
翔鶴の脳裏にその二文字が浮かんだ。
時打は果たして、寝れないと自ら言う性格だったろうか?
時打の眼の下に、隈は無い。
おそらく、夜での活動に慣れているからだろう。
だが休息は必要だ。
見た所、疲れている様子はない。
だが、どこか、
高い戦術眼を持つ、翔鶴だからこそわかる、良く分かる人間の心身の状態を見抜く能力。
「そうですか・・・・」
だが、翔鶴は
「ありがとうな、心配してくれて」
「はい」
見てしまったのだ。
確かに見えた―――――『人斬り』の眼が。
殺気こそ発していない。
だが、そこに染みている、
退室し、扉の前で立ち止まる翔鶴。
しかし、その表情は、震えていた。
「おい・・・」
「分からない・・・・」
震えた声で、そう呟く。
「提督の事が・・・・何もわからない・・・・私は・・・何も知らない・・・・私は・・・・」
その小さな声は、その場に、空虚にも消えていった。
黒河市、大通り。
そこで吹雪は、一人ぶらぶらと歩いていた。
ただ、注目を色々と浴びていた。
まずは服装。
黒のロングコートの下に、黒を基調としたセーラー服。
足には、黒のロングブーツ。
そこまでなら問題ない。
注目を浴びている理由は、腰に差す、黒鞘に納められた刀だろう。
銘は『影丸』。
かつて、飛天童子とうたわられた殺人鬼が愛用していた刀だ。
ただ、そんな事実をこの街の人間が知る由も無く、ただ、刀を持っているから危険人物なんじゃないのか、あるいは、刀の出来栄えを見て見たいと思っている、はたまた、子供を中心に刀を持っているから強そうな人だと思われているかのどれか。
ただ、吹雪はそんな視線を意識の外へ追いやり、先日首筋に走った悪寒の事について考えていた。
だが、その答えはいつまでたっても分からなかった。
ただ分かるのは、その悪寒は、影丸から発せられたものだという事だ。
「分からない・・・・」
一旦思考を切る吹雪。
瞬間、首筋に、先日のものとは比較にならない程の、まるで、巨大な主砲をいきなり向けられたかのような、そんな殺気を感じた。
「ッッッッッ!?!?!?」
直感に従い、勢い良く、左斜め前に跳び、体を反転させ、その殺気を発した者を睨み付ける。
そこには、女性が一人。
顔立ちは少女に似通っており、髪は黒髪で腰まで伸びたロングヘア。
服装は、吹雪のと酷似しており、黒いロングコートとセーラー服に似たもの。ただ違うとすれば、ネクタイの種類だろうか?
その左手には、赤鞘に納められた、柄に謎の文字が書かれている刀だ。
長さは、影丸ぐらいはあるだろうか?
そして、鮮血の様に、真っ赤な瞳。
吹雪は、この人物を知っていた。
「貴方はッ・・・・!?」
その姿を見て、驚愕する吹雪。
吹雪自身の記憶には無い。
あるとすれば、影丸の記憶の中。
吹雪が体現したのは、この女だ。
あの時に見た、
何故、その姿をこの体に体現させてしまったのか。
ただ、今目の前にいる存在は、自分に向かって殺気を放っている。
今にも、斬りかかってこの首を斬り飛ばしそうな程の、本気の殺意を。
「お前・・・・」
不意に、女性が尋ねる。
それに、吹雪は体を跳ねさせる。
そんな事をお構いなしに、女性は言う。
「・・・・何故その刀を持っている?」
次回『紅の少女』
お前と私は、同じだ。
お楽しみに!