鎮守府の正面。
そこに、海が目の前に広がるアスファルトの上で。
「――――――っつぁ!?」
吹雪が鞘に納めた影丸を、鞘から高速で引き抜き、空を斬る。
「っはぁ・・・・・はあ・・・・・ダメだ・・・」
吹雪は、そう呟き、自分の、現在後ろ足となっている左足を見る。
「どうして出来ないの・・・・」
もう一言呟き、吹雪はビュンッと影丸を薙いだ。
吹雪がやっているのは、飛天御剣流奥義『
だが、見ての通り、吹雪は、左足を踏み出せていない。
「・・・・」
抜刀するまでは良い。だが、踏み込んだ右足よりも、それ以前に、吹雪は、左足を前に出す事が出来なかった。
何故、踏み出せないのか。
それが、吹雪にとって、最大の難点だった。
天翔龍閃の発動は、要である、左足の踏み込みが必要不可欠だ。
その踏み込み無くして、奥義は放てない。
生きようとする意志を確かにある。だが、何故か踏み込む事が吹雪に出来なかった。
吹雪は、ふと、自分の右手にある影丸に視線を落とす。
―――――もしかして、『アレ』を見たから・・・・
影丸の記憶は、一言で言って、憎悪の嵐だった。
一人を斬れば、その者の復讐の為に、襲い掛かり、降りかかる火の子を払おうとして殺せば、新たな憎しみが生まれた。
時打は、その何千もの憎悪を向けられてもなお、戦い続けたのだ。
その相手が、例え、
いつしか、時打は、斬る度に振る血の雨を浴び続けた事で、だんだんと、殺戮に溺れて行った。
ただ、人の幸せを願って、自分が汚れる事をいとわず、ただ人を斬り続けた。
その所為なのだろうか?
心の奥に住み着く、一つの感情。
それは、憎悪ではなければ、
どこか、寂しげで、まるで、永遠の孤独を求めるような。そんな、灰色の感情。
白にも黒にもなり、だが、それだけの色にしかなり得ない、寂しい色の感情。
それが、吹雪の『生きる意志』を妨げているのではないのだろうか?
そもそも、あの激動の日常を生き延びてきた時打と、その人本人ではなく、刀の記憶を受け継いだだけの吹雪では、根本的に違うのでないのか?
それに、この刀は、『あの人』を斬った。
それが枷になっているのではないのか?
もし、そうなのだとしたら、吹雪は――――
「どうした?」
「!?」
突然、後ろから声をかけられ、驚いて慌てて後ろを振り向く吹雪。
「し、司令官・・・・」
「そんな所で、稽古か?」
そこには、何故か黒の武士服姿の時打がいた。
「・・・・なんでその服装なんですか?」
「いや、なんとなく」
時打の素っ気ない返しに、呆れる吹雪。
ふと、時打は、ふむ、と声を漏らした後、吹雪に近付いて、影丸を取り上げた。
「あ・・・」
吹雪が声を漏らし、驚きと心配で顔を曇らせるのを他所に、時打は、鴉羽色の刀身を持つ影丸を、物色するように角度を変えながら、眺める。
「・・・・・まだ馴染むな」
そして、そのまま正眼の構えになると、真っすぐに走り出す。
――――吹雪に向かって。
「!?」
それに驚く吹雪だったが、時すでに遅く、既に時打は技の発動に入っていた。
あらゆる角度から八撃、そして最後に
その残像が見えた時、吹雪は、脳裏に、明確に、斬り刻まれるイメージが浮かんだ。
殺される―――――ッ!!!
吹雪の心理には、それしかなかった。
故に、吹雪はその時だけ、時打の持つ誓いを忘れた。
死にたくない―――――ッ!!!
そのまま微動だもする事が出来ず、スローとなった視界、走馬燈の中、斬られる時を待った。
だが、当然の如く、時打は吹雪を斬らなかった。
「・・・・・・」
その場に立ち尽くし、呆然とする吹雪。
「・・・・ま、こんなものか」
時打はそう言い、その場で数回影丸を振るい、吹雪に歩み寄る。
吹雪は、数秒たって正気に戻り、その後に、びっしょりと冷や汗を流した。
そのままゆっくりと、怯えるように振り向いた。
「いきなり悪いな。もしかしたらお前が、天翔龍閃の習得で焦ってるんじゃないかと思ってな」
時打は、いつもの笑顔でそう言う。
そして、吹雪は、その顔を俯く事で反らす。
図星だからだ。
「天翔龍閃は、どの剣術にも必ず存在する奥義だ。それを習得するには、必ず、師匠と呼べる存在が必要だ」
「はあ・・・・」
「誰かが、教えてくれなければ、奥義なんてものはもとより、その剣術の歴史さえも知る事も出来ない。枝葉を辿って理に至る。これが剣術を習得する為の絶対条件だ。そして、飛天御剣流の理は、『世に生きる弱者を守る』。そして、『生きる意志』だ。ただ、その力の使い方を間違ってはいけない。お前も、この剣の記憶を知っているなら、な」
時打は、そう言って、吹雪の鞘に影丸を納める。
そして、時打は、吹雪に背を向け、その場で、一つ深呼吸をする。
「天翔龍閃は、超神速の抜刀術。発動の
吹雪は首を傾げる。
改良。なんのことだ?
そう、思った瞬間、時打から、止めどない剣気が発せられるのを感じた。
「左足を踏み込む事により、飛天御剣流の抜刀術にさらなる加速を加えたのが奥義『天翔龍閃』。だが、それじゃあ、まだ遅い気がするんだ。あの街で、この技はなんども破られた。だから、奥義を超えた奥義を作る事にした」
そして、時打が動き出した。
ゴゥアッッッ!!!!!!!!!!
「!?」
恐ろしい程の突風。
それと同時に聞こえた、アスファルトの破砕音。
その直後に、吸い込まれる感覚。
これが、天翔龍閃の特性の一つ、一刀目で弾いた空気による真空になった空間へ、空気が戻っていく、突風。
思わぬ不意打ちに、足の踏ん張りがきかず、抵抗する暇も無く、吸い込まれていく。
だが、次の瞬間に、誰かに支えられ、吸い込まれるのは阻止された。
思わず閉じていた目を開けると、いつの間にか振り向いていた時打の手に、自分がしがみ付いていた。
「あ・・・・」
「これが、俺が新しく編み出した、我流飛天御剣流の奥義だ」
「・・・・・」
茫然とする吹雪。
「まあ、驚くのも無理も無いか。かなり体力を持っていかれるうえに、逆刃刀でも威力を調整しなければ相手を殺してしまう『天翔龍閃』よりも、威力が高く、手加減が出来ない大技だ」
時打は、抜刀していた深鳳を鞘に納めると、海岸線の方を見る。
「良いか。天翔龍閃は、その刀では絶対に人に対して使うな。使う相手は・・・・」
「深海棲艦・・・・・」
時打の言葉に遮りつつもつなげてそういう吹雪。
「その通りだ。飛天御剣流は、その強さ故に、味方した方に、必ず勝利をもたらすと言われている。最も、それは使い方次第だがな」
「使い方・・・・次第・・・・」
吹雪は、そう呟く。
片手で、鞘に納められている、影丸の柄に触れる。
かつて、時打と共に、鮮血の雨、死の匂いに塗れた道を戦い続けてきた、鴉羽色の刀。
その名の通り、影の様に、黒い刀。
その刀に、何千ものの憎悪と悲劇を貯め込んできたこの刀は、本当なら、吹雪には耐えられないほど
一度は、三年の間に溜め込まれた、
それを、助けてくれたのが、ある一人の人物の、優しい感情だった。
まるで、聖母の慈愛の様に、暖かで、姉の様な温もりを持つ、あの感情。
それに救われた気がした。
だから、今の自分がいる気がした。
「司令官」
「ん?なんだ?」
「私、『答え』を見つけられそうです」
「お、そいつは良かった」
暖かな感情。それで、確かに、自分は意識を保つ事が出来た。
でも、だからこそ気付いてしまった。
自分は、その名の通り、全てを凍らせる、『
次回 『激突』
奪う者と守る者。
お楽しみに!