ヒトフタマルマル―――――午後十二時――――正午。
黒河鎮守府。
「ここに来るのも、久しぶりだな」
「ざっと十年ぐらいですものね」
一ノ瀬と五月雨が、そう言う。
鎮守府の門の前で、時打、電、吹雪、五月雨、一ノ瀬は、鎮守府の建物を見上げていた。
「おっし、いくぞ」
そう言い、入っていく時打と電と吹雪の三人。
だが、一ノ瀬と五月雨は、入るのを躊躇うように、その場に立ち竦んでいた。
それに気付いた吹雪は振り返り、彼らの微笑む。
「大丈夫ですよ。きっと、皆受け入れてくれます」
安心させるように、そう言う吹雪。
それで、緊張が少し抜けたのか、表情を緩める五月雨と一ノ瀬。
「そうですね」
「行こうか」
そして、彼らも、続いて歩き出す。
鎮守府に入って、まず始めに出迎えてくれたのは、長門だった。
「おかえり提督」
「おう、ただいま長門」
「長門さん、ただいまなのです」
「ただいま長門さん」
「電と吹雪もな。それと・・・・」
長門は、後ろにいる一ノ瀬と五月雨を見る。
その途端。
「すいませんでした!」
「は?」
いきなり五月雨が土下座をしてきた。
「私の所為で貴方の妹である陸奥さんを沈めてしまいました!こ、この罪は、必ず、償います!だ、だから・・・」
「ストップストップ!待て!分かった!お前の言いたい事は分かった!」
あまりにも突然の事過ぎて、若干混乱している長門。
「で、でも・・・」
「私はもう気にはしてない。あんな遺書を書かれていたら、誰だってお前を恨めなくなるよ」
「遺書・・・・?」
どうやら記憶がおぼろげな五月雨。
あの日、五月雨が自殺した日。
その部屋には、紙が一枚、床に転がっていた。
その紙には、こう書かれていた。
『やっと終われる』と。
「お前が、一人苦しんでいたのに、私たちは気付く事が出来なかった。もし、気付けていれば、お前をここまで追い詰める事なんて無かった。だから、私からも謝らせてくれ、すまない」
長門の言葉に、くしゃりと顔を崩す五月雨。
「長門さぁん・・・」
「おいおい。そこまで苦しかったのか?」
そんな五月雨に苦笑いを浮かべる長門。
一応、こちらは片付いたようだ。
「提督!」
「提督さーん!」
「お、翔鶴、瑞鶴」
今度は翔鶴と瑞鶴がやってきた。
「おかえりさない、提督」
「ああ」
「おかえり・・・って五月雨じゃない。なんで泣いてるの?」
「いろいろあったんだよ」
「ふ~ん、別に良いけど」
そんな事を時打と言い合う翔鶴と瑞鶴であったが、ふと、翔鶴は、後ろにいる人物に気付く。
「あ・・・・」
そんな声が漏れた。
「? 翔鶴姉・・・・あ」
瑞鶴も、つられるようにその人物を見て、声を漏らす。
「や、やあ、久しぶりだね、翔鶴、瑞鶴。瑞鶴は随分と変わったね・・・・」
「てい・・・とく・・・・」
気まずそうにそう言う一ノ瀬に、かすれた声でそう呟く翔鶴。
そして、翔鶴は悔しそうに顔を歪め、嗚咽を漏らし、涙を流す。
「しょ、しょうか・・・」
「ごめん・・・なさい・・・・」
翔鶴、漏れ続ける嗚咽の中で、それだけを呟いた。
「ごめんなさい・・・・皆を・・・・守れなかった・・・・沈めてしまいました・・・私がいながら・・・・・みんな・・・みんな・・・・沈んでしまいました・・・・」
そんな翔鶴に、何も言わない瑞鶴。そして時打。
「いや、良いんだ。君が悪い訳じゃない。悪いのは、秋村くんの策略に引っかかった僕が悪いんだ。決して、君が悪い訳じゃない。もちろん、瑞鶴も」
「提督・・・・」
「提督さん・・・・」
一ノ瀬は、そう言う。
その言葉に、情けない程に顔をくしゃくしゃにした翔鶴が顔をあげる。
「さ、涙を拭いて、いつもの君の笑顔を見せてくれ、翔鶴」
「ぐす・・・はい」
一ノ瀬の言葉に、翔鶴は、不器用にも笑顔を見せた。
その様子に、安堵する様に笑みを浮かべるその場にいる一同。
「さて、俺は一度執務室に戻ります。一ノ瀬さんは、鎮守府を自由に見て回って下さい。翔鶴と瑞鶴を案内につけましょう」
「分かった」
「私は五月雨と一緒にいます。長門さんは秘書艦として頑張って下さい」
「ああ、分かった」
そうして、分かれたのだった。
あらかた、挨拶もすませ、ふと一ノ瀬は、自分の最愛の人がいないのに気付く。
「あれ・・・」
そんな声を漏らし、鎮守府の庭を歩いていると、ふと、がさり、という音が聞こえた。
「ん?」
そこへ向かってみると、なんと、イヌツゲと呼ばれる垣根に最適な木の中に頭を突っ込んで足をじたばたさせている女性の姿があった。
頭隠して尻隠さず、とはこの事だ。
しかも、見覚えのある人物だった。
「・・・・ぷふ」
笑いを零してしまう一ノ瀬。
「大和、それ隠れてるつもり?」
ビクッ!とその体が跳ねた。
「だ、ダレノコトデスカー」
その人物は、まだ幼さのある声でそう返す。
「いや、無理あるから。出てきてくれないかい?」
「・・・・」
その人物、大和は、しばし沈黙してから、体をイヌツゲから出し、一ノ瀬から背中を向けてその場に座る。
「・・・・こっち向いてくれないかな?」
「・・・・」
一ノ瀬の言葉に、反応しない大和。
「大和・・・・?」
ふと、大和の様子がおかしい事に気付く一ノ瀬。
「・・・・・合わせる・・・顔が・・・・ありません・・・・」
大和は、おそらく詰まっていたであろう喉から、それだけを絞り出した。
それを聞いて、一ノ瀬は、なんだその事か、と思った。
「大和、それは僕が悪いんだ。僕が秋村くんの・・・」
「私は・・・・大和は・・・・逃げたんです・・・・」
「え?」
その言葉の意味を、理解できない一ノ瀬。
「私は・・・・仲間を見捨てて逃げた・・・・本当なら・・・守らなくちゃいけない・・・大切なもの・・・なのに・・・・私は・・・・私はぁ・・・・」
大和が、泣きながら、一人縮こまる。
「ひっぐ・・・えぐ・・・・」
「・・・」
両手で顔覆う、そんな大和を、黙って見る一ノ瀬。
だが、一ノ瀬は大和に歩み寄り、彼女を後ろから抱きしめる。
「・・・・・大和」
「やめてください・・・・私には・・・・そんな権利は・・・・」
「権利なんて関係ないよ。それに、君は、今こうして戻ってきてるじゃないか」
それで、ハッとするように嗚咽を止める大和。
「僕は、嬉しいんだよ。今、こうして君は戻ってきて、またここで戦っているじゃないか。それだけじゃない、時打くんから聞いた事だけど、今、ここにいる皆と精一杯向き合おうと頑張ってるんだよね?僕は、そんな君の一生懸命な所が好きになったんだよ。だから、僕は、君に想いを伝えたんだ。他の誰でもない、戦艦でもない、僕が好きになった、優しい大和にだよ」
「でも、私は・・・」
「確かに、敵前逃亡とかは、許されない事だ。それは同時に、仲間を見捨てる事でもあるからね。でも、君は、その事を今、自分の精一杯を持って償おうとしてる。それは、立派な事なんだよ。だから、君はそれを誇りに思っていい。僕は、そんな大和が好きなんだから」
それだけで、大和の中で、何かを塞き止めていた何かが、壊れた気がした。
その時、鎮守府で、大きな泣き声が、鳴り響いた。
「本当に良いんですか?」
「うん。今の鎮守府は、君あってのものだからね」
翌日のヒトマルマルマル――――午前十時。
鎮守府の門の前で、時打と、黒河鎮守府の面々は、一ノ瀬と五月雨の見送りしていた。
「それに、親しい相手が三人だけってのもね」
「はあ・・・・」
一ノ瀬の言葉に苦笑いを浮かべる時打。
「本当に戻ってこないのか?」
「はい。もう私は艦娘としては戦えないので」
一方で、五月雨は長門たちと話していた。
実は昨日、五月雨は黒河にいる艦娘たちに手当たり次第に全力土下座をしまくった結果、あまりにも無様で誠意が高すぎるので、逆に恐縮してしまって気が抜けてしまったのだ。
だから、彼女を咎めるものは誰もいない。
「でも大丈夫です。修行を終えたら、今度は時打さん・・・ううん、『提督』の役に立つように頑張ります。それが私の罪を償う『答え』です」
「そうか・・・・頑張れよ、五月雨」
「はい!」
「じゃあね、五月雨ちゃん」
たくさんの艦娘から、そう言われる五月雨。
「それじゃあ、大和や翔鶴、そして瑞鶴の事を頼んだよ。僕も、影で応援してるから」
「ありがとうございます。誰一人沈めたりしません」
そう言い合い、握手をする時打と一ノ瀬。
「そろそろ行きましょう。時間は有限なんですから」
ふと、護送車の運転席の窓から、運転手がその様に言ってくる。
「そろそろか」
「では、気を付けて」
「うん。あ、大和」
「はい?なんでしょう」
ふと、声をかけられた大和は首を傾げる。
「時打くんの役に立つんだよ」
「! はい!」
「もう十分役に立ってるんだが・・・・・」
一ノ瀬の言葉に、頬を赤らめながらも満面の笑顔で返す大和。そして、それに更に苦笑いを浮かべる時打。
「それじゃあ」
「また会いましょう!」
「ああ、また会おう、五月雨、一ノ瀬さん!」
「一ノ瀬さん!いつかまた!」
別れの挨拶と共に、護送車に乗る五月雨と一ノ瀬。
そして、護送車が発進し、彼らは、別れた。
横須賀、壱条邸。
そこは和式の屋敷。
かなり広いみたいだ。
そこに、五月雨は居候していた。
「前に俺が使っていた部屋だ。自由に使え」
「ええ!?大丈夫なんですか!?」
「心配するな。部屋は移った」
「あ、そうなんですか・・・・・」
浴衣姿の翔真につれられ、上に道着、下に黒の袴といった剣道着姿となっている五月雨が自室に案内されていた。
「荷物置いたらすぐに道場に来い。そこで父上が待っている」
「分かりました」
何故こうなっているのは、知っての通り、示現流の修行の為だ。
もともと身体が示現流のものになっている五月雨にとって、家元に住ませてもらうのはこの上ないほどの幸運だ。
一日中、鍛錬をここでやれるし、指導も受ける事が出来る。
こんな事は願ってもみない事だ。
そして、五月雨が道場に入ると、そこには同じように剣道着姿となっている豪真がいた。
「おうやっと来たか」
「待たせましたでしょうか?」
「まあな、久しぶりだからうずうずしているんだ」
よくみると、なんだか豪真の身体から熱気を感じる。
まだ運動をしていない筈なのになんでだろうか?
「そんな事より、五月雨、お前なんだか人に教えを受けるのに抵抗がある様に見えるな」
「・・・・・」
ふと豪真にそんな事を指摘され、何も言えなくなる五月雨。
図星だからだ。
とにかく毎日が苦しい訓練や鍛錬の日々だったからだ。
こちらの体の事を一切考えず、とにかく体に教えるように痛めつけられていったからだ。
休みも許されない、とにかく鍛え続けられたのだ。
身体を壊せば即刻入渠。終わったら
そんな事をされて、まともな精神を保てた五月雨の精神力は高いといえるだろう。
「~・・・・」
「だからまぁ・・・・」
ふと、豪真がかがんで五月雨の腹のあたりをさわる。
ここで豪真が変な気を起こしたら即刻セクハラと判断されるだろう。
だが、この豪真という男は、
カチッ
ものすごい衝撃と共に吹っ飛ばされる五月雨。
(これは・・・螺旋砲!?)
否、その改良型!
「げほ・・・ごほ・・・」
突然の事に、腹筋に力を入れられず、更には吹っ飛んだことで木の床を転がり、咳き込む五月雨。
「実力を見せつければ、嫌でも尊敬というものが産まれるというものだ」
「ッ・・・」
それで五月雨は悟る。
(この人・・・)
この男は、強いと。
「流石です、
「お、良い響きだ」
そうして、五月雨の修行が始まった。
次回 黒河大抗争編
『馬坂 葉子』
その足技、馬が如し。
お楽しみに!