マルゴサンマル――――午前五時三十分。
この黒河鎮守府の敷地にある、小さな竹林。
その中心で、時打は立っていた。
「・・・・・」
ただ、ボーッとして、つったっていた。
周りには、ただただそよ風に吹かれる竹の葉のみ。
しばらく、ただ時間が過ぎていた。
しかし、突然、目をカッと見開いたかと思うと、鋭い気合声を発する。
「オオオオォッ!!!」
瞬間、周りの竹がいきなり見えない棒で叩かれたかのようにそこからだを曲げ、悲鳴の様な音をあげる。
「ふう・・・・」
その瞬間、ぐっしょりと汗を流す時打。
そこへ近付く一つの足音。
「はいなのです」
「ああ、ありがとう電」
彼の初期艦の電だ。
電は、その手に持っていたタオルを時打に差し出す。
時打はそれを受け取り、体から溢れ出る汗を拭き取る。
「それと・・・・」
時打は、汗を拭き取りながら心配そうにこの鍛錬に付き合ってくれたもう一人の人物を見る。
「・・・大丈夫か長門?」
見ると、そこには呆然とした表情でつったっていた。
「・・・・」
「おーい、長門さーん?」
「だ、大丈夫なのです?」
先ほどの鍛錬、『剣気』を発散させるだけなのだが、剣客にとってこの気迫は日々溜め込まれるものであり、ストレスでもある。
だから、こうして時々、発散させないと、いざって時に止まらなくなってしまうのだ。
だから、週に一度、こうして発散させているのだ。
「・・・は」
ようやく、我に帰ったのか、慌てた様な行動をする。
「あ、すまない。つい呆然としてしまった・・・」
「いや、体が強張らないだけマシだよ。電はこれを最初に喰らった時は気絶したぐらいだからな」
「もー!そういう事は言わなくて良いのですー!」
ぷんすかと怒る電を他所に、逆刃刀を彼女に預け、時打は長門に近寄る。
「それじゃあ、そろそろ戻るか」
「そうだな」
「あ、待って下さいなのですー!」
先に行ってしまう二人を電が追いかけ、時打の、提督着任の初日が始まる。
「・・・・以上が、今日やる事だ」
「これぐらいなら、午前中に終わるかな」
「なら、午前にすべて終わらせると?」
「うん。それで今日の予定を組もう」
司令室で、時打と長門は今日の予定について打ち合わせをしていた。
「それと、朝食の制限時間を解禁してくれ。みんなゆっくりと食べたいだろうし」
「良いのか?」
「ああ。飯というのは時間に制限されず、好きな時に自由なペースで食べるものだ。まあ、マナーはある程度守って貰うけど」
「そうか・・・」
「という訳で、お前の口から言っておいてくれないか?俺じゃあ説得力なさそうだから」
「そうだな。分かった。私から伝えておこう」
そして、今終わったようだ。
「それじゃあ、飯でも食いに行こうか」
「そうだな」
時打は椅子から立ち上がり、そこで何か思い出したかの様にその状態で止まる。
「? どうした?」
「いや・・・・提督に対して不満を持っている奴らが多いし、それに初日でお前の砲弾斬ったから怯えてる奴もいるんじゃないかと思って・・・それで飯が不味くなってしまうんじゃ・・・気分的に・・・」
「う・・・・」
確かにそれは問題だ。
ここはブラック鎮守府。
提督に対し、怒り、憎しみ、恐れを抱く艦娘たちが多い所だ。
その中で、食堂で堂々と提督が飯を食べていては、気分を害する者が出るかもしれない。
「電は暁たちと一緒に食べるようだし・・・お前も、仲間と一緒に食べたいと思うし・・・だがここに艦娘たちとのコミュニケーションも必要だし・・・」
頭を抱え、唸り出す時打。
「・・・・優しいんだな」
「え?」
「何でもない」
そこでふと考える長門。
「・・・だったら、私が持ってこようか?」
「え?良いよ。別に時間をズラしたって何か問題がある訳じゃないし、それに、ここで食うにしても、お前他の奴らと・・・」
「同じ事を二回も繰り返すな。それに・・・一緒に食うといっても、特に話をする訳ではないからな・・・」
目をそらした長門の目に、影が差した。
そこには、何か、大切なものを失ってしまった、喪失感が感じられた。
「・・・・分かった。じゃあサンドイッチでも頼もうかな」
「分かった」
それを了承した長門は、時打に背をむけ、司令室の扉に向かう。
「あ」
ふと、思い出したかのように、立ち止まり、振り向く。
「私がいない間に、ここから出るなよ」
「ああ、お前がいない間に勝手に出る事はしないよ」
そんなことすればお前に殴られるからな、と苦笑しながら言い、長門は少し安心したように部屋を出た。
マルナナサンマル――――七時三十分、朝食の時間。
「・・・なので、以前の様に朝食の時間の制限は解かれる事になった。次からは自由な時間に朝食を取っても誰も咎める者はいないから安心してくれ」
食卓にいるであろう全ての艦娘たちにそう告げた長門は、周りの戸惑いの声を聞きながら、ここの補給艦にして、料理長の間宮の元へ向かった。
「あ、長門さん」
「おはよう間宮、すまないが、サンドイッチを作ってくれないか?」
「サンドイッチ?何故?」
戸惑いの表情を浮かべる間宮。
「提督が食べたいと言っているそうだ」
「え・・・」
そして、目が少し見開かれる。
「あの・・・好みとかは・・・」
「なんでもいいそうだ。それと、それほど怯えなくて良いぞ。今の提督は底は見えないが、それほど怖くはない。あの刀だって、半分模造刀の様な物だからな」
「え?そうなんですか?」
間宮は意外そうに目を見開く。
「まあ、とりあえず作ってくれ」
「分かりました」
うなずいた間宮はすぐに調理に取りかかった。
「長門」
「ん?」
そこへ、長門に声をかける人物が二人。
「扶桑、山城」
ここの長門以外の戦艦の扶桑と山城だ。
その表情から、心配そうな気持ちが見て取れる。
「大丈夫?酷い事とか、されてない?」
扶桑が、そう聞く。
「ああ、今の所は・・・な」
長門はそう返す。だが、その声にまだ不安の感情が感じられる。
「本当?」
「ああ」
「あの刀で脅されたりとかしなかった」
「いくらなんでも心配し過ぎだ。それこそしなかったよ。そもそも、私が秘書艦になる為の条件の項目を見せただろう?しっかりと守ってくれているよ」
「だけど・・・」
扶桑は、片手を胸に当て、俯く。その瞳は揺らいでいる。
扶桑型戦艦、一番艦の扶桑と二番艦の山城の姉妹は、その史実から語られる通り、不幸戦艦として有名だ。
その為、よく被弾し、出撃する度に入渠などで資材を根こそぎ持って行ってしまう事が多々あるのだ。
そしてそれが理由で、この鎮守府がブラックになった時の提督は解体よりも惨い、『轟沈』させようとしたのだ。
もともと不幸体質な彼女たちは、敵に囲まれたりするのは慣れっこだが、流石に『死ね』という命令を受ける事だけは予想外だったのだ。
正確には圧倒的戦力差で『戦闘を続行せよ』と言われ、彼女たちは命令に逆らえず、言われた通り戦闘を続行。
夜戦にまで持ち込まれ、燃料ぎりぎりの所で勝利。しかし、鎮守府に戻った彼女たちを待っていたのは、提督からの非難だった。
『お前たちはこの鎮守府を潰したいのか』と。
彼女たちは戦艦。その為、大量の資源を消費する為に、資源が足りなくなってしまうのだ。
だから、彼女たちは大破状態のまま放置された。
ろくに出撃も出来ず、戦力にならない彼女たちを、何故解体しないのかは、未だに不明だが、とにかく彼女たちにとって、提督というのは自分たちを非難する存在でしかないのだ。
「一応、ご飯の時間はいつでも良いと言われたけど、まだ不安なのよ」
「扶桑姉様・・・」
未だに、時打への不安を抱いている彼女たちは、秘書艦に指名され、それを受けた長門を心配しているのだ。
「心配するなお前たち。何かあれば、私が奴を殴るようにしているからな」
と、勇気付けるように扶桑の肩に手を置く長門。
「長門・・・」
「できましたよ」
そこへ、間宮がサンドイッチを皿に乗せて持って来た。
「ああ、ありがとう間宮」
「いえ。貴方の分も作ってあるので食べて下さい」
「すまないな」
潔く、皿ごとサンドイッチを受け取る長門。
「それじゃあな」
「あ・・・」
そして、長門は去って行く。
一方で、こちらは司令室。
そこで、執務机に座っている時打は今日処理しなければならない書類をかなりのハイスピードで片付けていた。
「えーっと、資材に関しての資料はこれで終わり・・・後は、この
資料を見て、苦い顔をする時打。
見て見ると、だいたいの機能を艦娘が使う事を制限されているのだ。
「たしか、工作艦に明石っていう奴いたな・・・・・お、ちょうどそいつからじゃないか・・・・て、しばらく提督いなかったんなら勝手に解禁にすればいいのに」
ふと疑問に思った。
何故ここの艦娘たちはもう既にいない提督のルールに従っているのだ?
いないのなら、そのルールに縛られる事もないのに、何故ここの艦娘たちは・・・・
不意に、扉からノック音が聞こえた。
(長門か?)
「入ってくれ」
「では・・・」
声のトーンが違う。長門ではない。
扉が開き、中入ってきたのは桜色の髪をした少女。
工作艦『明石』だ。
「お前が、明石か?」
「はい」
その表情は気を引き締めている。
緊張しているのか、警戒しているのか、定かではないが、どちらかといえば、後者だろう。
「何の用だ?」
「・・・・私の、書類は見てくれましたか?」
「書類・・・・ああ、これのことか?」
丁度目の前にある手を付けていた書類を手に取り、目線のやや下の所に持っていく。
「当然・・・・・?」
自由に使っていいぞ。と言おうとした瞬間、彼女の顔が強張るのを見た。
「・・・どうした?」
「え?」
「何を怖がる必要が・・・・と、これは無理な相談か」
時打は自虐する様に苦笑する。
「すみません・・・」
「謝る必要なんてないよ。悪いのはお前たちをぞんざいに扱った前の提督だ。気に病む必要は無い」
「しかし・・・・」
「それと、敬語は無しだ。どうもむずがゆくてしかたがない」
それを聞いた明石が慌てだす。
「そんな!?提督に対してそんな物言い・・・」
「いやいや、他の人に対して使うのはお前の勝手だけど、俺には遠慮なく使ってくれ」
「でも・・・」
言葉を詰まらせる明石。
(仕方ない、少しいじってみるか)
「うーん、せっかく工蔽の使用を解禁にしようと思ったのに、それじゃあやめようかな~」
「な!?それずる・・・」
「ならどうする?簡単な事だぞ?」
「・・・・提督はいじわるね」
口調が、タメ口に変わる。
「うん。やっぱりタメ口の方がしっくりくる」
「貴方、おかしいわよ?艦娘に敬語使わせないなんてさ」
「俺はここにいる奴らを平等に扱いたいだけだよ」
「ふ~ん・・・・・それで?敬語やめたけど、工廠の方はどうなの?」
明石は視線を鋭くして時打に問いかける。
時打は苦笑して、口を開く。
「もちろん、自由に使ってくれていい。建造は俺の許可が必要だけど、開発は自由にしてくれていいぞ」
「本当!?」
明石が驚いたように目を見開く。
「・・・・・前の提督ってどんだけ人でなしだったんだよ・・・・」
「え?」
思わず頭が痛くなってしまう時打。
「人の趣味を潰してまで戦績が欲しいのかよ・・・そんなんじゃ士気あがらないだろ・・・もっと自由にさせておけばいいのに・・・・」
「あ、あの提督?」
だんだんと殺気が強くなるのを感じた明石。
「・・・・・は!?わ、悪い。つい愚痴ってしまった・・・」
「・・・・・ぷふ」
つい、時打の慌て様に吹き出してしまう明石。
「?」
「す、すみません・・・・どうにも、く、貴方は、くく、おもしろくて・・・ぷくく・・・」
必死に笑いを押えこんでいるようだが、それでも声が漏れ出でいる。
「なんか、傷付くな・・・・」
でも、明石が笑ってくれてるならいいか、と内心で思ってしまう。
「明石」
「くく・・・・は、はい」
「いつか、工蔽を見せてくれないか?」
「え?」
時打の言葉に、眼を丸くする明石。
「ああ、いや、な・・・・妖精っているだろ?」
「ええ、色々と手伝ってくれてるわよ。艦娘の艤装とか、工蔽とか」
「多分、工蔽にいるあいつらは、きっと、提督の事恨んでるからさ。俺が無断で入ろうとすれば、追い出されるんじゃないかって」
「・・・・優しいのね、貴方」
「なんか長門にも言われた気がするなそのセリフ」
「なら、気のせいよ」
明石はふふと笑い、時打は苦笑した。
「それじゃあ、工作艦明石。この事を、他にも出入りしたい奴に報告し次第、作業を自由にやってもよし。ただし、使った資材は必ず報告する事。他の奴らの補給ができなくなるからな」
「了解よ、提督」
互いに敬礼をして、明石は退出する。
「さて、他の書類を片付けるか」
「失礼するぞ」
「ん?」
残った書類に手を付けようとしたら、扉から声が聞こえた。
「ああ、長門」
「なぜか明石が上機嫌でここから出てきたが、何かあったのか?」
「なにって、工蔽を開放しただけだが・・・・」
「それだけじゃないだろう?」
じとっと時打をにらむ長門。
「それだけじゃないって言われても、少し話しあっただけだが・・・・あ、その時笑ったなあいつ」
「え?本当か?」
長門が意外そうな表情をする。
「ああ、なんで笑ったか分からないけど」
「その様子なら、本当のようだな」
長門は笑みを少し零した。
工作艦『明石』
彼女の場合は他の艦娘と比べ、とても軽いものだ。
ただ、作りたくないものを、強引に作らされることが多々あったのだ。
それに反対する度に、叩かれたり、脅されたりと、仕方なく作るが、その時に不備があれば、その脅しを本気で実行に移される事があったのだ。
だから、彼女にとって提督というのは強引な存在なのだ。
「それで、サンドイッチは?」
「ほら」
「お、サンキュ」
長門の持っていた皿を受け取ると、それを一つ、口に放り込む。
何度か噛み、しばらく味を堪能する。
「・・・・・ん!美味い!」
「当然だろう?」
思わず、賞賛の叫びを漏らす時打。
「間宮の料理だ。まずい訳が無い」
「ああ!後で美味かったっていっておかなきゃな」
「それは私が言っておこうか?」
「いや、それは俺が直接言うよ。間宮だって、本人に言われた方が嬉しいだろ?」
と、長門の提案を拒否する時打。
それを聞いた長門の顔が少し曇る。
「確かにそうだが・・・お前、気分を害するんじゃないかって言ってなかったか?」
「時間によるよ」
「お前、案外適当だな・・・」
「よく電にも言われたよ」
苦笑する時打。
「それで、仕事はどれくらい進んだんだ?」
「結構進んだぞ。後これだけだ」
「すごいな・・・」
右にあるあと数枚の書類を指さす時打に、これには流石に賞賛の言葉を漏らす長門。
そうしている内にサンドイッチを食べ終えた時打。
「それじゃあ続けるか」
「皿、片付けておこうか?」
「いや、自分で行くよ。そうすれば手間が省ける」
「そうか・・・」
不安なのか、表情が曇ったままの長門だった。
鎮守府は、当然の如く、海岸に建てられる。
そこにある崖に、電はいた。
「・・・・海が綺麗なのです」
ふと、そう呟いた。
何故、彼女だけがここにいるのかというと、なんというか、居づらかったのだ。
駆逐艦『電』
本来なら、心優しい性格で、いつもオドオドとしてた気弱な性格でもあるのだ。
だが、彼女の場合は、剣客を目指している時打の傍で五年間も一緒に過ごしていて、その性格が変わってもおかしくない。
普段から、
その上、時打から剣術の手解きを受けて、小太刀と体術の複合戦術を扱う事が出来るのだ。
これを電は『天野流』と勝手に命名しているが、それでも、大抵の敵なら倒せる様になったのだ。
そんな、『剣』を持つ、他の『電』とは決定的に違う彼女が、果たして別の電しか知らない暁たちと、仲良くする事が出来るのか・・・
「・・・・」
同室の暁たちの事を思い出す。
「やっぱり・・・迷惑なのかなぁ・・・」
あの視線は、確実に自分を恐れている目だ。
それと同時に、何かに謝罪をするような・・・
「・・・・・
そう、呟き、電は鎮守府に向かって歩き出す。
森を歩き続け、ふと、止まる電。
そして、肩越しに後ろを見る。
「・・・・」
無言で右手を腰の後ろにある小太刀の鞘に移動させる。
周囲を警戒しながら、ゆっくりと小太刀を引き抜く。
「・・・・行きましたか」
が、途中まで引き抜いた小太刀を、チンッ、と鞘に戻し、また、歩き出す。
(ここの艦娘じゃない。なら・・・・誰?)
不穏な空気を感じ、電は鎮守府に戻った。
「・・・・・」
(は、入りづらい・・・・)
食堂の扉の前。・・・・の死角から中の様子を伺っている時打。
実は・・・まだ中に何人か艦娘たちが談笑しているのだ。
もう十時だというのに、ここで思う事があるのか、楽しく会話しているのは微笑ましい事なのだが、時打はその中に自分が入る事でそのムードを壊さないか心配なのだ。
「く・・・・時間を改めるか」
「何をしてんだ?」
「うおわ!?」
いきなり後ろから声をかけられ、驚いて振り向いた瞬間、足をからめ、思いっきり後ろに転倒。
「ぐは!?」
そのまま壁の角に後頭部を強打。
「あたた・・・」
「お、おい大丈夫か?」
その衝撃で目を回す時打。
だが、持ち前の気力ですぐに持ち直し、後ろから声をかけてきた人物を見る。
「お前は確か・・・・『天龍』か」
「あ、ああ・・・」
眼帯の高校生ぐらいの少女、軽巡洋艦『天龍』だ。
「で?こんな所で何してんだ?提督さんよ」
「いやぁ、サンドイッチの事を美味かったって間宮に言いたいんだが、ここ、まだ人いるじゃん?だから入りづらいのなんのって・・・・」
「いや、普通に堂々と入っちまえばいいんじゃ・・・」
「いやいや、今ここで楽しいムードを壊す訳にはいかない」
「・・・そんな事言ってるけどさ」
天龍が気まずそうに、片手で頭を掻きながら、もう片方の手で食堂を指さす。
「・・・そのムード、とっくに壊れてんぞ」
「え」
一気に冷や汗が噴き出て、ギギギ、とまるで錆びたブリキの様に首を回すと・・・・・その場にいる全員の視線がこちらに向いていた。
「・・・・・・・・マジで?」
「一目瞭然だろ?」
「くう、俺の『忍者の様に間宮に近付いてお礼を言う作戦』が潰れてしまった・・・・」
「その作戦名、なんか長くないか?そしてなんでそんなコソコソする必要があるんだよ?」
天龍が最もな事を言う。
軽巡洋艦『天龍』
この鎮守府では最も新参で、このブラック鎮守府の現状をそこまで理解できていない。
なので、提督に対してのイメージはなんか嫌な奴という事だけ。
しかし、自分は男らしく振舞っているみたいだが、実は素直じゃないだけで、駆逐艦の娘たちには結構人気がある。
その為、本人には自覚は無いが、彼女は駆逐艦の娘たちにとっての一つの支えの様なものなのだ。
「とりあえず言ったらどうだ?」
「あ、ああ・・・・頼むから押すなよ?」
「なんでそうなる!?」
半ば漫才化している天龍と時打の会話が終わり、時打は控えめに食堂に入っていく。
視線が痛い。
とにかく痛い。
(頼むからみんなみないでくれ。本当に痛いんだけど!)
全員が警戒や恐れといった表情で時打を見る。
中には逆恨みともいうべき感情を向けている艦娘もいる。
そんな中、時打は間宮の元に辿りつく。
「間宮」
「は、はい。なんでしょう?」
びくびくとした態度を取る間宮。なんだかこちらが怖がらせているようで気が引ける。
「あー。サンドイッチ、美味しかったよ」
「そ、そうですか・・・良かった」
間宮は安心したのか、ほっと息を吐く。
「その、ありがとう」
「え」
時打のいきなりのお礼に、目を丸くする間宮。
そして、背中で感じていた視線の気配が急激に変わった。
「提督がお礼いったよ」「聞き間違いじゃないよね?」「私たちを油断させる罠かも」「そうなの?」
「・・・・」
それを聞いた時打が先より大量の冷や汗を掻きまくっている。
「そ、それじゃあ俺はこれで!また明日も頼む!」
「あ」
そして、今すぐにこの場から離れたいという本能に従い、たったったと走り去っていく時打を茫然と見送る間宮。
食堂では未だに時打の行動で議論している艦娘たちがいる。
「・・・・・優しい人ですね・・・」
笑みを零し、間宮は、気持ちが軽くなった気がした。
「そんじゃ天龍!またな!」
「お、おう!」
すれ違い様に天龍に挨拶をし、食堂が見えなくなった所で走るのをやめ、歩いて指令室に向かう。
「はあ・・・・そこまで珍しい事なのか?」
溜息を吐いて、つきあたりの角を右に曲がろうとした時、それと同時に、向こう側からも誰かが歩いてきていた。
「わ」
「あ」
それに気付かず、二人はぶつかってしまう。
時打は体格と持ち前の足腰の強さで踏みとどまったが、向こうの人物、白髪の長髪の少女は弾かれる様に後ろに転びそうになる。
「危ねぇ!」
「あ」
それを見た時打は慌ててその少女の手を掴み、転倒するのを回避させた。
そして、しばらくその様な状態が続いたが、突然、少女の方が表情を強張らせ、わなわなと体を震わせ始めた。
その異変に気付いた時打は、少女の手を思いっきり引っ張った。
「きゃ」
短い悲鳴があがったが、時打は彼女を立たせるだけにとどめ、一歩下がった。
少女は未だに体を震わせており、恐れるように時打を見つめたまま固まっていた。
「・・・・ごめん」
「え・・・?」
時打は、そんな彼女に、謝罪した。
その行動に困惑する少女。
時打は、これ以上彼女のトラウマを呼び覚まさない為にその場から退こうとしたが、それは次に聞こえた怒号で止められる。
「翔鶴姉!」
その声が聞こえたすぐ後に、白髪の少女が出てきた通路とは反対側の通路から、もう一人、ツインテールの少女が出てきて、時打と白髪の少女、『翔鶴』との間に入って、時打を睨み付ける。
「ッ・・・」
その怒りの感情がこめられた視線に、後ろめたい気持ちになってしまう時打。
『姉』と呼んだからには、おそらく彼女は、翔鶴の妹艦である『瑞鶴』だろう。
二人とも、『五航戦』と呼ばれる『正規空母』なのである。
「あんた・・・翔鶴姉になにしたの?」
瑞鶴がそう問いかける。
「瑞鶴・・・」
「翔鶴姉は黙ってて」
翔鶴が何かを言いかけたが、瑞鶴にそれを止められる。
「・・・・・ぶつかって転ばし掛けた。すまない」
時打は、そういった。
「本当に・・・・それだけ?」
「ああ。それと・・・・・翔鶴を怖がらせて、すまなかった」
「え・・・・?」
時打の言葉に、瑞鶴の表情が、怒りから驚愕に変わる。
時打は、これ以上、この場にいるとまずいと思い、彼女たちの横をすり抜けて去っていった。
その様子を茫然と見ていた瑞鶴。
「・・・・・何なのよ、あいつ」
そう悪態吐く瑞鶴。
しかし、翔鶴は、未だに震える手を、合わせ、それを見つめるだけだった。