Re:ちょろすぎる孤独な吸血女王   作:虚子

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幼女に見栄をはるために「ほんの少し」だけスバルが頼もしくなっています。


第四話 『現れないスバル』

 ラルトレアがいるというプレッシャーもあってか、スバルは何とか人見知りを抑え込んで聞き込みに徹することにした。

 

 スバルは文字も読めなければ王国のことを何も知らないのだ。だから、スバルが覚えているという犯人の特徴を頼りに聞いて回ってみることにした。

 

 

 しばらくして日も傾きはじめたころ。

 

 

 

「盗品をさばくならスラムか貧民街って話だったけど……」

 

「場所と相手の姿かたちはわかってるんだし、あとは警察……じゃなくて衛兵とかに任せるんじゃ駄目なのか? 人海戦術が使えれば一発だぞ」

 

 

 

 二本ほど離れた通りの店主から聞いた、スラム街へ繋がる細い路地。

 夕暮れ時というのもあるが、通りを一本隔てただけの空間にも関わらず、それを踏まえてもなお雰囲気が薄暗い。

 湿った空気とすえた臭いが漂ってきていて、スバルとラルトレアは思わず顔をしかめる。

 

 

 

「空気と雰囲気と、たぶん住んでる人間の性格も悪い。人呼んだ方が確実だ」

 

「確かにそのほうが良いのだ」

 

「ダメよ」

 

 

 スバルの提案にラルトレアも十分賛成できた。だが、それを銀髪女はぴしゃりと切って捨てられる。

 その断言ぶりに目を白黒させるスバル。

 

 銀髪女は少しだけ申し訳なさそうに、

 

 

 

「ごめんなさい。でも、ダメなの。こんな小さな盗難なんかに衛兵が動いてくれるとは思えないし……そもそも、衛兵には頼れない事情があるから」

 

 

 

 きゅっと唇を結び、女は「理由は言えないけど」と媚びるようにスバルを見た。

 

 ――あまり媚びるような顔をするなよ銀髪……!

 

 

 銀髪女の視線にスバルは手を上げて応じていた。

 

 

 

「さて、それじゃどうする?」

 

 

 事情は聞かないスバル。

 今後の方針を女へと問う姿勢に、ラルトレアは苛立ちを隠せない。

 

 

 

「優しいのだなスバルは」

 

「ん? 何のことだラルたん」

 

「いや何でもない」

 

 

 スバルは優しい――誰に対しても。それは女だからだろうか。

 女なら誰にでも優しくするのか。

 ちょっと可愛い女なら誰でも――!

 

 

 

 理由を追及しないのと、女への協力を打ち切るかどうかは別の話だ、などと考えているのだろうスバルは。

 その優しさを向けられた銀髪の女は、てっきり協力してくれないとでも思っていたのか、スバルの提案に小さく眉を上げて驚いている。その肩の上で猫が軽くステップを踏み、

 

 

「ね? 言ったでしょ。悪気はまったくないんだって」

 

 

 相変わらずとぼけた様子で、ひどく楽しげに肉球でスバルを指していた。

 しかし、それから猫はふいにその表情を真剣なものに引き締め、

 

 

 

「でも、判断は慎重にね。――そろそろ夜になるから、ボクは手を貸せなくなる。暴漢ぐらいが相手なら心配はしないけど……慎重さも必要だよ」

 

「そう、よね。……うん、考える。考えるけど」

 

 

 

 毛玉の提案に少女の答えは煮え切らない。

 

 

 

「今の話だと、なに? お前って夜だと出てこれないの?」

 

「出てこれないっていうか、ボクはこんな可愛い見た目だけど精霊だからね。常に顕現してるだけでもけっこうマナを消費しちゃうんだよ。だから夜は完全に依り代に戻って、マナを蓄えるのに集中するんだ。まあ、平均的には九時から五時が理想かな」

 

「九時五時とか公務員みてぇだな……精霊の雇用形態も案外シビア……!」

 

 

「コウムインとは何だ? スバル」

 

「ラルたんは知的好奇心にあふれてんな。公務員ってのはあれだ、国の役人っていうか国が運営してる機関の従業員みたいなもんか? ちょっと難しかったか」

 

「国の機関か。ふーむ、我の知っておる国の機関の奴らは四六時中働いてる頭のおかしい奴らだったぞ」

 

「こえええ!! 異世界の公僕さんやばすぎ!!!」

 

「なにしろ命を懸けておったからな」

 

「ボクもできることならずっとリアについていてあげたいんだけどね」

 

 

 

 ラルトレアの頭にあるのは聖騎士団たちだ。国に忠誠を誓い命さえ捧げた狂人たちの集まりだった。

 

 異端の極致である吸血鬼のラルトレアを死にもの狂いで殺しにかかってきた。あのイカレっぷりは人間を辞めている。

 

 

 

「そういえば、まだ名前も聞いてないね。自己紹介とかしてないんじゃないかな」

 

「そういや、そうだな。んじゃ、俺の方から」

 

 

 

 こほんとスバルは咳払いして、その場で一回転、指を天に向けてポーズを決める。

 

 

「俺の名前はナツキ・スバル! 右も左もわからない上に天衣無縫の無一文! ヨロシク!」

 

「我はラルトレアだ。スバルと似たような状況にある」

 

「それだけ聞くと二人とも絶体絶命だよね。うん、そしてボクはパック。よろしく」

 

 

 

 スバルが差し出した手に、毛玉――パックが体ごと飛び込んできてダイナミック握手。まるでスバルがパックを握り潰しているように見える。

 

 それからスバルの視線は傍らの銀髪女へ。女はひとりと一匹のやり取りを白けた目で見ながら、

 

 

 

「なんでそこまで不必要に馴れ馴れしい態度なの?」

 

 

「焦ってるのと責任感があんだよ! こちとら養わなければならん幼女がいるんだ! クソ、絶対逃がさないぜ、この出会い……生きるために依存してやる……っ」

 

「スバル……今のは格好いいのか悪いのか分からんぞ……」

 

「ラルたん?! くそっ、必死すぎるのもいけないというのか! 神よ俺はどうすれば!?」

 

 

「すごーくしょうもない決意。……そもそも、今、あなたがどういう名目で私たちと同行してるのか自分で覚えてる?」

 

「もちろん。探し物転じて探し人のためだな。そしてその尋ね人の特徴を知っているのは俺ただひとり! お払い箱にされてたまるか、絶対に口を割らないぜ!」

 

 

「聞き込み中に大声でしゃべるから特徴は割れてるけどね」

 

「俺のお馬鹿さんめっ!!」

 

 

 頭を抱えてその場にかがみこむスバル。

 そんなスバルを見ながらパックが苦笑して、

 

 

「ま、お互いに事情はあるよね、事情は。スバルとラルトレア――の方の事情はあとで聞くとして、こっちの話を先に片付けちゃおう。それにしても、スバルって珍しい名前だ。いい響きだね」

 

「そうね。ラルトレアの方は北方の出身っぽいけど、スバルの方はこのあたりだとまず聞かない名前。そういえば髪と瞳の色も、服装もずいぶんと珍しいけど……どこから?」

 

「テンプレ的な答えだと、たぶん、東のちっさい国からだな!」

 

 

「ルグニカは大陸図で見て一番東の国だから……この国より東なんてないけど」

 

「嘘、マジで!? ここが東の果て!? じゃあ、憧れのジパング!?」

 

「自分のいる場所もわかってなくて、無一文で小さな女の子を連れてる。……なんか色んな角度からこの人の将来が心配になってきた」

 

「スバルはまあいいとして、ラルトレアの方はどうなんだい?」

 

 

 

 慌てふためくスバルに対して、銀髪女はそわそわ落ち着かない目をし始める。

 世話焼きっぽさが端々からにじみ出る銀髪女。

 イライラがまた一つ、つい女のことを恨みがましくにらんでしまう。

 

 それを見られたのか、パックがラルトレアに話を振ってきた。

 

 

 

「我か? 我も分からん。たぶん西の方の出身だとは思うが。なにせ地図なんて見たことないからな」

 

 

 

 ――そもそもここは異世界だ。我の知っている世界とは違うだろう。いやそれとも、我が世界を知らぬだけということもあるのか。

 

 だがラルトレアの世界は、この世界とは違う。空気、人、種族その他もろもろがすべて違っている気がするのだ。

 

 

 

「二人も困ったもんだね」

 

 

 と、パックはその頬のヒゲを肉球で弾き、

 

 

「とりあえず、そのあたりはおいおい詰めよう。今はとにかく奥へ……といっても、ボクが顕現できるのはあと一時間もない。決断を求めるよ」

 

「――行くわよ。どの道、今を逃す気なんてない。手の届かないところへ持っていかれてからじゃ遅いんだから」

 

 

 パックの求めにそう応じて、それから銀髪女はスバルに向き直る。

 

 

「じゃあ、行くけど……この先の路地からは今まで以上に警戒して。暗くなるからよからぬことを考える連中もいるだろうし、もともと荒事慣れしてる人たちが住んでるところだから。恐いようならここで待ってるか、さっきまでと一緒で私の後ろについてきて」

 

「ここで待ってるとか言い出したら俺どんだけチキンだよ! 行くよ! 背後霊のように!」

 

「前に出る選択肢はないのね……その方がこっちも余計な気をつかわなくていいけど」

 

 

 銀髪女のため息。

 そのため息が、ラルトレアの口を開かせた。

 

 

 

「我が前に出よう。精霊使いは後ろで引っ込んでいるがいい」

 

「ちょっラルたん?! 幼女に前を歩かれるとか俺の情けなさゲージががんがん上昇しちゃってるんですが?!」

 

「そうだねラルトレアの方が頼りになるよたぶん。リアも彼女の後ろについていたほうがいい」

 

「そうなのパック? あんまりそうは見えないけれど」

 

「スバルが前を歩くよりは早く進むしマシだからね」

 

「うーん、すっごーく不安だけどパックがそう言うなら……。確かにスバルよりは良いかも。スバル、後ろを歩いて」

 

「……あ、はい……」

 

 

 ということで。

 ラルトレア、銀髪女、スバルという何とも男のプライドをズタズタにされる並びになってしまう。

 

 スバルはこっそりと最後尾で顔を両手覆って流れ出す情けなさをこらえていた。

 

 

「……やべぇ。俺、超かっこ悪ぃ……」

 

 

 

 そのつぶやきに、ラルトレアは申し訳なく思っていた。

 銀髪女に意地を張ったせいで、スバルに一番恥をかかせる形になってしまったかもしれない。

 ちゃんと前も見ながら、チラチラと背後を盗み見しながら聞き耳を立て居ると、

 

 

「おんぶにだっこはかっちょ悪い。せめて、後ろ歩くぐらい自分でやれよ、俺」

 

 

 顔を両手で叩いて気合を入れているようだった。

 そんな小さな勇気にも、ラルトレアはすこしときめてしまう。

 

 

「そういえば、なんだけどさ」

 

 

 スバルの声にふりかえる。銀髪女は流し目をむけて、その白い横顔にスバルは問いを投げていた。

 

 

「けっきょく、飼い猫の名前は聞いたけど、君の名前は聞いてないなと思ったり」

 

 

 その問いかけに、女はしばし沈黙。

 ラルトレアの位置からでは銀髪女の表情はよく見えない。

 

 

 

「――サテラ」

 

「お?」

 

 銀髪女の呟きに、葛藤にまみれていたスバルは驚く。

 女は振り返ることもなく、そんなスバルに無感情にもう一度だけ、

 

 

「サテラとでも呼ぶといいわ」

 

 

 名乗っておきながら、そうと呼ぶのを拒絶するような態度だった。

 その拒絶するような態度に、スバルも押し黙る。

 

 そんな二人のやり取りの背景で、銀髪に埋もれるパックがふと一言、

 

 

「――趣味が悪いよ」

 

 

 

 とだけ呟いたのは、スバルはおろか女にすら届かなかったが、ラルトレアにだけは聞こえていた。

 

 

 

 

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

 

 

 

 貧民街に入り、スバルは活躍を見せていた。幼女の期待の眼差しとプレッシャーに押しつぶされそうな、幸運がスバルを救っていた。

 焦りと見栄を張っていた疲れがほどよく癒されていく。

 

 

「なぜか不自然なほど周囲が優しい。どうしたことだ……」

 

「たぶん、って頭につける推測の話になるけど……」

 

「聞こう! このモテ期に魔法的根拠があるなら聞いてみたい」

 

「期待と違う答えだと思うけど、たぶん身なりが原因ね。薄汚れてて血の跡も残ってるし、ここの人たちも苦労してそうだから、見るに見かねてじゃないかしら」

 

「我も貧しき者は嫌いではないぞ」

 

「なんだこの生暖かい眼差しは?! くそっ、疑問が氷解して納得いきましたよチキショウ!」

 

 

 富める者がいれば貧しき者がいる。

 逆に、貧しき者がいるから富める者がいるのだ。

 ラルトレアは自分が王であり、強者でいられるのは、貧しく弱き者のおかげということを知っていた。だから好感も持てる。

 

 スバルに好意的にするのは、彼らは強い心を持ち、仲間意識があるからだろう。

 ラルトレアはスバルを決して弱いとは思わないが、優しくしてやりたいという気持ちはわかるのだ。

 

 

 ある老婆はスバルに「これでも食べて強く生きなよ」と小さなドライフルーツみたいなのを差し出していた。スバルが試しに口に含むと、悶絶していた。

 ――毒ではあるまいな?

 

 毒だったなら老婆を吸血し殺してから、その血で蘇生させるだけだ。ラルトレアに焦りはない。

 

 

「ふおおおお! 思いやりかと思ったら毒だった! 毒だった! なんか全身が燃えるように熱い! ヤバい! 死ぬかもしんない! あるいは脱いで社会的に死ぬかもしんない!」

 

「なんか貰ってると思ったらボッコの実ね、これ。食べると体の中のマナを刺激して、傷の治りとか早めるの。効果は個人差あって、だいたいは気休めなんだけど……」

 

 

 発熱と発汗で呼吸の荒いスバル。

 銀髪女――サテラは「ううん」と唇に指を当てた。

 

 

「見た感じだと、スバルってかなりマナの循環性が高いみたい。過剰摂取すると死ぬかも」

 

 

「食べる前に言ってほしかったかなぁなんて! どうすりゃいい!?」

 

「落ち着けスバル、我が何とかしよう」

 

 

 ラルトレアはこの世界には詳しくない。

 ボッコの実がどんなものかなんてさっぱり分からない。

 もしかしたらサテラに任せた方がいいのかもしれないが、それでもラルトレアはスバルを癒してやりたかった。

 

 なによりラルトレアはボッコの実は知らなくとも、”人間の肉体”については知りすぎているほどに詳しいのだ。

 

 

「腕を出すがいい」

 

「こう、か?」

 

 スバルが上着の袖をまくって、白い腕をむき出しにした。ちょうどラルトレアの頭くらいの位置にぶら下がっているそれを、両手で掴み――

 

 

「がぶりっ」

 

 

 噛んだ。今度は強めに。甘噛みはしてやらない。

 

 

 

「い、いててててっ!? 痛い痛いっす! ふつうに痛いっす! 歯が食い込んじゃってますよラルたん?!」

 

「これで良いだろう」

 

 

 おそらくはボッコの実で、スバルの体内は活性化されていた。

 その分の血液を吸っただけだ。

 瀉血というやつだ。吸血鬼のラルトレアが吸う分、精度は上がっている。

 

 吸いすぎず吸わなすぎずを維持した。

 

 ――ああ、美味い血だ。やはり血は良質な人間のものに限る。それに……

 

 

 スバルの血を吸っていると、体が熱くなるのだ。これは初めての経験だった。

 

 

 

「おお、おかげで体が冷めてきたぜ、サンキュー、感謝するぜマイエンジェル」

 

「我が天使とはな……くふふ」

 

「いったい何をしたの? ラルトレア。マナドレインとか魔法を使っているようには見えなかったけれど」

 

「ただの瀉血だが、マナというのが魔力であればマナドレインに近いものだな」

 

 

 魔力、という単語を出したときにスバルが妙に驚く。

 

 

「魔力?! マジで? ラルたんってやっぱり魔術師なのか?!」

 

「魔術師ではないぞ?」

 

「なんだ……ただの幼女か……」

 

 

 

 がっくりと何故かうなだれるスバルと、苦笑するサテラ。ラルトレアが首を傾げ、改めて貧民街の奥へ向かおうかと気持ちを切り替えたときのことだ。

 

 

「ごめん、ボクもう限界だ」

 

 

 サテラの肩の上のパックが彼女の首に弱々しくもたれかかる。

 その灰色の毛並みは光を帯び、今にも消えてしまいそうだった。

 

 

「なんか死にそうな消え方するんだな」

 

「けっこう無理してるからね。マナ使って実体化してるから、消えるときは霧散するよボク。――ごめん、宝珠お願い」

 

「わかった。無理させてごめんね、パック。ゆっくり休んで」

 

 

 サテラの懐から取り出されたのは、掌に乗るサイズの緑色の結晶だ。

 

 ――あれが精霊の依代ということか。

 

 ラルトレアは冷静に分析していく。

 

 

 パックは肩から腕を伝って辿り着き、小さな体で依代を抱きしめるとサテラを振り返る。

 

 

「わかってると思うけど、くれぐれも無茶はしないように。いざとなったらオドを使ってボクを現界させるんだよ」

 

「わかってます。子どもじゃないんだから、自分の領分くらい弁えてるもの」

 

「どうかな。ボクの娘はそのあたり、けっこう怪しいからね。頼んだよ、スバル、ラルトレア」

 

 

 視線を向けられたスバルは、水を向けられてドンと胸を叩き、

 

 

「オーライ、任せろ。俺のビビりセンサーに期待してなよ。危険が危ないデンジャー! と思ったら即引き返すぜ」

 

「なんか半分くらい何言ってるのかわかんないけど、お願いね。――それじゃあ、おやすみなさい。気をつけて」

 

 

 

 最後にサテラを見て、パックの姿が世界から消失する。

 その像が光の欠片となって霧散して消えていくのだ。

 そしてパックがいなくなると、サテラは掌の上のクリスタルを大切そうに撫でて、しっかりと己の懐の中に仕舞い込んだ。

 

 

「二人きりになるけど……変なことは考えないでね。魔法は使えるんだから」

 

 

 自分の胸の内を覗き込まれていたと思ったのか、サテラの警戒を帯びた発言。

 まるでスバルがサテラに欲情したかのような言いぶりに、ラルトレアは青筋を浮かび上がらせる。

 

 ――この女……! 

 

 どこまで自意識過剰なのか、とヒステリックに叫びたくなってしまう。

 

 だが、そんなラルトレアの意思には気づかず、スバルは手を掲げて首を振り、

 

 

「そんなバカな! 女の子と二人きりなんて小学生以来のシチュエーションだ。とてもじゃないけど何もできねぇよ。これまでの俺の人間力を見てなかったのか?」

 

「なんかすごーくしょうもないのにすごーく説得力がある。……いいわ、進みましょう。ただしパックの警戒がないから今まで以上に慎重に」

 

「心配するな。我に任せるがいい。サテラは下がっていいぞ」

 

「ラルトレアの威勢のよさにはすこーし安心するかも」

 

 

 少し刺々しいラルトレアの言葉に、サテラは気づかない。サテラはローブのヒモを締め直すと前に出て、

 

 

「私とラルトレアが前衛で、スバルは後ろの警戒。何かあったらすぐに私を呼んで。自分で何かしようとか思っちゃダメよ。別にあなたを傷つけたいわけじゃないけど……弱いんだし」

 

「その前置きしちゃうから憎めねぇんだよなぁ……」

 

 

  物言いたげな顔のサテラを促して、捜索を再開する。

 といっても、やることは特に変わらない。貧民街の住人を見つけては尋ね人の特徴を話し、心当たりがないか聞いて回るだけだ。

 聞き役はスバルが担当していた。

 

 

「ひょっとして、フェルトの奴かもしれないな。金髪のはしっこい小娘だろ?」

 

 

 その有力情報にぶつかったのは、聞き込みを始めてから十番目の男。スバルが「よう、兄弟、景気はどうよ?」などと声をかけた相手だった。

 フレンドリーなスバルの様子に男はいたく同情した顔で、

 

 

「もしフェルトの奴なら、盗んだもんは今頃は盗品蔵の中のはずだ。札付けてその蔵に預けて、あとでまとめて蔵主が余所の市場でさばいてくんのさ」

 

「変なシステムだな……その蔵主って奴がまとめて持ち逃げしたらどーすんの?」

 

「それをしないと信用されてるから蔵主なんだよ。ただまぁ、盗まれたもんだって言っても『はいそうですか』とは返してくれんだろうけどな。うまく交渉して買い取りな」

 

 

 盗まれた方が間抜けなんだから、と好意的ながらもそこだけは当たり前のように、貧民街のルールを押しつけて男は笑った。

 盗品蔵の場所は彼から聞き出せたので、ほどなく盗られた品と再会は叶いそうだ。

 ただし、三人そろって無一文であるが。

 

 

「買い取りって言ってもな、どうする? こっちに弱味がある以上、かなり吹っかけられるってイベント的な臭いがするけど」

 

「盗まれた物を返してもらうだけなのに、どうしてお金払わなきゃいけないのかしら……」

 

「何を言っているのだ? 盗まれる方が間抜けなのだ。盗品蔵からまた盗めばいい話だろう?」

 

「おお! えげつねえラルたん! だが案外と良いアイディアかもしれないな! 金がないのはどうしもねえんだ」

 

「ダメ。盗まれたからといって盗んだら私たちも泥棒になるわ。それだけはよくない。事情を話して頼んでみましょう」

 

「ふんっ、話が通じる相手だとは我は到底思えぬがな」

 

 

 サテラの言うことは正論に違いないが、正論で生きていけるほど世界は甘くない。

 ラルトレアの言うように、正論が通じない輩がいるのもまた事実。穏便に事を、しかも確実に済ませるには男のアドバイスに従うのが賢明だろう。とスバルは考えていた。

 とはいえ、

 

 

「その盗まれた徽章って見るからに高そうな感じなのか? 吹っかけられるにしても相場がわかんないからアレだけど」

 

「……真ん中に小さいけど、宝石が入ってるの。私もお金でどのくらいの価値になるのかはわからないけど、安くないのは確かだと思う」

 

「宝石かぁ……そら厄介だ」

 

「自分の宝物の価値も知らぬとはな」

 

 

 パックから居なくなってからというもの、ラルトレアがちょくちょくサテラに嫌味を言っていることにスバルはようやく気づいていた。

 だが、お腹でも空いて疲れているんだろうくらいにしか考えていなかった。

 ラルトレアの言っていることはもっともだしな、とスバルは考えを巡らせ、

 

 

「とりあえず、盗品蔵ってとこに行ってみてから考えよう。こっちの交渉次第じゃマシな値段で譲ってもらえるかもしれねぇし……」

 

 

 

 

 資金繰りをどうするか、スバルが考えあぐねて歩くことおよそ十分。

 ――盗品蔵、と呼ばれているらしき建物の前に着いた。思っていた以上に大きい建物だ。ラルトレアは立ち止まって外観を見て、扉に視線を移す。

 

 そこで、気づいた。

 

 

「…………」

 

「なんか思った以上にでかいな」

 

「小屋でなく蔵、と言った意味がわかるわね。……この中にあるのが全部、名前の通りに盗んだ物ばっかりなら救えないわ」

 

 

 スバルとサテラが話しているときにも、ラルトレアは会話に入らず、嗅ぎなれた匂いを判別していく。

 

 

 

「さて、噂通りなら中にたぶん盗品をまとめてる蔵主ってのがいると思うけど……こちらの立場としてはどんな感じで?」

 

「正直にいくわよ。盗まれたものがあるから、中を探して見つけたら返してって」

 

 

 ――馬鹿な女だ。勝手にそうしていろ、我とスバルを巻き込むな。

 

 

「あー、わかった。じゃあ――」

 

 

 スバルが何を言い出すかは、ラルトレアには予測できていた。

 優しいスバルのことだ、自分が行くと言うに決まっている。こんな世間知らずで、脳みそがお花畑なサテラに交渉なんて務まらない。

 そう思ってのことだろう。

 

 だから。

 

 

「ダメだ。我とサテラで行く」

 

「いやいやさすがにここまで情けないことはできねえって! ラルたん!」

 

「断じて許さない。そもそもサテラが盗まれた徽章なのだ。奪われた本人が交渉しに行くのがふつうであろう。スバルはここまでサテラを連れてきた、それで十分ではないのか?」

 

「それもそうね。私が直接話をつけにいくわ」

 

「え、いやマジで?」

 

「ええ、いくら盗まれたからといっても私の不注意だもの。ありがとうスバル」

 

「いや一人は危ないって! せめて一緒についていくから!」

 

「スバルは優しすぎるのだ。このままではこの娘はずっとこのままだぞ。一人でやらせてみるのがサテラの為ではないのか?」

 

「ぐっ……そう言われると……!」

 

「なんかすごーく馬鹿にされているような気がするけど、ラルトレアの言うとおりね。わたしでもできるってこと見せてあげるんだから」

 

 

 何とか屁理屈をこねて、ラルトレアはサテラだけで盗品蔵に行かせることにした。スバルを行かせてはならない。

 

 ――ちょっと驚かすだけだ。生意気な小娘が、スバルに媚びるから悪いのだ。

 

 ラルトレアには分かっていた。

 盗品蔵からただよう、血の香りが。濃厚な血だ。大柄な男の血と、少しばかり匂いは薄いが少女の血も混じっている。

 

 盗品蔵で殺しでもあったんだろう。

 

 

 サテラは盗品蔵の入口へと向かう。

 足取りは決して軽くないが、サテラはサテラなりに頑張ってみるつもりのようだ。

 

 不安そうなスバルは手の中――これまで一度も話題に上がらなかったビニール袋を見ていた。

 

 

「やばそうだったら行くからなラルたん。それに、実は金に換えれそうなものもあるんだ」

 

「わかったのだ」

 

 

 サテラが扉の前に立ち、とりあえず木造のそれをノックした。

 

「どなたかいますか?」

 

 サテラが取っ手に手をかけると、あっさりと扉は開いた。

 その奥には真っ暗闇が広がっており、サテラは恐る恐るといった感じで突き進んでいった。

 

 室内は何も見えないからおそらく手探り状態だろう。

 

 

「なんか誰もいなさそうだな? トイレ休憩って可能性もあるか?」

 

 

 ちょっとして扉からかすかな光が漏れ出した。それはサテラが取り出したラグマイト鉱石の光だったが、スバルはそれで少し安心したようだ。

 

 だが、サテラは戻ってこなかった。

 数十秒、数分。

 刻々と時間だけが経っていき、あたりは暗闇に包まれていく。

 

 スバルの足が小刻みに上下しているのがわかった。

 

「サテラ……戻ってこないな。やっぱり一人で行かせるべきじゃなかったんだよ! 今からでも――」

 

「ダメだ。行くなスバル」

 

「どうしてだよラルたん! サテラに何かあったかもしれないだろう!」

 

「もう遅いのだ」

 

「遅い? 遅いってどういうことだよ!」

 

「待っておれ、我が確かめにいく」

 

「今だけは絶対ダメだ! 俺が行く!」

 

「なら我はすぐ後ろをついていく。そして確かめたらすぐに逃げるのだ」

 

「逃げるって何を……いや、時間がもったいないすぐ行くぞ!!」

 

 

 強引にラルトレアの制止を振り切って、突き進んでいくスバル。

 微妙に開け放たれた扉から、暗闇に入っていった。

 

 

 スバルは、入口に立った。ぼんやりと確保された視界の中、入口をくぐったスバルの目の前にあったのは小さなカウンターだ。もともとは盗品蔵は酒場かなにかの建物だったのかもしれない。

 カウンターの上に、いくつかの小箱や壺、刀剣の類が無造作に並べられていた。

 

 

「サテラ? サテラ! どこにいるサテラ!」

 

 

 

 呼びかけには何も返ってこない。スバルの額を冷や汗が伝う。

 

 嫌な想像をしながら、スバルの足はさらに建物の奥へ。

 無意識に逸る足取り。――そんなときだ。

 

 

「ん?」

 

 

 ふいに靴裏に生じた違和感にスバルは立ち止まる。

 スニーカーと地面が張り付くような、粘着質な何かを感じたのだ。

 

 

「スバル! 逃げるのだ! サテラはもう死んでおる! 助からない!」

 

 

 ラルトレアが叫んだ。

 サテラが死んでいる、そんな簡潔な文章をスバルはうまく呑み込めない。

 振り返った。

 

 

「は……?」

 

 

 スバルは見逃していた。暗闇の壁際、ラルトレアが立つその近くに、サテラは横たわっていた。首と胴体が分かれており、その首は地面を転がってスバルを見ている。

 

 完全にスバルの腰が砕けた。逃げることも立ち去ることも、ここから一歩動き出すこともできない。振り返ったまま、背後へとゆっくりと脱力していった。

 

 だが、地面に尻もちをつくはずだったスバルの臀部が、太く肉感のある何かの上に落ちた。

 

 

「……あ?」

 

 思わず間抜けな声が出て、スバルはようやく『それ』を認識した。

 『腕』だ。

 指先が何かを求めるように開かれたそれは、不思議なことに肘から上が存在しない。その腕の付け根のあたりをたどっていくと、見つかった。

 

 ――首を大きく切り裂かれ、片腕を失った大柄な老人の死体が。

 

 

 サテラの死体を見たとき、まるで現実感がなかった。

 だが老人の死体を見たとき、血を触ったとき、腕を尻でふんだ感触が、どうしようもない現実であることを教えてくれる。

 

 このとき、スバルを支配したのは圧倒的なまでの空白だった。

 空白が『思考』の全てを奪い取っていた。

 

 逃げるか、とどまるか、といった選択肢さえない。

 そしてそれはスバルの運命に、致命的な結果をもたらした。

 

 

「――ああ、見つけてしまったのね。それじゃ仕方ない。ええ、仕方ないのよ」

 

 

 女、の声だったと思う。

 低く冷淡で、どことなく楽しげな女の声が響く。

 

 

 

「スバル!!! 後ろだ!!!!!!!」

 

「ぐあ――っ!」

 

 

 スバルに振り返る暇はなかった。

 声がした方に顔を向けようとした瞬間、スバルの体はふいの衝撃に吹き飛ばされていた。

 

 背中から壁に叩きつけられるスバル。

 

 

「ぐぅぅぅ……あ、熱ッ」

 

 

 

「あら、可愛いお嬢さん。逃げてもいいのよ? 逃げさないけどね」

 

 

 うめくスバルに、ラルトレアは駆け寄りたかった。

 しかし、ククリナイフを持った女に、今のラルトレアではどうすることもできない。

 

 スバルから吸った血の量では、吸血衝動を抑えて最低限の『血霊器具』を発動させるだけで精一杯だった。

 

 ――『吸血解放』さえ使えれば。

 

 肉体能力を5倍にも100倍にもすることができるというのに。

 

 

 

「ラル……たん……」

 

 

 スバルが最期に見たのは、自分を慕ってくれる幼女が殺人鬼に飛びかかり、その胴体を横に切り裂かれるシーンだった。

 

 首に噛みつこうとしたラルトレアは腹を切り裂かれて、地面に倒れ伏す。

 

 

 

「サ……テラ…………っていろ」

 

 

 腹を切り裂かれたラルトレアは、地面に倒れながらも、殺人鬼の注意がサテラとスバルに向かっているのが分かっていた。

 成功するかは分からない。

 

 だが、それでも――、

 

 

「死ぬがいい……」

 

 

 血霊器具、十式『暗黒沼(ダーク・スワンプ)』。

 影に潜ったラルトレアが殺人鬼の背中から顔を出し、その首元に噛みついた。

 吸血を行い全身の血を吸い取ってからスバルを蘇生させる。

 

 だが、その瞬間。

 スバルがうめいた。

  

 

「俺が、必ず――」

 

 

 ラルトレアが吸血を始めた瞬間、ナツキ・スバルは命を落とした。

 

 世界が、ぐるぐると渦を巻き、ラルトレアの視界が歪んでいく――

 

 

 

 

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

 

 

 

 

「…………は?」

 

 

 

 ラルトレアが目を開けると、そこは広場だった。

 中央には噴水があり、石畳らしき道路があり、自分はそこに突っ立ってる。

 

 

 ――自分は今、何をしていた……?

 

 

 血の匂いがする盗品蔵にサテラを行かせ、死んだサテラを確認してから、それでスバルが斬られて、我はそいつを殺そうと飛びかかって……

 

 

「罰が当たったというのか……? 我が危険と知ってサテラを行かせたのがそんなに悪いのか? 何が神だ! 何が精霊使いだ! くそめ! くそめ!」

 

 

 怒りに狂いながら、ラルトレアは石畳を踏みつけた。

 だが今ここは盗品蔵でもなければ、日も暮れていない。

 

 今は昼だ。

 

 獣人たちが闊歩している。妙な地竜と言われる生物が馬車のように動き回っている。

 

 

「スバル? スバルはどこだ?」

 

 

 時間が遡っている。そう気づくのは簡単だった。

 この世界に召還された状況に、あまりにも似すぎているのだ。

 それなら、と。

 

 噴水のでっぱり部分に腰かけて、ラルトレアはスバルを待つことにした。

 

 

 何が起点になって時間遡行が行われたかは知らない。そもそも時間遡行でない可能性もあるし、自分だけが記憶を保持していること自体おかしい。

 

 

 ――何が何やらさっぱりだ。

 

 ただ、分かっていることはある。

 こうやって座っていると、スバルが声をかけてくれるはずだ。

 時間が巻き戻っているのは間違いないのだ。

 それなら、スバルはラルトレアのもとにやってくる。

 

 

 その、はずだった。

 

 

 

「スバル? スバル……なぜ来ない? もう来ていい時間だろう? もしかして時間遡行ではない? いやそれはありえない……」

 

 

 

 刻々と時間が過ぎていく。

 

 そして時間とともに、抑えてきた『吸血衝動』がどんどん大きくなっていく。血を吸いたい、人にかぶりつきたいという欲求。

 

 

「スバル……スバル…………」

 

 

 だが、ラルトレアの祈りもむなしく、日は傾き始めた。

 スバルは来なかった。

 

 

 

「血を……血を……ハァハァハァ……もう我慢できん……!」

 

 

 

 我慢が限界を超えた。そんな興奮気味の童女に、一人の男性が心配して声をかけてきた。こういうことは幾度かあったか、全て冷たくあしらってきた。

 だが今となって、好機でしかない。

 

 

「お嬢ちゃん大丈夫かい? 両親は? 家はどこか分かる?」

 

「ハァハァハァ……うまそうだな……」

 

「え?」

 

 

 がぶりっ。

 歯を思いっきり屈んだ男の首元に突き立てて、勢い血を啜った。『血霊器具』の一式、『吸血之牙』を発動させるに十分な量を。

 

 次の瞬間、ラルトレアの犬歯が男の肩を貫いた。勢い良く伸びた牙は、一気の男の血液を吸い取った。

 

 

 ばたり、とミイラ化した男性が石畳に倒れた。

 

 

 

「ヒヒヒ、まだ足りん、まだ足りんぞ!!!!」

 

 

 

 


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