Re:ちょろすぎる孤独な吸血女王   作:虚子

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第三話 『心の闇』

 

「――あ」

 

 

 ラルトレアはぎゅっと握りしめた拳がスバルをぶん殴る感触を感じていた。

 やってしまった。

 ――この毛玉、我の必殺炸裂拳を読むとは……!

 

 

 

「す、すばる?! す、すまない。お前を殴るつもりは……あれ、しっかりしろ意識を保つのだ!」

 

 

 ラルトレアはぐったりとしたスバルを抱き起し、毛玉と女をそっちのけにしてスバルのほっぺたをベシベシ叩いて起こそうとしている。

 そんな様子を観察するように見るひとりと一匹。

 

 

 

「ふふふ、君が殴ったせいだよ? それより君、この子の知り合いかな?」

 

「パック?! 大丈夫なの? この女の子、妙な技を使ったけれど」

 

「心配いらないよリア、敵意はない。ぼくには普通の女の子に見える。けどうまく隠しているんだろうねきっと。でも今のこの子じゃぼくにもリアにもかなわないよ。だから平気さ」

 

「そう、なの。パックがそういうならいいけど……」

 

 

 数分してようやくスバルの目が覚めた。うーんうーんとうなされてから、辺りを見回してようやく現状を理解したようだった。

 

 

 

「ふむ、美少女と美幼女、モッフモフに囲まれる状況……ここはハーレムか?」

 

「打ちどころが悪かったようだね」

 

「モッフモフやでモッフモフ……なんてものを生み出したんや神よ」

 

「いやぁ、こんなに喜ばれるとボクもわざわざ巨大化した甲斐があるよ。ね?」

 

 

 

 照れた仕草で頭を掻きながら、媚びを売るように片目をつむる巨大猫。

 

 

 

「ということは、お前はさっきのミニマムサイズ猫?」

 

「ふふふ、大きさ自由で持ち運びに便利。さらにユーモアあふれるトークで退屈な日常を彩ったりしちゃう。ひとりに一匹! 生活のお共に。詳しくは精霊議会に問い合わせてみてね」

 

「ってあれ、俺なんで二回失神してんだ?」

 

 

 スバルが首を傾げていると、申し訳なさそうに股をすり合わせ、両手の人差し指をつんつんと突き合わせているラルトレアを発見した。

 

 

「その、すまない。スバルがてっきり襲われているものと思って……それで攻撃しようとしたら……」

 

「間違って俺に当たったってこと?」

 

「そうだ……」

 

「マジかよ……情けないな俺。幼女パンチで気絶しちまうなんて。いや、気にすんなラルたん。俺の方が地味に傷ついているくらいなんだ。殴られたくらいで気を失った俺の方が悪い!」

 

「スバル……」

 

 

 ラルトレアを気遣うようなスバルの優しさに、彼女の涙腺がまたもや緩くなってしまう。だがしかしここはぐっと堪えた。

 

 スバルは話を進めようと、銀髪の女へと視線を移した。

 

 

「なんか目が覚めるまでいてもらったみたいだな……」

 

「勘違いしないで。聞きたいことがあるから仕方なく残ったの。それがなかったらあなたのことなんて置き去りにしたわ。そう、してたの。だから勘違いしないこと」

 

 

 

 念を押すように何度も言う銀髪女。

 スバルもさすがにそれ以上は突っ込めないのだろう。

 だが、スバルの顔がほのかに赤いのは気のせいだろうか? まさか強い語調で美少女が迫るように言うのが気に入っているのだろうか。

 

 

「だから私があなたの体の傷に治癒魔法をかけたのも、目覚めるまでパックの腹枕を堪能させてたのも、全部が全部、自分の都合のため。だから、その分に応えてもらうわ」

 

「なんか恩着せがましい感じを演出しつつも一周回って普通の要求だな」

 

 

 

 スバルの返答に対し、少女は厳しい顔つきのままで首を横に振って、

 

 

 

「そんなことない、一方的よ。――それで、あなたは私の盗まれた徽章に心当たりがあるわね?」

 

 

 銀髪女はどことなく声をひそめて問いかけた。

 その問いの内容にスバルはまた首を傾げている。

 

 

「えーっと、あの……心当たりとか、ないかなぁなんて。ラルたんはどう?」

 

 

「いや我も無いな。というか、徽章とは何だ?」

 

「あれだろ、弁護士や検事、自衛官などが身分を証明するためにつけるバッジみたいなもん」

 

「……ベンゴシ? 違うとは思うがそれは食べ物か何か? スバル」

 

「いやまあ食べ物じゃなくて法の番人というかこれは裁判官の方か。まあいいや。とにかく、小さいアクセサリーだ」

 

「ほお、小物類か。我は集めるのは好きだが身に着けるのは嫌いだな」

 

 

 ラルトレアとスバルの会話を聞いていた銀髪女は落胆した様子もなくうなずいて、

 

 

「そう。それじゃ仕方ないわ。でも、あなたは何も知らないという情報をもらうことができたわけだから、ちゃんとケガを治した対価は貰っているわね」

 

 

 ――何も知らないという情報? この女は馬鹿なのか?

 訝しむラルトレアと、あっけにとられるスバルを置き去りに、少女は吹っ切るように大きく手を叩き、

 

 

「じゃあ、もう行くわね。悪いけど急いでるの。ケガは一通り治ってるはずだし、脅したから連中ももう関わってこないと思うけど、こんな時間に人気のない路地にひとりで入るなんて自殺志願者と一緒だから。あ、これは心配じゃなくて忠告よ。次に同じような現場に出くわしても、私があなたを助けるメリットがないから助けなんて期待されても困るから」

 

 

 早口でまくしたてる銀髪女。

 黙るスバルの沈黙を肯定と受け止めたのか、「よし」と満足そうに呟いて無防備にも背中を見せた。

 

 長い銀髪が女の仕草に合わせて揺れ動き、薄暗い路地の中ですら幻想的にきらめく。その光景にスバルが目を奪われていた。

 

 

 そのスバルの横顔を見たとき、ラルトレアが抱いたのは嫉妬だった。まぎれもなく、ラルトレアは目の前の銀髪女を妬んだ。だが吸血鬼の女王はそれを自覚していない。

 

 ラルトレアは下手くそなのだ。自分の感情に気づき向き合うということが。

 

 銀髪女の毛玉――掌サイズの猫がふよふよと、風に漂う風船のように浮遊して少女の背中へ向かう。

 

 

 

「ゴメンね。素直じゃないんだよ、うちの子。変に思わないであげて」

 

 

 毛玉は銀髪女の肩にやわらかに着地する。女の手がその感触を確かめるように猫の背を一度撫で、その姿は銀髪の中にもぐるように消えた。

 

 それをラルトレアと同じように見ていたスバルが、唐突に口を開いた。

 

 

 

「そんな生き方、メチャクチャ損するじゃねぇか」

 

 

 

 言いながら立ち上がり、スバルは砂埃で汚れたズボンを叩いている。

 体の調子を確認するように肩を回し、足腰を動かしていた。

 そしてスバルは動いた。

 その行動にラルトレアがイライラしてしまう。

 

 

「――おい、待ってくれよ!」

 

 

 路地の入口へ繋がる場所で首をめぐらす女、その背中に声をかけている。

 長い銀髪を手で撫でて、わずらわしげに女は振り返る。

 媚びるような女の仕草にまた苛立ちが募る。

 

 

 

「なに? 話ならもう終わったわ。もう私とあなたは無関係の他人です。ほんの一瞬だけ人生が交わっただけの、赤の他人」

 

「そんな心にくる言い方すんなよ!? それにそっちは終わったつもりでも、こっちは全然まだまだ丸っきし終わったなんて思ってない」

 

 

 

 冷めた視線の少女に縋るように駆け寄るスバルは、両手を広げて彼女の進路を阻み、

 

 

「大切なもんなんだろ? 俺にも手伝わせてくれ」

 

「でも、あなたは何も……」

 

「確かに、盗んだ奴の名前も素姓も性癖もわからねぇけど、少なくとも姿かたちぐらいはわかる! 八重歯が目立つ金髪のプリティーガール! 身長は君より低くて胸も小さかったし、歳も二つ三つ下だと思うけどそんな感じでリアリー!?」

 

 

 早口でテンション上がっているスバル。

 そのスバルの焦り具合も、スバルが女を追いかけるという構図もラルトレアには腹立たしい。

 

 

 

「――変な人」

 

 

 口元に手を当てて、小首を傾けた女、その声。

 女はスバルを値踏みするように見据えて、

 

 

「言っておくけど、なんのお礼もできません。こう見えて無一文なので」

 

「丸ごと持ってかれたからね」

 

「安心しろ。俺も無一文みたいなもんだ」

 

「安心できる要素が何もないね」

 

 

 

 スバルはドンと自分の胸を叩いた。

 

 

「それにお礼なんていらない。そもそも、俺が礼をしたいから手伝いたいんだ」

 

「お礼をされるようなことしてない。傷のことなら、ちゃんと代価は貰ってるから」

 

 

 あくまで頑なな姿勢を崩さない女。

 ――そのまま突っぱねてしまえばいいのだ。

 スバルがこんな面倒臭そうな女に構う必要はない。

 

 ――我でいいだろう!

 

 だが。

 

 そんな女の頑固な態度にスバルは苦笑して、「それなら」と前置きし、

 

 

 

「俺も俺のために君を手伝う。俺の目的はそう、だな。そう、善行を積むことだ!」

 

「善行?」

 

「そう、それを積むと死んだあとに天国に行ける。そこでは夢のくっちゃね自堕落ライフが俺を待っているらしい。だからそのために、俺に君を手伝わせてくれ」

 

 

 やり切った顔のスバルに女は思案顔。しかし、そんな女の頬を肩に乗る灰色猫がその肉球でつつき、

 

 

 

「邪気は感じないし、素直に受け入れておいた方がいいと思うよ? まったくの手がかりなしで探すなんて、王都の広さからしたら無謀としか言いようがないし」

 

「でも……私は」

 

「意地を張るのも可愛いと思うけど、意地を張って目標を見失うのは馬鹿馬鹿しいと思うよ。ボクはボクの娘が馬鹿な子だと思いたくないなぁ」

 

 

 女は数秒、「あうー」「ううん」「でもっ」と変に色っぽく悩んでいる様子だった。

 

 ――憎い。

 

 スバルに言い寄られて助けると提案されて、その挙句に、

 

 

 

「――本当に、なんのお礼もできないからね」

 

 

 

 そうスバルの提案を受け入れた。

 

 ――羨ましい憎い羨ましい憎い憎い憎い。

 

 そんな複雑な感情を前に、ラルトレアは顔をうつむかせた。前を見ることができずに、下ばかり見てしまう。

 長い前髪が彼女の表情を隠す。

 

 

 

「よかった。なぁ、よかったらラルたんも手伝ってくんね? この子のお世話になったしさ。一日一善、良いことすると気持ちいいいぜ!」

 

「……スバル……。そ、そうだな。わたしも手伝う、か……」

 

「おうその意気だぜ! じゃあさっそく最初はどうっすかな――」

 

 

 テンパっていたスバルはこのとき気づけていなかった。

 ラルトレアの心に闇が差したのを。

 

 


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