にくき太陽の光が自分のほっぺたをヒリヒリと焼いている感覚のせいで、ラルトレアは目を覚ました。
「んぅー……」
寝ていたというより、精神的な疲れのせいで意識を手放してしまっていた。度重なる六十式以降の血霊器具使用による副作用みたいなものだった。
こればかりは仕方のないこと、と割り切って、ラルトレアは大きく伸びをしながら起き上がる。乱れたベッドシーツにぽつりと女の子座りして、昨夜の記憶を思い起こす。
「我は一体何を………………あ、逃げられたのだ」
離すまいとがんじがらめにして添い寝してやろうと思っていたのに、自分の方が気を失ってしまうとは。
まぁよいか、と気を取り直してラルトレアは窓辺へと向かった。
そこに置いてあるグラスに、少しぬるくなっている血をボトルから注いでやる。
「平和なのだ……」
しかし望んだ平和ではない。
ラルトレアが望んだ平和通りなら、今このロズワール邸にはいない。スバルと二人きりで、誰にも邪魔されずにゆっくりと、のんびりとしていたかった。
誰も住まなくなった城でも乗っ取って、ずっとずっとスバルと二人きり。
だが、それは断られた。
スバルはエミリアのそばにいたいらしい。
力づくで奪おうとしても拒絶され、エミリアを取り込んでしまえばパックの仕返しにあう。
影の中にひきこもって、いくら考えてもどうすればいいか分からなくなる。
せめてスバルの命を守ろうとして力を使っている間に、血霊器具のせいで精神が摩耗していった。
こんなに連続して力を使ったのは聖騎士団との争い以来だった。
そこまで自分がスバルを思い続けているのに、出てきた答えは「エミリアが好きだ。ラルトレアも受け入れる」だ。
「我が……我を…………」
自分の気持ちをこんな簡単に弄ぶ男がいるとは。
スバルという男を考える。
あの男はこの世界に来て初めて声をかけてきた人間の雄だ。特別頭が良いというわけでもなく、腕っぷしが強いわけでもない。
異世界の知識を持っており、そこには興味がわくが、それで好きになるほどラルトレアは酔狂ではない。
なら何か。
タイミングだ。
ラルトレアが弱っているときに、こんなやつが居たらな、と考えている通りのやつがやってきたのだ。口がよく回って、お調子者で、言わせてもいないのに可愛い美しいと褒めてくる男だ。
それが完璧のタイミングで、完璧の仕草でやってきた。それがスバルだった。
出会ったとき、ラルトレアは珍しく時の運というものを信じ始めたほどだったのだ。
そして、今もなおここまで一緒になってついてきてしまえば、ラルトレアはもう引き返すことはできない。
ここでスバルを失えば、ラルトレアはこの世界で生きる気力を失う。
それだけが嫌だ。それだけは避けたい。
――だから、こうやってスバルの甘言に騙されているフリをしている。
今のスバルに、エミリアと自分をどちらとも囲うと言われても、ラルトレアはうんと頷けない。でもそうしないと、スバルの猜疑心は解けない。
あれだけ暴れまわってしまったのだ。
覚えていないとスバルには言ったが、ほとんど覚えている。
青い髪のメイドを殺し、その片割れもロズワールも殺し、スバルを力で支配しようとした。
そのあとエミリアを取り込んだり、またもやメイドやあの金髪のちっこい女を殺そうとした。
ラルトレアにとって、スバルが大事にするロズワール邸の奴らと近くの村落の住人たちの命は――等しく価値がない。
ラルトレアにとっては、スバルがいればそれだけでいい。
他のモノなんてどうでもいい。今まで欲しいものは力づくで奪ってきて、手にしていないのはスバルだけなのだ。
「こうも感情を高ぶらせるのがスバルの意図なら、大した男なのだ……」
今はこう大人しくするつもりだ。
まずはスバルを安心させて、ゆっくりと時間をかけて考えることにしよう。
朝日を浴びるラルトレアの顔に、さやわかな笑みが刻まれる。グラスに口をつけてその中身を喉から胃へと流し込んでいった。
そんな至福のひと時を邪魔するノック音がひとつ。
「ラルトレア……起きてる? 入るわね」
不躾にも扉を開いて姿を見せたのは、恋敵となっている銀髪の女。後ろで長いその銀髪をまとめており、髪の間から少しとんがっている耳が見えている。
恐る恐るといった感じでエミリアは入ってきて、すぐに窓際にいたラルトレアを見つける。予想していた通りに、大きく目を見開いていた。
「思い通りの反応をするのだ。面白みの欠片もないぞ、エミリア」
「えっと、え? ラルトレア、よね?」
「我以外に誰に見えるのだ」
ふん、とそっぽを向けば、鏡に映る自分の姿が目に入る。
力で支配してきていたために、今まで容姿や体格になど気を配ったこともなかったが、普通の人類社会ではこういう反応をするのがふつうなのだろう。
今の自分は、エミリアと似たような体格をしている。
以前は140センチほどもなかった身長が、160近くになっているし、髪型もおかっぱ頭から腰にまで伸びる黒髪をそのままにしていた。
あとは胸が少しふくらんで顔のパーツが少し大人びたというだけで、瞳の色が変わったわけでも、声が変化したわけでもない。
服装もいつものダークドレスのまんまだ。
「何なのだ? 我に何か用か? 用がないなら後にするがよい。我は風呂に入りたいのだ」
「いろいろ聞きたいことがありすぎて……あっ、ちょっと待ってラルトレア!」
「お前の相手をしているとムカムカするのだ」
エミリアがこんがらがった頭の中を整理しているうちに、ラルトレアはその横をすり抜けて部屋を出て浴場へと逃げる。
途中で会った青色髪のメイドに驚かれながらも、風呂に入ると用件を伝えるとすぐに準備に取り掛かってくれる。
追ってくるエミリアを気に掛けることもせずに、ラルトレアは服を消して広い浴場へと入った。
清潔に保たれた浴場だ。まだ誰も使っていないのか、頻繁に清掃されているのか、一滴の水滴がついていない。
広々とした豪奢な浴槽にはられたお湯から湯気が立ち上っているだけだ。
「有能なメイドだの。お前はよくやっているのだ」
「ありがとうございます、お客様。どうぞごゆっくりお楽しみください」
レムとか何とかといったメイドに偉ぶるためにわざとそんなことを言って、ラルトレアはそろりと湯の中につまさきを付けようとして――
「――あ、ダメよラルトレア。最初にかけ湯をしなきゃ」
後ろの方でドアが開いた音がしたかと思えば、またそんな一言。鬱陶しそうにラルトレアが振り向くと、半裸のエミリアがいた。
また一緒に湯につかる気なのだろう。
ラルトレアはエミリアの制止を無視して、膝まで浴槽に突っ込む。
「ふん、我はニンゲンではないと言っただろう。半端者めが」
「もう……次は許さないんだからね」
「次など無いのだ!」
こんなに拒絶しているのに、エミリアは全くもって退かない。
ラルトレアはそんな反応にいじけながら、湯の中に肩まで肉を浸して、浴槽のふちに頭をのせてくつろぐ。
そこへエミリアがやってきて、ラルトレアの対面へと座ってきた。
「……えっと、ラルトレア。体の調子は大丈夫? どこか変だったりしない?」
「我は常に万全だと前にも言ったのだ」
「でもずっと眠ったままだったし……一体、何があったの?」
聞きにくそうに、エミリアが首をかしげて聞いてきた。
四日間ほど意識を手放したままだった。その理由を知りたいのだろうが、それを伝えるにはスバルの力をまず説明する必要がある。
「スバルには何か聞いていないのか?」
「聞いたんだけど、よく分からなくて……スバルも答えようとしてくれてたんだけど、急に苦しそうになって聞けなかったの」
「ふぅん……」
スバルの力は絶大だ。
ラルトレア討伐の時に聖騎士団が使っていた地点蘇生よりも遥かに強力な生き返り。
時間さえも巻き戻し、ある時間点へと記憶を保持して蘇るのだ。
その間の記憶は誰も覚えていない。なにせ無いことになった記憶なのだ。それをスバルと、ラルトレアだけが覚えている。
「お前にはわからないのことなのだ」
「…………そう」
「スバルの苦しみを分かってやれるのは我だけなのだ」
これだけは覆らない。
いくらスバルがエミリアに好意を向けようとも、スバルの力はエミリアには分からない。いくら伝えても、エミリアはそれを完璧には理解できない。
理解できるのはラルトレアだけだ。
だから、スバルの力の事もエミリアに伝える気は一切ない。
「どうして? どうしてラルトレアは……ううん、ラルトレアはどうしてスバルと一緒にいるの?」
無粋なことを、エミリアが尋ねてくる。
湯の中に見えるエミリアの乳房を憎々し気に見つめながら。
「我がスバルを愛しているからなのだ」
エミリアの、ふくざつな表情。
ラルトレアは血霊器具、『吸血変化』を使って胸の大きさを少しずつエミリアと同じくらいに近づけていった。
「素敵、よね。そういうのって……」
「…………」
エミリアが口を閉ざしてまた何か考え始める。
風呂にはもうちょっと浸かりたいところだったが、ここにいても居心地が悪いだけだ。
「……ふんっ」
ラルトレアはそっと浴槽から抜け出して、そのまま浴場を後にした。
ぽたりぽたりと、水滴が床に垂れ落ちるのを見つめながら、脱衣所で突っ立っていた。
エミリアに事情を話しても良いとは思う。
エミリアと仲良くしても良いとは思う。
だが今のラルトレアにそんな余裕はなかった。
リゼロ世界にかけ湯文化があるとかは知らない。