Re:ちょろすぎる孤独な吸血女王   作:虚子

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おかっぱフォルムだったことを急に思い出す


第八話 『ささやかれる愛』

 ――『影之牢獄』。

 

 

 真っ暗闇の中にエミリアはいた。何も聞こえない。何も見えない。風も吹いていないしパックの存在も感じることができない。

 

 

 ……ここはどこなの?

 

 

 声を出そうとした。だがその自分の声さえ聞こえなかった。喋っているという感覚だけはあった。ただ、それだけだった。

 手を動かそうと言う感覚はある。ただ手は動かないし、手も足も見えない。

 

 見えない、というより目が無くなったといった方がいいかもしれない。

 聞こえない、というより耳が無くなったような――

 

 

「――――」

 

 

 誰かがエミリアに話しかけた。耳がないはずなのに、その声だけはとても鮮明で、しかしそれがどういう意味なのか分からなかった。

 思考がまとまらない。自分とは違う言葉をしゃべっているような気がしたのだ。

 

 

「――」

 

 

 また何か言った。今度は短く、まるで嫉妬にまみれているような声で。

 そしてエミリアは見た。

 見ることができた。

 

 目の前に、女の子がいた。

 

 黒い髪の、おかっぱ頭の女の子。

 冷めたような赤い瞳。

 とても可愛いのに、とても寂し気に、狂ったようにつぶやいている。

 

 ぽつぽつ、と。

 

 

「――うらやましい」

 

 

 背の低いその女の子がエミリアを見下ろしていた。そうして女の子が覆いかぶさってきて、その小さい体にエミリアが溶けていく。

 

 不思議な感覚だった。

 女の子の体の中へと入っていくのだ。まるで泥沼のように、ゆっくりとゆっくりと。

 

 

 

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

 

 

 

 

 スバルはじっと時がくるのを待った。

 バクバクと心臓を警鐘を鳴らし続ける中、スバルは息を殺し続けていた。

 

 すでに時間は六時間が経っている。

 

 

「……屋敷に異変なしっと」

 

 

 スバルは目を凝らして再確認する。そして安心してから道具袋から竹製の水筒を取り出し、冷たい水で喉を潤す。

 

 

「気合入れろナツキ=スバル。情けねぇ。集中力切らしてる場合じゃねぇんだ」

 

 

 思い切り両頬を叩いて、意識をはっきりと覚醒させる。

 ここで意識が飛んでいては、本当に危機が来たときに駆けつけられない。そうなってしまっては全ての努力が水の泡だ。

 気合を入れて見張りを続けなければ。

 

 そう、スバルが気持ちを切り替えた、その瞬間だった。

 

 

「――――きやがったか!」

 

 

 何かが空を切る音。

 わずかなその音を感じた直後、スバルは横へと飛んだ。

 全感覚を投入した上での、事前に決めていた通りの回避行動。その勢いのままスバルは駆け出し、一気に崖下へとジャンプ。

 

 

 高所からの落下。

 急激な浮遊感のあと、その勢いは急停止。腰を締め上げるロープがスバルの肉に食い込んだ。

 

 

「逃げろ逃げろ……ッ!」

 

 

 言ってナイフで命綱を切断。ロープから解放されるとすぐさま山中を駆け抜けた。少しでも前へ進むために道具袋も投げ捨てる。

 降りて一瞬のためらないなく走り続けて、だんだんと息が切れてくる。

 

 草木をスバルの進行を阻んでくる。それを避けながら直前のことを考えていた。相手が使ってきた武器。

 しっかりと聞こえた。

 鎖の音だ。

 そして緊急回避したスバルのすぐ横を通り過ぎたのは。

 

 鉄球だ。それも凶悪な棘のついた。

 

 考えをまとめながら走っていたスバルは木の根っこに足をとられてしまう。

 

 

「――うぁっ!」

 

 

 つまづいて、上半身だけが前へと傾いてしまう。斜面を滑りながら転がるスバルの、その頭上を鉄球が通っていく。

 あれが当たればスバルの頭は今頃木っ端みじんだ。

 

 だがそれを回避できた喜びを味わっている暇はない。

 

 横に転がり、体勢を整えて走り出す。方向感覚など無くなったが、立ち止まるわけにはいかない。

 

 だが体が思うように動いてくれない。

 息が切れて肺が痛みだす。足はまだまだ動けるのに、スタミナが切れ始めていた。いくら運動力があっても持久力がなければ、こんな山道で逃げきれはしない。

 

 

 

「ここまでってことかよ……!」

 

 

 

 目の前に、崖が立ちはだかっていた。

 当然、この石の壁を上る方法をスバルは持ち合わせていない。

 

 どうするどうする、と考えても思考だけが空回りして答えを出してくれない。ただ落ち着こうと考えて深呼吸をした。

 

 だが心臓が高鳴りを続けている。

 その反面、やけに周囲が静まり返っている。木々たちが夕焼けをさえぎって森には闇が佇んでいた。

 

 スバルの影もぼんやりとしている。視線を上げてゆっくりと振り返る。来るであろう敵を見るために。

 次に繋げるために。

 

 

 ――瞬間、鎖の音。ソレは高速で飛来した。

 

 受けても構わない。その覚悟で体を丸めて受け止めて、死んでも相手が誰なのかを確認しようとした。

 

 鉄球がスバルの腹部にめり込み、岩壁へと激突させる――ことはなかった。必死に漏らしそうにながら構えたスバルに、衝撃が襲ってこない。

 

 

 来るであろう痛みにビビッて下していたまぶたを、ゆっくりと上げる。

 

 

「な、なんだ……これ?」

 

 

 スバルの前に、赤い何かがあった。赤い液体が、スバルを守る楯のように突っ立っているのだ。

 触れてみると血のような液体が指に付着する。たらりと垂れてるように地面に落ちる。

 

 血だ。

 

 この血の触感をスバルは嫌なくらい知っている。

 この血が、血の壁がスバルを守ったのだ。一体誰が、と考えるまでもなく、スバルは黒髪の童女を探していた。

 だがその姿はない。

 

 ビッシャァと音を立てて、血の壁が崩壊する。

 

 すると血に濡れた鉄球が、モーニングスターが地面に落ちた。まるで血の壁にめり込んで、今落下したかのような光景だ。

 

 スバルはその鉄球を操る相手、鎖の伸びる方向へ視線を向ける。

 

 

 

「――面倒なことになりました。何も気付かれないまま、終わっていただけるのが一番でしたのに」

 

 

 

 鎖の音が鳴る。鎖が緩んで、その先にある光景にスバルは目を見開いていた。

 

 

「うまくいかないものですね。こう油断させるのがあなた方の策ですか?」

 

 

 森の闇の中からと彼女が歩いてやってきた。

 ホワイトプリムとエプロンドレス。小さい手に鉄球と繋がる鎖の柄を握りしめていた。彼女は青い髪を揺らし、無表情で首をかしげる。

 

 

「嘘だろ……レム」

 

 

 そのとき、空白がスバルの脳内を覆っていた。思考回路が動作を止めて、白いペンキが何もかも塗りつぶされていた。

 

 呼吸すら忘れ、心臓すら鼓動を止めたかのような停滞。だが構うことなく呆然とするスバルに、レムは冷たく言葉を発してくる。

 

 

「お連れ様はどこですか。お客様」

 

 

 スバルの意識が呼び戻されて、なんとか声を振り絞る。

 

 

「さ、さぁな」

 

「……」

 

 

 苦しい誤魔化しにレムが目を細める。僅かな沈黙に耐えられず、スバルは口を開いてしまう。

 

 

「どうしてこんなことを……って、ありきたりな台詞言っていいか?」

 

「そう難しいことでは。疑わしきは罰せよ。メイドとしての心得です」

 

「――ラムは、このこと知ってるのか?」

 

「姉様に見られる前に、終わらせるつもりです」

 

「つまり、独断だな? ロズワールの指示じゃないと」

 

「ロズワール様の悲願成就に、障害となり得るものはこの手で排除します。あなたも、その中のひとつというだけのこと」

 

 

 ロズワールの悲願。

 それは何か。エミリアの後見人として、エミリアを王にしなければできないこと。たぶんその中身は関係ない。その前段階である王選に、スバルの離脱が不利益だと考えたのだろう。

 

 目の前の少女――レムは。 

 ロズワールのためだと考えて、スバルを殺そうとしている。

 独断で、双子の姉であるラムにも告げずに決行していると――

 

 ――それはつまり。

 

 

「――そんなに、俺が信用できなかったのか」

 

「はい」

 

 

 躊躇なく頷かれて、スバルは胸の奥に痛みを感じた。

 今までの日常が、今はもう既にスバルの中にしか存在しない一周目の想い出が引き裂かれていた。

 拒絶したかった。

 一周目の時も、スバルはあんなに楽しかったというのに、ずっと疑われていたという事実を認めたくなかった。

 

 スバルはただ、自嘲するように口の端を歪めて、

 

 

「ざまぁねぇよ、俺。うまくやってたなんて、勘違いしやがって」

 

 

「――ッ!」

 

 

 スバルが言うとレムの表情が驚愕に染まった。その反応はとても不思議だった。スバルを殺そうとしたレムが、そんなつもりはなかったと言ったところでレムが驚くはずがない。

 疑うはずだ。

 独断専行してしまうようなレムがスバルの表情を演技としないわけがない。

 

 

 それなのに。

 

 レムは驚いて、一歩下がって、そして鎖を力強く握りしめて構えていた。

 

 

「は……おいおいいきなり血相を変えて何だって――」

 

 

「いつまでとぼけていれば気が済むつもりですかッ!!!」

 

 

 

 レムが戦闘態勢に入り、スバル目掛けて鉄球を投げつけようとしてくる。スバルは咄嗟に避けようとして、気が付いた。

 

 違う。

 レムはスバルのもっと背後を見ていた。背後の何かを見て驚いて、攻撃をしかけていた。その鉄球がスバルの斜め後方、裸足の足音がスバルの鼓膜を叩く。

 

 トゲ鉄球を避けるように、その足音の主は森の茂みの中に突っ込んでいく。必死にスバルはそれを目で追おうとするが、追いつかない。

 

 

 ただ、白いコートがちらっと視界の端に映る。

 

 その僅かな光景が、ある人物の姿を思い起こさせる。屋敷の中にいるはずの人物の笑顔が脳裏によぎる。

 

 だがそんな思考さえも振り捨てて、事態は進行していく。

 

 

「――――ッ!!!!」

 

 

 レムが鎖を振り回し、遠心力を伴ったトゲ鉄球が次々と木々をぶち倒していく。地面をも削って、森に破壊の嵐を巻き起こすが、標的に当たった様子はない。

 

 スバルは目で追うことができない。ただ、白いコートを着た誰かがエルザ以上のスピードで獣のように駆けまわっていた。

 

 

 そして。

 レムの放ったトゲ鉄球がピタリと停止する。闇の奥から鉄球の破壊される音が聞こえてくる。じりじりと下がるレムが見える。

 

 残った鎖を振り回しながら、森の奥から歩いてくる。

 

 裸足で、ぴた、ぴたと音を立ててやってきた。

 

 

 

「…………エヘヘッ」

 

 

 

 美しい銀髪の少女だった。

 

 腰まで届く長い銀色の髪をひとつにまとめている。

 身長は百六十センチほどで、白いコート羽織っていた。ただ、コートを羽織っているだけで中には何も着ていないのだろう。

 

 素足と所々破れたコートから白い肌が見えていた。

 

 

 その立ち姿全てがある少女だとスバルの記憶は告げている。

 

 だが圧倒的に違っている部分がある。

 

 

 顔は理知的というよりも鋭く威圧的で、つり上がった眉は優しさよりも気の強さを表している。

 そして、なにより――

 

 

 瞳が赤った。

 

 

「……ぁ、ら、るとれあ……?」

 

 

「キヒヒ――安心せよ、我が守ってやるのだ」

 

 

 銀髪の少女――まるでエミリアのような姿をしたラルトレアがその白い牙を見せた。レムのことなど構うことなく、じりじりとスバルに歩み寄ってきて。

 

 固まって動けなくなるスバルの前で踵を返した。

 おそらく――レムの方を見ている。

 

 レムは破壊されて、半分の長さになった鎖を握りしめている。

 

 

 

「不届き者が! メイドの分際でこのようなこと。万死に値する――」

 

 

 ラルトレアが右手をレムに向かってかざして、何かをしようとする。それを見ていたスバルは無意識に少女の肩を掴んでいた。

 

 肩を掴まれたラルトレアが機械のように振り返って。

 

 

「――なんだ?」

 

「……だ、ダメだ。殺すのは……ダメだ!」

 

「ふぅん、そうか」

 

 

 何とか振り絞って言葉を紡ぐスバルに、ラルトレアの反応はいやにそっけなかった。表情が薄笑いのまま、ずっと変わらない。

 スバルが何と言っても、ピクリとも動かなかった。

 

 

 だが。

 

 

 ヒュンッ――

 

 

 鋭い風の音がスバルの耳を打つ。その直後、血飛沫がスバルの顔に降りかかった。一気に視界が赤く染まる。目に入った血がドロリと顎へと垂れていく。

 

 まばたきもできずにスバルはソレを見た。

 

 ぱっくりと真っ二つに割れたラルトレアの右手を。

 中指は粉砕されて、肘まで綺麗に両断されている。そこから絶え間なく血があふれ出し、地面へと垂らし続けていた。

 

 そこに声が投げかけられた。

 

 

 

「――エミリア様だけでなくレムにまでも……死になさい、吸血鬼」

 

 

 

 桃色髪の少女が茂みの奥から姿を現した。怒りに満ちた声で、その体に風の渦がまとっていた。双子の姉であるラムだった。

 

 

「姉様――」

 

「離れなさいレム。こいつはエミリア様を殺した。紛れもない敵よ」

 

 

 ……エミリアを殺した?

 

 ラムの言ったことがいまいち理解できない。

 言葉としては分かっているのに、現実として把握できないのだ。

 

 スバルはそれを否定してほしくて、ラルトレアを見た。

 だがラルトレアの外見こそがそれを裏付けていた。

 

 ラルトレアのカツラみたいな銀髪。ボロボロになった白いコート。

 それを見るたびにラムの言葉を証明しているように見えてくる。

 

 

 そして。

 

 

「間違っておるのだ、メイドども。エミリアは、ほら――ここにいる」

 

 

 スバルの前に立つラルトレアが、コートを開いて中をレムとラムに見せた。それを見た二人の表情が、また驚きと怒りに染まる。

 

 一体何があるのか――

 

 

 それを知る前に。

 

 スバルの頬が冷気を感じ取った。上空から氷塊が落ちてきたみたいなその感触に、スバルは思わず尻餅をついてしまう。

 

 へたり込んだスバルが上空を見上げ、そこにパックがいた。

 

 

 そして。

 

 

 

「――娘を返せ、ラルトレア」

 

 

 

 鋭利な氷塊がラルトレアを貫通した。狙いすましたようにラルトレアの首と胸の中心に突き刺さり、ラルトレアが大量の血を吐き出した。

 

 ぼちゃぼちゃと血反吐を口から吐き出しながら、ラルトレアがゆっくりと振り返る。そのときに見えた。

 

 見えてしまった。

 

 

 ラルトレアの白い腹部、その中心にエミリアの顔があったのだ。目と鼻と口。まるでラルトレアのお腹とエミリアの顔だけが融合してしまったような――

 

 

「ぉ、ぇぉぉあぁぁぉぇええええええええええッ!!!!!」

 

 

 

 胃の中にあったもの全てが急激にせり上がってきて、口から吐き出された。

 嘔吐するスバルの前を、何もなかったかのようにラルトレアが歩いていく。血を垂らしながら、首と胸に氷柱をぶっ刺してなお、止まらない。

 

 

 

「キケケケケケケケケケケケケケケケケケケ――」

 

 

 掠れるように笑いながらパックを見上げて、それからのぞき込むようにスバルに顔を近づけてきた。

 

 銀髪がたらりと垂れて、スバルの手の上に乗っかった。その髪の毛の感触もまた吐き気しか催してこない。

 

 そして、スバルの耳元に口を寄せて、ささやいた。

 

 

 

「スバル――愛しておるのだ」

 

 


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