ロズワール邸、ラルトレアの居室。
日は沈み、夜がラルトレアを出迎えていた。光をすべて消して、月明りを浴びながら物思いにふけっていた。
と、そこに。
――コンコン。
「ラルトレア? 入ってもいい? ちょっとお話があるの」
「べつに。かまわないのだ」
「じゃ、失礼するね」
ラルトレアと同じ年だという銀髪の少女――エミリアが入ってくる。お風呂のあとは微精霊と話すだとかで外へ出ていたはずだった。
ラルトレアも誘われていたが、微精霊というのがあまり好かないラルトレアは拒否した。
「何の用なのだ」
「えっと、スバルのことなんだけど」
「…………」
「ラルトレアにもいろいろあると思うんだけど、スバルに誘われてね。明日、でぇと? に行かないかって」
「……でぇと?」
「うん。男と女で出かければそれがデートって、スバルは言ってたけど――」
「――なぜ、それを我に言うのだ」
エミリアの言葉をもう聞きたくなくて、ラルトレアは部屋を飛び出した。追って弁解してくるエミリアを完全に聞き流して、廊下を走っていく。
「待ってラルトレア!」
「――どいつもこいつも、うるさいのだ……」
ラルトレアは影の中に沈み、姿をくらました。案の定、パックを呼び出せないエミリアはラルトレアを見失い、とぼとぼ自室へと戻っていく。
イライラというよりも、むなしさがラルトレアを支配していた。
むなしくなって、屋敷の中をぐるぐると徘徊した。
ゆるやかな脱力感と、怒りすぎて疲労感さえある。
と、そこに。
ジャラジャラジャラ……。
ラルトレアの耳に、鎖の音が届いた。
――なんだ?
と疑問が生まれると同時に。
「――っぁああ!! うぇおぇえああああああああああああ!!!!」
スバルの声が、スバルの叫びが響いた。その瞬間、ラルトレアの鼻腔に濃厚な血の匂いが入り込んでくる。
この匂いは。
嗅ぎ慣れたこの血の持ち主をラルトレアは知っている。
考えるより早く、ラルトレアは動いていた。影の中を猛スピードで駆け抜け、血の発生源へとたどり着く。
そこには。
「……おい貴様……メイドの分際で何をしておる」
視界に入ってきたのは水色髪のメイドと、鎖のついた鉄球。そして瀕死のスバル。血を垂れ流し、腕がもがれている。
あの鉄球だ。トゲの鉄球。それがスバルを――
その鉄球を投げたのは、レムとかいうメイドで――
「――誰の許しがあって、スバルを殺しておるのだァ!!!!!」
ラルトレアが声を張り上げ、メイドが戦闘態勢を取る。
そして――ラルトレアの視界がぐにゃりと曲がって――
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「…………」
きらきらと光り輝く朝日が窓から差し込んでいた。
ラルトレアの部屋から広大な庭園が広がっているのが見える。人が見れば、感嘆の息を漏らすであろう景色に、ラルトレアは無表情だった。
すこし日差しのせいで肌がひりつく。
「……スバルが、死んだ……」
ラルトレアは手に持ったグラスの血を見た。
ヤギの血だ。
そしてずらりと並ぶ7本の空ビン。まだあと十五本くらいある。それらにはたっぷりと血が入っていた。
「あのメイドが、スバルを……」
あの水色髪のメイドがスバルをいたぶって――巻き戻った。
瀕死状態のスバル、ゆがむ視界、そしてこの状態。
それしか考えられなかった。
巻き戻った分の時間は綺麗さっぱり消え去り、スバルとラルトレアだけがそれを覚えている。それが、スバルの力。
ラルトレアはグラスの血を飲み干し、ビンに口をつけてその中の血を全て吸い込んだ。一本、また一本。
あれだけあった血のビンが次々と空になっていく。
そして。
コンコン、とノックがした。
「お客様。当主、ロズワール様がお戻りになられました。どうか食堂へ」
メイドの声が聞こえてくる。
声だけでは双子のどちらかはラルトレアには判別できない。しかし、それはどうでもいいことだった。水色の方だろうと、桃色の方だろうと。
――どちらでも変わりはない。
ラルトレアが扉を開けると、水色の髪が頭を下げていた。
「……スバルは、どうした」
「目覚めると同時にどこかへ行かれましたので、姉様が探しております。見つからないとなると、おそらくは禁書庫にお隠れになっているのかと」
「……ふぅん」
スバルは禁書庫、ラムはそれを探している。エミリアはどこか分からない。ロズワールは食堂。
そして今、ラルトレアの前にはレムがいる。
屋敷にいるのは、これで全員。
「では食堂に案内しろ」
「はい」
メイドが水色の後頭部を見せながら、前を歩く。赤い絨毯の、ながい廊下を。
一歩、また一歩。
メイドの歩みをラルトレアはじっと見ていた。
最初は歩調を合わせて、少しずつ、少しずつ速めていき――
ラルトレアがメイドの背後に忍び寄った。
「――ぁ」
ラルトレアの手刀が、メイドの心臓を貫いた。
「お前など要らないのだ」
ぽたり。
血の雫が絨毯に垂れ落ちる。ラルトレアの指先から、ぽたりぽたりと連続して落ちていく。それは止まることなく、続いていって――
ラルトレアは――腕を横に振り抜いた。
すると、メイドの胴体がバランスを失って、どさりと床に横たわった。
血まみれになった右腕、その右手についた肉の欠片をぺろりと舐めとる。
「――まずいのだ」
ペッと。
ぽっかりと穴の開いたメイドの背中へと吐き出した。もう血なんて飲む必要はない。十分に飲み干している。
『吸血解放Ⅳ』。
童女の形態のままで、肉体を最高レベルにまで高めていく。
――……これであのエルザでさえひねり殺せるくらいになったろう。
「スバル……我が間違っていたのだ。我は我。我のやり方で、お前を手に入れるのだ」
そう、この力。
吸血鬼の力。血の力――『血霊器具』で奪い、支配し、勝ち取るのだ。
――我は強いのだ。強い我が、なぜ苦しまなければならないのだ。
「……ふんっ、最初に来たのは貴様か」
「よくもレムを……ラムの妹を……ッ!!!!!」
惨劇にかけつけてきたのはメイドの姉だった。桃色髪の方。双子の片割れが死んで、嘆き、怒り狂っているのだろう。
前のめりにいきり立って、強くラルトレアを睨み付けてきた。
だが、使用人ごときが、そのような目を向けることすら
「思い知るがいい。支配者の強さを。――来い、五十九式」
桃色髪のメイドが仕掛けてくる前に、先手を取る。
すべては先手必勝。
ラルトレアは倒れた片割れのメイドを踏んづけ、そしてそれを溶かした。メイドだった肉を、メイドだった血を使って。
この世界にラルトレアの騎士を創造する。
「――我が騎士ボルフォーンよ」
メイドの死体から、ラルトレアの血を混ぜ込んで二メートルを超す大男が出現する。
その者は屈強だった。
磨き抜かれた肉体に怨念をまとっていた。
銀色に近い白髪を短く切りそろえ、その手には血の色をした刀剣が握られている。
それを見ていた桃色髪のメイドが怒りに任せた絶叫する。
「絶対に殺してやるッ!!!!」
「ボルフォーン、その者を――殺せ」
ボルフォーンは一瞬でメイドとの距離を詰め、刀を振り下ろす。それを遮ろうとメイドが魔法を発動させる。
だがその風の魔法はボルフォーンに触れる否や掻き消えていった。
騎士である彼を止めるものは何もなかった。
その斬撃が、すっぱりとメイドの首を跳ね飛ばす。
「――クケケケッ、弱いのぉ弱いのぉ。魔法なんてものを信じすぎるからそうなるのだ」
引きつるような笑いを浮かべながら、ラルトレアはメイドの頭を踏みつけた。何度も何度も、踏みにじるように、あざ笑うように。
その余韻に浸っていると、ボルフォーンが視線を巡らしているのを感じた。高笑いをしている主人の命令を待っているのだ。
「――ん、何だ」
ボルフォーンの示す先に、廊下の先に呆然と突っ立ている黒髪の少年がいた。弱く、もろく、口がよく回るお調子者で――
ラルトレアが支配すると決めた相手――スバルだった。
「……なっ、なにやってんだ……おい、ラル――」
「待っておったのだ、スバル」
キョドキョドして落ち着きのないスバルへ、優しく諭すように言う。
「――さてスバル、どこへ行こうか。南か北か、東か南か。国を陥落させて乗っ取るというのもいいかもしれないのだ。だがまぁルグニカはあきらめよう。ラインハルトには勝てないのだ」
「な、なッ、なに言ってんだ――」
「んふふっ、スバルは長生きをしてもらわないと困るのだ。いつまで力が続くかもわからぬしの。できるだけ死の危険から遠ざかって、我とゆっくり時を過ごすのがよいのだ。こんな屋敷になど居てもつまらぬであろう?」
ラルトレアは絶句するスバルに近づいて、その顔を両手で掴んだ。
ぐいっとスバルの顔に自分の顔を寄せる。
スバルの焦るような、不安がるような鼻息が頬に当たる。
「我が! スバルを愛し、スバルが我を愛す。永久に、永遠になのだ! キヒヒヒ、素晴らしい!」
「――ッ!!!!」
「静かにせよ、スバル♪ ――五十七式『
ラルトレアの血のようにどろりとした瞳に、スバルは意識を吸い込まれていく。スバルの思考が、スバルの意識が、スバルの精神が全て血に絡み取られた。
ラルトレアは完全にスバルを支配した。
「――くふっ、くふふふふふっ……ふはぁ、はははははははははッ!!!」
ボルフォーンさんはディムズデイル・ボイルドみたいなイメージ。