Re:ちょろすぎる孤独な吸血女王   作:虚子

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2017/01/09 一部変更・削除


第四話 『絶望の音』

 真夜中。

 ロズワール邸、ラルトレアの居室。布団の中。

 

 

「うー……熱い、熱いのだ」

 

 

 エミリアの拘束をほどき、ラルトレアはベッドから這い出ていた。エミリアがラルトレアを抱きしめたままに絵本を読み、そのまま先に寝落ちしまったのだ。

 迷惑な事、この上ない。

 

 

「はぁ……」

 

 

 ラルトレアは窓から見える月を見上げて、息を吐き出した。時間は分からないが、もう日をまたいでいるだろう。

 

 時間が経つのが遅い。

 そしてラルトレアは暇を持て余していた。

 シャトランジも、初戦こそ反則負けしたものの、その後三度エミリアと戦って全勝している。まるで戦い甲斐がない。エミリアは弱すぎた。

 

 何かないのか、とラルトレアは考える。

 シャトランジの他に、暇をつぶせるものは。

 

 

「文字でも学んでみるかの……」

 

 

 エミリアが持ってきた絵本はさっぱり読めなかった。絵本だけでなく、魔法の本や歴史の本にも興味がある。

 こちらの世界の住人に読んでもらってもいいが、自力で読めた方がいいだろう。

 

 こちらの文字は簡単だ。

 基本のイ文字と、ロ文字とハ文字の三種類しかないという。前の世界での人間の言語は十二種類の文字があった。

 それをすべてラルトレアは学習していた。

 文字を覚えるのにさほど時間はかからないだろう。

 

 

「スバル……」

 

 

 

 窓辺に寄りかかって、ラルトレアはつぶやいた。

 その吐息は、陰鬱に満ちていた。

 

 

 まだ朝は来ない。

 夜の帳のなかで、ラルトレアはまた、ため息をついた。

 

 

「……スバルが使用人を辞めるまでなのだ」

 

 

 無視するのも疲れる。

 疲れる上に、スバルが居ないと日々がつまらない。だが、ここでラルトレアが折れるわけにはいかないのだった。

 

 そして、次の日は言語学習に費やし、スバルと視線すら合わさない。ラルトレアの日々は、流れるように過ぎていった。

 

 

 

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

 

 

 

 ラルたんと話せないままに、また一日が経った。

 というかラルたんの近くに居たがるエミリアともほとんど話せていないし、スバルの活力ゲージが赤ゲージへと突入していた。

 

 

「なあレムりん、俺はいったいどうすりゃいいんだ?」

 

「スバルくんは使用人としても人としても未熟ですからね」

 

「……ねぇ、なんで俺こんなにボロボロにされてんの? 俺が何したっていうの?」

 

 

 スバルの使用人生活も四日目、スバルはレムと買い出しに近くの村落へと向かっていた。

 その村落は辺境伯、という立場にあるロズワールが保有する領地だ。だから、村の人々は当たり前のようにこちらの顔を見知っているようだった。

 

 特にメイドは買い出しの機会も多いのか、通りがかるたびに声をかけられる。

 

 その一方で意外とスバルのことも知られていた。

 顔を出したのは初めてであるにも関わらず、友好的に迎え入れられたのは普通に嬉しかった。

 

 なにより屋敷で冷たく当たられている分、ここが癒しにも思える。そう一瞬は、思っていたのだが。

 

 

「どーしたー、スバルー」「何言ってんだー?」「だから噛まれるんだぞー?」

 

 

 立て続けに反応する声は、スバルの背後、というか背中から届いた。

 首だけで動かして、その小さな人影を見やる。

 

 茶髪の少年だ。

 年齢は十歳ぐらいの、小学校低学年。ラルトレアよりは少し年上だろうに、雰囲気がまるで違う。

 

 

「犬に噛まれるわ。鼻水つけられるわ。おい。お前らちょっとは年下のラルたんの華麗さを見習えよ」

 

「ラルたんー?」「誰のこと言ってんだー?」「年下ー?」

 

 

 始めに背中にしがみついた少年。連鎖的にスバルの足や腰やらにまとわりつく小さな影が口々に聞いてくる。

 

 

「ダークエンジェル、ラルたんだ。ラルたんはお前らと同じくらいかちょっと年下なのに、もうオーラがギッラギラよ。俺でも睨まれたら怖いくらいだからな。ちょっと特殊な種族ってのもあるんだろうけど、それにしてもあれはやばい」

 

「なに言ってんだー?」「頭ぶつけたー?」「噛まれたトコまだ痛いのー?」

 

「やばい上に可愛さMAXってことだ」

 

 

 そしてそんな堕天使幼女にスバルはただ今絶賛シカトをくらっている。華麗なまでに存在を無視され、食堂でも廊下でも相手にされていない。

 

 スバルには、どうやったら機嫌を直してくれるかさっぱり分からない。

 

 

「はぁ。こんなに鬱なのに、やたらとガキに絡まれるし」

 

 

 肩車した子どもに頬を引っ張られる。

 

 

「なぜ神は俺に美少女とダークネス幼女とうまく接する才能を与えてくれなかったのか……!」

 

 

 そう愚痴りながらも、子どもをあやす。

 きゃいきゃいと高い声が響き、「次はオレだ!」なんて声があちらこちらから聞こえてくる。げんなりしてきたスバルは、

 

「あ! あっちにスーパーダーク幼女が!」

 

「えー?」「どこー?」「あ、ホントだ!」「いこーぜー!」

 

 

 テキトーに茂みの方を指さして、その隙に子どもの群れから脱出を図る。思いのほか、うまくいってしまうスバルは首をかしげる。

 

 

「野生のスーパーダーク幼女でもいたとか? 流石にそれはねぇか」

 

 

 ――まさかラルたんが来てるわけじゃないしな。

 きっとでっかいカブトムシみたいな昆虫でも居たんだろ、とスバルは勝手に結論づけて、少し座って休むことにした。

 

 田舎特有の大自然の空気を十分に堪能することしばらく、スバルのもとに買い出しを終えたレムがやってくる。

 両手で紙袋を抱えていた。

 

 

「スバルくん、お待たせしました。……大丈夫ですか?」

 

「ん? ノープロブレム。レムりんも、買い物終わり? それ持つぜ」 

 

 

 スバルが荷物を受け取る。

 

 

「はい。買い物は問題なく。スバルくんは、色々と大変そうでしたね」

 

 

 青髪の少女は風に目を細め、その表情をわずかに強張らせてスバルを見ている。

 泥と埃、そして鼻水で執事服を汚しに汚したスバルの方を。

 

 

「ひとりで転んだんですか?」

 

「いや俺どんだけドジッ子?! たしかにこの世界でまだ会ってないな。あれ? 何か怒ってる?」

 

「いえ。それで、スバルくんは何をしていたんですか」

 

「村の子どもたちに包囲されてな。気が付けばこの有様だ。やっぱレムりんの買い物に付き合ってりゃよかったよなぁ」

 

 

 買い物ではまるで役に立たないだろうが。

 今の沈んだ気分で子どもを相手するのは精神的にも肉体的にも疲れる。まだ買い物なら荷物持ちくらいで、何も考えなくていいだろう。

 スバルはそういうふうに考えていたのだが。

 

 

「やはり姉様も含めて三人で来るべきでした」

 

「そんなに俺の役立たず度半端ないっ?! いくら俺でも荷物を持つぐらいはできるよ?! あの姉に超越した買い物スキルがあるようには見えねぇんだけど」

 

「姉様があえて本気を出さないんです。ほどほどにすれば、スバルくんが自分の無能さに気づいて落ち込むこともないですから」

 

「いや今の言葉で十分落ち込んでるんですがそれは……。というか、姉に対する評価が俺以上にポジティブすぎて逆に怖いわ。姉への崇拝心が並大抵じゃねぇぞ、マジ鬼がかってんな」

 

「鬼、がかる……?」

 

「神がかるの鬼バージョン。鬼がかる、なんかよくね?」

 

「どうして、鬼なんですか?」

 

「だって神様って基本なんにもしてくんねぇけど、鬼って未来の展望を話すと一緒に笑ってくれるらしいからな」

 

 

 スバルがそう言うと、それまで少し険しかった表情がふわっと和らいで、レムの顔に薄く笑みが浮かんでいた。

 

 スバルは指を鳴らし、

 

 

「その笑顔、百万ボルト」

 

「エミリア様に言いつけますよ」

 

「口説いたのと違うよ!?」

 

 

 スバルが必死に両手を突き出して許しを乞う。すると、神の怒りでも買ったのか――バキィッとスバルのすぐ横で細い若木がへし折れる。

 

 

「……え? 神罰? もしかしてリアルタイムで神罰が下ってきてます?」

 

 

 倒れた木がスバルに当たることはなかったが、それでもタイミングが良すぎた。周囲を見回しても木こりも熊も居やしない。

 スバルは天を見上げて、手を組んだ。

 

 

「俺に癒しを、アーメン」

 

 

 スバルの祈りは空へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 遡ること二時間前、ラルトレアはスバルが屋敷から出ていくのを偶然発見した。窓から景色を眺めていたら、あの青髪のメイドとともにどこかへ出かけて行ったのだ。

 

 ラルトレアはエミリアが居ないことを確認してから。

 

 

「――暗黒沼(ダーク・スワンプ)

 

 

 影の中へと潜り、素早くスバルの後を追った。

 不安だったのだ。

 自分を置いてどこかへ行ってしまわないか、という不安がラルトレアの中に生まれた。

 

 

「一体どこへ……村?」

 

 

 二人の後を、影の中にずっと潜りながら進んでいく。その先に着いたのは小さな集落だった。300人ほどの人間たちが生活している。

 ロズワールの屋敷から近いことから、あの変態の領地の領民といったところか。

 

 

「ふむ、アーラム村か」

 

 

 影の中から耳を澄まし、情報収集をしていく。

 村での人間関係、村長の老婆、ムラオサという老人、青年団と呼ばれる若人たち、小童どもの名前まで。

 どんな仕事をし、どんなものを食べ、どんなものを売っているのか。青髪のメイドは何を買っているのか。

 

 それらのことを、大方調べつくしたあとに。

 

 

「スバルが小童に懐かれておるのだ……」

 

 

 茶髪の子ども――たしかリュカという名前のやつがスバルの背中に飛びついている。それに続く、カインとダインというらしい兄弟。

 そんな彼らとスバルがじゃれ合っているのを、ラルトレアはぼーっと見ていた。

 

 影から出て、茂みに隠れながらその様子をながめる。

 

 

「子どもか……」

 

 

 ――スバルは子どもが好きなのだろうか。

 

 ラルトレアは、あまり好きではない。愚かで無知な生物だ。人間のなかでも特にラルトレアには合わない。

 その血は美味であるが。

 

 今は別に吸う気なんてない。

 それに、スバルが子どもが好きと言うなら、それもいいかもしれない。

 

 

「ふっ、我は子を創れぬというのにな」

 

 

 吸血鬼のなかにも子を産むことができる者はいる。ラルトレアのメイドだったクリスがそうだ。クリスは人間とのハーフだが、彼女の母親は純血だ。

 

 そもそも、男の吸血鬼のなかにも、人間の女を孕ませたがる輩は多い。

 それは圧倒的に女の吸血鬼の方が強いからだ。

 そして、強ければ強いほど、つまりは『血霊器具』の数が多いほど、妊娠しにくい。ラルトレアは絶対に子を孕むことができない体だ。

 

 でも、今まで自分の子がどうだ、なんて考えたことなどなかった。

 

 

「スバルめ……どれだけ我を惑わせば気が済むのだ。我が……我がぐらついておる……子どもなど……使用人など、ありえぬのだ……ありない、はずなのだ……」

 

 

 ラルトレアは自分の声が震えていることに気づいた。

 

 

「くっ……我は、我だ。スバルは、スバルだ。だが、我はスバル、を……。ぐぐっ、我が折れろと? 対等の関係というのは、こういうことなのか……?」

 

 

 わからぬ、わからぬ――と嘆くも、答えは出ない。

 

 

「……スバルが、悪いのだ。全部スバルが悪いのだ……! 我を……我をこんな気持ちにさせておって……っ! もどかしい……ああ、苛立たしいのだ!!!」

 

 

 今まで感じたことがない感情が胸の真ん中からあふれ出してくる。

 次々と、とめどもなく。

 その感情の前で、ラルトレアはどうしようもなく無力だった。

 

 

「我が……取り乱している? 不安になっておる? なぜだ……? スバルぅ……我を苦しめるのはもうやめるのだ……もう、よいのだ」

 

 

 ラルトレアは自力で立っていれなくなり、近くの木に背中を預けた。そのままズルズルと、木を伝うようにして、スバルから離れていく。

 子どもたちの、うるさい声が小さくなっていく。

 

 そして、いつの間にかラルトレアは隠れることを忘れていて、それで。

 

 

「……ラルトレア様?」

 

 

 声がした方に、ゆっくり向くとあのメイドが居た。

 

 

「貴様は……」

 

「ラルトレア様、どうしてこちらへ――」

 

「使用人の分際で我に問い掛けるでないのだ!!」

 

 

 ラルトレアはイラついていた。

 スバルを大切にしたいという気持ちがある。だが、ラルトレアの考え、誇りもある。スバルにも考えがあって、行動している。

 

 でも、ラルトレアはスバルの行動が許せない。使用人になるのは、支配者という誇りを持つラルトレアには選択肢にすら入らない。

 しかし、スバルは対等なパートナーであり、愛すべき存在であり――

 

 そんなジレンマが、ラルトレアをこの上なくむしゃくしゃさせていた。

 

 ラルトレアを今まで支えていたもの――支配者としての誇り、知力、武力、『血霊器具』、力を持つものと持たざるもの、支配されるものと支配するもの。

 

 

 前の世界で、ひとりぼっちのラルトレアを支えたものは力だった。そして支配だった。

 それがいま、ぐらぐらと音を立てて、崩れようとしている。

 ラルトレアを、ラルトレアたらしめているものが、無くなろうとしているのだ。

 

 無意識のうちに、それを守ろうとして叫んでいた。

 

 

 ――使用人の分際で。メイド風情が。

 

 

 短く罵って、ラルトレアはメイドの前から姿を消した。そのまま、森をうろついて、またスバルのもとへと戻っていく。

 

 

「あぁ……我は情けない女なのだ……こうも、こうも弱ってしまう……」

 

 

 スバルと知り合ってからというもの、心を揺さぶられることが多い。

 聖騎士団に滅ぼされ封ぜられたから、というのもある。

 だからといって、それをいつまでも引きずるラルトレアではない。根本の原因は違う所にあるのだ。

 それがどこかは明らかだ。

 

 

「はぁ。我も本当に小童になれたらどんなに楽か……」

 

 

 ぼやくラルトレア。すると、それに答えるかのようにスバルの声が聞こえてくる。

 

 

「あ! あっちにスーパーダーク幼女が!」

 

「えー?」「どこー?」「あ、ホントだ!」「いこーぜー!」

 

 

 茂みから覗いていたはずラルトレアを目ざとく発見し、ダッダッダッと子どもらが一斉に駆け寄ってくる。

 

 

「――む? わっ、おい。なんじゃ、なんじゃ」

 

 

 ラルトレアが二メートルほど飛びずさって距離を取るも意味がない。またすぐに駆け寄ってきて、ラルトレアを囲んでくる。

 

 

「もしかしてラルたん?」「お、スカートだスカート!」「いやドレスだ!」

 

 

 四方八方、360度全方位をぐるっと囲んでいた。

 それにラルトレアは腕を組んで、ない胸を反ってから。

 

 

「ふんっ、何なのだ小童ども。我に近づくでない。我はスバルと違って相手をしてやる気は――」

 

「よしめくれー!」「オレだオレだ!」「オレだって!!」

 

「は――?」

 

 

 大声に気を取られたラルトレアの背後。

 茶髪の少年がラルトレアのダークドレスの裾を引っ掴んで、勢いよく持ち上げる。軽い生地でできたドレスが抵抗できるわけがなく。

 

 ふぁっさぁとドレスが巻き上がっていた。

 その奥には、ラルトレアの白いあんよと、黒いおぱんつがある。

 

 

「貴様らぁあああああ!!!!」

 

「逃げろぉー!」「逃げろ逃げろぉ!」「スーパーダークが怒ったぞぉー!」

 

 

「許さぬ許さぬ許さぬのだぁ!!!!!」

 

 

 そこからラルトレアと子どもたちの鬼ごっこは始まった。

 もちろん言うまでもないが、ラルトレアが鬼である。

 

 

 

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

 

 

 

 日が沈み夜がロズワール邸を覆っていた。

 

 ラルトレアも、スバルとレムが買い出しから帰るとともに屋敷へと戻った。その帰り道にもまたラルトレアが腹を立てて、罪のない木々に八つ当たりをしていたのだが、それを知る者は少ない。

 

 スバルが自室で一息をつき、ラルトレアとエミリアが一緒にお風呂に入っているとき。

 

 屋敷上階中央にある執務室に、ロズワールは居た。

 

 

「そぉれでまずはぁ、スバルくんの方はどんなもんだい?」

 

 

 革張りの椅子に腰掛けながら、囁くように問いかける。彼は従者からの報告を待っていた。

 その従者はというと、ロズワールの膝の上で、その小柄な体をさらに小さくして横座りしている。桃色髪のメイド、ラムだった。

 

 

「あれから四日と半日。そろそろ見えてくるんじゃぁないかね?」

 

「全然ダメです」

 

「あはぁ、そうかい」

 

「バルスは本当に何もできません。料理も掃除も洗濯も。できない尽くしです。洗濯なんて鼻息が荒くさせて仕事にならないので、どれも任せられません」

 

「それは使用人としてダメだねぇ」

 

「はい。どうして使用人を望んだのか謎です。食客のほうがよほど良かったはずです」

 

「食客ねぇ。――それで、彼女の方はどうだい?」

 

「エミリア様と仲良くしているようです。ただ、分かりません。時折姿を消すことがあります。警戒すべきかと」

 

「容姿に似合わず、というやつだぁーねぇ。彼女が相当な武力を持っていることは間違いないだろうねぇ。魔法ではない、ということしか分からないってぇいうのはぁ、不安が残るねぇ」

 

 

 ロズワールは「ふーむ」と顎に手を当てて思案顔だ。

 

 

「それでラム、肝心の話だ。――それで、間者の可能性はどうかな?」

 

「否定はできませんが、バルスの方はかなり低いと思います」

 

「ふぅむ、その心は」

 

「どちらも、特にバルスは目立ちすぎです。当家に入り込む手段もその後も……彼もそうですが、ラルトレア様の方は屋敷から去りたいという様子も見られます」

 

「なるほど納得。となると、彼は本当に善意の第三者で、彼女は彼の付き添い」

 

 

 ロズワールが椅子を回転させて、大窓の方へと体の向きを変える。月明かりにオッドアイを細めて、

 

 

「しぃかし、彼はあまり彼女を見ていないのだねぇ」

 

 

 見下ろしているのは、屋敷の庭園だ。柵と木々に囲まれたその場所に、エミリアとスバルの姿がある。

 

 

 

「微笑ましいものだ。ラルトレアは気の毒だがね」

 

 

 

 

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

 

 

 

 ロズワール邸、夜の庭園。

 スバルがお願いとポーズをとりながら、エミリアに頼みごとをしていた。それはスバルのここ最近の鬱の種、ラルたんのシカトを解決するということだ。

 

 

「よかったら明日とかに頼めないかな? 可愛い小動物見学でもしてラルたんの機嫌も直したいっていうか。というか、そろそろ精神的にキツい」

 

「そう、ね。私もどうにかしたいと思う。協力するわ」

 

「よっしゃ! そうと決まれば二人の仲直りラブラブデートだ!」

 

「でーと、って?」

 

「ふっ、男と女で出かければそれがデート。女の子がふたりだろうが、イケメンの加護がある俺には何の問題もないのさっ」

 

「……ほとんど何を言っているかわからないのに、最低なことだってわかるのってある意味すごーく残念。私は本気で心配しているのに」

 

「じゃ、行こうぜ!」

 

「本当に大丈夫なのか、不安になってきたんだけど……」

 

「よしわかった、行こうぜ!」

 

「……ちゃんと聞いてる?」

 

「当たり前よ! この俺がエミリアたんの言葉を聞き逃すわけねぇだろ!?」

 

「スバルなんて大っきらい。ラルトレアにずっと無視されてなさい」

 

「あー! あぁあああ! 急に突発性難聴がぁー!? 聞こえないぞぉ!!」

 

 耳を塞いで走り回り音をシャットアウト。

 前言撤回を即座に行う切りの良さに、エミリアは毒気を抜かれたように笑う。

 

 

「じゃ、明日ね。ラルトレアに話してくる。何が何でもあの子を引っ張ってくる」

 

「おお、頼もしいエミリアたん! よろしく頼みます女神さま!」

 

 

 

 

 女神に祈りをささげてから、スバルは自室へと足を向ける。

 夜のロズワール邸はとても静かだ。

 

 

「村まで行って、ガキどもを相手して、子犬と触れ合ったあとに見晴らしのいい場所でも来てもらって仲直りのハグとか。花畑がいいな。ラルたん案外可愛いもの好きそうだし……やっぱり、人間じゃなくても年の近い子どもと遊ぶと、心も晴れるってもんだ。冴えてる俺!」

 

 

 ――そのあとは、美幼女と美少女に囲まれていちゃいちゃウハウハ!

 

 スバルは変な妄想をして、鼻の下を思いっきり伸ばしている。

 スキップするように赤い絨毯の敷かれた廊下を進んで、

 

 

「俺の明日に希望を満ちているのさ、ぐふふ」

 

 

 ルンルンとスキップしながらスバルは自室へ戻ろうと急ぐ。早くベッドに飛び込んでパックを数えながら明日を最高の状態で迎えたいところだ。

 

 しかし。

 

 

「――ん、さむっ。寒すぎるだろ」

 

 

 自室へたどり着く前に、スバルは異常な寒さを感じていた。先ほどまで浮かれていた気分が消え去り、熱も引いていく。

 自分の肩を抱き、温めようとと体をこする。

 

 

 

「は? 寒すぎるだろおい……なんでこんなに寒いんだよ!」

 

 

 ゴシゴシと、ジャージで乾布摩擦を試みるも、やってもやっても寒気が引くことを知らず、それどころか眠気まで襲ってくる。

 

 ――おかしい。

 

 

「おいおい……そんな季節じゃねえんだ」

 

 

 屋敷の気温はそこまで低くない。それに、体が異常を訴えていた。

 

 

 ――寒いどころじゃない、苦しいほどに。

 

 外気温に反して、どうして歯の根が噛み合わないほどに寒いというのか。

 

 

「ヤバい、しゃれに、なんねぇぞ……っ!」

 

 

 震えに寒気でなく恐怖を感じ、スバルは慌てて床に手を着く。

 

 ガクガクと震えが止まらない。

 三十秒近い時間をかけて、どうにかやっと立ち上がる。しかし、少しでも気を抜けば、すぐに崩れ落ちてしまうだろう。

 

 全身の血が吸い取られ、そのまま固まってしまうような倦怠感。思考さえ鈍っていく。

 

 

 

「……ラ、ラルたん」

 

 

 現状に対処できそうな彼女を呼ぼうとして、声が掠れる。

 マズイ、とそれだけがスバルの脳裏を支配する。

 

 

「はぁ……はぁ……っ。おぇええ……おぇああ」

 

 

 

 込み上げる吐き気に我慢できず、胃の中の全てを嘔吐してしまう。痛みと気持ち悪さに、涙をこぼしながら、這うように前へ。

 

 

「……ぁ」

 

 

 キンキンと耳鳴りが止まらない。

 だがその耳鳴りを通り抜けて、一つの音が聞こえてくる。

 

 鎖の音。

 

 それがスバルの足を止めた。途端、体を支え切れずに、スバルは床に崩れ落ち。

 

 

「――ぇ?」

 

 

 次の瞬間、凄まじい衝撃がスバルの体を吹っ飛ばした。床に這いつくばろうとしていた胴体がコロコロと床を転がり、壁際へと追いやられる。

 

 

「なに、が……」

 

 

 何が起きたのか。

 スバルは体を起こし、うつ伏せの体を持ち上げようとする。だが、震える両腕は地面を掴んでも力が入らない。

 

 右腕にはまだ少し力が入る。ただ、左腕が何も反応を見せない。

 

 薄暗い廊下。

 何かに挟まっているのか、とそちらに目を向けて、視界がぼやけ、歪んだ視界の中、スバルは、力を出さない左腕に視線を向ける。

 

 

 ――自分の左半身が、肩から千切れていることに気付いた。

 

 

 

「――? っ、ぁああ!! うぇおぇえあああ!!!!」

 

 

 

 スバルの絶叫が屋敷に響き渡った。

 

 それを合図に、スバルの長い長い、一週間が幕を開ける。

 




絶望パート突入

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