ロズワール邸、ラルトレアの居室。
スバルの目覚めから二日、時刻はもう昼を過ぎている。
布団にくるまって動かないラルトレアと、ベッドに腰かけてそれを見下ろすエミリア。
「ラルトレアが怒る気持ちもわかるけど、このままスバルを無視するのもよくないと思うの」
「ふん、知らないのだ」
スバルが目覚めた日、使用人に言い出して聞かないスバルをラルトレアは完全に無視していた。スバルが何を言おうとも、そっぽを向き、一言も口を開かない。
ラルトレアの頑固さもあるが、スバルが「メイド服だのエミリアたんだのレムだのラムだの、ロズワールだのパックだの」、ことごとく的外れなことばかり言い、地雷を踏み抜いてきた結果が今だった。
「でもちょっぴりスバルと話したいんでしょ?」
「……っ、な、何を言っているのだ。あんなやつ全然まったくこれっぽっちも話したくないのだ」
「うそ。ラルトレア、無理してるもの。ご飯もあんまり食べてないし」
「余計なお世話なのだ! それに、我は血だけを飲んでいればいいのだ!! さっさとどっか行けエミリア! しっし!」
布団にくるまったままラルトレアが起き上がり、エミリアを扉の方へと追いやろうとするが。
「だーめ。さ、まずは顔を洗って髪のお手入れからね」
「――ぬわっ?! こらっ、おろせ! おろすのだ!」
「いい子にしてたらおろしてあげます」
布団装備のラルトレアを両手で持ち上げて、そのままベッドの方まで持っていくエミリア。
その布団の塊を横に寝かせてから、布団を引きはがして中身だけを取り出す。それでも元に戻ろうとする中身が、必死の抵抗を見せる。
布団にしがみつくラルトレアの首元をがっしりと掴んで。
「こら、往生際が悪いわよっ!」
「――く、くびがしまるぅ……」
そのまま洗面室へとラルトレアを連行していった。
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「ね、ラルトレアってどこの生まれなの?」
「――む? いきなり何なのだ」
ラルトレアの髪をクシで梳きながら、そんなことを聞いてくる。エミリアはラルトレアの闇のように染まった黒髪に目を向けながらも、
「だって、スバルには聞いたけど、ラルトレアにはまだ聞いてないから。興味があるの。二人はどこで知り合って、どうして一緒にいるのかなって」
「……。スバルは何て答えたのだ?」
「大瀑布の向こう側からって。スバルのことだからまた冗談なんだろうけど」
「冗談ではないぞ」
「え?」
「大瀑布というのはこの世界の果て、なのだろう? それならその通りだ。スバルはこの世界の果てからやってきた」
「ラルトレア、本気?」
「なぜ嘘をつく必要がある? 考えてもみよ。スバルの言動、知識、言葉遣い、服装。すべてが未知で常軌を逸しておるのだ。それはこの世界の常識が通じぬところから来たと考えるべきであろう?」
「……たしかにスバルはすごーく変なところがあるけど」
ラルトレアの言葉に、エミリアは納得しかねているようだった。ラルトレアはそれが不可解でならない。
なぜ、『ラインハルト』という存在が居るのに、世界をまたぐ者の存在を疑うのか。
「まぁ、スバルがそうだとは思いづらいのか」
エミリアに世界をまたぐ存在を想像できたとしても、それはおとぎ話や伝説の中に出てくる勇者とか、英雄、賢者なのだろう。
「我には精霊の方が不可思議でならないのだ。魔法ならまだ構造がわかるがの。精霊はさっぱりだ」
ラルトレアが振り向いてエミリアを見る。すると、その答えを教えてくれるかのようにエミリアの銀髪からひょっこりと、パックが姿を現した。
「ボクには君に興味があるね、ラルトレア」
「いきなり出てきおって……我はスバルのように貴様を愛でる気はないのだ」
「ベティーがやたらと君を警戒してるんだから気にもなるもんさ。ボクには君が何かをするようには思えないんだけどね」
「ベティーとは誰なのだ?」
ラルトレアはつい聞き返してしまう。この屋敷の住人で「ベティー」と呼ばれる存在とは出会っていない。
その疑問に、パックに代わってエミリアが答えてくれる。
「ベアトリスはこのお屋敷にある禁書庫の司書さん。契約で禁書庫の番をしてるんだけど……」
「ほぅ、禁書庫があるのだな。どこにあるのだ?」
「どこって聞かれると、屋敷のどこかって答えるしかないの。『扉渡り』、簡単に言うと屋敷の扉のどことでも、自室に繋げられる魔法を使ってるから」
「なおさらそのベアトリスとやらに会ってみたいものだな」
禁書庫にも、そんな魔法が使えるベアトリスとも話をしてみたい。
純粋に知的好奇心をくすぐられるのだ。未知の世界の、未知の魔法。前の世界ではからっきしだったが、こちらでは使えるかもしれない。
知とは力だ。血もまた力。『血霊器具』というラルトレアご自慢の力。
支配者にとって、力がすべてなのだ。
身近にあるのなら手に入れるに越したことはない。
「禁書庫なら暇つぶしにちょうどよさそうだしの」
「ベティーが嫌がるからよしたほうがいいかもね。ボクは責任を取れないよ」
「むぅ、つまらんのぉ。さすがに娯楽が少ないのだ。チェスはないのか? 風呂もいいが何度も入るものではないしの」
「チェスって?」
聞き返すエミリアの様子を見るに、チェスが無いのだろうと判断するラルトレア。それに似た遊戯はないかと聞いてみることにする。
「二人で駒を操り、互いのキングを取り合うボードゲームなのだ」
「それってシャトランジみたいなもの?」
「シャトランジだと?」
ラルトレアの期待通り、チェスに似たものがあるらしい。幸いなことに、屋敷にもあるという。ロズワールの所有物らしいが、あんな変態にかまうことはない。
しかし、ここで問題が出てくる。
シャトランジはチェス同様、二人用の対戦ゲームだ。
今までラルトレアの相手は執事のアズベルトが務めてきていた。これまでの戦績は、ラルトレアの9876戦、9875勝、1引き分けだ。
自分ひとりでも指すことができるが、それではつまらないし、なにより飽きている。自分の思考に自分を戦わせるとなると、必ず先手が勝ってしまう。
結果の見えた戦いほど、つまらないものはない。
ラルトレアが考えあぐねていると。
「ラルトレア、そんなにシャトランジしたいの?」
「……エミリアは弱そうだから相手にならないのだ」
「む、知らないのにそんなことを言われるのは心外。見てなさい、こてんぱんにして後悔させてあげるんだから」
「こてんぱん……」
エミリアの妙な言い回しに違和感を覚えつつも、ラルトレアはその提案に乗ることにした。もちろん、負けるつもりはない。
エミリアがどこかからボードと駒を持ってきて、さっそくエミリアの居室で対戦することになった。
テーブルにボードを置き、それを挟むように椅子を置いて対面する。
エミリアとラルトレア。
ラルトレアはエミリアから駒の特性と簡単なルールを聞いて、駒を並べていった。
幼女と少女が真剣に盤面へと目を向けている。ラルトレアがにやりと笑いながら、口を開いた。
「ただの勝負ではつまらん。賭けるのだ。エミリア、貴様が負ければ今日はずっとシャトランジに付き合ってもらう。王選の勉強など放り投げてしまえ」
「ずいぶんと自信があるのね。私が勝った場合を考えているの?」
「そうだな。何でもいいぞ。貴様の望みを聞いてやろうではないか」
「うーん、そうね……。あっ」
「何だ?」
「今夜、ラルトレアと一緒にベッドで寝ながら絵本を読み聞かせるわ」
「…………は?」
「それで今夜は一緒のお布団で寝ましょ。文句はないわね?」
エミリアの、気の抜けてしまう望みにラルトレアはぽかんと口を開けて呆れてしまう。まるで勝負というものを分かっていない。
緊張感が一気に消えて、台無しだ。
「……まあ、我が負けることはないがの。だが、戦うにあたって、生ぬるい気持ちはいただけないのだ。よいか? エミリア。このキングが我であり、そちらのキングがエミリア自身なのだ」
「キングじゃなくてシャー、よ?」
「分かっておるわ! 我の知ってるチェスではキングと言うのだ。とにかく、貴様は王であり、他の駒を動かす。動かし陣形をつくり、戦場へと駒を動かす。二列目にある駒は、エミリア、貴様の民だ。人だ。国民から徴収した兵なのだ」
「歩兵、バイダクね」
「いちいち説明を入れるでない。興が乗らぬであろう! 王であるエミリアは、兵を死地へと追いやり、死なせるのだ。そう考えてみよ」
ラルトレアがそう言うと、エミリアは意外にも真剣に考えているようだった。顎に人差し指をあて、「うーん」と可愛らしく首をかしげている。
ラルトレアは、それを隙あり、と歩兵の一つをつまみとって。
「何を悠長にしておるのだ。常に戦場は動いておる。悩み遅れた分だけ、敵は動いておる。――先手必勝なのだ」
歩兵をエミリアの陣地へ向けて、2マス先へと置く。
先手を取るというのは、チェスでも、このシャトランジでも有利に働くだろう。あれだけ大きい態度を取っておいて、絶対に負けるわけにはいかないのだった。
だが。
「あ。ラルトレア、反則よ。
その日の夜、ラルトレアはエミリアとともに絵本を読んだ。
思ったより話が進まない…