メイザース領、ロズワール辺境伯の邸宅。
その広々とした浴場にラルトレアの姿があった。生まれたままの姿で、両手を広げて寝そべるようにお湯につかっている。
風呂は嫌いではない。熱い湯に肉をひたらせ筋肉をほぐす行為だ。吸血鬼には生きる上で必要としないものではあるが、そういう趣向をラルトレアは好んでいた。
とくに、チェスと風呂は格別だ。
自分の駒を動かし戦を俯瞰できるチェスと、心地よい空間を演出してくれる風呂は前の世界でも時々行っていた。
「奇妙なものだ……我がこうして人間の貴族の世話になるとは……」
以前なら考えもしなかった。
ラルトレア自身が同族を支配していた頃、何度か人の貴族と顔を合わせたことがあった。
ラルトレアとしては全くもって人間の身分には興味がなかったが、彼らが「罪人を提供するので人を襲うのをやめてくれ」とか、「鉱山の採掘を許してほしい」とかいう願いを言ってきたのだ。
だがラルトレアはそれに真面目に取り合わなかった。
使者を殺した上で、支配下に置いた吸血鬼に襲わせていた。それに対処しにきたのが聖騎士の連中である。
「我も丸くなったものだな。それもこれもスバルのせいだ」
つぶやいて、ラルトレアは水滴の張り付いた天井を見上げる。
「寝床としてエミリアの提案を受けて入れたはいいが……スバルはどうするつもりかの。傷が癒えて目が覚めたのならすぐさま立ち去る、ことはないか。スバルは人間だ。衣食住の心配をする、のだろうな」
盗品蔵での攻防のあとで、エルザに腹を斬られたスバルを四十三式『吸血治癒』と、エミリアの治癒魔法で合わせてどうにか命を取り留めた。
おかげでラルトレアの血のストックは尽きかけている。
スバルの治療もそうだが、ラルトレア自身が負傷したせいで四十二式『吸血回復』が勝手に発動したためだ。
血の量が少なすぎて、完全上位互換である五十五式『無限再生』が発動しなかっただけまだマシではあるが――
「それにしてもこれからの血の調達をどうすべきか……スバルから吸うにしても限りがあるしのぉ。うーむ」
湯船の中で、頭を悩ませるラルトレア。
血のことばかり考え込んでいたせいで、浴場の外からの気配に気づくのが遅れる。もとより幼女形態にそこまでの察知能力はないが。
「――私も入らせてもらうね」
エミリアだった。
素っ裸の銀髪女が浴室に入ってくる。その裸体をくまなくラルトレアは観察して、口をへの字にゆがませる。
「……えっと、その、あなたも、体の調子は大丈夫? どこか変だったりしない?」
エミリアが掛け湯をしながら、こちらへ問いかけてくる。
「我は常に万全だ」
不完全な幼女形態であっても、それが今のラルトレアの姿であるならその形態での全力を出せることこそ万全。いつでも万全を出せるのが強者の務めなのだ。
「それに、我は人間ではない。わきまえよ、半端者」
「……ごめんなさい」
「ふん、盗品蔵での威勢のよさはどこにいったのだ。毛玉がいなければ強くあれぬのか貴様は」
活動時間外のパックは出てこない。おそらくは依り代の中で眠っているのだろう。それをいいことに、ラルトレアはエミリアを攻め立てる。
――まったく、スバルはなんで、よりにもよってこんな女を
「おい、エミリア。勘違いするでない。我は貴様自身のことを嫌っているのではない。貴様の態度が気に食わんのだ。これよりスバルを惑わさない、と誓うのであれば、優しくしてやらなんこともないぞ」
浴場の隅に隠れるように小さくなっているエミリアを見つける。エミリアは不思議そうな顔をしながら振り返って、
「スバル? どうして今スバルの話が出てくるの?」
「――ん?」
しばし考え込むラルトレア。
「うーむ……エミリアよ」
「なに?」
「貴様は男女の恋仲というのを理解しておるのか?」
「わ、わかるわよそれくらいっ」
ムキになって答えるエミリアにラルトレアは、まさかという考えが思い浮かぶ。もしかすると、今までのエミリアの媚び売りはわざとではなく、素から出たものではないか、ということだった。
――ありえん。なぜあんなわざとらしくできるのだ。なぜ我がこんなにもイライラせねばならないのだ。
エミリアが少し離れた位置から湯に足をつけている。
「なんか、不思議な感じになるの。ラルトレアちゃんと話していると。ヘンね」
「ちゃん、はよせエミリア。そのような年でもないのだ」
「え、そうなの? いくつなの?」
「数えだしてから百と七年か。あまりアテにはならんが」
「おなじ!」
「――は? 何がだ?」
「年よ! ラルトレアと私って同い年よ!」
まさかの返答に、ラルトレアもぽかんと開いた口がふさがらない。きゃっきゃっと嬉しそうなエミリアがじりじりと近づいてくる。
「……うれしい。私もスバルみたいに、ラルたんって呼んでいい?」
「ばっ、ふざけるなこの女狐め! 我は騙されんぞ決して騙されぬ! よくもまぁ純情を気取りおって!」
「……そう、残念。そうよね、お友達って少しずつ仲良くなっていくものって言うし。そうよね、きっとそう」
「――おい、何を勝手に妄想しておるのだ……」
自分の世界に閉じこもって、何やら不穏なことをつぶやきはじめるエミリア。
「あ、こらラルトレア。ダメよ、お湯に髪を入れちゃ」
ついには要らぬ説教までしてくる始末。
たしかにラルトレアはその腰にまで伸びる黒髪を一切気にせず湯船につかっていた。
「ほら、お風呂に入るときくらいは結ぶべきよ」
「貴様は我の母親か……」
調子を崩されるラルトレア。
手を伸ばそうとするエミリアから逃げて自らの後ろ髪を引っ掴むと、それを伸ばした爪で切り取ってしまう。
「これで文句はなかろう」
「え。よかったの? 髪切っちゃって」
「こんなもの、すぐ伸びてくるのだ」
その気になれば『吸血変化』で髪の長さは調整できる。
ちょうど長い髪がわずらわしいと思っていたのだ。肩のあたりで一直線に切りそろえてしまっても問題はない。
黒髪おかっぱ幼女の誕生である。
「ふん、我は髪がなくとも美しいのだ。髪ごときで我の魅力は測れん!」
「そうね、とても似合ってるもの」
「おかしいのだ……まったく嫌味に聞こえぬ……」
エミリアからは悪意を感じられない。
こうして面と向かって二人きりで話してみて初めて分かったことだ。
――この女、頭が弱いのではないか? 戦いではそうでもなかったが。
「そもそも大事なものを盗まれるくらいだからの。きっとのろまなのだな、エミリア」
「あ、あれは私のせいじゃなくて、手癖の悪い子のせいよ!」
「慌てるくらいに大事なものなのだろう? あの徽章は。我なら絶対に手から離さぬがな」
「ずっと構えてると疲れるじゃない! そう、そうよ。仕方なかったのよ。盗まれたのが徽章じゃなかったらあきらめたのに……。あれは替えが効かないものだから」
「ほぅ……そういえば、聞いてなかったの。あの徽章とは一体なんなのだ」
「えっと、ラルトレアは今ルグニカに王様がいないってこと、知ってる?」
「何なのだ馬鹿にしおって。知っておるわ。それがどうした」
――初めて聞いたのだ。
ラルトレアは自分の情報収集の甘さを痛感する。だがその弱みをエミリアに見せるわけにはいかない。流れるように嘘をついた。
「それでね、私はその王候補の一人なの。徽章は、その証」
「……貴様が王候補だと」
「うん。情けない話だけど、今は勉強している最中。ロズワールは私の後見人よ」
ロズワールという辺境伯の援助を得られることから、何かしらのコネクションがあるとは思っていたが、まさか王か。
ラルトレアは驚愕とともに、腹が立っていた。
「エミリア、貴様に王は向いていない」
「わかってる……でもどうしても王様になりたいの」
「――それは幼稚な望みなのであろうな。聞くまでもないのだ」
言って、ラルトレアは湯船から立ち上がった。
素っ裸のままで、エミリアの眼前に立つ。ひと睨みしてから、背中を見せた。
「――王とはむやみに謝ってはならない。
王は臣民を、臣下を責めねばならない。
王は臣下をはいつくばらせなければならない。
王の靴を舐めさせ、貢物を献上するよう命じなければならない。
王は臣民を戦へと放り込み、殺さなけれならない」
自分でもめちゃくちゃなことを言っておる、という実感はあった。
だがラルトレアはそれほどまでに苛立っていた。
自分を馬鹿にされたような気がしたのだ。王としての自分を。
「格の違いを! ……王は見せつけなけれならない。そうしなければ、人を支配する資格など、王となる権利など、ない!」
覚えておけ、と告げてラルトレアは湯船から出た。そのまま浴場から出て、メイドに体を拭かせた。
ラルトレアは客室へと戻っても、そのむしゃくしゃは収まらなかった。
その後、ラルトレアの怒りが自分で発散されることを、怪我から目覚めていないスバルは知る由もない。
王都からメイザース領まで距離感が分からない……
というか、リゼロ世界にチェスってあるのか……?
誰か知っている人いたら教えてください