Re:ちょろすぎる孤独な吸血女王   作:虚子

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第一章 血の滴る一日目
第一話 『ちょろいん』


 ――死ねぇ! 死ねぇッ! シネシネシネッ!!!

 

 両手両足を磔にされてなお、ラルトレアは牙をむき出しにして目の前のニンゲンどもに食らいつこうとしていた。

 よだれを垂らし、彼女の真紅の瞳がにじむように白目まで真っ赤に染まっている。

 だがその怒りをものともせず、突っ立っているニンゲンどもがいる。

 

 ――教皇の犬どもがァ!!

 

 そう叫ぼうとした瞬間、彼女の豊かな胸部の中心に白銀色の槍がぶっ刺さっていた。声ではなく、噴き出す血の塊。肺から胃へ、胃から食道を伝い、口の中を血でいっぱいになる。飲み込めず、吐き出した。

 ベチャッ、ベチャチャベチャッと、生々しい音とともに、急速に力が抜けていくのを感じる。

 

 ――……ここまでなのか、我は……

 

 人間ではありえないほどの血液量。おびただしい血の匂いとともに、石の床を赤色に満たしていく。

 もう、何も”力”を使えない。

 

 滑らかな男の声が地下室に残響する。

 

「貴様の罪は重い、吸血鬼よ」

 

 ピクリとも動かなくなり、うつむいた彼女を見下ろす人間の男たち。

 皆が皆、白銀の鎧と槍を持ち、先頭に立つひと際大きな男が口を開いていた。右腕に十字を刻み、赤いマントを纏っていた。その威風堂々たる態度の前で、彼女は顔を上げる余裕さえなかった。

 

「時のままに死に絶えるがいい」

 

 それだけ言って、踵を返してニンゲンの集団が立ち去っていく。

 ガチャガチャと鎧の関節部分がこすれ合う音だけが聞こえた。

 

 そして――あとには彼女だけで、なにも残らない。

 この廃城には、彼女以外に動けるものがいなくなってしまった。

 ズタズタにされた吸血鬼の戦士たちや、灰となったゾンビたち。誰もその主のもとに駆け付けることができない。

 

 廃城の主である彼女が声を出しても、誰もやってくることはない。

 それがわかっていただけに、彼女は十年はずっと壁に磔にされたままになっていた。だが二十年、三十年と過ぎても、誰も訪れることはない。

 わかっている。

 悪事を企む者が彼女を呼び起こさないように、あのニンゲンどもが何かしたのだ。

 

「ううぅ……」

 

 ついに、彼女の感情が限界に達しようとしていた。ホコリにまみれた床を舐めるように、うめいた。磔の魔法は解けても、もうここから動けない。

 随分、血の力を消費してしまった。

 

 力が無くなるにつれて、体が縮んでいくのがわかる。

 

 ――我は……間違えておらん……

 

 絶望的な現実がある。されどそれが自らの過ちであると認めることはできなかった。そんなことをしてしまえば、彼女は自らの全部を否定してしまうことになる。辛く苦しい幼少を乗り越えたあのときの自分さえ、なかったことにしてしまう。それがとてつもなく恐ろしかったのだ。

 

 吸血鬼の女は過去を思い返す。

 この廃城に移り住んでからというもの、彼女の回りには必ず三人がいた。元ニンゲンの執事・アルベルト、ヴァンパイアハーフのメイド・クリス、そして自ら造り上げた理想の騎士・ボルフォーン。

 

 だがそんな彼らも、今はここにはいない。

 

「……く、ふ……ふ……終りだ……終わりにしよう…………」

 

 あきらめしかなかった。精神が生きることをやめた途端、彼女の肉体がみるみるうちに小さくなっていった。

 身長は縮み、両手両足もその丈を短くしていった。

 その豊満な胸も、お尻も、幼子のようになってゆく。

 

 気づけば七歳ぐらいの女の子の姿になっていた。

 変化の反動で記憶さえも曖昧になっていく。視界がぐらつき、目まいと頭痛がおそってきた。

 

「われは……あたし、は……」

 

 このままいくと赤ん坊となり、果てには受精卵にまで戻って死んでしまうだろう。

 彼女の意識はもう保たれていない。

 そこに声が降ってきた。

 

 ――こちらへ来るがいい、吸血の娘よ――

 

 それは黒い手でも魔女でもない。まるで龍のような神秘的なオーラをまとったものだった。

 

 

 

 

 

 

 混濁した意識のなから、彼女は浮き上がっていった。そして彼女はうつ伏せに倒れた地下室から、彼女は薄暗い裏路地へと移動していることを知る。

 

「……あた……われは…………。…………はえ?」

 

 視界がぐにゃぐにゃに歪んでいた。 

 音が聞こえる。すぐそばにある大通りを複数の何者がか行き交っている。土ぼこりを巻き上げ、ドシンドシンと地面を鳴らしている。

 耳を石畳にくっつけていた彼女にはそれがよく聞こえた。

 

 意識が鮮明になって、音が聞こえるようなっても長年光を浴びていないせいか、うまく視覚情報を獲得できない。

 ぐにゃぐにゃに歪んだり、ぼんやりとピントがずれていた。

 

 それでもわかる。

 

「何が起きたのだ?」

 

 まるで何が何やらわからない。

 自分の見知っている城の中ではない。ましては城から見える風景とも180度異なっている。一体ここはどこだ、異世界に来てしまったのかと彼女は考える。

 

 そしてそれは当たっていた。

 ぼんやりとした景色のなかに、猫とか犬、トカゲみたいな顔を持つ亜人たちを認めることができた。

 

 そんな彼らが大通りを白昼堂々歩いているではないか!

 

 彼女が知る限りでは、あのような生物は吸血鬼同様に迫害され、聖騎士団に狩られていったはずだ。

 

 それなのに。

 

 不思議で不思議で仕方がない。

 彼女はぼやけたまま、壁を伝ってゆっくりと立ち上がった。そうして近くで彼らを見ようと大通りから顔を出してみると。

 

「お? んん? どうなっているのだ? 何がどうなっているのだ? ――へぶっ」

 

 キョロキョロと見まわしていた彼女は、誰かに顔面からぶつかってしまう。

 

「き、きさま! 何をするのだ!」

「おうすまんすまん、ちっこくて見えんかったわ! ガハハ!」

 

 さっさとどこかへ行ってしまう犬の獣人。

 変なイントネーションで話す失礼なやつだ。と、考えて気づく。彼女は小さくなっていたのだ。

 

 まるで幼女のような背丈、胸、両腕、両足、お尻。

 一つずつ自分で触って確かめた。

 

「どうなっておるのだ……」

 

 化けた覚えはまったくなかった。戻そうと”力”を使おうとして、『血の蓄え』が底を尽きていることを知った。

 これでは彼女は本当に非力な幼女でしかない。

 

「…………」

 

 言葉を失ったまま、裏路地に戻った。

 石畳の階段に腰かけて、ぼーっとあたりの風景を見ていた。

 どうすればいいのか分からない。

 

 自分の手元を見ても、幼稚な自分の肉体しかない。

 いつものダークドレスも体に合わせて収縮している。レースのついた薄布の黒手袋もそのまんまだ。

 

 でもそれだけだ。

 着の身着のまま、というのはまさにこのことだろう。

 

 食料も非常食も、酒もワインもない。

 趣味だったチェスも、財宝類もない。お金もない。財宝類があれば換金できたかもしれないというのに。

 

 あるのは、服と肉体だけだ。だが血のストックはゼロ。

 

 今ここで殺されれば本当に死ぬ。今すぐにも血を吸わなければならない。

 ――しかし。

 

「…………むやみに殺さないでください、か……」

 

 メイドの言葉が思い出される。

 ……あまり、殺しをする気にはなれなかった。

 

 目の前に居る全員、獣人を殺してしまえばすぐとはいえないものの、万全の状態に戻れるかもしれない。

 されど、それをする気にはなれなかった。

 彼女の心は傷ついていたのだ。

 

 と、そこに。

 

「――お、いたいけな幼女発見。どうした? 何だか落ち込んで体育座りしてるけど」

 

「え……?」

 

 いきなり変な男が話しかけてきた。

 大通りから裏路地に入ってきて、仁王立ちしながら胸を張っている。見たこともない黒装束を着ていて、手にはこれまた変な白い袋を持っている。

 男は額に汗をかいており、平静を装っているだけで焦っているのだとわかった。

 

「そ、そんな目で見ないでくれ……いや、なんか困ってるぽかったからさ。無一文だけど話だけは聞いてやれっから! あと、今俺もパニクってて現状把握したいから話し相手が欲しいんだよ。三人寄れば文殊の知恵? とか言うだろ――あ、これ通じねえか」

 

「く、くふふっ」

 

 よくしゃべる男だ。初めの印象はそれだった。

 しかし聞いていると意味が分からずとも妙に面白く、その出で立ちからして興味がわいた。

 そしてなにより、男と話していると落ち着くのが分かった。

 ようやく眩暈も収まってきて、男の顔が鮮明に映った。

 

「やっぱり女の子は笑顔が似合うな! 可愛さ百万倍!」

 

「……ふふ」

 

 鋭い目つきに三白眼。

 自分と同じ黒髪だが、彫は浅く、瞳の色も真っ黒だ。もっと東の方にこんな顔の人種がいると聞いたことがあるが、実際には見たことがなかった。

 

 そんな変な人間と出会って、彼女はうかれていた。

 思わず笑みが漏れてしまうのが抑えきれない。この男は、彼女の成人状態を見たときどんな反応をするだろうか。

 

 こうして、昼のひとときの裏路地で、異世界から来た少年と吸血鬼の少女とは出会ったのだった。


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