FRAME ARMS:RESEMBLE INFINITE STORATOS 作:ディニクティス提督(旧紅椿の芽)
「ふー、食った食った。やっぱり一夏姉の飯はうまいぜ!」
「そう言ってもらえると作った甲斐があったよ」
「ぐぬぬ…………これを酒の肴にできなかったのが悔やまれるぞ」
夕ご飯の後、リビングでくつろいでいる二人を背に、私は洗い物をしていた。久々に料理したんだけど、二人とも喜んで食べてくれて嬉しかった。あ、お姉ちゃんの拘束はもう解除したよ。流石にあのままにしておくのは最初はいいかと思っていたけど、なんだか見ているうちに私が尋問と拘束をされていた時を思い出してしまって…………それで解放したんだよ。まぁ、解除した直後に『愛してるぞ、一夏ぁぁぁぁっ!!』とか叫んで抱きしめられて、背中の骨がなってはいけない音がしかけたから、思わず鳩尾に一発エルボー食らわせたけどね。それはともかく、今こうして家事をしているわけだけど、どこか懐かしい気分になっていた。父さんも母さんもいない私達は、みんなで協力してここまで生きてきた。最初の頃は箒の家の人たちにお世話になっていたけど、箒達が引っ越した後はお姉ちゃんがバイトして稼いでいた。私達もお姉ちゃんを手伝おうかと思ったけど、私はどちらかといえば家事を任されていたからね。バイトはお姉ちゃん、家事は私、両方の手伝いを秋十といった感じでやっていた。だから、こんな風にしていると、昔を思い出して、そんな頃もあったんだと思ってしまうんだ。あの頃は大変だったなぁ…………お姉ちゃんは言うまでもなく、秋十も手伝うと言った瞬間包丁で指を切るし…………家事よりそっちの方が大変だった気がする。
(よし、これで終わり、っと)
最後の皿を洗い終え、洗い物カゴに突っ込んだ。こうしておくと水滴が下に落ちて、拭くときに凄く楽になるんだよ。あと、お湯でやった方が乾きやすいしね。
「ふぅ、こっちはとりあえず終わったよ」
「そうか。すまんな、せっかくの休暇だというのに」
「いいって、いつもの生活の中にいるのも休暇みたいなものだから。それに、バイオハザードを引き起こされても困るしね」
「…………痛いところを突くな、痛いところを」
「まぁ、正論だけどな。死因が身内のバイオハザードだけは勘弁してくれよ、千冬姉?」
秋十まで言われて完全に轟沈するお姉ちゃん。そこに世界最強の威厳など一つも残されていない。多分、家と外の差が激しい人ランキング一位になる事間違いなしだ。とはいえ、久しぶりにした家事はなんだか新鮮なものに感じた。いつもは身の回りでする事なんて言ったら洗濯くらいだし、ご飯は基地のPXで食べられるから炊事する必要なんてないしね。
「そうだ、先にお風呂はいってきてもいいかな? 向こうだとシャワーしかなくてさ」
「おお、いいぜ。湯加減はどうだかわからないけどな」
「秋十の事だから丁度いいとは思うけどね」
轟沈して再浮上する気配のないお姉ちゃんをよそに私はお風呂に入る事にした。基地の方じゃシャワーしかないし、近くの銭湯に行こうにも外出届を出さなきゃいけないから、ゆっくり湯船に浸かるなんて事はある意味贅沢な事だったんだよ。家のお風呂ならそういう事は必要ないしね。というわけで、お風呂に入って入る準備をするべく、一旦部屋に向かい着替えを取りに行く事にしたのだった。…………そういえば足首まで隠せる服って、私持ってたっけ?
◇
(はふぅ…………気持ちいいなぁ…………)
湯船に身体を沈めた私は思わず力の抜けたような声を出しそうになった。程よい温度が今まで戦闘で溜まっていた疲れとかそういうのを一気にほぐしていくような気がする。髪が濡れる事もお構いなく、私の長い髪は湯船に浮いて広がっている。なお、ここ最近まともに手入れをした事はない。せいぜい髪を洗って乾かしてくらいだからね。それでも基地にいる女性達から綺麗な髪だって言ってくれる。きっとそれはお姉ちゃん譲りの髪だからなのかもしれないけどね。お姉ちゃんも手入れが雑だけど、艶とかがある髪だし。
ただ、ふと視界を下に移すとそこには幾多もの裂傷が刻み込まれた私の両足が目に映る。二度と消える事のない傷…………まぁ、仕方のない事だって割り切ってるからいいけどね。それに、細かい傷なら左腕にも少しあるし、まだ痣も少し残っているし、戦場に身を置いているわけだから傷がつくのは仕方ない事なんだ。足が吹っ飛んだり、命を落とす事と比べたら全然マシだよ。でも…………この傷、秋十には知られたくないかな。お姉ちゃんは一緒に出撃したから分かっているし割り切っているけど、秋十はそうじゃない。きっと取り乱すに違いない。せめてこの休暇中だけでも…………私達の日常に戦場の傷を持ち込みたくはない。たとえそれが私達の存在を隠蔽されて作られた歪な平和の中の日常だとしても…………秋十にとってはそれが真の日常だから…………壊すわけにはいかないよ。
(そういえば、今日までいろんな事あったなぁ…………)
傷が目に入ったついでに今までのいろんな事が思い出されてきた。確か入隊を決意したのが十三歳になった次の日だった気がする。その後は地獄の訓練を習志野や富士演習場でして、一年前に訓練での成績を加味されて若年兵少尉として正式入隊したんだっけ。尤も、正規FAパイロットは最低階級でも少尉とか後で葦原大尉に教えてもらったっけ。同期でいた雪華が整備兵軍曹だからそういうのもあるのかもしれない。それで、その二週間後の初の実戦ではちょっと漏らしてしまったけど、逃げ遅れた民間人を助ける事ができたからよかった。そしてその後に中尉に昇格したんだけど、結局基地内最年少だから子供扱いされたままだっけ。特に中隊の悠希以外のみんなからはよく子供扱いされたよ。まぁ、中学生だからそう言われても仕方ないかなと途中で諦めた。それからは中隊のみんなの足を引っ張らないように戦ってきた。そんな時に来たのがドイツでの任務。結果から言えば成功だけど、その時に私が負傷、今の傷が残っている。帰国してからは横須賀でお世話になって、この間の出撃の時にゼルフィカールに乗って戦場に帰ったんだっけ。そしたら、なんか拘束されて尋問されて、査問会受けて今に至る。本当にいろんな事があったよ。そして、懲罰休暇を与えられて、その先に見たのはかつての日常…………私が守りたかったものがあった。だから…………本当にここまでやってきてよかったって思ってる。
(でも…………まだだ、まだ終わったわけじゃない…………)
洗い終えた髪をまとめながらそう思った。長い髪である故になかなかまとめるのが大変だ。でも、そのまま張り付くのも少しあれだし、痛みにくいと言われても最低限大切にはしたい。けど、それよりも…………私の戦いはまだ終わったわけじゃない。前回起きたIS学園に向かうアント達…………あれがもし民間地区へと向かっていたと考えると…………ぞっとする。それに睦海降下艇基地が活動を停止したわけじゃない。むしろこれからどんどん激しさを増していくに違いない。被害も大きくなるかもしれない。でも、私のやる事は変わらない…………戦って、戦って、戦って、最後の一体を確実に撃破するまで戦い続ける。それが私の——いや、私達国防軍の使命だから。…………やっぱり、もう身に染み付いてしまった以上、戦場から離れる事なんて出来ないんだね。そうやって休暇にまで仕事の事を考えてしまう自分がバカ真面目すぎるなと思いながら、身体を洗う為にボディーソープに手を伸ばした時だった。
(あ、あれ…………? な、なんで出ないの? もしかして、切れてる…………?)
持ってみるとやけに軽い。中身はほとんど入ってないに等しいだろう。…………これが最後の一本ってオチはないよね…………? 脱衣所に替えのボディーソープあるかなぁ…………? そう思って一度お風呂場を出る事にしたのだった。
◇◇◇
「あ、いっけね。忘れてた」
「どうした、急に。買い忘れでもしてきたのか?」
遡る事、数分前。リビングで千冬とともに茶を啜っていた秋十は徐に何かを思い出した。記憶力がいい秋十が忘れたと言ったため、千冬も何事かと思ったが、明らかにそこまでマズイ顔をしてなかったから普段通りに彼へ聞いたのだった。
「ああ、ボディーソープ切れてた事思い出してさ。確か補充用のやつをまだ脱衣所に持ってってなかったんだ」
それを聞いた瞬間、千冬はこれはマズイと思った。一声かけてから入るならまだしも、彼の場合デリカシーのかけらなど一切なく、堂々と入っていくのだ。事実、千冬も何度か脱衣所で彼と遭遇するという事があった。尤も、その度にしばかれるも、治る気配などなく、千冬が頭を悩ませる要因の一つとなっている。自分ならまだしも、今回は一夏が入っている。自分よりまだ女らしさが残っている一夏と、万が一脱衣所でエンカウントしてしまったとなれば…………おそらく一夏が多大なダメージを負うかもしれない。それに、一夏の両足にある傷の事を千冬は秋十に話していない。見られた一夏が傷つくだけでなく、見てしまった秋十も衝撃を受けてしまうだろう。それだけは避けるべく行動を起こそうとした千冬だったが
「それじゃちょっと置いてくる——」
「ま、待て!!」
既にリビングを出て脱衣所に向かう秋十。しかも大して距離がないから防ぐのはもう手遅れである。こうなった以上、千冬は一夏と秋十がばったり出くわさない事を祈る事しかできなかった。
「——ひゃあぁぁぁぁっ!?」
…………しかしながら、その願いは無情にも打ち砕かれる。響き渡る悲鳴と何かを叩く音を聞きながら千冬はこう思ったのだった。——私もつくづく運のないものだな、と。
◇◇◇
「…………それで、弁明する事はあるのか? ええ、秋十?」
「…………全て自分の責任でございます、姉上。申し訳ございません…………」
脱衣所で秋十とエンカウントしてしまった私は思わず悲鳴をあげて、思いっきり頬を叩いてしまった。その証拠に秋十の左頬には大きな紅葉が出来ている。いや、誰だって身内に見られとはいえ異性なんだからびっくりするでしょ!? ただでさえ私はこういう類の事が苦手だというのに…………葦原大尉のセクハラはどっちかと言ったら肉体的でなく茶化す感じだから別にそこまで驚いたりしないけど、今回はバッチリ見られたからこうもなってしまう。現在秋十はお姉ちゃんの手によってツボ押しマットの上に正座させられている。今回といい、秋十はデリカシーというものが本当に欠如してると思うよ…………せめてノックくらいしてワンテンポおいてくれたらこんな事にはならなかったのにと思ってしまう。
「謝るのは私の方ではないだろう」
「…………本当に申し訳ございません、一夏姉。一夏姉の玉のお肌を無断で見た事を深くお詫び申し上げます…………」
綺麗に土下座を決めて謝ってくる秋十。別に私はお姉ちゃんほど怒っているわけではないから、今回だけは許そうかなと思う。まぁ、身内だったからというのもあるけどね。
「…………今回だけは許すよ」
「ほ、本当か!?」
「でも、もし今度こんな事があったら…………ロングレンジキャノンを打ち込むからね?」
「い、イエス・マム!!」
そう言って何故か軍隊式の挨拶をしてくる秋十は一体どこでそんな事を覚えてきたのだろうか。少なくとも私はありえないから、弾君とかそのあたりかな? それはひとまず後で考えるとして…………正直私の裸を見られた以上に気になって仕方ない事がある。
「それよりもさ、秋十…………その、見た?」
「え…………一夏姉の裸体ならこれでもかと——」
「そうじゃなくて…………その、足の傷とか…………」
そう、私の両足にある幾多もの裂傷のことだ。これは秋十にだけは知られたくなかったものだから…………できれば私の上半身だけを見ただけで終わってほしいと心の底から祈っていた。
「…………あ、ああ…………まだ目に焼き付いてるよ…………」
だが、そんな祈りは無情にも打ち砕かれてしまった。知られたくなかった事を知られてしまったから、思わずどうしたらいいかわからなくなってしまった。よく見たらお姉ちゃんも同じように眉間に手を当てて考えている。でも…………ここで伝えなかったらこの後が大変な気もする。それに、秋十が何かを思い悩んでしまうかもしれない。
「その…………一夏姉。あまり聞きたくはないんだけど、その傷って一体…………」
やはり秋十も傷について気になってしまっているようだ。やっぱり、ここはしっかり話すべきなんだろう。そう思って私が説明しようとした時だった。
「一夏の傷についてなんだがな…………訓練中の事故でついたそうだ。後の事は私も知らされていない」
お姉ちゃんが私よりも先に説明していた。思わずお姉ちゃんの目を見ると『ここは私に任せろ』と言っていたように感じた。その目を信じて私はお姉ちゃんにこの件を任せる事にしたのだった。
「それにだ、その事故に関しても箝口令が敷かれている。秋十、必要以上に事を知ろうとなど思うなよ」
「わ、わかった…………」
お姉ちゃんの威圧に気圧された秋十は納得するしかなかったようだ。確かに秋十には言えないような中身だからね…………しかも、国連軍司令部からの箝口令だから、知った者はきっと拘束されるに違いない。そんな事に家族を巻き込みたくないのはお姉ちゃんも同じようだ。嘘をついてしまった事になるけど、これは家族を守るためだと自身を無理やり納得させた。でも、それ以上に秋十はこの傷を見てどう思ってしまったのだろう…………それが気になって仕方ない。
「そ、その、秋十…………私の傷を見てどう思った…………? やっぱり、こんな傷だらけの人って気持ち悪いよ、ね…………?」
思わずそんな事を秋十に聞いていた。本当は聞きたくなかったけど…………でも、変に黙って距離を置かれるよりは聞いてから距離を置かれる方がマシだから…………。でも、その事を聞いて身近な人が離れるって考えたら…………なんだか寂しくなって…………目尻が少しだけ熱くなってくるのを感じた。秋十は少し考えるような素振りを見せてから、口を開いた。どんな辛い言葉が来てもいいように私も身構えた。
「そんなわけないだろ」
けど、代わりに来たのは抱きしめられるような感覚。
「事故だったなら仕方ないし、避けようがなかったんだろ? それにさ…………一夏姉は綺麗だよ。見た目だけじゃなくて、その優しさとかがさ。だから、そんなこと言うなよ」
ほとんどの人は恐らくこの傷を見ただけで私を腫れもの扱いするかもしれない、もしかすると秋十と同じようになるかもしれない…………そう考えていたから、余計に今の言葉が染み入ってくる。秋十は確かにお人好しで女誑しだけど…………でも、それ以上に誰にも優しい、私の自慢の弟だ。その優しさが今の私にはとても心地よく感じられる。気がつけば目尻の熱さもなくなり、私も秋十を抱き返していた。
「…………ありがと、秋十。やっぱり秋十は優しいね」
「へへっ…………例えさ、みんなが一夏姉の事を否定したとしても、俺は絶対一夏姉を守るからな。俺たち、家族だろ?」
「…………うん、そうだね。なら私も家族を守れるように頑張るから」
しばらくそうやって抱き合っていたが、咳払いを受けて離れる私達。よく見たらお姉ちゃんが呆れた顔をしてこっちを見ている。って、今のお姉ちゃんの前で色々と堂々としていたよ!? …………しかもなんか複雑な表情しているし…………これ絶対お説教ルートだよね?
「まぁ、とりあえず事が落ち着いて何よりだ。しかしあれだな、秋十。一夏を守るのはお前だけじゃないだろ。私の事を忘れるな」
お説教ルートかと思ったけど、優しい表情を浮かべているお姉ちゃんからはそんな事になる気配を全く感じなかった。多分、この表情は普段絶対見せないものだと思う。その優しい微笑みにつられて、私達も思わず笑顔になってしまうのだった。
◇
寝る時に着る服に着替えた私は、台所に洗った食器がまだ片付いていなかった事を思い出して、その片付けをしていた。水気はほとんど切れていて、サッと拭くだけで乾いたからかなり楽に終わったけどね。その仕事を終えた私はリビングへと向かった。
「あれ、お姉ちゃん、まだ起きていたの?」
「ああ、やはり酒がないとやけに寝付けなくてな」
「そう言っても、禁酒は禁酒だからね?」
「わかってるさ」
リビングにはソファに深く座っているお姉ちゃんがいた。秋十は既に寝ている。今頃自分の部屋で夢の世界に行っていることだろう。まぁ、私の場合夜間に出撃とかざらにあったし、緊急展開部隊として夜間警備の任務をすることもあったから、特に眠いとかそういうのは感じない。それに、せっかくの休暇だからできるだけお姉ちゃん達と一緒にいたいしね。
「そう言って破るの、お姉ちゃんの得意技だけどね」
「うぐっ…………に、人間は誰しも欲望には勝てんのだよ…………」
そう言って苦い顔をするお姉ちゃん。とはいえ、重要な約束は必ず守ってくれるからいいんだけどね。まぁ、この禁酒令がどれだけ持つかわからないんだけど。秋十が酒量制限していたみたいだけど、結局二週間持たなかったとか言ってたし。今回も一ヶ月とは言っているが、三週間も持てばいいほうだと思っている。
「でも…………これでやっと聞けるよ」
「なんだ一夏?」
「お姉ちゃん、なんで代表を降りたの?」
秋十がいない今、私は気になっていたことを口にした。そう、お姉ちゃんは去年の十二月に国家代表を辞退した。その話は世界中を駆け巡り、私達の基地にまで耳に入ってくるくらいだった。しかも、第二回モンド・グロッソの優勝候補と言われていたが、決勝戦を棄権し、二連覇を果たさなかったという話だ。いつも、どんな事にでも真正面から向かって逃げることはなかったお姉ちゃんだからこそ、私はその話が信じられなかった。本当はドイツで会った時にその事を聞こうと一瞬思ったけど、あの時はそれどころじゃなかったから、今回こそはその理由を聞こうと思ったわけだ。
「そ、それは…………」
「もしかして…………秋十も関係している?」
「!?」
ふと私が聞いたことにお姉ちゃんは驚きを隠せないでいるようだった。やっぱり、か…………さっき秋十と私が互いに抱きしめ合ってる時に、私が『守るから』って言った瞬間、わずかに秋十の肩が震えたような気がしたからね。もしかすると、私の知らないところで何かあったのかもしれない、そう直感で思ったんだ。まぁ、見事図星みたいな感じだけどね…………お姉ちゃんも予想外の事にはポーカーフェイス出来ないから、モロに顔に出てるんだよ。ただ…………下手したら、二人が抱えてしまった傷口を抉るような真似をするかもしれないから、デリケートに扱わないといけない。
「別に言いにくかったら、言わなくてもいいよ…………ただ気になっただけだから」
「いや…………お前に隠し事はできん。いつかは話さなければならなかったもの…………その時が来ただけだ」
お姉ちゃんは一度深呼吸をすると、少しずつ話を始めた。
「実はだな…………決勝戦当日、秋十が誘拐されたんだ」
…………最初っから、すごく話が重いんですけど!? というか、誘拐!?
「どこの連中がしたのかは未だに不明だが…………狙いは私の決勝戦を辞退らしい。それが聞かされた時、私は今すぐにでも助けに行こうとしたのだが、政府が寄越した人間が女尊男卑主義者でな…………『そんなのはどうでもいいから、決勝戦に出ろ』と抜かしてきた」
お姉ちゃんはお茶を少し啜るとまた淡々と話し出した。でも…………湯呑みを持っていた手が少し震えていたのが私の目に入ってきた。きっとお姉ちゃんにとって、この事を話すのは相当辛いことだ。今その事を指摘してしまったら、お姉ちゃんの覚悟に水を差す事になる。私はそれを見なかったことにしてお姉ちゃんの話を聞くことにした。
「話をしても埒があかないと思った私は、そいつの顔面を陥没させて、秋十を助けに行ったわけだ。その時、支援要請を受けたドイツ軍特殊作戦群と合流し、秋十を無事発見することができた。その後、私は代表を降り、二ヶ月ほどドイツで教導にあたった…………これが、お前のいない間に起きた事だ」
話してくれたお姉ちゃんの顔はやはり暗くなってしまっていた。ふと溜息を吐いたお姉ちゃんは、誰に向かって話しているわけでもなく、ポツリポツリと言葉を紡ぎ始めた。
「情けない話だよな…………『家族を守る』と、あの時言ったにも関わらず、家事はお前たちに任せっきり…………お前は私達を命懸けで守っているにも関わらず、私は家族一人すら守りきれなかった…………私は一体何をしてきたんだろうな…………」
そう嘆いているお姉ちゃんの顔は、酷く辛そうで、見るに耐えなかった。そして、その原因となってしまったのは、私のあの一言だ。この責任はちゃんと私がとらないと…………それに、お姉ちゃんは私達をいつも守っていてくれたから…………。
「そんな事ないよ。確かに今の私は国防軍にいるし、お姉ちゃんは家事がてんでダメだけどさ…………いつも真っ先に私達を助けてくれたじゃん…………お姉ちゃんがいなかったら私や秋十はどうなっていたかわからないよ…………だから、自分が情けないなんて言わないで…………」
今の私に出せる精一杯の言葉がこれだけだった。特に着飾る事もない、率直な言葉。少しは優しい言葉が掛けられたらよかったと思うんだけど、考えた結果がこれ。…………自分の国語力の低さをここまで恨んだ時はないよ。
「ふふっ…………本当、一夏は優しい子だ。おかげで少しは気が楽になったよ…………まぁ、秋十の負った傷を癒すのはあいつ自身の強さに任せるしかないんだがな」
「それは…………そうだね。でも、誰かが支えてあげなくちゃ。私だって、朝一緒にご飯食べた人が、夜にはいなかったなんて事があった時は、上官の人にお世話になったし」
「そいつも一理あるかもな」
お姉ちゃんはやっと暗い雰囲気から抜け出したようだ。でも、きっとこれからもずっとその事を負い目に感じて、そして背負い続けていくんだ…………だから、私や秋十が支えてあげなくちゃいけない。それが今の私達に出来る、お姉ちゃんへの恩返しみたいなものだから。
「さて、そろそろ私も寝るとするか。お前も早く寝ろよ?」
「わかってるよ。でも、最後に一つ聞いてもいいかな?」
「なんだ?」
「お姉ちゃんって、今何かの仕事に就いている?」
素朴な疑問。代表を降りた以上、お姉ちゃんの事だから別の仕事に就いているかと思ったから聞いてみた。するとお姉ちゃんは顎に手を当てて何か考えるような素振りをしてから答えてくれた。
「そうだな…………今は学校の教師をしている。ちょっとした学校のな」
「そっか…………うん、教えてくれてありがと。それじゃ、おやすみ」
「ああ、おやすみ、一夏」
◇
帰った日の翌日は日曜日という事もあって、私以外起きるのがあまりにも遅かった。私の場合、基本的にどんなに遅くても五時半には目を覚ましているし、それが習慣として身についてしまっているからね。おまけに朝の走り込みだけは絶対しなきゃならないし。結局、休日とはいえいつもの習慣がもろに出ていたわけなのであった。まぁ、そのあとは勉強して、近所にお出かけしたりしたけどね。…………いや、いくら学校に行っているとはいえ週三日、一応基地内で補習をさせてもらっているとしても、追いつくにはもう少し時間が欲しいと思った。
「しっかし、休日まで勉強するとは、一夏姉って本当真面目だよなぁ…………」
「そういう秋十は? 宿題とかあったんでしょ?」
「お、俺は学校でやるからいいんだよ!」
休日明け、約一年ぶりに秋十と学校に行く事になった。一応、昨日のうちに学校の方には電話をして一週間は普通に通える事の旨と少々制服に改造を加えてもいいかどうかを伝えておいた。改造の件は直ぐに通ったよ。多分、国防軍の方から少し手を加えているに違いない。まぁ、改造と言っても傷を隠す為にニーソ使いますよって事だけなんだけどね。
そんな事はさておき、こうして秋十と学校に行くってのは久しぶりだ。というかそもそもで自宅から登校するってのが久しぶりすぎて逆に新鮮に感じる。いつもはヘリボーンで登校していたからね。うん、全然普通の登校じゃない。だから、こうして歩くってのが新鮮に感じるのだ。
「うぃーっす。お、今日は一夏もついてんのか」
「珍しい光景じゃね? いつもは横にガチムチと絶対殺すマンがついてるしな」
「あー、それって昭弘と悠希の事?」
「誰それ?」
途中で弾君と数馬君と合流した。その際に聞いた昭弘と悠希の呼び方について、どんな呼ばれ方をしているんだろうと思った。いやいや、その呼び方はさすがにないでしょ? 昭弘は確かに見た目は筋肉ゴリラだし、悠希は無口で何考えているのかわからない時もあるけどさ、二人とも根は優しいんだし…………っても、弾君や数馬君にはわからないか。尤も、教室が離れている秋十は全くもってわからないようだ。まぁ、学年も違うしね。
「私の大切な
「へぇ〜」
秋十は若干興味なさげな感じで答えた。まぁ、関わりを持つかどうかは秋十次第だからね。それに、昭弘と悠希はきっと初見で仲良くなんてなれるようなものじゃない。私だって打ち解けるまで少しは時間かかったし。
「…………昭弘の方は言葉が通じるからいいけどさ、悠希はやばすぎる」
「…………なんか一夏にナンパしようと画策していた奴が急に早退したって事もあったからなぁ」
昭弘と悠希の名前が出た途端、何故か空を見上げて合掌している弾君と数馬君。なんでそんな事をしているんだろう? 新しい宗教か何かかな?
「ま、とりあえず、遅刻しねえようにさっさと行こうぜ!」
「なーに、まだ四十分以上余裕があるぜ? 折角一夏がいるんだから、少しくらい美少女とゆっくり登校させろよ? なぁ、お前も同じだろ、同志?」
「そこで俺に振るのかよ…………まぁ、俺や弾みたいに恵まれない男にとっては貴重な体験だってのは言えるわな」
弾君が放った言葉に思わずどきっとしてしまった。わ、私がび、美少女!? ぜ、全然そんな事ないって!! 基地のみんなには可愛い可愛いと言われてるけどさ、それはあくまで子供っぽいからだと思う。けど…………同年代の異性から突然こんな事を言われたら…………うぅ〜、こんな経験初めてだからどうしたらいいかわからないよ〜!
「って、一夏姉顔真っ赤!? な、なんだ熱でもあるのか!?」
「…………というより、弾君の一言で脳がショート仕掛た…………」
「…………俺、なんかまずい事でも言ったか?」
「逆に、まずくない事が今まであったのか?」
や、やばい…………脳の処理が追っつかない…………民間人の不意打ちにより混乱する中尉ってなんなんだろうかと思ってしまう。というか、別にこのタイミングで言わなくてもいい事だよね、それ。てか、当の本人はその一言に気がついてない模様だし…………もしかして、天然でこれなんだろうか? 類は友を呼ぶとはいうけど…………秋十と同じタイプの唐変木だけは集まって欲しくはなかったよ…………。
とまぁ、そんな感じにどこにでもあるような集団で登校するという日常の一部を私は満喫していた。時間ならヘリボーンの方が早いけど、楽しさならこっちに軍配があがるかもしれない。まぁ、この一週間が終わったら、また基地での日常に戻るんだけどね。私、弾君、秋十、数馬君の順に並んで歩いていた。しかし、歩道橋なんていつぶりに歩いただろうか…………少なくとも基地にいる間はお世話にならなかったね。
(やっぱり、戦場よりこっちの方が断然いいよ…………だって——)
ふと後ろに少しだけ視線を向けるとそこには笑っている男三人組の姿があった。
(——こんなにも平和で楽しいんだから)
当たり前の事だけど、その当たり前を守っている身としてはその光景が見られるだけで十分救われたような気がした。思わず笑みがこぼれそうになった。こんな日がいつまでも続くように、私達が頑張らないとね。そんな事を思いながら歩道橋を降りようとした時だった。
「——やっ、やっべぇっ! ち、遅刻するぅぅぅぅぅっ!!」
「きゃっ!?」
後ろからものすごく焦った様子で走ってきた人にぶつかられてしまった。しかも場所が悪すぎる。丁度階段を降りている最中で、次の段に降りようとしていた時だったからバランスが崩れている。そこにさらに衝撃など加わったら、それは回っているコマの横から力を加えるようなもの。つまり、現在進行形で頭から落ちそうです。——って、説明なんてしている余裕なんてない! こ、このまま行ったら、また病院送りになる! とはいえ最早どうにもならない事も事実…………あぁ、短い休暇だったなぁ…………予想外の事が起こると思考が停止する私の脳は何も解決策を見いだせないまま、転落する事を容認していた。
「あ、あぶねぇ!!」
そんな時、急に腕を引っ張られて現実世界に呼び戻された。ふと後ろを見ると必死な形相で私の腕を掴んでいる弾君とその後ろで弾君を支えている秋十と数馬君の姿があった。
「だ、大丈夫か?」
「う、うん…………」
突然のことに私の頭は未だに思考を停止したままだ。多分、弾君が心配して声をかけてくれているんだろうけど、あまり言葉となって返せていないような気がする。
「あっぶねえだろうが!! 気をつけろ!!」
「一夏姉に傷がついたらどうするつもりだおいコラァ!!」
「す、すみませぇぇぇぇぇん!!」
そんな秋十達の怒号で我に帰る私。そのまま私と弾君はお互いに手を離し、思わず目を逸らしてしまった。さっきまで掴まれていたところがどこか変に熱を帯びている気がする。私はその場に一旦座り込んだ。
「け、怪我とかねえか?」
「だ、大丈夫だよ。あ、ありがとね、だ、弾君…………」
「お、おう。ど、どういたしましてだな」
思わず意識してしまう。まずい…………弾君の方に顔を向ける事ができない。な、なんで…………こんなに意識する事なんてなかったのに…………。
「…………なんかすげえラブコメの波動を感じるんだが」
「…………数馬よ、それには俺も同感だな」
後ろで二人が何か言ってるようだけど、私の耳には入ってこない。それどころかさっきの変な熱が全然引きそうにない。な、なんでなの…………わけがわからないよ…………。
「と、とりあえずだ、ち、遅刻するとやべえから、は、早いとこ行こうぜ?」
「そ、そうだね! は、早く行こっか!」
弾君からそう言われたので、私もぎこちなくだけどそう返した。でも…………本当になんなんだろう、これ…………こんなこと初めてだからわからないよ…………そんなモヤモヤした気分になりながら、私達は学校へとまた歩き出したのだった。
◇
あれから数日が経った。すでに懲罰休暇は終わり、原隊復帰している。休暇の前とは変わらない日々が続いているわけだけど…………まぁ、一箇所だけ変わったところがあるかな。休暇の間、学校に行っていたわけだけど、視界に弾君が入ると変に鼓動が高鳴りそうになったり、前までならお互いに話せていたのに、今じゃ目をお互いに逸らしちゃうようになったし…………どうしたんだろ、本当に。しかも、挨拶までぎこちなかったから、本気でどうしたらいいのか悩んで、つい秋十に相談したよ。そしたら『…………すまん、俺には答えられないわ』とかと言われて逃げられたし…………どうしたらいいのか迷ってしまったよ。
「はぁ…………」
週一で行われる射撃訓練の後、思わずため息が漏れてしまった。下げたアサルトライフルの銃口からは未だに硝煙が立ち上っている。何発かの弾丸はほぼ中心を捉えてはいたけど、殆どはバラけて着弾、何発かは的の外に着弾しており、手元がぶれていたと後になって実感する。ぶれる原因は多分このモヤモヤした感情。どうしたらいいのかわからないから余計にモヤモヤして仕方ない。結局あの後から弾君とはほとんど会話してないし…………。
「おーおー、復帰直後だというのに命中率高いな」
「…………いたんですか、大尉」
そんなモヤモヤしている私の後ろにいつの間にか葦原大尉が来ていた。弾倉の抜かれたアサルトライフルと装填済みの弾倉を抱えているところを見るとこれから射撃訓練を始めるようだ。現在私たちが運用しているアサルトライフルは対人用。まぁ、フレームアームズ自体人の動きをトレースして動く代物だから、こういう訓練は一概にバカにはできない。
「まーなー。どっかの生真面目中尉がいたから俺もやらなきゃなんねえなと思ってよ。で、どうだった休暇は?」
炸薬の弾ける軽い音共に的には穴が開いていく。それは正確に的の中心——ではなく、それより一つ大きい円の中を適当に撃ち抜いている。大尉はこっちに目を向けずに、私にそんな質問を投げかけてきた。
「…………まぁ、そこそこ楽しかったですよ」
「その割には思い悩んでんじゃねーの?」
立て続けに二発を当てる大尉。今度は一発が円の外ギリギリで、もう一発は中心を正確に撃ち抜いていた。まるでそれは私の今の様子を見抜いたかのようにも思えてきた。
「…………大尉には誤魔化せないみたいですね」
「ま、この見抜きスキルおかげでハニトラとか引っかかんねえからな。で、相談にでも乗ってやろーか?」
弾倉一つ分を撃ち切った大尉は次の弾倉を装填している時にそんな事を言ってきた。確かに相談に乗ってくれるってのは嬉しいけど…………でも、これはそこまで大きな問題じゃないし…………。
「どんなチンケな事でもいいぜ? 中隊の連中もお前の事を心配してたからな。少しくらいは隊長らしくさせてくれよ」
装填し終えた大尉はそう言ってくれたけど、本当にこんな事を聞いてもいいんだろうか…………でも、些細な事でもいいって言ってくれたから…………その言葉に甘えさせてもらおうかな…………?
「それじゃ、お言葉に甘えて…………相談に乗ってもらってもいいですか?」
「おう、ばっちこい!」
私はしゃがんで、射撃訓練場のターゲットゾーンと射撃位置を仕切る台にもたれかかった。銃身が冷え切ったアサルトライフルはその場に立てかけてある。しかし、いざ相談しようと思って口に出そうとすると、顔が熱くなってきて仕方ない。でも、口に出さないと始まらないから…………私は意を決して話す事に決めた。
「そ、その…………知り合いの男の子とお互いに目が合わせられなくて…………は、話そうとしても、どっちもぎこちなくなってしまって…………わ、私ってどうかしてしまったんでしょうか…………?」
そう言った瞬間、やけに鈍い音が聞こえた。まるで金属にぶつけてしまったような音だ。一体何があったのかと見上げてみると、大尉が台に頭をぶつけていた。
「た、大尉? ど、どうか——」
「い、一夏よ…………お前、それ本気で言ってるのか?」
「ほ、本気ですよ!」
油の切れた機械のようにぎこちなくこちらへと頭を向けてきた大尉にそう答えると再び首をガクッとさせていた。というか、こんな事本気じゃなかった言えませんから! これを言うのにどれだけ私が勇気を振り絞ったのか…………。
「マジでか…………お前、意外に乙女だな」
「それ…………バカにしてます?」
「いやいや、そんなつもりはこれっぽっちもねえよ。ところで、その男子とはどんな関係なんだ?」
「どんなって…………ただの友達ですよ。まぁ、結構学校に行くと絡んでくれて楽しかったですけど。あと…………」
「あと?」
「目線が合うと…………こうなんか、心臓が榴弾みたいに爆発しそうになった事が何度か…………この前の休暇中はそれが顕著で…………」
そんな事を思い出しているだけでかなり顔が熱くなってきた。まぁ、この前の休暇中ほどにはないにせよ、時々弾君にはドキッとさせられる時があった。黙っていれば結構かっこいいし。それにこの間は助けてくれたし…………まぁ、あの後で民間人に助けられる中尉ってどうなんだろうとか考えたけど。や、やばい…………オーバーヒートしそう…………。そんな結構暴走気味の私を余所に、葦原大尉大尉はため息をついて、アサルトライフルの銃口を上に向けていた。弾倉が抜き取られているところを見るとすでに全弾撃ち尽くしたようだ。
「…………まぁ、後悔しねえうちに解決するしかねえな。俺も答えてやりてえが、それは自分で答えられねえといけねえ問題だ」
「え、ちょ——」
「んじゃ、また後でな。精一杯悩めよ、乙女さん?」
そう言って私の使っていたアサルトライフルも纏めて担いでいく大尉の後ろ姿をただ見送るしか私にはできなかった。精一杯悩めって…………今その真っ只中にいるんですけど…………本当にどうしようかな…………。私はしばらくの間、その場から動く事ができなかったのだった。