ついに、ゲームで出番の無かったキャラクターがやってきてしまった。ホテルしおさいのオーナーなんて名前もビジュアルも記憶にない……もしかすると忘れているだけなのかもしれないが。
「これはこれは……今日はお招きしていただき、本当にありがとうございます。遠慮なくどうぞ、私も一度、挨拶に出向きたいと思っていました」
どう考えてもオーナーが何か企んでいるというのは薄々理解していたが、出会ってみても何もわからない。詳しい話は食事中に、ということなのだろう。
「あの……わたしは同席してもいいんですか?」
「構いませんよ、お嬢さん。可憐な華はそこにあるだけで、会話を弾ませるものです」
ニコニコとリーリエと話す姿は、孫を想って話すジジイそのものなのだが……腹の中で何を考えているのか分かったものではない。この好待遇といい、対応の早さといい……まるで、何かに備えていたかのようなものを感じる。
「それではご着席して、しばしお待ちを……はやく料理を運んでくれ、ついでに椅子もな」
「はい、ただいま」
オーナーが指示を出すと、軍隊のようにキビキビとホテルマンたちが準備していく。少しの間に、広いテーブルの上が料理でいっぱいになった。
料理の内容的にはアローラらしく、極彩色があちらこちらに散らばる南国風のトロピカルな味付けが多そうである。生魚を食べる習慣があるのだろうか、見慣れた刺身も出てきた……かかっているのは醤油ではなく、ほんのり赤いよくわからないタレであったが。
「では、冷めないうちにいただきましょう」
「ありがとうございます、それではいただきます」
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冷戦のような食事時間が始まった。この部屋の誰もが口を開かないうえ、マナー違反を恐れて極力音をたてないように食べているせいか、部屋全体に嫌な静寂が漂っている。食事はどれも一級品なのだが、食べづらいったらありゃしない。空腹は最高のスパイスだとも言うが、これはまさしく最低のスパイスだった。
少し甘めのソースを付けた何かのステーキを頬張っていると、この空気に屈したのかやっとオーナーが口を開いた。
「私には、息子がおりました。もう数十年も昔のことです」
導入から入るのだろうか。昔話のように進めて、それから本題に入るのだろう。濃厚な肉汁のステーキを無理矢理ゴクリと飲み込んだ。
「……続けてください」
「息子はポケモントレーナーをしておりましてですね、アーカラ島でも名のあるトレーナーへと成長していったのです。ところがある日、息子から連絡が来ましてな……カプ・テテフを手に入れた、とね」
嫌な予感がしてきた。あれだ、お前がカプ・テテフを持っているはずがない! みたいな言いがかりをつけてくる展開だ。こういった展開はよく小説や漫画で見るものだ。イメージだが、中世の貴族が同じようなことやっているような気がする。
「なるほど、つまり私のカプ・テテフは偽物であると仰られているというのですね?」
「いえいえ滅相もない! そういう意味ではございません! 問題はここからで……カプ・テテフを手に入れたと吉報を入れて数週間後、息子は消息を絶ったのです」
……まさか、巷で噂のテテフに取り憑かれて死んだのって、よりによってお前の息子かよ。嫌でも有名にもなるなるはずだ、おかげで大迷惑である。
「それから息子は姿を表すことはありませんでした……そこでお願いがあるのです、どうか一度だけでもカプ・テテフにお尋ねしたいのです。息子が生きているか、ただそれだけでも、どうかお願いします!」
気軽に聞いてみると予想以上に重たい話であった。こんな話を食事中にするなんて、料理に対する冒涜もいいところである。せっかくの食材と手間隙が、このオッサンのおかげで全て台無しだ。隣で話を聞いていたリーリエも口と手が止まっている。
更に文句を言うならば、食事中にも一切の談笑も無かった点だ。なにが話が弾むだ。こうなることならば、リーリエと一緒に二人だけのロマンチックな食事がしたかった。食事中、リーリエがモグモグ食べる様をずっと見ることが出来る……最高だ。
だからこそ、そのチャンスを台無しにしたこのおっさんには、テテフに「誰それ知らない」と言わせて絶望させてやろう。それがいいそれがいい……ただ、邪神とのご対面か。無駄に緊張して、手汗と貧乏揺すりが尋常じゃない……決して武者震いの類ではないのは確かだ。
よし、覚悟を決めよう。
「分かりました、そこまで仰るのであれば……出てきて、カプ・テテフ」
おそらく今日一番のイベント、
マスターボールから飛び出したカプ・テテフは、何故か殻に閉じこもってしまっていた。カプZを使った時のように、蝶のような触覚も出ている。何かの意思表示なのだろうか。しばらく見つめても何の反応も起こさない。
「あの……どうかしましたか?」
オーナーが、心配そうにこちらを見てくる。そんなに急かすんじゃない。こちらは一個一個の挙動が命取りなのだ、殺されてたまるものか。
ただ、これでは埒が明かないので一先ず声をかけることにしよう。
「…………カプ・テテフさん? これはいったいどういうつもりですか?」
「……名前で呼んでくれなきゃ嫌」
なんだ今の声。もしかして、テテフか? ちらとリーリエを見たら、驚きでドレッシングを口に付けたまま惚けていた。どうやらリーリエにも聞こえているようだ。かわいい。
脳味噌をフル回転させて考える。名前……カプ・テテフではないものとすれば、やはりニックネームを指しているのだろう。今のパーティをレート初期に組んだと仮定するならば、最初に厳選した個体で間違いないはず。ボールもマスターボールだ。
「はいはい……ハルジオン。顔を見せてくれ」
ハルジオン、と呼ばれた瞬間、ピョコっと殻から顔を出した。椅子に座っている状態で目線が同じなので、おそらく身長はそんなに高くはない。殻の上からはみ出す上半身は、幼い黒人の女の子のように感じる。
まじまじと観察している内に、いきなり抱き着かれた。開始五秒でブースト全開である。幸いにも、ある程度友好的なようだ。
「えへへー、ちょっと怪しかったからカマかけたけど……やっぱりケンだった!」
当たり前のように頬ずりしてくるが、ゲームの世界でそんなことした記憶が一切ない。リフレなんて面倒なことはしていないし、育成だってレベリングのみ、あとは凄い特訓で6Vにしたくらいだろうか。
しかも何気に怖いことを言ってくる。もしも名前を呼び間違えたら、一体どうなっていたのだろうか……考えないようにしよう。とにかく、このままでは埒が明かないので一旦テテフを引き剥がした。
「早速で悪いけど、ちょっとだけこの人の質問に答えてくれないか?」
「いいけど……じゃあ、ケンも何かアタシの言う事聞いてよ?」
悪戯っぽい目で見てくるカプ・テテフ。邪神、邪神、と崇められている神様からのお願いなど、正直嫌な予感しかしないが料理代と思って我慢して頷いた。
「やったー! それじゃあ明日はデートね! 楽しみだなぁ」
この瞬間、島の住民が持つカプ・テテフへのイメージは、オーナーの息子から余所者のトレーナーへと記憶を塗り替えることになった。ここまで騒がせるトレーナーも結構稀なうえ、目立ちすぎであるので残当だ。
またデートプラン考えないとなぁ、なんて考えてると、おずおずとしたオーナーが目に入った……そういえば放置してたの忘れてた。
「それでは、なにか写真などを拝見させていただきたいのですが……準備のほうは出来てますか?」
「これを見せてやってください。消息を絶つ数ヶ月ほど前の写真です」
渡されたのは、色褪せた一枚の写真。二十代前半のような見た目をしている好青年だ。完全にイメージだが、オーナーの若かりし頃のような顔をしており、まさしく倅といった感じだ。
「これ、誰か分かるか?」
「え、知らなーい。それよりさー、どこいこっか? 近くならせせらぎの丘も良いところだよ? それともハノハノビーチで一緒に泳いじゃう?それともそれとも……」
少しくらいは写真をまじまじと見てほしいのだが。ハルジオンは横目でチラと見ただけで、後は自身の欲望溢れるデートプランをあれこれ言っているだけだ。これではオーナーも浮かばれない……かと思えば、何か清々しいような顔をしていた。
「今のカプ・テテフには、君しか見えないようですね。おそらく、息子はもうこの世にはいないのでしょう……本当にありがとう。カプ・テテフと会えただけで、私の心は満たされた」
内心、もう息子は死んでいると分かっていたのだろう。どちらかといえば、テテフと会うことで踏ん切りをつけたのかもしれない。ただ、リーリエが納得いかないような顔をしている。
「リーリエ、一応言っておくけど内緒だからな?」
どのような意味に取られても大丈夫なように、少し言葉を濁しておいた。リーリエにはテテフが別個体であるということ、オーナーには先程の会話を内密にしておくということに聞こえるはずだ。
「いやはや、今日はありがとうございました。最後まで当ホテルをごゆっくりお使いください」
「ありがとうございます。それではまた、会う機会があれば」
オーナーは満足そうに帰っていった。ただ対照的に、リーリエはまだ不満そうである。
「どうして、本当のことを言ってあげなかったんですか?」
「本当のことを言ったところでオーナーさんは救われないからかな。オーナーさんは救いを求めていたんじゃないかと考えたんだ。おそらくだが、物事を解決するために来たわけじゃなかったと思う。仮にここで終わらせてあげなければ、あと何年待っていたと思う? もう数十年か?」
「そ、それは……」
「それに、本当のことを話したとしても信じてくれないだろうな。信じてくれたとしても、俺の情報が漏れて一気に危ない立場になる」
リーリエを説得していると、膝上に乗ったハルジオンが不意に両頬を引っ張った。地味に痛い。
「……はひひへふんは(なにしてるんだ)」
「ここにいてもつまんなーい。いいから早くデートしようよ!」
デートなどといっても、もう空は夕闇から既に抜け出して夜へと変わっている。流石に今からでは、どの店もほとんど閉まっているだろう。
「なんで人間の街でデートしなきゃいけないわけ? この島の良いところいっぱい知ってるのに、わざわざ人間の街に行くのもねー」
そうだったこの子ポケモンだった。なら、デートプランは考えずに、ハルジオンの行きたいところに連れていくべきか……あれ? 今ナチュラルに思考読まれてなかったか?
「でも少し待ってくれ、もう少しだけ飯を食いたい。リーリエもまだ食べ足りないだろ?」
「そうですね、こんなに色々と料理を食べる機会はあまりありませんからね」
テテフのほうを見てみると、さっきまでニコニコとしていたのに、いきなり真顔になっている。睨みつけるような半目は、若干の威圧感もあって少し怖い。
「ねえ、この子……ケンの
リーリエがスープをぶちまけた。
「いや、(まだ)違うぞ。それがどうしたんだ?」
「そうなの? よかった……
殺しちゃうところだった」
どうやらこのテテフ、噂以上に邪神だった。