薬売りの怠惰な日常   作:菜々宮 育
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第4話 妖の友人

柔らかな草木が風に揺られ、異種族の絆を歓迎するように、静かな時間が流れた。

榛音は、腕を組みながら幹に背中を預けて、しばし様子を窺った後・・。不意に、深く溜め息を吐いて半ば自棄気味に告げた。

「―――分かった、分かった。ここまで付き合ったんだ。俺も協力する。・・・但し、今回だけだぞ」
「えっ、でも・・」

榛音には関係ないことなのに、巻き込むのは悪いと考えているらしい。眉間にしわを寄せ、助けを躊躇する夏目に、彼はズカズカと大股に近付いた。そして、左手を目の前まで伸ばしてくると、少年の片頬をぎゅむっと引っ張る。

「んむっ・・!?」

驚いて、抵抗することも忘れる夏目に、榛音はニッと笑って言った。

「言わせんなよ。アンタを見て、手伝いたいって思った。ただそれだけだ」

言葉が少なく不器用だけれど、美しく澄んだ瞳をじっと見つめていると、不思議と安心感を得られた。“目は口ほどにものをいう”と聞くが、本当にその通りだとしみじみ感じる。

その後彼らは、榛音を主に作戦を立てた。―――目的は無論、名を求める妖への返還なので相手を傷つけたくない。しかし、血が上っている状態で、冷静に戻ってもらうには話し合いはもう遅いだろう・・。
だから、二人と一匹は二手に分かれ、夏目には一対一で名前を妖怪に返して貰う結論に至った。

「それじゃあ、斑殿は耳の長い低級の追い払いを頼む。後は、俺と夏目で、名前の返還に応じよう」

榛音は、ニャンコ先生の指定した「先生」ではなく、彼の雑談もとい自慢話を長々と聞き続け、ようやっと知れた本名で呼んだ。
扱いはややぞんざいでも、ご丁寧に敬称をつける辺りは、大妖であった素性を考慮しているらしい。・・彼曰く、ヒトと妖と言う“滅多に触れ合うことのない間柄”だからこそ、最低限の礼儀を重んじるのが常識なのだそうだ。
―――否、夏目だって、一男子高校生として年相応の羞恥心がない訳ではないだろう。しかし、「ニャンコ」と言う可愛らしい呼称を選ぶに辺り、少々周りとズレた感性を持っているのか、将又、榛音の感覚が人より敏感すぎるのか――。

最も、榛音には彼にとってたった一人の『師』があるため、他の――まして彼が嫌う相手だ――妖を尊重する呼び方は遠巻きにするのも無理はないだろうが、しかし・・・。
人間とあまりに距離を置きすぎた故、夏目と一線引いた態度に、おそらく自覚はないだろう。
久々に人と話し、おぼろげに『彼女』が脳裏を過り、慌てて首を振る榛音に訝しげな顔で夏目が見つめていたとは露知らず・・――。

「・・いたぞ。上手くやれよ」

その言葉と同時に足を止めて、つんのめって転びそうになった夏目を怪訝そうに眺めると、顔を上げた少年に一定の方向を顎でしゃくる。
目線の先を追うと、木々がまばらに散って広がる視界に、右往左往と彷徨って“何か”を探す妖怪の姿を発見した。――少し遠めだが、薄紫色の緩い長髪に、薄れて古びた着物が間違いなく、夏目に「名前を返せ」と要求していた奴である。

緊張で頬を強張らせる少年に、榛音はそっと肩を叩いたかと思えば、一枚の札がシャツに貼り付けられていた。妖怪と初めて(・・・)話したと言う割に、この札のことや、ニャンコ先生に襲われた時も然り・・。命が幾つあっても足りない、危険な目に何度も会う夏目とは正反対に、随分と手慣れた上に堂々とした態度だからだろう。
不安と疑心の気持ちが、彼の心を燻ぶった。冷たい家庭を散々追い回されたため、ネガティブ思考に加えて、人より悲しいまでの優しさや臆病な心を持つのも可笑しくない。
が、例え彼の事情を知っていたとしても、きっと、榛音が同情することはないと強く感じた。
―――漠然としていて、ほとんど勘に近いが、不思議とその感覚に間違いはないと心が胸を打つ。『同情』しているか否かなど、対象の人物次第で随分と心持ちは変わるものだが、夏目には何よりの“信頼”に等しい。何度も可哀相、気の毒だと言われ、臆病なくらいの気遣いを感じても、やはり言葉だけの薄っぺらい優しさに過ぎないことが多かった。それを考えれば、――まぁ勿論、ソレが全てとは言わないが――上辺の感情を見せない無関心な人の方が気持ちが楽で安心できるのだ。


「あの、咲っ!」

夏目はお札を握り、慌てて、妖怪には聞き取られないよう小声で榛音を呼ぶ。お礼も言うつもりだったが、衝動的に浮かんだのは、札の使い道だった。
何分、妖世界に無知な夏目は、彼らに対応する道具を一切見聞きしたことがないのだ。

「とても心強いし、助かるんだが、使い方が分からないんだ・・」

申し訳なさそうに目を伏せ、頼む、と教えを乞うた。
まぁ、使わないことに越したことはないが、念のための用心は重要である。
無意識にも身構える少年に、榛音はフッと微笑むがゆっくり首を振った。驚く夏目だが、詳しく聞けば、その札の効力は守りだけ(・・・・)らしい。

「夏目や俺くらいの妖力があれば、特別な道具を通さなくたって、やりようはいくらでもある」

勿論、良い道具を使えば効力はもっと上がる。しかし、位の低い妖が相手であれば、必要以上の妖力の放出は非効率的だと言うのが榛音の見解だった。
考え方は違うが、夏目もあまり、妖怪を痛めつける趣味はない。――変に自信家な人間だと、その過剰な傲慢さ故に危険なこともあるだろうが、彼にその気は感じなかったので違和感なく同意する。

「・・分かった。咲に任せるよ」

堅苦しいのは苦手だと、道中、夏目にタメで良いと伝えたので、彼は頷いてそう言った。

その後、作戦で二手に分かれた彼らは、ニャンコ先生が“元の姿”で一匹の妖を引き付ける頃――――。
榛音の声を合図に、なるべく自然と物陰から出て、森の中をうろつく夏目を発見した妖怪は、すぐにこちらへ向かってきた。
一定の距離まで妖が近付くのを待ち、木の木陰から覘く榛音と一瞬だけ目を合わせると同時に、夏目は予め想定しておいた逃げ道へ駆けた。
生い茂った木々を抜け、足場の悪い森から池に面した草地へ出ると、夏目はニャンコ先生の言葉を思い出しながら友人帳を開く。


『まずは相手の姿をイメージしつつ、開き、念じろ』

夏目は友人帳へ意識を集中させ、唱えた。

「我を守りし者よ、その名を示せ!」

すると、夏目の言葉に反応して、紙は勝手にページを捲り、一枚が立って止まる。・・相手の顔を知り、ある程度の距離を持っていれば、友人帳自らが名前を探し出すのだ。

名前の返還に必要なのは、ニャンコ先生曰く――ただ、そんな情報をどこで知り得たのか謎ではあるが――友人帳の作成者である夏目レイコの唾液と息だ。
但し、既に『故人』なので、本人から(・・・・)得ることは無論叶わない。が、彼女の血を色濃く引いた夏目なら、可能性は十分に高い。

きっとやれるだろうと、彼の力を認めるニャンコ先生の言葉を信じ、夏目は徐々に縮まる妖へ立ち止まって向き合った。

名前の書かれた契約書を破って咥え、両の手を強く打ち、集中してそっと息を吐く。
―――すると、咥えた紙から浮かび上がった文字は、妖怪の額へ吸い込まれていく・・。

一瞬だけ動きの止まった妖から、古めかしい白黒の映像が夏目の脳裏に流れ出した。



『―――寂しい、寂しい・・。お腹がすいた』


今にも倒れそうな、か弱い声で揺れる視界の中に、地蔵に備えられた饅頭が写る。
一枚の丸い皿に乗った、焦げ茶色のお饅頭を置いて去る老婆の後を、妖がか細い手で伸ばした時だ。

横からカチャンと皿を鳴らして、華奢な少女の手が饅頭を横取りした。
これ見よがしに、「あーんっ」と大口を開けて饅頭は半分となり、「あー!!儂の饅頭!」と涙目で嘆く妖をよそに彼女は告げる。

『あんまり美味しくないわよ、これ』

綺麗に感触しておいて、口をモゴモゴと動かしながら冷たい感想だけ返す少女に、妖怪は憤慨して罵倒した。

『人間の癖に何をする!意地汚い!』

大抵は妖を視る力を持たない故、彼女もそうだと思ったのだろう。白黒で統一された、古めかしいセーラー服姿の、薄い茶髪を胸元に揺らす少女を叱る。けれども、彼女はにこやかに笑みを浮かべたまま告げた。

『そんなに美味しいお饅頭が食べたかったら、『七辻屋』のがお勧めよ』
『ななつじ・・?』

わざわざ店に出向いて飲食する経験はないので、妖が首を傾げると、彼女は笑いながら近付いて述べる。

『そうねぇ、もし私と勝負して貴方が勝てたら、ご馳走してあげましょうか?』

真っ直ぐに目の前まで自ら距離を縮められ、話し相手が自分だとようやっと気付いた妖怪は、たじろぎつつ問うた。

『お、お前・・。私が視えるのか?』
『えぇ、視えるわよ』

微笑む少女に、妖怪は自分が恐ろしくないのかと尋ねる。・・別段、人の子に興味があった訳じゃないが、初めて人間と語り合ってみて、平然と笑って受け答える少女の存在が珍しかったらしい。何せ、人にとって霞のような妖は人と異なり、必要に群れを成すことがほとんどない。―――・・集団でなくても生きていける、妖特有の習性だろうが、彼らにも凡その感情はある。やはり、独りでいて寂しくないと言えば嘘になるのだ。

だが、そんな妖の心を知ってか知らずか。
少女は満面の笑みでこう答えた。

『ぜーんぜん!だって、私は強いもの!』
『え?』

予想外の返答に、元がおっとりしている性だろう。一歩ズレた会話は、彼女のペースで先陣を切って進んでいく。

『じゃあ行くわよー?』
『え?』

「えいっ」と言う掛け声と一緒に、彼女は呪符の貼った棍棒を妖怪の頭部へ落とした。
妖怪は「痛いっ」と叫んで、不意打ちに文句を言うが、彼女は笑いながら「勝ちは勝ちよ」と告げる。そして、筆で文字が書かれた紙を受け取ると、満足そうに言った。

『よしっ。これで貴方も、私の子分よ』
『子分?』

実は、少女が妖から名前を奪いまわっている行いはこれが初めてではない。・・しかし、事情を知らない故に、妖は首を傾げる。
と、不意に妖怪は、頬に残った傷跡を見つけた。

『・・・その頬の傷はどうした』

心を気遣って、落ち着いた声色で尋ねる妖怪だが、少女はあっけらかんと答える。

『あぁ、これ?―――石をぶつけられてね。私は気味が悪いんですって』

自分を見て貰えない寂しさと、それでいて、“変わらない現実”に諦めの想いが掠め見えた気がした。まぁ、彼女の場合は特に、どんなに辛くても割らなければ生きていけないこともある。例えば、状況が近しい榛音がそうであったように・・。

一方で、目を丸くしてポカンとした表情を見せる妖怪に、彼女は名が記された紙へ目を止めた後。嬉しそうに笑いながらこう言った。

『ねぇ、貴方。綺麗な名前なのね!子分になったんだから、この名前を呼んだら飛んできてよね!』

今まで、同じ妖ともほとんど触れ合いがなく、まして、名前を「綺麗」だなんて褒められた経験は一度もない。心が晴れたように嬉しくなって、妖怪――ひしがきは問うた。

『・・お前の名前は?』
『レイコよ』

種族は違えど、初めて自分と同じ想いを分かつ『友』を得たようで、「レイコ・・」と呟いては口元が自然に緩む。

『じゃあ、まったね~』

その後、手を振って若き日の夏目レイコは去って行った。最後に、“また”と再会を予兆する言葉を残して。

それから幾度も季節が巡る度、ひしがきは初めて会った地蔵の通りで、レイコとの再会の日を待ち続けた。雨の日も、雪の日も、一枚の葉っぱを傘に、彼女の名を呼び続けて・・・。
妖にとって、五年も十年も大した時の流れを感じさせないが、たった独りで期待感を持って待つことは、精神的な疲労がとても大きい。

地面に雨粒が跳ねるどしゃぶりの奥で、一枚の“真っ赤な羽織り”が虚しく羽ばたいた時、等々気持ちを抑えられなくなったひしがきの声が木霊する。

『――あぁ、今日も呼ばないのかい?寂しい・・。前よりもずっと――っ!!・・・返せ、名前を返せ!どんなに待っても、呼んでくれないくらいなら――!!!』

涙を目じりに浮かべ、飛び散る水滴が宙を舞った時だった。

「ひしがき・・」

記憶で見た名前を呟く夏目に、名前の返還で、懐かしい『彼女』との思い出を夏目と重なって見えたのだろう。
古い映像で目にしたように、柔らかく温かな笑顔へ戻ったひしがきは、夏目を『レイコ本人』と勘違いしたまま問うた。

『レイコ・・、もう、いいのかい?もう、独りでも平気かい?』

つい先ほどまで、悲しい裏切りをされて恨んでいたはずなのに――・・。
優しく気遣う言葉を掛けるひしがきに、夏目は妖を見上げながら告げた。

「祖母はきっと、独りじゃなかったよ。・・・有難う、ひしがき。心優しい、祖母の友人―――」

愛おしく瞼を伏せ気味に、レイコに代わって、離れていても想ってくれたことへ礼を述べた瞬間。ひしがきは、静かな光に包まれて消えて行った。


気付けば、辺りはすっかり暖色に包まれ、日の暮れた森に足音が二つ混ざって近付く。
すっかり気が落ち着いて、無言で膝を落として座り込んだ夏目に、ニャンコ先生の声が掛かった。

「レイコには会えたかい?」

見ると、榛音の肩でぶら下がっており、目の前までやってきた少年は「立てるか?」と中腰で
手を伸ばす。
夏目は榛音の手を掴み、「有難う」と礼を言った。

「酷い奴だったろう?」

祖母と面識があるのか、それとも、噂を耳にしたことでそういう印象しか持っていないのだろう。夏目が見たモノを悪い行いと決め、悪事の有様を尋ねられるが、夏目は軽く笑って誤魔化す。それに、たった一度の記憶では、本当の祖母の姿は謎のままだからだ。

これからもっと、祖母を知り得る機会があるだろうかと、未来に思い馳せる夏目へ、ニャンコ先生は榛音の肩からジャンプして降りた後。
二、三歩近付いて、少年の決意を尋ねた。

「――やれるかい?夏目」

無論、最初にニャンコ先生が言ったように、危険もたくさんあるだろう。
・・けれど、覚悟ならもう決まっている。夏目は友人帳を握りしめ、強く答えた。

「俺は、やりたい」

できる、できないではなく、最後までやり通すことを誓った夏目に、ニャンコ先生はただ一言「そうか」と呟いた。

それからニャンコ先生は、(自称)用心棒なだけあって身を置く場所が必要になり、榛音の提案で藤原夫妻で居候の話が決まった。
彼らは家路に着くまで、真ん中を歩くニャンコ先生を挟んで語り合う。

「・・本当に、今日は有難う。無事名前を返せたのは、咲のおかげだ」

しみじみと告げる夏目に、榛音は複雑な表情で首を振る。そして、何やら足元で自分の立場を喧しく喚く猫へ、話を移した。

「別に、俺は何もしてねぇよ・・。斑殿がもう一匹を追い払ってくれたから、名前の返還に集中できたんだろ」

まぁ、その気になれば、二匹とも祓うことなど容易かった。――・・しかし正直に言うと、片方だけ生かすのが面倒だったのだ。

「フン。餓鬼共の尻拭いをされたのだっ。感謝は晩飯で示せ!」

鼻を鳴らすニャンコ先生に、夏目は苦笑しつつ「分かったよ」と答える。
しばらく歩き通して、塀沿いの曲がり角までやって来ると、榛音は右曲がりのバス停で帰ると言うので、二人はそこで分かれることになった。

「へぇ・・。咲の家って、結構遠いんだな」
「まぁ、な。・・兎に角、今日はゆっくり休めよ。妖力を使って、道端で疲労で倒れるお前の姿は見たくないからな」

慣れない妖力の使い方を指摘され、そんなことにはならないと思いつつ、悔しくも反論しきれずに「気を付ける」と返した。

そうして二人は別れ、帰宅のついでで七辻屋へ饅頭を買った帰り道のこと。
夏目はツツジの木に引っ掛かった、薄紫色の巾着を見つけて拾った。・・中に金色の粉末が包まれたソレは、夏目を連れて妖から逃げた時、榛音が落としたものであった。