あたえることだよ!ただひとつのほんとうの喜びはあたえることだ!
ーチャーリー・ブラウン
「ねえねえコーセー!あたし似合ってる?ねえってば!」
街だけでなく人の心も華やかなピンクに色づく季節。
庭に繋がるリビングに立っている私は、この四月から通い始める中学校の制服に袖を通して、目の前に置かれたちょうど私の身長くらいの姿見の前でポーズをとる。うーん、もう少しスカートは短いほうがいいのかな?でもあまり短くて引かれるのも、どうかなぁ。髪もちょっとだけ明るくして緩くパーマをかけてみた。たぶん、ギリギリ自然に見えなくもない気がする。実際に中学校でどう言われるかわからないけど。よし!これでいっか。スカートに若干の不安を覚えながらも姿見の前で軽くターン。
「どうだ!・・・コーセー?」
静まり返っている室内。相変わらず聞こえてくるのは外の小鳥の囀りだけ。いつもなら華やかに色を奏でるグランドピアノも、今日はまだその実力を発揮していないようだ。というか、いい加減反応しろよ。このすかぽんたん!いつまで本に夢中なのか。せっかくこの私が可愛い可愛い制服姿を披露してあげているというのに。公生が意地悪したって椿ちゃんに言いつけてやる。
そんなことを思いながら、ガルルルル!と公生を威嚇するんだけれど、リビングのソファに座って、分厚そうな本の世界に夢中になっているみたいで私の声は届いていない。文句を言ってやろうと少し近づいて様子を伺う。あまり飾りっ気のない黒髪にトレードマークの黒縁メガネをかけているので、はっきりと伺うことはできないが、ちょうど今どこかの宝島で冒険しているような、活き活きとした表情を見せる彼の横顔は、なんだか可愛くて、ちょっとだけ大人っぽくて・・・あ、やば、見惚れてた。
さっきから私の心臓が刻むリズムがいつもより早い。ドクン、ドクンて。ちょっと早くなりすぎじゃないかな。あーあ。私って単純。むーなんだか照れくさくなってきた。なんか居ても立っても居られなくなった私は公生に飛びかかった。
「とりゃあ!」
「痛!ちょっと何するんだよ!あーあ・・・どこまで読んだかわからなくなったじゃないか」
「そんなのいつでもいいでしょ!それよりあたしの制服姿が似合ってるかって、ずっと聞いてるんだけど」
ジトーとした目で公生を睨みつけてやる。公生はやれやれと首を左右にふっている。なによその態度。あまり嬉しくないかも。
「はぁ。よく似合ってるよ」
「もう!そんな棒読みのセリフじゃ嬉しくないこともないけど嬉しくないよ」
態度は嬉しくないけどやっぱり誉めてくれるのは嬉しい。正直者の君にはご褒美をあげよう。公生の隣に座り直して今度はゆっくりと抱き付いてあげる。ふふ。どうしたの公生?顔が赤いぞ。まったくまだまだ子供ですな。からかいついでに彼の胸に自分の顔を埋めてスリスリしてあげよう。どうやら私もまだまだ子供みたいだ。
「・・・あのさ、昨日も一昨日も僕の家にきて、同じこと聞いてるだろ?さすがに棒読みにもなるよ」
「・・・やるじゃない。そこを突いてくるとは」
「いや誰だってそう思うと思うんだけど」
「うぅ!だって、コーセーと・・・皆と同じ中学にいけて本当に嬉しいんだもん。にへへへ」
自分で言って嬉しくなっちゃう。市立墨谷中学校。そこが私たちが通うことになる学校。まぁ正直、パッとした何かがあるわけではない普通の学校。といってしまうと、そこの学校の人に怒られちゃうかな。ごめんなさい。
普通の学校、私にとってはそこに行くことに全く抵抗はなかった。場所はどこだってよかった。ただ、公生と一緒にいたいだけ・・・なんて言うと調子に乗らせてしまうと危惧した私は「椿ちゃんと一緒の学校だから嬉しい」なんて嘘をついた。いや嘘でもなんでもないけど。
公生に可愛い嘘をついた私は、同じ日の夕食の場で、両親に墨谷中に行きたい旨を伝えた。
「もう中学生になるのか。早いものだな。ところでその学校は公生くんと一緒のところかい?」なんて聞いてきたお父さんには思わずチョップをしてしまった。
痛そうにしていたけど、いきなりあんなこと言う方が悪いからおあいこだよ。お父さんの言葉で照れ臭くなってしまった私は「椿ちゃんと同じとこがいいから」って主張した。これも本音だからいいの。両親は私の好きにしたらいいって言ってくれた。嬉しくなった私は、その日の夕食の後、お店の余り物のカヌレを全部食べた。すぐにバレて怒られた。これは私が悪い。うん。
でも全てが順調に運んだんじゃないんだなこれが。音楽教室の先生を説得するのが大変だった。なんで音楽の名門胡桃ヶ丘中学校へ行かないのかと何度も勧めてくる。何の伝手があるのか知らないけど、音楽推薦だってどうにか取り付けてくれるとまで言ってきたりと、なかなか折れてくれなかった。
私には音楽家の才能があるから最高の環境で音楽に生きるべきだ、なんて真剣に言ってくれたのは嬉しかったし、少なからず名門音楽学校に憧れを持っていた私は、ちょこっとだけ揺れた。でも公生と違う学校に通うことを想像しただけで耐えられそうになかったから、結局私の気持ちが傾くことはなかった。
それでもしつこい先生には「・・・実はあそこにはいつも私に意地悪してくる友達が行くらしいから嫌なんです」と大人にとってかなりセンシティブなことを理由にして可哀そうな私をアピールする。さすがの先生も「そういうことだったのか・・・」と折れてくれたっけ。
でもそれから事ある毎に「いったい誰がそんな意地悪をしてるんだ!宮園さんの才能を妬んでイジメなんて許せない。私が再教育してやる!」って何度も相手を教えろって言われたんだよね。巻き込んでごめんね。私も知らないお友達さん。
「そういえば」
いつの間にか公生の肩にもたれかかりながら少し前のことを思い返していた私は、ふと、今日は紘子さんのレッスンの日だったことを思い出した。私のではなく公生のだけど。
「今日って紘子さんのレッスンあるの?」
「どうだったかな。えっと3日前にメールが・・・あった。来るみたいだね。ん?やばい!もう来る時間じゃないか!」
「げふ!」
おそらく紘子さんからのメールを見たのであろう公生はいきなり顔を青くして立ち上がる。そのおかげで、彼にくっついていた私は、ソファの上に投げ出されてしまい、座面に顔面から突っ込んでしまう。
「ちょっと!いきなり立ち上がらないでよ!痛かったじゃない!」
「あ!ごめん!でも、もう紘子さんが来るんだよ!しまったなぁ。課題詰めるの忘れてた」
「コーセーのことだから、どうせもう何度も譜面読んだり弾いたりしてるんでしょ?」
「まぁそうなんだけど・・・いやいや!かをりだってよく知ってるよね!?紘子さんは練習不足だと、それはもう鬼の形相で迫ってくるんだ!!」
「あ、ねぇコーセー」
「もう時間もないし付け焼刃に対応したところで意味はないか・・・仕方ない・・・うぅ怒りに身を任せたあの鬼の形相が目に浮かぶよ」
「それはこんな顔のことかな?有馬公生くん?」
「へ?」
うへぇ・・・これは言葉で表すことはできないくらいの表情をしていらっしゃる。もう、公生ってば私の話を聞こうとしないからこうなるんだからね。せっかく注意してあげようとしたのに。あ、でも公生のあの間の抜けた顔はちょっと可愛い。
「えーと・・・あはは・・・紘子さん。いらっしゃい。それで、あの、いったいいつからそこに?」
「お邪魔するぞ公生。いつからいたか、か。練習をサボっていたことを勝手に吐いた正直者に特別に教えてあげよう。宮園が君にタックルをかました時からだ。まったく。宮園も変なことはするんじゃない。公生がケガでもしたらどうするつもりだ」
ちょっと強めの口調で指摘してくる紘子さん。普段は「あんた」とか「かをりくん」とかで、たまに「かをり」って呼んでくれるけど、叱る時は「宮園」って呼んでくるの。だから、これはちょっと怒り気味。でもこの程度なら私は追及を逃れる術を知っている。
「紘子先生!」
「なんだ」
「タックルではありません。コーセーに対する親愛行動です!」
「はぁ。まったく君は。いったいこの正直者のどこがいいんだ。ねぇ?公生くん?」
「痛!いたたたたた!ごめんなさい!僕が悪かったです!!あ」
私の目の前で公生の頭をぐりぐりしているこの人は瀬戸紘子さん。日本屈指のピアニストで、CDだってクラシックとしては異例のヒットを飛ばしているんだって。この人は公生のお母様と音大時代の同期で親友だったことが縁で、数年前から公生のピアノのレッスンをしてくれている。時々公生にきついことも言うけれど、すごく頼りがいあって格好良くて、そして、とっても優しい人。私にとっては年上のお姉さんって感じ。この人はたまに公生を息子と呼ぶくらい溺愛している。だから、ちょっと手が早くても大事にすることはない。でも「あ」って・・・
ん?そういえば、さっきから袖を引かれているような。もしかして。
「小春ちゃん!」
「かをちゃん!」
ガバっと小春ちゃんをホールドする。小春ちゃんは紘子さんの娘さんで、髪を小っちゃいツインテールにまとめていて、ポワポワしていてとっても可愛くて可愛いの!!きっと天使ってこういう子のことを言うんだと思う。はぁ。やっぱり小さい子って暖かくってプニプニしていて抱き心地は抜群。すぐに私は小春ちゃんの頬と自分の頬をくっつける。
「あぁ!今日も小春ちゃんは可愛いなぁ!」
「かをちゃん、もうくすぐったいよぉ」
ちょっと抵抗しながらも嬉しそうな表情を見せてくれる小春ちゃん。紘子さんのレッスンの日で私が公生の家にお邪魔している時は、いつもこの至福の時間を過ごすことができる。そのおかげで、ほぼ毎回レッスンの時に繰り広げられる公生の悲鳴のような抗議の声と紘子さんのお説教の声が耳に入らないですむ。
だって、どうせ聞くのなら、やっぱり楽しくてカラフルな音をずっと聞いていたいもんね。