Fate/XXI :2―間桐慎二はくじけない   作:荒風

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ACT4:傷痕疼く

 男は、必死で走っていた。

 彼はサーヴァントであるが、その身体能力が常人とさして変わらない。だが、死にもの狂いで走っているためか、それなりの速度は出ていた。

 しかしそれは、何の意味もないことであった。

 

「ギャアッ!!」

 

 暗い夜の闇に、悲鳴が響く。

 男の右足が砕かれ、その場にすっころんだ。男の全速力も、敵対者にとってはなにほどのことでもない。追いつかれた男は、自分を見下ろす凶暴な視線を見返し、恐怖に固まる。

 

「鬼ごっこは飽きちゃった。そろそろお開きにしましょう?」

 

 自分を見下ろす英雄の主が、英雄の背後の向こう側で冷酷に言い放つ。その声には、微塵の容赦もない。

 

「ひ、ひいっ!」

 

 やや太った男は、情けない悲鳴をあげながらも自身の最強の力を、己自身の内から呼び出す。

 

「【太陽よ、我が勝利を照らせ(サン)】!!」

 

 夜の街が、突如、昼に塗り替えられた。気温が70度も跳ね上がり、僅かの時間で人を渇き死にさせるほどの環境へと変える。

 それを為したのは、空中に放たれた、『太陽』にしか見えぬ、男の宝具。

 スタンド――【太陽よ、我が勝利を照らせ(サン)】。

 

 タロット、大アルカナの19番。

 正位置においての意味は、成功、誕生、祝福、約束された将来。

 逆位置においての意味は、不調、衰退、落胆、流産。

 そのカードに暗示されるスタンドを持つ男、アラビア・ファッツは、その全力で迎え撃つ。

 

「くらえぇっ!!」

 

 アラビア・ファッツは【太陽よ、我が勝利を照らせ(サン)】から、鋭い光線を発射する。鉄板も貫く強力な光線が5発、敵へと降り注いだ。爆発が起き、道路のアスファルトが砕け飛び、土煙が舞う。

 

「や、やったか!」

 

 期待と希望を込めて、アラビア・ファッツが叫んだ。しかし、それを嘲笑う声が、彼の耳に届く。

 

「クスクス……バカみたい。こんな程度で、私のバーサーカーに勝てるわけないのに」

 

 雪の妖精のごとき少女の言葉を合図としたかのように、アラビア・ファッツの体を鋭い激痛が貫く。

 

「ゴファッ!?」

 

 血を吐くアラビア・ファッツは、自分の身が破壊されたことをようやく理解した。霊核が破壊され、もはやこの世に留まっていることはできない。

 

「はい、おしまい。それにしても、貴方は正規のサーヴァントじゃないわね? サーヴァントを召喚する宝具でも使われたのかしら? 前回にも、そういうサーヴァントがいたって聞いたけど」

 

 勝利への感慨もなく、敗者への哀れみもなく、ただ一仕事こなしたことに一息つくだけの少女。ただ作業として殺されたサーヴァントは、悔しく思うことさえできず、ただ絶望し、自分の不幸を呪った。

 

(ちくしょう……! なぜ、こんな奴が召喚されたんだ!? か、勝てるわけが……)

 

 それが、彼の最後の思考であった。

 姿を薄れさせ、消えていくアラビア・ファッツのことを最後まで見守ることもなく、少女は踵を返して、その場を立ち去っていく。

 

「まあ、どんなサーヴァントだって、私のバーサーカーに勝てるはずないんだけどね」

「――――――ッ!!」

 

 再び夜のとばりが降り、冬の冷たい風が吹き出した街の中、少女の自慢気な呟きに応えるように、狂える戦士は唸りをあげた。

 

   ◆

 

 老人は、手駒が一体、消滅したことを感じ取る。

 

「フン……アインツベルンは、此度も中々強力なサーヴァントを召喚したようだのう」

 

 臓硯は警戒を強める。弱いとは思っていなかったが、予想以上に難物であった。

 

「このまま、単純に力押しでは勝てぬかもしれんな……しかし、どちらにせよ、我が戦力は限りない。負ける要素は無い。くくっ、まあ、せいぜい慎二も頑張るとよいが」

 

 孫を応援する気のまるでない呟きを漏らす。

 その手には、人皮で造られた表紙の書物があった。表紙の中央には、白い骨が嵌め込まれ、異様な魔力が漂っていた。10年前に手に入れた魔の書物。かつて老人自身、信じられぬほど心惹かれた相手が、手にしていた禁断の書。

 かつて【螺湮城教本(プレラーティーズ・スペルブック)】と呼ばれたそれを、老人は枯れ枝のような指で愛撫するように扱う。

 

「我が力となれ……【世界王名簿(ディオズ・リスト)】よ」

 

   ◆

 

 慎二は、夢を見ていることを何となく理解していた。

 これは確か、そう、1年前のことだ。

 

『慎二か? 少し手伝ってほしい仕事がある。お前の力が必要だ。助けてくれ』

 

 あの日、教授から呼び出された。電話で、彼が既に日本に来ていることを聞き、もっと早くに連絡しろなどと、文句を言いながら駆け付けたのを憶えている。

 

『くらえぇぇぇぇ! 火炎瓶だぁぁぁぁ!』

 

 そして、駆け付けたところで、いきなり戦いに巻き込まれた。

 ビルの中、机も自動販売機も植木鉢も、何もかもが風船のようにふわふわと浮き上がる中、弾丸が飛び交い、爆風が吹き荒れる。

 

『おうこら絶対領域マジシャン先生。何が起こっている』

『後で蹴るが、教えてやろう。復讐だ』

 

 後で聞いた話だと、時計塔内での政治闘争で教授に敗れ、失脚した魔術師が、スタンド使いと組んで襲ってきたらしい。もっともそれは表面的なことで、もっと裏があったようだが、単に助っ人である慎二は深く踏み込むことはしなかった。

 下手に知りすぎると危険であると、教授が教えなかったためでもある。

 

『ええい、とにかく僕の能力を使えばいいんだな?』

 

 首の傷痕を疼かせながら、慎二は自分のスタンド能力を幾度か発動し、教授の期待に過不足なく応えた。

 結果、教授はヒントを得て、真犯人の正体や動機を推理し、解決まで導くことになった。それまでに、犯人側と組んだ『周囲を無重力状態にするスタンド使い』との戦いに苦労させられたが、そのスタンド使いは、教授が呼んだ別の友人によって成敗された。

 なんでも、普段は海洋生物学者をやっているというその人物は、慎二をして悪態をつく気が失せるほどの迫力を持つ男だった。彼もまた、この復讐の関係者であった。何でも、教授と敵対している魔術師が、過去に『とある吸血鬼』に協力していたことが、その男と繋がっているのだという。

 その後、慎二とも知り合いであるフラットやスヴィンといった、教授の弟子たちも一行に参加し、結局、時計塔の勢力図を変化させるほどの大ごとになり――そして慎二は全身打撲でエジプトのミイラもかくやというほどに、包帯だらけになるのだった。

 そのあと、魔術を用いた治療で早急に癒したため、学校の出席日数には問題なかったが。

 

『後で蹴ると言ったが、もう蹴る場所が残っていないようなので許してやろう』

 

 教授はこの言い草である。多少の小遣いや、教授が初心者向けに書いた魔導書を報酬としてもらったが、そんなことでは誤魔化されない。

 疲労と苦痛に塗れた全身を横たわらせ、慎二は誓うのだ。もう教授の頼みなど二度と聞いてやるものかと。そう誓ったのは、その時で確か三度目だったと思う。

 それでも、また教授の呼び出しを受ければ、駆け付けることになるのは、自覚している。

 

『まあ……お前はよくやってくれた。ありがとう……感謝している』

 

 間桐慎二という人間は、頼りにされるとつい気分がよくなり、調子に乗ってしまう奴なのだから。

 

   ◆

 

「……嫌な夢を見た」

 

 2月2日の朝、しかめっ面で起き上がる慎二は、夢のせいで過去の傷を思い出し、全身が痛くなったような錯覚に陥った。

 

「人助けなんて暇な夢見たのは、衛宮の馬鹿にあてられたせいだ……」

 

 愚痴りながら着替え、部屋を出る。今日はライダーの奇襲を受けなかったことに安堵していた。

 

「あ……おはようございます、兄さん」

 

 廊下で、衛宮邸に向かう準備を整えた桜と、顔を合わせる。彼女は随分暗い表情であった。

 

「……なんだよ、朝から辛気臭いな」

 

 挨拶を返しもせず、辛辣な言葉を投げるが、桜はただ黙って、視線を足元に向けている。その受け身の姿勢が気に食わず、慎二は妹の傍を通り過ぎようとしたが、

 

「兄さんっ……そ、その」

 

 桜が、振り絞るような声をかけた。

 

「……なんだよ」

「その……兄さんは、衛宮先輩と……戦うんですか?」

 

 桜は昨夜、衛宮がセイバーを召喚し、聖杯戦争のマスターとなったことを、慎二の口から聞いた。ショックを受けていたようだが、思いがけぬことではなく、ついに来てしまった、という受け止め方だった。

 そもそも衛宮は、前回の生き残りの一人。それを警戒するのは、前回の聖杯戦争を知る者なら当然の行動だ。臓硯は、慎二と桜にそのことを言い含め、士郎の様子を報告させていた。士郎に近づく口実になるのだから、臓硯の指示は、桜にとっては願ったり叶ったりというものであったが、こうなってはそうも言っていられない。

 

「当たり前だろ……戦争なんだからな」

「そ、そうですよね。し、仕方ない、ですよね……」

 

 慎二は、煮え切らない桜の態度に苛立ちを高めていく。

 

「じゃあ何か? やっぱりお前がやるのか桜? お前が、戦争が怖いっていうから、僕がマスターを代わってやったんだぞ?」

「そ、そんな……私は、そんなこと……」

 

 ガンッ、と壁を叩き、桜を威圧する。桜はびくついて、身を引く。その様子もまた、慎二の苛立ちを助長させるものであった。

 

「最初からっ、お前がやればよかったのに僕がやってんだぞ! 魔術師の、お前の代わりになぁっ!」

 

 なんで、この少女はこんなに弱く、臆病で、逃げてばかりいるのか。

 この少女は、慎二がどうしようもないものを、生まれつき持っているというのに。

 

「令呪はまだ二つ持ってるんだろ! マスターの権利を奪い返せよ。それで家を飛び出して、衛宮の側についたらどうだ? へっぽこでも二人で同盟を組んで戦えば、勝つ目もあるかもしれないぜ? どうした……やれよ」

 

 魔術師の資格。魔術回路。慎二が持てなかったそれを、桜は持っている。

 そのくせに、魔術師になることを厭い、嫌い、逃げたがっている。

 それが慎二には、気に入らなくてたまらない。

 自分が死ぬほど欲しいものを、溝に捨てている彼女が、妬ましくてたまらない。

 その上、桜は慎二が嫉妬していることを知っていて、それに優越感を抱くどころか、負い目にしている。兄より才能があることを、申し訳なく思っている。

 そんな、自分を哀れんでいる妹が、嫌いでたまらない。

 

「ち、違……そんなつもりじゃ……」

「……自分で何もする気がないなら、黙ってろよ」

 

 それ以上、桜の顔を見ていることも嫌で、背を向ける。

 

「……ごめんなさい」

 

 そんな慎二の背に、桜はそう言葉をかけ、家を出ていく。責めることも、要求することもなく、慎二の憤激を背負う彼女を、慎二は見送ったりしなかった。

 

「……マスター」

 

 桜がいなくなった後で、ライダーが慎二に声をかけた。桜との会話を聞いていたらしい。

 

「……何か言いたいことでもあるのか?」

「そうですね……マスターの言い分も、間違いであるとは言い切れません。しかし、強く言い過ぎでは? あれでは桜は、ますます自分の思いを言い出せなくなってしまいます。誰もが、マスターのように強く、自分の意思を貫けるとはいきません」

 

 言われて、慎二は若干困惑する。

 

 強い? 誰が? 間桐慎二が、か?

 馬鹿を言うな。本当に強い奴というのは、傍にいるだけで誇り高くなるような、勇気が湧いてくるような――周りの他人をも、強くしてしまうような奴のことなのだ。

 そう、彼らのように。

 

 もし自分がそんな、本当に強い奴ならば、もっと、もっと――

 

「ハッ、何言ってんだ、お前。何にせよ、僕があいつに優しくする義理はないね。あいつの方から、頭を下げて頼んできたら、考えてやらないこともないけどね」

 

 うっとうしい蠅を払うように、手を振りながら慎二はライダーに言う。ライダーが気を悪くしようが、桜を可哀そうだと同情してやる気はなかった。

 

「自分から頼んできたら……ですか。しかし、桜は我慢強い娘です。自分から、我儘を言おうとはしないでしょう。どうかマスターの方から」

 

 なおも言い募るライダーに、慎二は勢いよく振り向き、睨み付けた。その瞬間は、慎二自身、驚くほどに熱い怒りが、その眼から噴き出ていた。

 慎二はライダーに詰め寄る。ライダーが召喚されてから、ライダーが気に食わないことを言っても、慎二は本気で怒りはしなかった。文句を言い返すことはあっても、このように互いの距離を詰めて、迫ってくるようなことはなかった。

 

「『我慢強い』だと?」

 

 ああ、確かに我慢強いとも。

 あの扱いに、あの地獄に耐え、人の心を保ち、日常を送ることができるのだから。

 それはさぞかし、強いだろうとも。

 もちろん――褒めてやる気は欠片も無いが。

 

「ふざけるなよ……」

 

 果たして、慎二は吠えるように言い放った。

 

「僕はなっ、あいつのそういう……『自分さえ我慢すればいい』ってところが一番嫌いなんだよッ!」

 

 それは、この素直ではない、捻くれ者のマスターが出した、かくも珍しい本音なのだろう。

 そう理解したライダーは、もうそれ以上のことを言い出せなかった。そして、今日も探索を言い渡され、慎二は学校に行ってしまう。

 結局、何を言っていいかわからず、ライダーは慎二に従うことしかできなかった。

 ことは、一つの行動が為されれば、とても簡単に解決する問題だ。しかし、その一つの行動が難しい。

 けれど、慎二はその一つの行動がどうしても譲れない。桜はその一つの行動がどうしても踏み切れない。おそらく、互いが互いを想うゆえに。

 

 兄は誇りを尊ぶゆえに。妹に己の人生を、己の誇りによって決めさせるために。

 妹は苦痛を恐れるゆえに。兄に苦痛を負わせぬがために。

 

(自分ごとき、過去の亡霊ごときが、長年の兄妹の確執に首を突っ込むなど、傲慢なのかもしれませんが……)

 

 慎二の足音が遠くなっていくのを聞きながら、ライダーは決意する。

 

 桜を助けなくてはいけない。ただ彼女の身だけではなく、彼女の大切なものも、全て。

 

(全部やらなくてはならないのが……英雄のつらいところ、ですか)

 

 反英雄に過ぎぬ、自分のなせることではない。そうわかっているのに、諦めようとは、これっぽっちも思えなかった。

 

   ◆

 

 学校にやって来た慎二は、凛と顔を合わせ、そしてすぐに逸らした。

 教授を見習い、意地は限界まで張るべきものだと思っている慎二だが、その慎二も意地を張ろうと思う間もなく、反射的に逃げを選択するくらい、凛の顔は恐ろしいものだった。

 

(笑ってやがる……!)

 

 睨まれた方がまだマシだ。だが慎二がその場を去る前に、凛はごく自然な動きで間合いを詰めてきていた。鍛錬を積んだ中国拳法の成果だ。亡き父のコネを伝って探した拳法家から教わったというそれは、十分に実戦レベルに達していた。

 ちなみにその師匠について何の気なしに聞いた時、凛は、

 

『パンダ……いや、やっぱり聞かないで』

 

 酷く複雑な顔で、視線を逸らしていた。慎二は好奇心をそそられたが、それ以上に悪い予感がしたので、深くは聞かないことにした。

 

「おはよう、慎二くん」

「や、やあ、遠坂……きょ、今日も綺麗だね?」

 

 引きつったものではあるが、笑みを返す慎二。中々の胆力だと、アーチャーがいたら感心したかもしれない。だが、凛はそれを無視して追撃する。

 

「ちょっと、空き教室についてきてくれる? 話したいことがあるの」

「あ、朝から熱烈なお誘いありがたいところだけど、その、つまりだね……」

「ハイか、YESで答えてほしいんだけどなぁ?」

 

 凛は笑顔のまま、人差し指を向ける。脅迫である。

 

(この悪魔……!)

 

 慎二は内心絶叫しながら、諦めて頷くのだった。

 

   ◆

 

 士郎は凛と慎二が、連れ立って歩いているのを見つけた。

 慎二の顔は、看守に引きずられる囚人のような、絶望的な影があり、誰が見ても、色っぽい話ではないのはわかった。

 

(そういえば、昨夜は遠坂のこと、聞かなかったな……)

 

 衝撃的すぎる前夜、あまりに聞くべきことが多すぎて忘れてしまっていた。

 慎二が出て行った後、セイバーから、聖杯戦争の基本構造、それぞれのクラスについての説明を受けた。そして、セイバーが、士郎から魔力供給を受けることもできていないということ。士郎が魔術師として、あまりに基本を知らないため、改善のしようもない。

 

(これは慎二に馬鹿にされて当然だよなぁ)

 

 これでは犠牲者を出さないどころか、自分が最初の犠牲者になってしまう。セイバーが強力なサーヴァントであったから、まだどうにかなりそうだが、並みのサーヴァントではお手上げ――それ以前に、サーヴァントに見捨てられていたかもしれない。

 セイバーが召喚されてくれたのは、不幸中の幸いだったとしみじみ思う。そのセイバーでさえ、士郎があまりに未熟なので、自分の真名を教えることは控えた。士郎では、他の魔術師に精神を読まれ、セイバーの正体を喋ってしまうかもしれないという危険性を、考えてのことだ。セイバーも申し訳なさそうにしていたし、士郎は仕方ないと思っていた。

 

(とはいえ、どうしたらいいか……)

 

 自分は強化もろくに使えない。セイバーやランサーのような、英雄同士の戦いでできることがあるだろうかと、士郎は自問自答する。

 

(あるとすれば、この身を挺して盾をなることくらいだな)

 

 士郎は、自分の情けなさ、至らなさに歯噛みする。眉根を寄せて悩む士郎だが、彼はどうしても気づけなかった。その思考があまりにも、自分を投げうちすぎているということに。

 

   ◆

 

「それで、昨日の目撃者、どうなったの?」

 

 凛からまず切り出されたことは、士郎の件だった。しかし、わざわざ慎二に聞くということは、凛はあの目撃者が士郎であったことも気づいていないようだ。

 

「ああ、それは大丈夫。僕が後始末してやったよ」

 

 だから慎二は恩を売ってやることにした。目撃者が士郎であることは言わない。セイバーのマスターが士郎であるという情報は、秘密にしておいた方がいい。情報面で凛より優位に立つためだ。

 

「始末……あんたまさか」

「なんだよ。魔術師たる者が、人殺しはいけないなんて、真っ当なこと言うんじゃないだろうねぇ?」

 

 慎二は煽るが、凛の目つきが更に剣呑になったので、身の危険を感じ、悪ぶるのはやめる。

 

「落ち着けよ。別に殺しはしていないさ……魔術の隠蔽はしてある。それでいいだろ」

「…………」

 

 凛は首を傾げる。慎二は魔術を使えないから、記憶操作等で、目撃者の口を封じることはできない。教会も現状では、大規模破壊などの大掛かりな情報操作が必要なこと以外は、いちいち動かないはずだ。

 

(あとは慎二でない誰かが……慎二のサーヴァント? あるいは当主の間桐臓硯……は、さすがにこの程度じゃ動かないか。あと可能性は……)

 

 見知った少女の顔が思い浮かぶが、かき消す。その少女が、殺し合いに関わっていると、思いたくないが故の『逃げ』であった。

 

「まあ、問題はないというのは信用するわ」

「おいおい、聖杯戦争を目撃されたのは遠坂のミスだぜ? その尻ぬぐいをしてやったんだ。それに、昨夜はピンチのところを教えて、命を助けてやったんだ。ありがとうございました、くらい言えよ、んん?」

 

 凛は壮絶にウザいものを見る目で、表情を歪める。この物言いさえなければ、慎二はもっと凛と仲良くなれるだろうが、そこは慎二を良く知る者曰く『慎二の味』という奴である。仕方がない。

 

「そうね……今日一日だけ、学校では見逃してあげるわ。たとえ人目がつかないところであってもね」

「……おう」

 

 凛は、昼日中の学校で聖杯戦争は行うまいと考えた慎二は、甘かった。慎二は凛がそう考えているだろうという裏をかいて、奇襲を仕掛けるのもアリだと考えていたが、大抵のことは誰でも思いつくものである。いざとなれば大声を出して助けを呼ぶつもりだったが、これは声を出す前に瞬殺される気迫だ。

 

(……準備がないわけじゃないけど)

 

 一応、制服の下には防弾チョッキを着こみ、合法レベルを超えた出力のスタンガンを隠してはいる。フーゴからの貰い物だ。折角だから持ち歩けるだけ、持ち歩いている。細身に見えて、弓道部の副部長だ。体力は並みよりもあり、多少の武装を身に着けても重荷にはならない。

 

「あと一つ……桜は元気?」

 

 何気ない風を装っての質問に、慎二は答えた。

 

「……本人に聞けよ」

 

 慎二は踵を返して、空き教室を出ていく。凛と桜――かつての姉妹の関係が、どうというわけではない。慎二の方から、間を取り持つ義理もない。というか、下手に凛が首を突っ込めば臓硯の餌食だ。関わらない方が互いのためである。

 そのはずだが、慎二はどうにもムシャクシャしていた。

 

   ◆

 

 昼の衛宮邸に一人、セイバーは昼食をとっていた。衣服は鎧を消し、青を基調としたドレスだけになっている。

 献立は、士郎が朝につくってくれた、おにぎりと卵焼きである。更に、朝にやってきた桜という少女がつくってくれた味噌汁を温める。

 

「すぐに暖かい食事を用意できる。なんと素晴らしい……」

 

 昼食だけでなく、セイバーの胸まで暖かくなるように思えた。軍事にせよ政務にせよ、仕事が忙しすぎた生前は、落ち着いた食事などほとんどとれなかった。基本は干し肉などの保存食だ。食事なんてものは、とにかく腹持ちのする食べ物を、味わいもせず飲み込んで、胃袋に落とす作業であった。それでも食事をとるのは好きであったが、しかし、今朝はじめて食べた現代の食事は次元が違った。

 前回の聖杯戦争においては、サーヴァントが食事をとることなど考えもしなかったし、マスターも思いつかなかった。だから、セイバーが現代の和食をとることは初めてだった。

 人間は食べることさえできれば、多少なりとも心が落ち着くものだ。血の涙を流したほどの絶望も、更に強固になった願いも、忘れることなどできないが、それでもこの時ばかりは、少しだけ癒される。

 

「……いただきます」

 

 士郎に教えられた、食前の挨拶をすませ、まず味噌汁をすする。今朝より少し濃くなっているが、やはりブリテンの料理とは比べものにならない。ブリテンのスープは塩の味がすればいい方であった。味噌という独特の香りに満足しながら、おにぎりを手に取る。雪のように白く美しい米を見つめ、さあ口にしようとしたその瞬間、セイバーは気配を感じた。

 

「…………」

 

 セイバーの意識が、戦士のものに切り替わる。渋面になりながらも、おにぎりを皿に戻す。空になった手をギリギリと拳の形に固め、忌まわしい来客への怒りを表した。

 

「誰だか知りませんが……いい度胸です」

 

 立ち上がると同時に、セイバーは魔力で鎧を編む。戦闘態勢になり、戸を開けて庭を見据えた。そしてすぐに、気配の主を見つける。

 

「初めまして、お嬢さん。名乗ることはできませんが、どうぞよろしく」

 

 テンガロンハットを被った西洋人が、気障な仕草で会釈する。中々顔立ちのいい男だが、軽薄な空気が漂っていた。しかし、その姿勢に隙は無く、戦いの玄人であることは、セイバーにはすぐに理解できた。そして、男がサーヴァントであることも。

 セイバーは挨拶を返すことなく、問答無用で斬りかかっていった。

 

   ◆

 

 昼休み、士郎は慎二へと近づいた。

 慎二とは朝から声を交わすことはおろか、顔も合わせていない。朝、教室に入って来た慎二が、士郎の顔を見て、ため息をついて顔を背けただけだ。

 

「慎二、昨夜の続きをしたい。いいか?」

「嫌だ」

 

 にべもなかった。慎二はやはり士郎と視線を合わせようとしない。

 

「僕とお前は敵同士だ。話をしようと言われて、のこのこついていったら、待ち構えていたセイバーにズバッ、なんてのは、僕はごめんだ」

「そんなことはしない。約束する」

 

 慎二は実際に士郎が、そのような策を弄するとは思っていない。むしろ、そういった罠を仕掛けるか、あるいは仕掛けられることを警戒するくらいの、心構えでいろと、遠回しに諭しているのだ。

 

「とにかくごめんだ。お前は生徒会長のご機嫌とりするか、桜と乳繰り合うかしてろ」

 

 シッシッと、聞き分けの無い犬を追い払うように、手を振る慎二。しかし、士郎はその言葉に反応し、更に詰め寄る。

 

「そうだ。お前が魔術師ってことは、桜も魔術師なのか? あいつは、聖杯戦争に関わっているのか?」

 

 慎二はその問いにすぐに反応できず、黙り込む。ややあってから、答えを返した。

 

「……魔術師は、基本的に一子相伝だ。二人に教えたら、その分、魔術は分散して、質が半分に落ちる。それに、あんなトロい奴が聖杯戦争で、何かできるとでも? 何もしてないさ」

 

 その説明に、士郎は『一子相伝の後継者』が慎二の方であると思い、可愛い後輩が、血を血で洗う戦いに参加していなかったことに、安堵する。慎二は、嘘は言っていない。

 

「そうか……。そうだ遠坂は? 昨日、彼女が戦いの傍にいたのを見たんだ」

「……遠坂も魔術師だよ。っていうか、この冬木の町を管理する、土着の魔術師の家系だ。聖杯戦争のシステムを作った、間桐とアインツベルンに並ぶ御三家の一つ。当然、聖杯戦争には最優先で参加する。もし説得して戦争を降りてもらうとか考えているなら、十割善意で言ってやるが、やめておけ。ぶっ殺されるだけだ」

 

 話し合うことはできないかと考えていた士郎は、混じりっ気なし、本心からの慎二の忠告を聞き、すぐには行わないことにした。

 それからもまだ話したかった士郎だが、慎二のポケットで音が響いたため、勢いを殺がれた。

 

「電話だ。サービスは終わりだな」

 

 携帯電話を取り出し、慎二は教室を出ていく。それを見送りながら、士郎は自分の力の無さを痛感する。戦争を止めるどころか、最低限の情報も持たず、情報を集める手段もない。慎二の甘さに頼っている有り様だ。

 

(俺に、何ができるか……)

 

 そこで何もできないと諦観するのではなく、できる何かを死ぬ気で見出そうとするのが、衛宮士郎だった。

 

   ◆

 

 慎二は通話ボタンを押し、携帯を耳元に当てる。

 

『もしもし、フーゴだ』

「ああ、慎二だよ。で、何だ」

 

 電話の向こう側にいるのは、パンナコッタ・フーゴだった。

 

『少しばかり、本業で忙しくなってね。今日と明日は連絡が取れないだろう。その前に、伝えられるだけの情報は、伝えておく』

 

 じきに、ニュースでも流れるだろうが、と前置きし、さきほど入った情報を語った。

 

『昨夜から今朝にかけて、現在わかっているだけでも、家が三軒襲われ、家族が皆殺しにされている。総被害は15人。老若男女全員だ。殺されたうえで、庭に積み重ねられて、原型がなくなるまで念入りに焼かれていた。金や貴重品は手付かずだから、物取りではない』

「……魂喰いだと?」

 

 サーヴァントを強める方法として、人間の生命力を吸収させる方法がある。これが『魂喰い』と呼ばれ、手段を選ばないマスターなら、やってもおかしくはない。だが、強化と言ってもそこまで劇的な効果はなく、どちらかと言えば、魔力供給が心もとない場合に行うことだ。

 

「焼いた、というやり方からすると、やはり教会の神父を殺して焼いた奴と、同一犯と思えるな。一般人の殺害を、聖杯戦争を行う前から計画していたというのなら、監督役を始末する理由にもなる。どんなに隠蔽しようが、大量殺人は騒ぎになる。監督役の人間性にもよるだろうが、討伐対象になってもおかしくはない。袋叩きにされることを懸念し、先手を打っておいたんだろう」

 

 狡猾で、残忍で、躊躇の無い奴だと、慎二は推定する。そして、後先を考えていない、狂気じみた奴であると。

 

『だが聖堂教会というのは、魔術協会と対立する立場で、しかも実力も備えた組織なんだろう? それに手を出せば、後で報復は必ずあると理解できないはずはない』

「つまり、そいつは聖杯を手に入れられば、後はどうでもいいんだ。もしも聖杯を手に入れられなかったら、なんて、考慮にも入れていない。保身もない。命を捨てる覚悟があるのか、自分は絶対成功すると自惚れているのか、どちらにせよ、かなりやばい奴だ。こいつは、何でもするだろうよ。本当に、何でもだ」

 

 魔術の隠蔽など考えるような奴ではない。情報が拡散すれば戦いでは不利になるから、ある程度は隠すだろうが、自分の利に関係のないところであれば、幾らでもことを起こすだろう。

 

『この件は最優先で調べることにしよう。この手の不安定な要素は、早めに取り除いておいた方がいい。盤面がどうなるかわかったもんじゃない』

「ああ、任せる」

 

 使い魔を放って情報を集めることのできない慎二にとって、フーゴの組織力、情報収集力は、正直言って助かる。

 

『また、まず間違いなく、参加者だと言える人間を二人、絞り込んだ。名前は本名のようだが、経歴に不自然さがある。詳しい資料はまた置いておく。取りに行ってくれ』

「へえ……名前は」

 

 フーゴは答えた。

 

『一人は、バゼット・フラガ・マクレミッツ。もう一人は……アトラム・ガリアスタ』

 

   ◆

 

 テンガロンハットの男が、電柱に寄りかかり、ぜいぜいと息をついていた。その表情は、いまだに恐怖の色を残している。

 

「はあはあ……なんておっそろしい女だ。この俺が女に暴力を振るわないと心に決めているのをいいことに、滅茶苦茶しやがって。くっそぅ……俺はコンビを組んで実力を発揮するタイプだってのに、単独任務なんてよ……」

 

 日本の町には似合わぬカウボーイは、自身のあちこちを手で撫でまわし、どこも斬れていないことを確認する。透明な剣も危険だが、そもそもセイバーの動きが速すぎて、身のこなしもほとんど見えない。武装を弾き飛ばして無力化しようと攻撃しても、全て避けられ、弾かれる。

 常軌を逸した速度の敵に慣れている男であるから、どうにか逃げ延びることができたが、生きた心地がしなかった。

 

「それでも、これでセイバーの情報はつかめた。戦いを制するにはまず情報だからな……」

 

 息が落ち着いたところで、男は顔をあげる。戦闘が始まってから10分ほどしたところで限界になり、隙を見て逃げ出した後は、もう滅茶苦茶に走り回り、自分でもどう動いたのかわかっていない。

 つまり、ここがどこだかわからない。

 

「あー、ちくしょう。帰りが遅くなったら、また殴られるかもしれねぇってのに」

 

 セイバーも恐ろしい女であったが、自分のマスターは更に恐ろしい女である。

 見た目は麗しい、赤い髪の美女であるが、サーヴァントである自分の首を吹き飛ばしそうなほどの『拳』を放つ、ツワモノである。

 特に、昨日得た情報の報告を聞いた際には、『自分もケルトのランサーが欲しかった』と、大変機嫌が悪くなり、周囲の空気が濁って、生きた心地がしなかった。

 

「何がランサーだよ。ちぇっ……そりゃ、確かにあの野郎も強いけどよ」

 

 それに美形である。カウボーイ風の男も中々きまった顔立ちだが、神話に語られるような美丈夫を相手にしては相手が悪い。

 

「でもまぁ……この聖杯戦争、最強が誰かっつったらよぉ」

 

 呟く男は、唾を飲み込む。今まで集めた情報を統括して、結論を出した。その存在は、考えるだけで怖気が背中に走る、他のサーヴァントと一線を画す存在。

 

「まず、バーサーカー以外にいねえよなぁ……」

 

 

 

 

 

 ……To Be Continued

 

 


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