「……もう行くのか?」
間桐慎二は、玄関に向かう妹に向けて言う。
振り向いた拍子に、妹――間桐桜の長い髪が揺れた。
「ええ、先輩を待たせちゃいけませんから」
「待ってるのはむしろタイガーの方だろう」
柔らかで可愛らしい顔に、笑顔を浮かべる桜。まだ朝日も弱い、暗いうちに外に出ることなど苦にもならないと言わんばかりの表情に、慎二は呆れる。
ちなみにタイガーとは、
ついでに言えば彼女は、おいしい料理が大好きで、桜の料理も大好きなのだ。
「まあいいさ。好きにしろよ。僕に迷惑をかけなければね」
「はい。兄さんも、早く先輩と仲直りしてくださいね?」
「っ! お前なっ!」
「ふふっ、行ってきます」
慎二が怒鳴りつける前に、桜は玄関の戸を開け、逃げ去ってしまう。それを見送り、慎二は舌打ちして頭を掻く。
「くっそ……妹の分際で……」
「仲がいいようで羨ましいことです」
後ろから声をかけられ、慎二は後ろを振り向く。
そこに立っていたのは、背の高い女性。紫の長い髪をし、肩と太ももを露出した、ボディコン・ドレスを着ている。ただ、バイザーのような目隠しをしているので素顔はわからないが、顔の輪郭や鼻の形から、絶世の美女であるとわかる。その長い手足が滑らかに動くさまは、妖しい蛇を思わせた。
彼女はライダー。間桐のサーヴァントだ。
「どこに目をつけて……ああ見えないのか。どこに耳をつけてるんだ」
「サクラは『兄さんは口が悪いが、慣れるとあれも一つの味だと思える』と言っていましたが……ちょっとずつわかってきました」
慎二は顔を更にしかめるが、これ以上言っても無駄に終わると察し、ムカつきを胸に押し込めた。
「……僕は朝食をとる。お前は今日も偵察だ」
ライダーを召喚してから、彼女は毎日偵察を行っている。聖杯戦争の序盤は、まず情報を集めることが常道だ。
アインツベルンの森は既に結界が強化されており、主人が城に入っていることがわかった。
遠坂はまだ召喚した様子はない。
魔術協会から派遣された魔術師も、既に冬木に入っているようだ。
しかし、まだサーヴァントは発見できていない。全員、様子見に回っているのだろう。
(……あいつは、情報を持ってこれるかな)
慎二は、知り合ったばかりの顔を思い浮かべていた。
◆
ホームルーム前の教室は、まだ騒がしい。生徒たちが好きなように集まり、おしゃべりを楽しんでいた。
「美術部のストーブは、昼だな」
「ああ」
友人である
生徒会長である一成は、日々、生徒会に与えられた予算をいかに使うか、頭を悩ませている。しかしどんなにやりくりしても、古い備品全てを買い替えるほど予算は潤沢ではない。壊れたら修理するしか道はなく、修理できるような生徒は、士郎くらいしかいない。
生徒たちのことを常に考え、生徒会長としての職務を遂行しようとしている一成に頼まれて、断るような衛宮士郎ではない。それで多少、自分の時間が削られ、帰途につくのが遅くなったとしても、まったく苦労とも思わない人間が、士郎なのだ。
そうして話しながら教室に入った士郎に、声をかける者がいた。間桐慎二だ。
「朝から騒がしいね、衛宮。部活をやめてから何をしているかと思えば、生徒会長の太鼓持ちかい?」
その言い草に、一成は怒りの表情を浮かべ、慎二に対し口を開こうとするも、士郎が押しとどめる。士郎は侮辱の言葉をかけられた本人にも関わらず、笑みさえつくって言った。
「慎二も何かあったら言っていいぞ? 手伝えることがあったら、手伝うぜ。
挑発的な言葉を、柔らかに受け止められ、好意で返される。その反応に、慎二は一瞬虚を突かれた表情をし、すぐに、苛立たし気に顔をしかめる。
「っ……余計なお世話だ! とにかくもうお前は部外者なんだから、道場に近づくなよ!」
別に弓道部をやめたからと言って、道場に近づいてはいけないという法はなく、慎二がそんなことを決める権利もない。しかし、士郎はそれ以上何を言うでもなく、憤然と自分の席に戻る慎二の背を見送った。
「ふざけた奴だ。自分から衛宮を追い出しておいて、よくもあんな口が利ける」
「いいんだよ。あれが慎二の味なんだ。付き合いが長いと慣れてくる」
先日、士郎はバイト先で肩を火傷してしまったのだ。弓道では、『礼射』という仕草の時に肩を露わにしなくてはならず、火傷をさらしてしまうことになる。
慎二は、その火傷を見苦しいと言い、いっそ辞めろとなじった。他の部員もいる前でそれをやったので、誰もが士郎が弓道部を辞めたのは、慎二のせいだと思っている。桜が士郎の世話をしているのも、慎二の行為の謝罪の為ということになっている。
けれど、士郎は他人の目を気にしない人間だが、悪意に全く鈍感というわけではない。
自分の火傷を、不快なものとして見ている部員が、何人かいることには気づいていた。
更に慎二は、士郎が弓道に打ち込めていないことを知っていた。士郎には、弓道以上にやりたいことがあるのだと知っていた。何せ、士郎は慎二に、自身の弓に対する想いを話していたのだから。
だから慎二は、士郎に弓道を辞める機会を与えるために。そして、自分の火傷が他の部員に、これ以上不快に思われないように、進んで悪者になったのだろうと、士郎は思っている。
勝手な思い込みかもしれないが、士郎は悪友の捻くれ具合からして、そう間違ってもいないだろうと踏んでいた。
「ふぅん、そんなものか」
「そんなものです」
疑わし気に首を捻る一成に、士郎は頷くのだった。
◆
冬木の町を駆け抜ける、妖艶な美女。しかしそのグラマラスな長身を、誰かが目にすることはない。なぜなら、彼女は今、霊体化し、物理的な束縛を受けぬ身であるから。
誰の視界に入ることなく、彼女は町の隅々を見て回る。遠坂邸やアインツベルンの森などの、彼女に気づく者が存在しうる、幾つかの場所は除いてだが。
(大分、この町のことにも詳しくなりましたね……)
できれば霊体化などせずに飛び回りたいものだ。風を身に受け、空気の香りを嗅ぎ、現世をこの肌に実感したい。
(それはシンジが許してくれませんが……彼は少し臆病ですからね)
彼女は仮初とは言え、自分のマスターに辛口の評価をくだす。
とはいえ、それもここ数日で、大分軟化した方だ。第一印象はかなり悪かった。
『なんだそりゃ……英霊どころか化け物じゃないか』
それが慎二の、彼女に対する評価だった。間違った評価ではないが、本人の前で正面から言うようなことではない。
(あれは首を引きちぎってやりたくなりましたね)
彼女のこめかみ辺りに、血管が浮き出る。
あの後、桜に宥められたものの、怒りはいまだに燻っている。
(けれど……無能ではない)
慎二は彼女に偵察させ、自身も情報を集めている。ただ攻め込むだけの猪ではない。
とはいえ無理はさせず、徹底して不用意な戦闘を禁じていた。自信家を気取っているが、慎重に自陣の戦力をわきまえている。
それに女を見下したような態度をとりはするが、それでも奴隷や道具のように扱うことはない。美女の体を辱めることもなく、部下として扱っている。
また、ライダーが慎二に怒りを抱き、殺気を放っても、表面上は強気を装っていた。手足の震えは隠しきれていなかったが、この平和な国で、本物の殺気を浴びても耐えられる根性は褒めてもいいだろう。もっとも、敵意や殺意に対しては平静を装う気概を持っているものの、好意を見せる相手や、度量の大きい態度をとる相手には、妙に弱いようだが。
(口も態度も、性根も悪い。それに、相手を挑発して、その内面を見定めようとする悪癖があるときている。どうにも気に食わぬ男ですが……私が大人になって折れてやりますか)
我慢できないことはないし、こちらが余裕を持って接していれば、案外面白いところもある。それが現状、彼女の出した評価であった。
◆
学校が終わった後、とある喫茶店で、慎二は2人用のテーブルにつき、文庫本を読みながら待っていた。他の客はいない。
その喫茶店はバス停から徒歩で10分程度のところにあった。定年退職した店主が老後の趣味で始めた店で、落ち着いた英国風の様相を演出していた。細い道にひっそりとある、穴場的な店のため、客は少ない。何とか赤字にならないくらいの収益は出している程度の、小さな店だ。
「ふん……話題の新作なんて言っても、大したことないな。内面の描写が浅すぎんだよ」
慎二が愚痴を漏らしていると、その相手は来た。時計の針はちょうど午後5時を指している。待ち合わせの時間より、1分と早くも遅くもない。
彼は、慎二の後ろの席に、慎二と背中合わせになるように座る。慎二は視線を向けることもなく、声さえ出すこともなかった。
『慎二。召喚はどうだった?』
『ライダーを召喚したよ。宝具を多く持っているクラスだっていうから期待したが、戦闘じゃ使えないのばっかりのハズレだよ。ったく』
『使えるか、使えないかは、使う奴次第……それは君も知っているはずだ』
『ふん、偉そうなこと言われなくても、わかってるさ』
そして、二人は声を出すこともなく、会話を成立させる。彼らの持つ能力が、それを可能とした。
慎二は後ろを振り向きもしなかったが、彼は相手のことを知っている。
歳は二十代半ばの青年。整った顔に、理知的な瞳。長く伸ばした前髪が、顔の片側を隠している。服装は大分奇抜で、果物の苺を柄としたネクタイを、首に直接巻き付けている。長袖のシャツと長ズボンを一枚ずつ身に着けているが、その服は上下とも、チーズのように穴が空き、素肌をさらしている。
『……この冬に、その格好は寒くないか?』
『いや、慣れればそうでもない』
『なんだそれ。慣れなきゃ寒いんじゃないか』
慎二は呆れて、やはりこの男は変わり者だと再確認した。
師を通じて、変わり者の知人は結構多い慎二であるが、この男も中々のものだ。
相手の男の名は、パンナコッタ・フーゴ。
イタリアの、いわゆるギャング――『パッショーネ』の一員である。
彼と知り合ったのは、1年前のことだ。
フーゴたち、『パッショーネ』は3年前から、冬木に入ってきていた。土着の組織である藤村組に筋を通し、話し合い、平和的進出を行っていた。活動も、高利貸しや売春、武器売買、盗品売買といった非合法なものではなく、あくまで料理店や服屋などの、合法的な店を出すにとどめた。
日本進出の理由は、『パッショーネ』と敵対しているアメリカン・マフィアが、日本進出を目論んでいるので、それに先んじて、というものである。あくまで、敵対組織の日本進出、利益拡大を阻むのが目的であるため、パッショーネ自体が日本で強い影響力を持つ必要は薄く、大規模な活動はしないと説明し、藤村組に進出の了解をもらった。藤村組の一人娘が、イタリア料理店ができることを喜んだことも、多少は後押しになったかもしれない。
フーゴたちは、順調に冬木に己が拠点をつくり、情報網を構築していった。
しかし、藤村組も、パッショーネの組員にも、日本進出の本当の目的を知る者は少ない。はっきりと言えば、本当の目的を知る者は、フーゴと、パッショーネのボスしかいなかった。
慎二とフーゴが接触するまでは。
『そんなことはいい。それより、情報だ。ここ最近、この町に入ってきた外国人について、怪しい奴のリストをつくった。特に、中東の大富豪を自称している奴が怪しい。こちらで更に絞り込む。ムーロロ……ハッキングが得意な奴に、出生届やらを調べてもらった。明日には白黒はっきりするだろう』
『ハッカーに魔術師の偽装が見破られる世の中か。教授の言う通り、今回がまともに進められる、最後の聖杯戦争になるかもしれないな』
この情報社会において、多くの人間がいる町の中で、大規模な破壊をもたらす聖杯戦争を行うなどというのは、もはや限界だ。聖杯戦争に限った話ではない。遠からず、魔術師は科学の情報網から神秘を護るため、対策を行わなければならないだろう。
そんな慎二のぼやきを無視して、フーゴは伝えるべきことを伝える。
『こちらでわかるだけの情報はまとめておいた。駅のロッカーに、その他もろもろと一緒に入れてある。鍵はお前の隣だ』
慎二が右を見ると、テーブルの端に先ほどまではなかった鍵が置かれていた。慎二はそれを手に取ると、立ち上がる。
最後まで顔を見合わせることさえなく、二人は別れていく。どこにどのような目が光っているかわからない。魔術という、隠し通されてきた事象に対し、用心の上に用心をして、足らぬということはない。
特に彼らが最終的に戦わなければならない相手は、一流という枠組みではすまぬ、怪物の類なのだから。
『……ここは一流店じゃないが、ミルクティーはそこそこいける。食事ならビーフシチューがオススメだ。逆にハーブティーだけはやめとくんだね』
『アドバイス感謝するよ。そっちも上手くやってくれ。今後も協力はするし、手が届くなら、僕自身も体を張るつもりだ』
フーゴは手を挙げて店員を呼びながら、慎二へと思考を伝える。
『これは、10年前のやり残しだ。あの時にいた人間は、もう僕だけだ。ブチャラティも、アバッキオも、ナランチャも、雁夜も、もういない。だから、僕が彼らの分まで背負う責任がある。そのために……君に手を貸そう。そして、手を貸してもらおう。慎二』
誰が思い至ろうか。パッショーネという、イタリア全土に影響力を持つ大組織が、数年の時と莫大な予算を投入し、日本に進出した理由が、『たった一人の少女』を救うためであろうとは。
◆
夕食を終え、雑事を片付けた後、士郎は毎晩の日課へと向かい合う。
土蔵の床に、あぐらをかいて座ると、目の前の鉄パイプに両手を当て、目を閉じた。
「
呪文を唱えた。
「基本骨子、解明……構成材質、解明……」
やがて、士郎の手が光を放ち、鉄パイプへと浸透していく。
士郎は魔術回路を動かし、魔力をその身から汲み上げている。
「基本骨子、変更……構成材質、補強……」
なさんとする魔術は『強化』。文字通り、物体の性能を強化する、初歩の魔術だ。
だが、成功を目前として、バチンと士郎の中のイメージが砕ける。
「くそっ、また失敗か」
士郎は荒く乱れた息を整えながら、鉄パイプを放り出し、自分の才能の無さに絶望する。
「いまだにこんな初歩が上手くいかないなんて。何時まで経っても半人前だ」
ため息をついて、その場に疲労した体を横たえる。
「一体、どうしたら正義の味方になれるんだろう……」
正義の味方。
毎週、テレビの中でわかりやすい悪役を倒し、ちびっ子たちの声援を受けている者たち。けれど、現実にそういう者になるには、どうすればいいのか。
警察やレスキュー隊員になればいいのか。ボランティアで人を助け続ければいいのか。
いや、人助けと、正義の味方は、おそらく違うものだ。
『僕は、正義の味方になりたかった』
脳裏に浮かぶのは、自分を助けてくれた人の言葉。
自分にとっての、正義の味方の言葉。
「あんたは……どんなふうになりたかったんだ? 爺さん……」
あの10年前の謎の連続火災で、自分の命を救い、家族を失った自分の家族になってくれた人。
自分は、彼が死ぬ前に約束したのだ。
『爺さんの夢は、俺がきっと形にしてやるから』
自分は確かに言ったのだ。
切嗣の想いを知っているのは、自分と、あとは多分、切嗣にずっと付き添っていた、あの人だけだ。
「そういえば、今頃どうしてるかな……
士郎の夜の時間は、いつも通り過ぎていった。
◆
『慎二。はっきり言って、お前は魔術を使うことはできない。才能以前の問題だ。足を持たぬ者が走ることはできない』
『それでもお前が走りたいというのなら、まず足を手に入れなくてはならない』
『生身の足と同等の義足など、現状生み出すことはできないが、一歩踏み出すくらいはできるだろう』
『疑似魔術回路――生来の魔術回路に比べればお粗末なものだ。寿命を縮めるほどに体を蝕むうえに、生み出せる魔力は雀の涙。それでもなお、目指すか?』
『心を決めているのなら、高校を卒業した後、私の所に来るがいい』
『今すぐ? 馬鹿が。お前はまだ土台さえ作り終えていない。魔道は、基盤のできていない者が歩めるような安い道ではない。やわな者では、いずれ自分自身を見失い破滅する。まずは、魔術師になる前の自分をしっかり固めてからにしろ』
『――本当の意味で強い人間になれ。胸を張って、誇り高く生きろ。そう在れれば、
2月1日――朝6時。
夢から醒めた慎二は、ゆっくりと目を開ける。
「……くそ、まだ寝ていられるじゃないか」
時計を確認し、慎二は悪態をつく。だが二度寝していたら今度は寝坊するかもしれない。彼は不承不承起き上がり、冷たい空気の中、寝間着から学生服へと着替えだす。身が震えるのを耐えながら、、彼は今見ていた夢のことを思い出していた。
「ちぇっ、やっぱりすぐにやっておいた方がよかったじゃないか。教授め」
その呟きは、後輩に面倒な雑務を押し付ける時の、立場を笠に着た上から目線のものではなかった。自分の欲望を無理矢理押し通す時の、相手の心を踏み躙るような悪意をこめたものでもなかった。彼にしては珍しい、子供が親に我儘を言うような、信頼する相手への甘えが垣間見えた。
「……マスター」
「うお!?」
上半身裸になったところで、背後から声をかけられてビビる。振り向けば、自分を見下ろすように立つ女がいた。
「な、なんだライダー! 着替え中だぞ!」
「安心してください。見えていません」
「見なきゃいいって問題じゃない! 男女の区別の問題だ!」
慎二は混乱して怒鳴る。言っていることはもっともだが、普通こういうイベントは男女を逆にして行われるものではなかろうか。
(くうっ……こんなことで動揺するなんて僕らしくないっ!)
自分は女慣れしている色男であると自負している慎二は、今の自分を恥ずかしく思う。自分の素直な部分を漏らした瞬間に、声をかけられたせいだ、とは、慎二自身は認めやしないが。
それにしてもこのライダー、桜に何を吹き込まれているのか知らないが、慎二を舐めてかかっている気配がある。
「はぁ……はぁ……とにかく出ていけ。主人の部屋に断りなく入るんじゃない!」
「わかりました」
ライダーは思いのほか素直に部屋を出ていく。スッとその身を霊体化させ、ドアを素通りして部屋から去っていった。
「ドアくらい開けていけ……くそっ」
ペースを狂わされ、朝からとんだ災難だと、慎二は苛立つのだった。
◆
冬木市市街から、西へまっすぐに30キロほど進んだ辺りにある森林地帯。
その森林はアインツベルンが買い取った私有地である。森林を丸ごと外部から隔離する結界が張り巡らされており、内部には本拠地から運び、組み立てなおした西洋の城がそびえ建っている。
アインツベルンが聖杯戦争の拠点として設置したその城で、一人の少女がつまらなそうにしていた。
「退屈だなぁ。早く夜にならないかなぁ……」
真っ白の肌と髪の少女は、同じように色の無い女たちに身の世話をさせながら、まだ朝だというのに夜を待っていた。
人目のつく昼間は、魔術師の時間ではない。
戦争は夜の闇に密やかに行うのが、淑女の嗜みというものだ。
「セラ、お兄ちゃんはまだサーヴァントを召喚していないの?」
「その気配は無いようです」
「ふぅん……見た感じ、ちょっと鈍そうだったけど大丈夫かなぁ」
「……イリヤ様、あのような裏切り者の養子など、気に掛ける価値は無いかと。それよりも前回の聖杯戦争で、アインツベルンと遠坂を抑え、最後まで残った間桐の動向について……」
少女は侍女の一人に問いかけるが、望みの答えが出なかったので、すぐに興味をなくす。
「いいよそんなの。私の召喚したバーサーカーに勝てる奴なんて、いないんだから」
絶対の自信を込めて、少女は侍女の言葉を断ち切る。
「すぐ死んじゃったらつまんないんだから。ちゃんと遊んでほしいものね。昨夜はちょっと顔を見ただけだったし……早くちゃんと話したいなぁ。キリツグが、私たちを捨てて、拾った子と」
少女は美しく微笑む。その微笑みは、天使のようでも、悪魔のようでもあった。愛しさと憎しみが一つとなった表情。自分の父から、自分が受けるはずだった愛情を注がれた、まだ見ぬ『兄弟』を想い、少女は時を待つ。
「早く夜にならないかなぁ……」
◆
夕暮れの校舎の階段を、慎二は二人の女生徒を連れて、降りていた。
女の子たちは弓道部の後輩で、慎二は気持ちよく自慢話を楽しんだ。
「ははは、そんなに凄いかい?」
笑う慎二に、笑い返す後輩たち。とはいえ、彼女たちが心から、自分を尊敬しているなどと考えるほど、慎二は愚かではない。
虫も殺さぬ、清らかな女子高生を装うこの二人だが、実際のところ、強い者、立場が上の者に媚びへつらうタイプであると知っている。彼女らが好きなのは、間桐慎二ではなく、弓道部副部長という学生内での地位と、多少持ち上げれば気前よく奢ってくれる財力である。
(そこがいいんだけどねぇ。女の子は顔と体だけ良けりゃいいのさ。軽い方がいい)
楽しむ分にはそれで十分。真面目な交際なんてごめんこうむる。責任なんて、冗談ではない。お互いに、割り切った付き合いが最良である。
どこぞの、悪人に好かれるたちの背の低い男と、長く美しい黒髪をしたちょいと恐ろしい女性のカップルのような関係などは、やりたい奴だけがやればいい。自分には合わないと、慎二は思っている。
(昨日は遊びもせずに、男と待ち合わせして、重たい荷物持って帰ったんだ。リフレッシュしなきゃ)
慎二は指定されたロッカーから持ち帰った物のことを思う。
聖杯戦争の参加者と思われる人物についての資料。これはいい。
問題は、他の、聖杯戦争に役に立つだろうと、用意された品々。
(拳銃にスタンガン、防弾チョッキに手榴弾、大振りのナイフ、各種薬物――僕をテロリストにするつもりか?)
目にして顔が引きつった。置きっぱなしにするわけにもいかないので、必死で急ぎ持ち帰ったが、誰かにばれたらと思うと気が気ではなかった。
(とはいえ、あんな物、聖杯戦争には役に立たないだろうな。普通の戦争ならともかく、これは魔術師の戦いだ。サーヴァントはもちろん、魔術師にだって、あの程度の近代武装が効くものか)
銃弾程度を防ぐ魔術はいくらでもある。無論、魔術師はそもそも研究者であり、戦闘が得意なわけではない。銃で殺すこともできるだろう。
だが聖杯戦争という儀式は、そもそも戦うことが前提だ。戦闘のできない魔術師が参加するなどということはないだろう。少なくとも、戦闘用魔術礼装を準備してくるはずだ。
そんな魔術礼装を備えた相手には、機関銃だろうが爆弾だろうが無意味だ。魔術を貫いて、魔術師を殺しうるとすれば、対戦車ライフルなど、そもそも人間に使うには強力すぎる威力の武器が必要だ。だが、それほどのものは流石のギャングも簡単には調達できない。
たとえ持ってこられても、慎二に使えるわけもない。
(捨てる……わけにもいかないし、一応身に着けてはいるけど)
案外、防弾チョッキというのは重いのだと初めて知った。
「慎二」
「あん?」
声をかけられ振り向くと、見慣れた赤毛が目に入った。
慎二はフンと鼻を鳴らし、
「よお、衛宮。まだ学校に残ってたのかい?」
「ああ、一成に頼まれて、備品の修理をな」
昨日話していたヤツ、まだやってたのかと、慎二は呆れる。
それと同時に、なんだか腹が立っていた。惰性でやっていた弓道部をやめ、それでやることが他人の手伝いときた。
慎二にはまったく、理解できない。他人にこき使われて何が楽しいのか。自分の時間は、自分のために使うべきだ。
「ああ……そういえば、昨日、手伝えることがあったら手伝うって言ってたよなぁ? じゃあ、手伝ってくれよ。うちの弓道場さぁ、今、わりと散らかってるんだよねぇ。片付けといてくれない? 衛宮くん?」
イライラのままに、慎二はねちっこい口調で士郎に言い放った。
「えぇ……それ、それって先輩が藤村先生に言われたことじゃ」
「そうですよ。ちゃんとやっておかないと」
背後で、後輩たちが慎二を責める声をあげる。慎二は振り返り、
「いいんだよ。大体、今から片付けしてたら店閉まるじゃん。」
そう言うと、慎二を責めていた少女たちは押し黙り、お互いを見る。どちらがどう決めるか伺っているのだ。
慎二の方が間違っているのはわかっているが、ここで士郎を援護すれば、慎二に嫌われ、自分の立場が悪くなるかもしれない。だから、自分ではなく、別の誰かが代わりに面倒事を引き受けてくれないものかと、そう考えている。
(そうだよな。貧乏くじは、他人に引かせるものだ)
少女たちの考えは自然だ。不自然なのは、
「ああ、俺は構わないよ」
慎二の自分勝手な頼みを断りもしない士郎の方だ。
「ッ……じゃ、後はよろしく」
文句ひとつ言わずに、笑顔で快諾した士郎に、その顔を見たくなくなるほどイラつき、背を向けて慎二は歩き去る。
慎二自身、なぜこうもイラつくのかわからない。士郎以外の人間が同じように自己犠牲的な行動をしても、こうはならないというのに。
おそらくは、士郎と他の人間があまりに違うから。普通の人間の自己犠牲は、人間関係を良くするとか、恩を売るとか、打算が含まれているものだ。だが士郎にはそれがない。たとえ恩を仇で返されても、人のために動く。それが慎二の心の何かにひっかかるのだ。
「あっ、待ってよ先輩!」
「じゃ、じゃあ、後はよろしくお願いします」
二人の少女はなんだかんだ言って、士郎を残してついてくる。士郎に掃除を押し付ける慎二の方を選ぶ。その方が、自分が楽だからだ。
(そう、こういうのでいいんだよ。こういうので……人間、自分が良けりゃいい。自分に良くなるように動くべきなんだよ)
士郎への怒りを胸に押し込め、慎二は学校から出て行った。
◆
「――凛、止まれ」
凛に対し、彼女が召喚したサーヴァント――アーチャーが声をかけた。
霊体化しており、今は人間の目には見えないが、実体化すれば、赤い外套をまとう、褐色の肌の青年の姿が見える。
彼を召喚したのは、昨日の夜。本来は最優と謳われる
そして、主を主とも思わない、捻くれた性格。戦闘は自分に任せて、引っ込んでいろとまで言われ、怒り心頭した凛は、思わず令呪を用いて叫んだ。
『私に従いなさい!!』
ぶっちゃけ、そんな曖昧な命令はろくに効果がなく、令呪の無駄遣いもいいところだ。
サーヴァントに自害さえ命じられる絶対命令権にして、瞬間移動や傷の回復をも行える切り札でもある令呪を、勢いで無駄打ちした自分に、凛は頭を抱えた。しかし、その令呪の威力が思いのほか強力であったことから、アーチャーは凛の実力を認め、自分のマスターとして受け入れた。
あまり人様には話せない、サーヴァントとの初コミュニケーションであったが、結果は良好に終わったと言えるだろう。
その日はアーチャーに、召喚のドタバタで乱れた部屋の掃除を押し付けて――アーチャーは愚痴っていたが――終わった。
そして今夜は、これから戦うことになる冬木の町を案内して回っていたのだ。
戦いにおいて、地の利を得ることは重要。
主な公共施設や霊地、10年前に聖杯戦争が終結した地などを、一日中見て回った。無論、学校はサボった。
日も暮れて、凛とアーチャーの主従は、遠坂邸への帰路を歩いていた。
アーチャーが声をかけたのは、その途中だ。その声に、張りつめたものを感じ、凛もまた緊張を懐いて、聞き返す。
「何?」
「……サーヴァントがいるぞ。露骨に殺気を放ち、挑発してきている。こちらを誘っているな」
「……どこへ誘おうとしているか、わかる?」
相手が罠を仕掛けているところに突っ込むなら、それなりに覚悟がいる。そう考える凛に、アーチャーは今日案内されたこの冬木の地理を思い返し、場所を特定する。
「この方向で、戦うに適した場所は……おそらく、マスターの通う学校の校庭だな」
「学校? 確かに、今の時間はみんな帰ってるでしょうけど、明日には人がまた通ってくる所に、罠をかけることもないでしょうし……いざ尋常に勝負ってこと? 本気で?」
罠を仕掛けること自体は可能だが、あとでその罠を解除しなければいけなくなる。解除の時間がとれるとは限らず、もし解除できなければ、明日登校してきた生徒や教師が罠にかかり、大騒ぎになってしまう。
ばれぬように行わなければならない聖杯戦争で、そんな真似をするとは思えない。
ならば、これは正面から勝負にきているということになるわけだが、それはそれで凛には驚きだ。まだ戦争は探り合いの時期だ。そんな中で、情報をさらけ出す羽目になるかもしれない、真っ当な戦いを行おうというのだから。
「そういうことだ。乗らないという手もあるが、どうする?」
「決まってるでしょ。逃げるのは性に合わない。ぶちかますわよ!」
「……そうだろうと思ったよ」
アーチャーは肩をすくめたが、反対することもなく、敵の待つ地へと足を進めた。
そして、穗群原学園の校庭に着くと、思ったとおり、校庭の中央に一人の男が待っていた。
「お誘いどうも。来てやったわよ」
開口一番、居丈高に言い放つ凛。
相手は、その物言いをむしろ気に入ったように口角を吊り上げる。
「いいねぇ。いい女だ。少なくともマスターの方は見どころありだな。さて、サーヴァントの方はどうかな?」
朱色の槍を構え、青い髪を短く切りそろえた男は、鋭く殺気を放つ。さしもの凛も、背筋が寒くなるが、アーチャーの方は、怯むことなく、前に出た。
「御託はいい。やる気ならば早く始めるといい。それとも、槍よりも口を動かす方が得意かな?」
「……言ってくれるじゃねぇか」
アーチャーの挑発に、槍持つ男は凶悪に顔を歪める。次の瞬間、その姿が消えた。
「っ!?」
凛が驚くと同時に、鋭い衝撃音が響く。一瞬にして間合いを詰め、そして繰り出された槍が、アーチャーによって防がれたのだ。褐色の肌の男の手には、いつの間にやら、二振りの剣が握られており、それが相手の槍を止めていた。
「いいねぇ……そうこなくちゃな」
ランサーは機嫌良く殺気を振りまく。
遠坂凛とアーチャーの、最初の戦いが始まった。
……To Be Continued