Fate/XXI :2―間桐慎二はくじけない   作:荒風

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ACT15:平穏までの数歩

 燃え堕ちる建物。

 溢れ出す暗黒。

 顕現する地獄。

 その中心で狂い笑い慟哭する、一人の老婆。

 この世の終わりをも思わせる、救いのない光景。けれどそれもすぐに消える。

 救われぬままに、一切残さず滅び去り、わずかに生き残った幾人かの心に、晴れることのない黒い影を残したままとなるだろう。

 

 そのはずであった。

 

「まだ……よ」

 

 老婆の枯れ木のように細い足を、誰かが握った。老婆が思わず視線を落とすと、血まみれの女が這いずって、老婆の足を掴める距離まで来ていた。

 

「なんじゃ。生きていたのか」

 

 銃弾に全身を貫かれたのだ。一足先にあの世へ旅立ったかと思っていた。

 しかし、向こう側の景色が透けて見えそうなほどに穴だらけになり、元々の髪の色をより赤く染めて、なお彼女は生きていた。

 ソラウ・ヌァザレ・ソフィアリは、生きていた。

 

 暗く燃え盛る執念をその目に宿し、彼女たちの周りで一切のものを焼き滅ぼさんとする炎よりもなお熱く。

 

「私と……契約なさい。そうすれば、聖杯の力が残存している微かな間は……まだとどまれるはず……私を、生かしなさい……!」

「儂に、何の得がある?」

 

 今にも死にそうな体を、精神力だけで生かしている。魔術などという小細工ではない。気力だけで生きながらえている。今にも消えそうでありながら、その意識は明確で、言葉は明瞭であった。

 もはや何も希望を持てぬエンヤ婆であったが、死にかけのこの瞬間に、最も強烈な命の在り様を見せつけるソラウに、少しだけ興味を抱いて、問いかける。

 

「……次の聖杯戦争で、貴方の主を復活させてあげるわ」

「ふん……良かろう」

 

 期待をするわけではない。だが、自分の全ては偉大なる主――ディオ・ブランドーのためにある。ならば、どれほどか細い希望であっても、残しておくべきだ。

 すべては我が(ディオ)のために。

 

「結ぼう。契約をな」

 

 瀕死のソラウの体から、魔力が吸い上げられる。今にも意識と同時に消えてしまいそうな命を、ソラウはまさに死に物狂いで燃やしていた。

 

「……【妖霧嘲笑・幽街結界(ジャスティス)】」

 

 そして、彼女は成し遂げた。

 魔力を必要なだけ供給されたエンヤ婆は、白い魔の霧を顕し、世界を塗り替える。己の世界に。屍のさまよう霧の町に。

 己がマスターとなったソラウを霧で飲み込み、燃え盛る冬木市民会館から二つの人影は消え去った。

 

 一切残さず滅び去るかに思われた『悪』は、跡を継ぐ者を逃し、未来への災いを残した。

 

 ちょうど十年前のことであった。

 

   ◆

 

「……懐かしいものね」

 

 エンヤ婆の固有結界【妖霧嘲笑・幽街結界(ジャスティス)】に入れられたソラウは、市民会館の外に落とされた。エンヤ婆は老人の姿からは思い描けぬような体力でソラウを担ぎ、安全地帯にまで移動させてくれた。

 

『死ぬでないぞ……おぬしには二つの秘密を教えてやる。それを使い、必ずやDIO様を復活させよ』

 

 死体も同然のソラウにエンヤ婆は一方的に喋っていた。意識は朦朧とし、五感も歪み、血濡れた体の痛みさえ感じられない状態。にもかかわらず不思議なことに、ソラウはエンヤ婆の教えてくれたことを、一語一句、明確に憶えていられた。マスターとサーヴァントとして、パスを繋いでいたからだろうか。

 

『いい……の? 約束を守ると……本当に思ってる……?』

 

 エンヤ婆はソラウの目的を知っている。

 ディルムッド・オディナ。自分の人生で、初めて魂を震わせた相手。彼を手に入れる事こそがソラウの願い。DIOの手を取ったのも、それを叶えてくれる相手であったからだ。

 聖杯に願うことでディルムッドを手に入れることができれば、DIOを復活させるまでもない。だから、DIOを復活させるという約束を果たす必要性はない。

 

『フン、あの聖杯を見よ。あの聖杯は既に邪悪に染まっておる。あれを使ってあの槍騎士を復活させるなど、まともにやっては不可能じゃろうて。あの槍騎士は輝く者……あの聖杯とは真逆の者よ。あれで復活させられるのは……悪しき者のみよ』

 

 確かに、あの穢れた聖杯を使い、ディルムッドを蘇らせることなどできるとは思えない。ディルムッドを呼び出すという願いも歪曲させて災いを起こすのが関の山だ。だが、DIOの復活なら聖杯は正常に機能することだろう。DIOの復活――それは歪ませるまでもなく、多くの人間にとって不幸となる、悪しき願いに違いない。

 

『だがそれを置いても……おぬしは裏切るまい。おぬしもまたDIO様に魅了された人間。悪に心を満たされた人間。恋や愛とは違う形で……やはりDIO様を求めているのじゃ』

 

 ソラウは反論できなかった。ケイネスを裏切り、ソフィアリ家を裏切り、それでも求めた禁断の愛を、DIOは嘲笑しながらも許し、肯定してくれる。『悪』を受け入れてくれる。

 それはソラウに大いなる安心感を与えてくれた。さながら、結婚式において神の名のもとに夫婦の誓いを承認する神父のような、自分と、その愛を、認めてくれる相手。

 思い返せば、求めてやまない――あのまどろむような夢を。悪夢であると、わかっていてもなお。

 ゆえに彼女はここまで来た。DIOのかつての友人とも出会い、持てる力の限りを尽くして。

 

「DIO……貴方を蘇らせる。だから私にディルムッドをちょうだい。蘇り、目指すべき力に辿り着いた貴方なら、できるはず」

 

 今回の協力者である神父――彼から聞かされた、DIOの向かうべき『天国』。魔術師であるソラウには、それが究極の根源である「」に連なるものであると、直感した。魔術でも達成できぬ、魔法の領域。

 

「DIO、貴方がそこに辿り着くだけで満足するはずがない。根源の力と繋がったうえで、必ずこの世界を支配しようとするでしょう。その力であれば、きっと私にディルムッドをもたらすことも……」

 

 ソラウは、エンヤ婆の言葉に従い、二つのものを手に入れた。

 エジプトにおいて、かつてDIOたちが隠れ家としていた屋敷とはまた別のところに建つ、隠し倉庫として使っていた家。そこにはDIOの信奉者から差し出された、無数の財宝が積まれていたが、ソラウの目当てはその中のたった二つだった。

 

 金銀財宝や美術品の中に埋もれた、しかしそんなものより遥かに価値ある二つ。

 

 一つは仮面。古代中国の墳墓から出土したという工芸品。

 一つは矢じり。エジプトの遺跡から発掘されたという石の矢。

 

 共に、一般人からしてみれば古美術品として以上の価値など、見い出せようもないそれらは、この世界を根底から覆しうる力を持っていた。

 たった四年。海の底より引き上げられて、たった四年のうちにどれほどのことを行い、どれほどの爪痕を遺したのか。その影の暗さと深さに、ソラウの背すじが寒くなるほどだ。

 魔術師として教えを受けてきたソラウをして、戦慄するほどのそれ。だが、それも彼女が真に求めるものではない。

 

 ソラウ・ヌァザレ・ソフィアリが求める、唯一真なるもの――

 

「――『愛』。それだけよ。それだけが、私の望み」

 

 そのためならば、この世を滅ぼしたって構わない。

 

   ◆

 

「大丈夫ですか? 先輩」

 

 間桐桜は愛らしい顔に心から心配そうな表情を浮かべ、士郎の顔を覗き込む。慎二からの頼みもあって、現在、衛宮家に寝泊まりしている桜が、登校前に問いかけてきた言葉がそれだった。

 可愛い後輩にそんな顔をさせていることを心苦しく思いながら、士郎は平気だと頷いた。

 

「ちょっと転んだだけさ。青痣とかは少しあるけど、学校を休むような傷じゃない」

 

 昨夜の戦い、致命傷などは負わなかったものの、色々と転げ回ったのだから、怪我くらいはする。細かいことは桜には話していないが、体を引きずるようによろよろと帰って来た士郎を見て、彼女は大変狼狽していた。

 怪我の手当てまで手伝ってもらい、士郎はまったく申し訳ないったらないと思っていた。年頃の女性にとって、上半身だけとは裸身の男を治療するのは恥ずかしかっただろう。

 

「……本当につらかったら、言ってくださいね。私で頼りなければ……兄さんに」

「慎二に?」

 

 ええ、と桜は首肯する。その表情には少しの寂しさと信頼が宿っていた。

 

「兄さんは素直じゃないけど、頼りにされるのが結構好きなところありますから」

 

 普段、他者に頼まれることはよくあるが、こちらから頼むことは少ない士郎には、慎二にそんな一面があるとは思っていなかった。頼みをまったく聞いてくれないとまでは言わないものの、頼みを聞くのが好きとまでは。

 しかし妹である桜の兄評価であるから、そんなものなのだろうと納得した。

 

「へえ、じゃあ桜も、慎二には結構頼みごとをしてるのか?」

「え……」

 

 そして軽い気持ちでそう言った士郎の前で、桜は虚を突かれた表情をし、やがて暗い表情でうつむいてしまった。

 

「ど、どうしたんだ? 変なこと、言ったか?」

「い、いいえ……先輩は何も。ただ……私は、頼みごとなんてする資格は……」

 

 思いのほか落ち込んだ様子の桜に、士郎は慌てた。しかし桜は首を横に振って、何事かを呟いた後、顔を上げて笑顔を見せる。しかしその笑顔は、敏感とは言えない士郎にも無理があると悟ることができるものだった。

 

「……なんでもないです。すみません。あまり兄さんにワガママは言いたくないので、頼みごとはしてない……だけです」

 

 さあ、遅刻しちゃいますから行きましょうと、桜は歩き出す。士郎はその背中に、問いかけを拒絶するものを感じた。下手に触れたら崩れそうな弱さと儚さ。けれどそれ以上に、そのままにしておけば桜が暗闇に呑み込まれて消えて行ってしまいそうに思え、気がつけば言葉が口から飛び出していた。

 

「なあ桜……慎二はさ、強くてしっかりした奴だ。俺なんかよりよっぽど」

 

 だからさ、

 

「妹のワガママくらい、受け止めてくれると思うぞ」

 

 兄妹(きょうだい)なんだから。

 

 桜は歩く足を止め、しばしたたずんでいた。士郎にとって酷く長く、空恐ろしいような時間が流れる。

 やがて振り向いた後輩の少女の顔は、困ったように微笑を浮かべていた。

 

「……兄妹……家族ですか。そうかもしれませんね……」

 

 ありがとうございます、先輩。

 桜の感謝の言葉が、形だけの空虚なものではなく、本音からのものであると感じ、士郎は安堵の息をついた。

 同時に士郎は、自分が口にした言葉が自分に対して言ったものでもあることに気づく。

 

(家族、だもんな)

 

 きっと話すだけの価値はあると、白く可憐で、少しこまっしゃくれた少女の姿を思い出していた。

 

 そして士郎と桜は、柔らかな空気の中で何気ないことを話しながら、学校へと向かう。少しの間であったが、士郎は一寸先を死の爪が迫る戦争の残酷さから、離れることができていた。

 

 それは貴重な時間だった。

 

   ◆

 

 濃く淹れたコーヒーを飲みながら、眠気で今にも潰れそうな目を覚ます。

 パンナコッタ・フーゴは昨夜帰ってからも、ろくに休むことはできなかった。聖杯戦争のこともあるが、表向きにはパッショーネの日本進出のためということになっているのだ。レストランやブティック建設の仕事もちゃんとしなくてはいけない。

 15歳には既に大学に入っていたフーゴの頭脳でも、無茶をせずに仕上げられる仕事量ではなかった。

 

(藤村組が友好的なのは幸いだったが、昨夜は公共の道路で派手にやり合ったからな……。僕が関わっていることがバレたら、追い出されても文句は言えない)

 

 いつもなら揉み消し役になってくれる教会が機能していないのだ。自動車より速く走りながら殴り合う美女二人や、牙を唸らせる自動車の化け物など、聞いても信じる者はいないだろう。実際見ても信じられるかどうか。

 だが信じなくても、面白がって調べたり探したりする者がでてきたら、動きづらくなる。

 

(早く終わらせなくては)

 

 臓硯を殺し、桜を解放する。聖杯戦争の勝利は二の次であり、フーゴの目的は常にそれである。もしもの時の為、聖杯を手に入れるにこしたことはないが、前回の顛末を考えると聖杯にはあまり期待ができない。

 

「ブチャラティ、アバッキオ、ナランチャ……雁夜。思い返せば、いいチームだったな。いや……」

 

 過去形ではない。まだ一人残っている。まだ為すべきことは続いている。まだ彼女は待っている。

 終わらせるわけにはいかない。

 

「あのチームで一番未熟な僕だけが残っちまったが……まだゼロじゃない。十年前から続く任務は必ず達成する」

 

 フーゴの高い知性は現実をよく見据えていた。

 

 まだ勝利には遠い所にあることを。

 

 今のところ仲間を増やし、失うこともなく勝ち続けている。だが聖杯戦争には勝ち抜いているものの、臓硯の情報は何もつかめていない。無論、臓硯も聖杯を求めているのだから、必ず動くときはくるだろうが、その時は絶対に入念に練った策と罠をもってかかるに違いない。

 数百年の時を生きた魔術師の老獪を甘く見ることはできない。醜悪なまでの執念に、自分たちは勝てるだろうか。

 

「いや……必ず勝つ。臓硯の倒し方は必ず見つける。そうだよな? ブチャラティ」

 

 フーゴのかつての上司であり恩人であった男は、確かに己の為すべきことを為しきった。

 あの時、自分は何もできなかった。ほんの『数歩』を踏み出せなかったことを、今でも悔やみ続けている。

 

 ブチャラティと共に行かなかったことは、組織の人間として、決して間違った選択ではなかった。

 けれど、誇ることもできなかった。だからこそ、今度こそは。

 

「僕は自分の信じられる道を……歩いてみせるぞ」

 

   ◆

 

 授業の始まる前、遠坂凛は士郎に目で合図して校舎の屋上に連れ出すと、それまでまとっていた猫の皮を脱ぎ捨て、不機嫌な空気を撒き散らした。

 女心というものをまるで解さぬ朴念仁も、生物的な危機感知の本能は多少なりとも備わっていたと見え、若干及び腰になってしまう。

 それでも引きつった顔を無理矢理笑顔にしながら、努力して話しかけた。

 

「と、遠坂……なんか、怒ってるか?」

「ええ、ええ、怒っておりますことよ? いろいろとね」

 

 士郎の背中を嫌な汗が流れる。猫科の猛獣と一緒に檻の中いるような心境である。

 

「昨夜の戦い……サーヴァントが二体も脱落するほど大規模な戦闘に、この私が蚊帳の外! しかも自分のサーヴァントは勝手に参加して、後になって報告してくるなんて! 私を何だと思ってんのよあいつ!」

 

 怒りの大部分はアーチャーに向けられたもののようだ。地響きの如き効果音が聞こえてきそうな迫力で、凛は真っ赤な怒りを滾らせていた。

 

「アーチャーはいっしょにいないのか?」

「フン、今頃あいつは家の片づけをしているわ……。今朝随分散らかったから」

 

 どうやら今ここで表している怒りなど、残りカスのようなものであったようだ。昨日のことを聞いた彼女が、その怒りをいかに爆発させたか考えるだにゾッとする。

 

「それで……貴方、アインツベルンに行くって話だそうね?」

 

 少し気を落ち着けた凛は、過去のことから未来のことに話題を移した。

 

「ああ。虹村さんが話し合いの場をつくってくれたからな。行かないわけにはいかない」

「そこは家庭の事情だし……私が口挟むようなことでもないからいいけど、なんか陣営が知り合い同士ばかりになってるわね……」

 

 凛の言う通り、バゼットやアトラムが脱落した現在、もう繋がりのある陣営ばかりである。

 そしてその繋がりの中心にいるのが士郎である。慎二とは友人であり、凛と同盟を結び、舞弥とは親戚同然で、イリヤとは血の繋がりはないながらも家族になる。

 士郎だけが全員と縁があるのだ。そのため、本来は関わりのない間柄が、家族の友人や、仲間の家族になってしまい、戦いにくい状態になってしまった。

 

(こいつが参加してなければ、まっとうに戦争になってたはずなのにねぇ)

 

 奇しくも、士郎の望む通りに殺し合いをやめさせることが出来つつある。このまま全陣営で相談して、健全にスポーツ的な戦いを行い、死傷者が出ないようにして優勝者を決めるなんてことにできたかもしれない。

 だが、どうにもそう都合よくはいかない。

 

「結局、ソラウっていう前回の聖杯戦争の生き残りが、イレギュラーだってことね」

 

 凛には第四次聖杯戦争の知識はほとんどない。父が挑み、そして弟子である言峰綺礼に裏切られて死んだこと。それを間桐雁夜が伝え、そして雁夜もまた死んでいったこと。そのくらいしか知らない。

 第四次聖杯戦争はあまりに混沌としていて、参加者である舞弥たちでさえ全貌はつかめていないのだから、それも仕方ない。

 凛もそれを気にしている様子はない。彼女の思考はいたってシンプル。

 

 敵がわかれば、後は仕留めるのみ。

 

 謎があるがゆえに不気味で動きを取れないのだ。正体が知れれば、怖くはない。

 

「まずはそいつを倒さなくちゃ、おちおち優勝もできないってことね」

 

 遠坂凛は不敵に笑う。此度の聖杯戦争でまだイマイチ活躍できていない彼女は、腕を振るいたくてたまらないようであった。

 

「舞弥さんが一度、慎二といっしょに襲撃したそうだけど、おそらく複数の拠点を持ってるんだろうって話だ」

「ふーん……けれど、多くのサーヴァントを抱えているがために、その魔力供給は大きな負担になるはず。それを補うために、毎夜一般人を襲って回っているとなると……」

 

 今夜も襲撃に出るだろう。昨夜、ダメージを負ったのなら尚更のことだ。

 だがすでに顔も手口も割れている現状、動けば今までより察知しやすい。しっぽは必ず掴める。

 

「アインツベルンでの話し合いが終わったら合流して、夜の散歩といきましょう」

 

 デートね。と言う凛の表情は、美しくはあったが女性的ではなかった。戦場を前にした荒武者の笑みのような。いや、それそのものか。

 いずれにせよ学校でも評判の美少女に誘われながら、士郎の表情は若干引きつり気味であった。

 

   ◆

 

「ふーむ……波紋による治療か」

 

 時は正午。慎二とライダーの訪問を受けたキャスターは、自分の力でどれだけのことができるのか相談を受けていた。

 

「確かに、波紋は西洋医学の常識からすれば切断しなくてはいけないような、腐った傷をも快癒させることができる。疑似的なものといえど生命体に近いものであるのなら、その刻印蟲とやらもおそらく操り、摘出することも可能だろう」

 

 表情を変えないライダーであるが、隣に座る慎二には、彼女のまとう空気が暗闇の中に光明を見つけた迷子のように、やわらいだのを感じていた。

 刻印蟲。それはいわば生きた魔術回路。宿主の精と生を貪りくらい、魔力に変換する魔蟲。

 かつて、慎二はそれを使って魔術師になれないか師に相談したことがあるが、『代償に対して効果が見合わない』と反対された。高い効果があるのなら、魔術師の中でも疑似魔術回路はもっと主流になっているはずであり、そうなっていないのはやはり本来の魔術回路には敵わないからだ。

 桜の体には、その刻印蟲が巣食い、苦しみを与え続けている。取り除こうにも抵抗があるうえ、既に臓器の一部も同然となった蟲を下手に引っこ抜けば、かえって命にかかわるかもしれない。

 おそらく、魔力を増やすという目的以上に、桜を間桐の家に縛り付けるための鎖として、刻印蟲は機能しているのだ。

 その鎖を解く鍵が見つかりかけている。桜を何より大事に思うライダーが喜ぶのも当然だ。

 

「では」

「しかし、刻印蟲とやらを今すぐ取り除くのが正解かはわからない。臓硯とやらがいる以上は」

 

 勢い込んで早速、桜の治療を頼もうとするライダーを押しとどめ、キャスターは話を続ける。

 

「刻印蟲を取り除けば当然、蟲の主に気づかれる。そのとき、相手は次の手を打ってくる。どんな手を打ってくるがわからないが、数百年を生きる怪物……用心し過ぎるということはないだろう」

 

 キャスターの意見に、ライダーも頭を冷やし、緊張感を取り戻す。

 間桐家の絶対支配者、間桐臓硯。その身を蟲へと変え、聖杯戦争が始まったころから生き続ける人外存在。

 

 英霊という人間より上位にある彼らであっても、決して油断がならないと思わせる相手。

 

 力や頭脳はもちろんだが、恐るべきはその『邪悪』。

 

 自分の子々孫々を地獄に堕とし、嘲笑いながら道具にするその傲慢。

 他者の隙に忍び入り、目的の物をかすめ取って呑み込むその狡猾。

 

 目的のために手段を択ばず、念願のために卑劣をいとわず。

 

 本当の本当に、どんな手でも使う。まともな人間であれば、まともな英雄であれば、思いもつかぬ残酷なことも微笑みながら行い、恥じる気持ち一つ持たない。

 その邪悪こそ恐怖。

 

 そんな相手を前に、性急に動くのは危険だと言っているのだ。

 

「わかりました。確かに焦り過ぎていたようです……」

「あのクソジジイをどうにかしなくちゃ、根本的解決にはならないってことだ。けど、どうやったら死ぬんだかわからない……。不死を求めているとは知っているが、今でも十分不死身だぜ?」

 

 臓硯いわく、肉体が朽ちていくのは今なお止められないのだと言う。魔術の粋をこらそうと、完璧な不死は達成できない。聖杯にでも求めなくては真なる不老不死には届かないと。

 

「不死なんて……いいもんでもねえのによ」

 

 何か思うところがあるのか、億泰は彼らしくない陰鬱な表情で呟く。その顔に視線を向けた後、話をそらすように舞弥が口を開いた。

 

「かつての聖杯戦争において、私たちは臓硯とは戦っていません。ですから彼の特徴や能力などは知りませんが、魔術師殺しとしての経験上、多少はアドバイスできます」

 

 多くの魔術師は寿命を延ばそうとするものだ。人が道を踏み外し、文字通りの冥府魔道に堕ちてなお求める目的を達成するためには、大抵百年程度では足りないからだ。達成のためには次世代に託すか、自身の寿命を延ばすかしかない。

 ある者は吸血鬼のような人ならざる者に変わり、ある者は他人の魂を取り込んで寿命を注ぎ足し、ある者は記憶や意志を別の人間に移し替える。

 そのように、方法は違えども魔術師にとって不老不死たらんとするのは定番であり、魔術師を殺すならば、不死者をも殺せなければ話にならない。

 

「体を蟲に変え、群体として生きているタイプの魔術師。しかし、その蟲一匹一匹全てが臓硯と言うわけではない。一匹、魂を宿した本体がいるはず」

「そいつを叩けば殺せるか……。だがどこにいる? 蟲一匹見つけ出すなんて難しいぞ?」

「少なくとも、人前に姿を現している体はダミーでしょう。もっと安全な場所に隠れている可能性が高い」

 

 攻撃にさらされやすい体が本体であるはずはない。しかし、魔術師にとって土地は重要なものである。土地と結びつき、霊脈を利用し、拠点を築き、発展を図る。間桐は冬木の土地が合わず零落してしまった家系であるが、それでも土地を捨てるわけにはいかない。

 たとえ本体がダミーの体を遠隔操縦しているとしても、この冬木の中にはいると考えるのが妥当だ。臓硯にとって、この冬木が最も力を振るえる土地。他の土地に本体を置き、何らかの不幸で危機にさらされたら、的確な対応ができなくなる。そんな危険を冒すとは考えにくい。

 

「その論理からすれば、間桐の力が及ぼしやすい場所だな」

 

 遠坂やアインツベルンの手が伸びにくい場所。一番防御を固められるのは当然、間桐の館に他ならないが、それもわかりやすすぎる。

 

「自分の家だといっても、どんな秘密が隠されているのかわかったもんじゃないからな……。僕らはあのジジイを知らなすぎる」

「情報がないのであれば、ダミーだとわかっていてもあの老人を叩くのも手でしょう。いかにダミーであれ、本体に繋がっているのだから傷つけられれば『痛い』はず。本体も反応を示すかもしれない」

「手探りだな……」

 

 結局、臓硯に有効な手立ては見つからず、ひとつひとつできることをやっていくしかない。慎二好みの華々しさのない、地道な作業。もっとも、今まではそんなこともできなかったのだから、大した進歩だと言えるのだが。

 少なくとも、勝利のために行動できるのだから。

 

「イリヤとの話し合いが上手くいったら、間桐の情報を持ってないか聞いてきてやるよ。長い付き合いってんだから、知ってることもあるかもしれねーし」

「同じ御三家だからってあのジジイが仲間意識持つとは思えないが……気を使ってくれたことには感謝するよ」

 

 魔術師というのは基本的に引きこもりで、自分の胸の内をさらけ出すほどの付き合いをするものではない。だからアインツベルンが何か情報を持っていると期待はしなかったが、億泰の根っからの善意の言葉に、捻くれ者の慎二も珍しく素直に礼を言う。

 

「ライダー。僕はこの後、フーゴと話してくるから、お前は桜に伝えておけ。波紋の情報について……いつ治療することになってもいいようにな」

「ええ、わかりました」

 

 治療と言うのは患者の準備も必要だ。何もわからないまま急に治療を受けても、混乱して抵抗する可能性がある。緊急時に説明で余計な時間をとらないようにするため、慎二はそう指示した。

 対するライダーは頷きながら、小さく微笑む。

 

(よい方向に向かっている……。これならばきっと桜を救える)

 

 初めて召喚されたとき、桜の惨状を理解し、この希望を閉ざされた少女をなんとかしたいと思った。

 桜を取り巻く状況を知り、敵の名前とそれを打倒することの困難を理解した。

 

 だが絶望ではなかった。

 希望を抱けた。

 

 力弱く、心をさらさず、面倒くさい根性の持ち主だけど、『信頼』できる相棒がいてくれたから。

 

(シンジとならば、きっと)

 

 平穏を、平和で穏やかな時間を取り戻すまで、あと数歩まできているのだ。

 

   ◆

 

 学校が終わり、士郎が家に帰ると舞弥たちが待っていた。士郎は鞄を置き、着替えるとセイバーを伴い、舞弥の用意したワゴンに乗り込む。

 昨夜破壊された自動車とは別に買い付けたスペアの車だ。ただし銃火器や魔術礼装までは備え付けていないため、本当にただの自動車である。しかしまだ日は沈んでおらず、サーヴァントが2体も乗り込んでいるのだから、安全性は問題ないだろう。

 舞弥が運転し、助手席に億泰。後部座席に士郎、セイバー、キャスターが乗り、ワゴンは快調に走っていく。

 

「しかしマスターから話は聞いていたけれど、本当にアーサー王なんだねぇ」

 

 街を出て郊外に差し掛かったあたりで、キャスターはセイバーを見つめながら言った。

 気品のある美しい顔立ち。月の輝きを想わせる金髪。均整のとれたしなやかな体格。

 同時に湧きあがる、王者の貫禄と、騎士の覇気。年若き少女が持つものと思えぬそれは、確かに名高い英雄の風格を感じさせた。

 それでもやはり、この麗しい少女が英国に知らぬ者のない大英雄アーサー・ペンドラゴンであると、一体誰が予想できるだろうか。

 舞弥とて、前回の戦争で知らされていなければ思いもしなかったはずだ。

 

「若い頃は、父の率いる考古学チームに混ざり、歴史の知られざる真実を追い求めていたものだが……こんな真実は聞いても信じやしなかったろう」

「当時は女では誰もついてきてくれないので、男ということで通していましたから」

 

 セイバーはキャスターの話に付き合う。協力し合う相手であり、昨夜も助けてくれた人物。バーサーカーとの戦いのときから世話になっていた相手との会話を無視するほど、セイバーは狭量ではない。

 

「そうか? セイバーなら女だってわかっても、ついていったと思うけど」

 

 士郎が話に加わり、自分の見解を口にする。確かに古代は男女格差が今より激しかったかもしれないが、セイバーにはそのような俗な物差しなどが通用するとは思えなかった。誰であれ、その清く正しく、堂々とした姿を前にしては、彼女を召喚した直後の自分のように目を奪われるに違いないと。

 

「それはわかりませんが……無駄な危険は冒せません。失敗は許されなかったですし」

 

 予言されたブリテンの滅び。それを押しとどめるために、あらゆる危機を回避し、全てにおいて正しい手を打った。期待を抱かず、希望を信じず、ただ正しき回答を得るための公式を、ただ順当に推し進めた。奇跡を起こすことはなく、不可能を可能にするわけでもなく、ただ為せることを為すべきように為した。

 だがだからこそ……どうにもならないことは、覆せはしなかった。

 

「……マスターから聞いた話によると、君はやはり、『やり直し』を望むのかい? ブリテンの滅びをなかったことにするために」

「おかしいですか? 私の至らなさのせいで、私のせいで、国は滅び、民は苦しみ、騎士たちの献身は無に帰した。それを覆そうとするのは、愚行だと思いますか?」

 

 踏み込んできたキャスターに対し、セイバーの声にほのかに敵意が混ざる。

 かつての聖杯戦争でライダーから否定された望み。

 過去の否定。未来の改変。

 

 あの時と比べると願いは別のものになってしまったが、それでも根は変わらない。

 ブリテンに救済を。祖国に平穏を。

 

 あの人たちに幸福を。

 

 それは決して変わらない。王として。

 至らず、護れず、正しからず、無力な王であったけれど、王として責任をとれるのならば――その願いだけは譲れない。

 

 その気概を胸に内心身構えるセイバーに、士郎の方は何か言いたげな表情をしている。彼にとって、セイバーの願いの良し悪し以前に、彼女が自分を卑下し、否定することそのものが、身を斬られるような気持がしていたのだ。

 しかし一方、キャスターは穏やかな面持ちで口にした。

 

「いやぁ、おかしくなんかないさ。ごく当然の願いだと思うよ?」

 

 それは何の含みも偽りもない、単純に正直な感想であるとセイバーには直感できた。ゆえに彼女は少しキョトンとした、外見年齢相応の無防備な表情を見せてしまう。

 

「やり直せるものなら、そりゃやり直したいことはたくさんあるさ。失敗しない人生なんてものはないからね。ただ……」

 

「――――」

「え……?」

 

 そしてごく軽く、自然に語られた言葉にセイバーは戸惑い、言葉を返すのが遅れてしまった。口を開こうとしたときには、

 

「……ようこそいらっしゃいました」

 

 白い独特なメイド服をまとったホムンクルスの美女二人が、彼ら一行を出迎えており、会話を中断せざるを得なかった。

 

(どういう意味ですか……?)

 

 セイバーは自動車を降り、メイドたちの案内に従って歩きながら、キャスターの台詞を胸中で反芻する。しかしイリヤと会うまでの時間で、その意味を理解することはできなかった。

 

   ◆

 

 フーゴは時計を確認する。午後6時。

 

(慎二とバゼットが来るのはそろそろか)

 

 バゼットが協力者となったことで増強された戦力だが、互いにできることを知っていなければ、せっかくの力を効率的に使えない。そこで互いに紹介し合う時間をとり、集合することになっていた。

 フーゴの仕事も済み、後は待つばかり。

 

「茶と菓子でも用意しておくかな……」

 

 冷蔵庫に苺のショートケーキがあったはずだ。茶葉やコーヒー豆にも余裕はある。

 

「ミルクは……どうだったかな」

 

 確認しようと、仕事机から立ち上がったフーゴだったが、ふと首筋にチクリとした痛みを感じた。反射的に首後ろをさすると、指先で何かを潰す。

 

「虫……?」

 

 小さな羽虫。ハエより一回り小さいくらいか。

 

「……待て。この寒い季節に、虫だと……?」

 

 違和感が芽生えたのと、フーゴの足が砕けるように力を失くし、倒れ込んだのはほぼ同時だった。

 床に崩れ落ちたフーゴの体は、ピクリとも動くことが無い。それどころか痛みも、床に触れている感触さえもない。苦しさも気持ち悪さもなく、ただただ体が急速に停止させられていく状態。

 

(しまった……虫……蟲だぞ……奴に、決まっているだろう……!)

 

 暗く閉ざされていく視界。ブレーカーが落ちようとしている意識。

 それを必死で保ち、意識の喪失に抗いながら、先ほど潰した蟲を探す。眼球だけはまだどうにか動き、床に落ちた虫がゆっくり這い寄ってくるのを見つけた。

 

(やば……い…………駄目……いし、き……消え……)

 

 やがて若きギャングの思考は途絶え、暗闇に堕ちていく。後には、冬のナマズのように動かず手も足も出なくなった、肉体が横たわっていた。

 

『他愛ないものよ……』

 

 蟲に宿る黒い意識が嘲り、

 

『真っ当な魔術師であったら、無意識防御レベルの魔蟲にすら気づけぬとは……』

 

 潰れた体を引きずり、フーゴに向かって這いずっていく。

 

『所詮、慎二めと共に戦う程度の輩……この程度のものよ……』

 

   ◆

 

 ソラウは手鏡を見て化粧の具合を確認する。吸血鬼とはいえ、伝説のように鏡に映らないなんてことはない。

 

「朝に試した口紅は、やっぱり色が合わないわね……」

 

 ポケットから別の口紅を取り出し塗り直す。もう一度鏡で映して満足し、口紅を仕舞い直した。

 

「んっん~~、うん、こちらの方が断然いいわね。上手くいかなかった化粧は、早めに塗り直さないとね……常により良いものに変える。それが成功のポイントだって思わない?」

 

 ねえ? と、ソラウは声を投げかける。手の中の鏡から移った視線の先に、褐色の肌をした白い髪の男がいた。

 

「あなたもね……合わない相手は変えるべき。恋も、戦争も、万事がそういうものでしょう?」

 

 彼女は赤いハイヒールのつま先で、足元に落ちていたものを蹴る。吸血鬼としては手加減した蹴りであったが、それなり以上に衝撃があったらしく、蹴られたそれは数歩分転がり、苦し気に咳き込んだ。

 

「凛!」

 

 白い髪のアーチャーが声をかけて近寄ろうとしたが、ソラウはさっと鏡を掲げる。すると、ソラウに蹴飛ばされた凛の肩口が裂け、赤い血が迸った。誰も近寄らず、誰も触れていないというのに。

 

「私、つい昨日にお友達を失くしてしまったの。だから、貴方が新しいお友達になってくれない? アーチャー?」

 

 赤い外套をまとう弓兵は、苦々しい表情をしながらも、相手の言葉に耳を傾けるしかなかった。既に彼らは、チェスや将棋で言うところのチェックメイトに嵌っているのだから。

 微笑むソラウの手鏡の中には、苦し気に息をつく凛と、彼女に覆いかぶさる痩身のミイラ男のような怪人が映し出されていた。

 

 

 

 

 ……To Be Continued

 

 


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