Fate/XXI :2―間桐慎二はくじけない   作:荒風

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ジョセフ「お前の次のセリフは『今年もハリキッて書くのよォォォォン』だ!」
荒風「今年もハリキッて書くのよォォォォン!」
荒風「ハッ!」



プロローグ

 ズブッ……ズブリッ……

 

 ゆっくりと突き刺さる切っ先。

 喉から滴る血が肌を汚す。

 

「ごぼっ……ごぶっ……」

 

 口からも血を吹きながら、心の内で驚愕していた。

 痛みがある。苦しくはある。だが何故か、死ぬことはないと確信できたのだ。

 

「生きていたな……おめでとう」

 

 そう少年に言ったのは、少年を刺した男だった。年齢は20代、黒い髪を背中まで伸ばした男だ。

 

「とはいえ……お前が『選ばれた』ことはわかっていたがな。それでも、刺されることを『選んだ』のはお前だ。その『覚悟』は褒めてもよかろう」

 

 男は無造作に、少年の喉に刺さった『矢』を抜き取る。喉にはポッカリと穴が空いているのに、血はもう出ていなかった。

 

「う……うう……?」

 

 少年は、体の奥底、いや、心の根元の方から、強い衝動がこみ上げてくるのを感じた。

 自分の身から、体とは別の何かがはじき出される。

 自分の魂から、己と同じ何かが増えて溢れる。

 

 樹から枝が生えるように、卵が産み落とされるように。

 少年は、自分と繋がる半透明の奇妙な『何か』を見つめた。

 

「ゆ……幽霊……?」

「違う。それはお前自身だ。お前自身の精神の(ヴィジョン)。お前の精神が強ければ、それも強く在る。お前の心が真っ直ぐであれば、それも真っ直ぐ成長する。それはお前と共に立つモノ、お前の隣に立ち続けるモノ、お前の敵に立ち向かうモノ、『立つ者(スタンド)』……そう呼ばれる能力だ」

 

 男は、少年を刺した『矢』についた血をぬぐう。その『矢』は、金属ではなく石でできているようだった。しかし、ただの石ではない。黒曜石でも火山岩でもない、不思議な石でつくられている。

 

「この『矢』はお前に反応して動いた。それは、お前がこの『矢』に選ばれたということ。お前がその『スタンド』を持つ資格を得たということ。お前がこの『矢』に刺されても生き残ることはわかっていた。だが……」

 

 男は、少年の目を真っ直ぐに見る。その男の態度は、少年を子供として扱っていなかった。自分より弱く、劣るものとしては扱っていなかった。

 

 対等に、見ていた。

 

「お前は、それを知ることなく受け入れた。死を覚悟した。己の信念のために、命を賭けた。それは魔術師の精神だ。死への覚悟、命を捨てる覚悟を、一概に良しとは言えんが、それこそ魔術師の在り方だ」

 

 初めてだった。少年にとってそれは、初めてのことだった。

 

 己の誇りを、認められたのは。

 

 同情や憐憫ではない。

 嘲笑や無関心ではない。

 

 真実から目を背ける愚者に呆れるでもなく、物のわからぬ子供をあやすようにでもなく。

 

「常人からすれば馬鹿げたことだろうが、誰からも理解されぬ信念に命と人生を賭けるのが、魔術師というものだ。お前はそれを示した……ゆえに」

 

 真剣に、向き合ってくれたのは――初めてのことだった。

 

 

「誰が何と言おうと、私が認めよう。間桐(まとう)慎二(しんじ)……お前は魔術師だ」

 

 

 少年はその日――運命に出会った。

 

 

   ◆

 

   ◆

 

   ◆

 

 

 夜の学校、月明かりに照らされる校庭。

 町中においては広い、障害物の無い平地において、二つの人型がぶつかり合う。

 

 高速で衝突し合う、二つの影は、常人では目で捉えられぬ速度。

 傍らで見る、少女――遠坂(とおさか)(りん)も、魔術によって視力を強化していなければ、何もわからなかっただろう。

 

 片や、赤い外套を纏う、白髪の男。引き締まった筋肉は褐色の肌に覆われているが、顔立ちは東洋的だ。手には、白と黒の、二刀一対の中華剣。

 片や、体に張り付くような、青い服を纏った男。猟犬のように鋭く、研ぎ澄まされた肉体。獣の野生と、槍の鋭利さが同居したような美丈夫。手には、奇妙な文字が刻まれた槍が一本。

 

 剣と槍がぶつかり合うだけで、雷もかくやという轟音が起こり、衝撃波で地面が砕ける。

 

 誰が見ても、この二人が、人の姿をしているだけで、人間とは呼べない領域にいるとわかってしまう。

 

 それは校舎の屋上で、戦いを見つめる者も当然、よくわかっていた。

 

   ◆

 

「……やってるねぇ」

 

 人影は、薄く笑う。このまま自分は手を汚すことなく、二人の英雄の力を、存分に観察するつもりだ。

 

「まったく、サーヴァントがものを見ることもできないんじゃ、マスターがしっかりするしかないからな。ほんっと、ハズレを引いたもんだよ」

 

 自らを主人(マスター)と呼ぶのは、まだ二十歳にも達していない少年であった。そして彼に使い魔(サーヴァント)と呼ばれたのは、彼の背後に立つ女性だ。

 モデルのように高い背に、グラマラスな体つき。腕を露出した黒いドレスを着て、顔はバイザーのような眼帯で目を隠している。紫色の髪は地に着くほどに長い。

 随分な物言いをする少年に対して、背後に立つ女性は表情一つ変えず、文句一つ口にせずにいた。

 

「……ちっ、何か言えよ。つまんない奴」

 

 舌打ちし、彼は双眼鏡を覗き込む。視力の強化などできないため、こういった小道具に頼るしかない自分に若干苛立ちつつも、彼は自分の仕事を始める。

 

「召喚したばかりだってのに、いきなりバトルか。らしいっちゃらしいけどねぇ。ま、高みの見物とさせてもらうよ……遠坂」

 

 少年は、チロリと舌なめずりをし、始まったばかりの激戦を見下ろし、その音に耳を澄ます。

 

 彼らの名を見極めるために。

 

 名前は、この戦いにおいて重要な意味を持つ。

 真の名が暴かれれば、それは知られた者にとって不利に繋がる。

 名がわかるだけで、その長所短所、欠点弱点、特技や武器など、多くの情報が相手に知れてしまう。それほどに、今戦っている彼らは有名な存在なのだ。

 テレビに映る、芸能人やスポーツ選手など及びもつかぬ。人類の歴史に刻まれた名前を持つ者たち――すなわち、英雄。

 

 これより始まるは、名高き英雄たちが織り成す、欲望の泥に塗れた戦争の物語。

 

 

 戦争の名は、『聖杯戦争』である。

 

 

   ◆

 

   ◆

 

   ◆

 

 

 1月31日の朝、歴史の長い冬木の町の中でも、特に大きな屋敷の中で、一人の少女が、己の手を見ていた。

 

 黒く長い髪を、ツインテールにした美少女。学業に優れ、運動にも秀で、学友たちからの評判も良い、絵に描いたような才女。

 彼女の名は遠坂凛。

 魔術師の名家、御三家が一つ、『遠坂(とおさか)』の若き当主。

 父親を十年前に失い、母親も数年前から実家に戻り、現在は一人で暮らしている。

 

 そんな彼女は、手の甲にできた紋様を睨んでいた。

 その眼に宿るは覚悟。己の宿命に挑む、覚悟。

 

「聖杯戦争――あと50年先の話だと思っていたんだけどね……。幸か不幸か、前回から、たった10年……いいえ、幸にしてみせるわ。この私が」

 

 その紋様――『令呪』。それは戦争への参加チケット。英雄の馭者たる資格。

 聖杯戦争を形作りし、御三家が一つ、『間桐(まとう)』が生み出した魔術の産物。

 

 それを手にしたということは、英雄の主人(マスター)になれるということ。

 それが現れるということは、戦争が始まるということ。

 

「常に余裕をもって、優雅たれ――勝つのは、私よ!」

 

 決意を新たに――遠坂凛に、怯懦(きょうだ)はなかった。

 

   ◆

 

 衛宮(えみや)士郎(しろう)は朝食の片づけをしながら、ふと、隣を見る。

 隣に立つのは、間桐(まとう)(さくら)。士郎の学校の後輩で、同じ弓道部に所属していた。ゆえあって、士郎は弓道部をやめたが、そのやめた原因の一つが、桜にも関わりがあり、そのお詫びとして、『毎朝』士郎の家に通い、家事手伝いをしてくれている。

 士郎は、桜が責任を負う必要はないと断ったが、桜に押し切られた。彼女は、時々謎の迫力を見せる。

 桜の兄の間桐(まとう)慎二(しんじ)にも話し、慎二からも桜に自分を助けるなんてしなくていいと言ってくれ、と頼んだのだが、慎二は、

 

『……お前マジか』

 

 と、壮絶に呆れて、立ち去って行った。解せぬ。

 

 ともあれ、士郎は桜に対し、余計な手間をかけさせているという負い目があるのだ。

 

(この礼に何かしなきゃなぁ……)

 

 そんなことを考えていると、士郎は桜の左手に、痣らしきものがあることに気づく。

 

「桜、その手、どうしたんだ?」

「え?」

 

 桜は食器を拭く動きを止め、食器を置いて、左手を抑える。

 

「ああ、いえ、ちょっとぶつけてしまって……」

「そうか……? 何か、あるんだったら言わなきゃ駄目だぞ?」

 

 桜の様子が、ただ不注意によってできた痣について指摘されただけにしては、動揺しているように見えたので、士郎は少し突っ込んで聞く。

 彼女は、大人しく、以前、他の女性部員から雑用を押し付けられるなど、イジメを受けていたことがあるので、士郎は気になった。

 

「いえっ……本当に、大丈夫ですから」

「……そうか、ならいいんだ」

 

 そう言う桜に、士郎は納得することにして、食器洗いを再開する。

 それでも、少し桜のことに注意を向けておこうと頭の中でメモをする。

 

 それが、衛宮士郎の日常が崩壊する、兆しであった。

 

   ◆

 

 穂群原学園の社会科・倫理の教師を務める葛木(くずき)宗一郎(そういちろう)は、柳洞寺の石階段を降りきったところで、妙な格好をした人物を視界にとらえ、立ち止まった。

 手入れされた黒い口ひげを生やした、中年の西洋人男性。

 チェック模様のカラフルなシルクハットを被り、燕尾服に蝶ネクタイで着飾り、左手にステッキを握っている。もう一方の右手では、サンドイッチを掴み、口に運んでいた。

 この町には多くの人間がいるが、これほどに寺とミスマッチな人間もそうはいないだろう。

 葛木の視線に対し、その男は柔和な視線を返した。

 

「……貴方は?」

 

 不審人物と言えないこともない相手が気になり、葛木は尋ねた。対する男はサンドイッチを口から離し、答える。

 

「なに、怪しい者じゃないさ。ただの旅行客だよ。ここは……柳洞寺という、なかなか格の高い(テンプル)だと聞いてね。朝の散歩がてら、足を延ばしてみたんだよ。このサンドイッチは朝食に持ってきたものだ……よければ一ついるかい?」

 

 男はそう言い、足元に置かれたバスケットから、サンドイッチを取り出そうとする。

 

「いや、朝食はとってきたので、気持だけ貰っておく。失礼をしてすまない……良い旅行を」

「いやいや、こんな格好のおっさん、不審がられても仕方ないさ。自分では気に入っているのだけどね……気にしないでおくれ。それでは、私ももう行くとしよう」

 

 そうして、葛木と、おかしな西洋人は別の道を分かれて行き、二度と出会うこともなかった。

 

(――それにしても)

 

 葛木は、西洋人の立ち振る舞いを思い出し、胸中で呟く。

 

(あの男……まるで隙というものがなかった。常人ではあるまい)

 

 これまでの人生のほとんどを『暗殺の道具』となることに費やした男は、口ひげを生やした奇妙な男の実力を見抜いていた。葛木の身に着けた武術は、奇襲に優れているが、あの男相手に通用したかはわからない。

 葛木は、相手もまた、拳での戦いに精通していると見ていた。

 

(……無意味な思考だな。あの男に敵意はなかった)

 

 殺し合いになるようなことはない。考えても無駄なことだと、葛木は西洋人について考えるのをやめ、次のテストの問題をどうするかに、思いを巡らせることにした。

 実際、葛木宗一郎がこの先、人間や、人間に近いモノを殺す機会を得ることはなく、この時の思考も無駄に終わることとなった。

 

   ◆

 

 学校に着くと、階段の踊り場で、少年が一人、凛を待っていた。

 細身で、背もそれなりに高く、顔立ちもいい。黒髪はやや波打ったような癖がついており、彼の特徴になっている。

 名を間桐慎二。凛もよく知る相手であるが、彼女は彼が、あまり好きでなかった。

 

「おはよう遠坂」

「おはよう慎二くん……何か用?」

 

 笑顔で挨拶する慎二に、凛は表情を変えずにそっけなく返す。それを気にした様子もなく――内心はわからないが――慎二は、凛に近づき、凛以外に聞こえないように小声で、本題を切り出した。

 

「聞いたか? 教会のスティクス神父――死んだってさ」

 

 スティクス神父――ただの神父ではない。聖堂教会から送られた、この世界の裏を知る男であった。10年前の戦いの中で、命を散らした言峰璃正と言峰綺礼の親子に代わり、この地に派遣された。

 常に酒の匂いをプンプンさせており、日本に来たことを『極東に飛ばされた』と不満を隠さぬ態度であった。

 暴力を振るったり、職権を乱用したりすることは無かったものの、『神は俺をくせーところに送るのが好きなようだ』と、酒瓶を片手に言う彼に、好感を抱いていた人間はいない。

 酒に関して言えば、『主の血』とも表される葡萄酒を使った防衛魔術を、常に行っていたという側面もあるのだが、日本と日本人に差別意識を持っていたのは間違いない。

 とはいえ、どんな人物であれ、死は死である。それを笑ったまま言う慎二を、凛はやはり好かないと思いながら、頷いた。その辺りの感傷は、むしろ凛の方が魔術師として珍しいのだが。

 

「聞いているわ。教会に火をつけるほどの徹底ぶりだったそうね。犯人はいまだ全く不明。好きな性格じゃなかったけど、実力は中々のものだったはず――それを殺しおおせたんだから、只者じゃないわよね」

 

 スティクス神父は、かつて死徒に襲われた恐怖がトラウマになり、いつ襲われても対抗できるように、酒を使った魔術で身を守っていた。

 身に染み付いた戦闘術も、酔いに乱されることなく発揮できたはずだ。凛が彼に対して挑んでも勝率は低いだろう。それくらいの凄腕であった――であったにもかかわらず、スティクス神父は殺害された。

 

「まだ下手人は不明だけど、聖杯戦争前夜という時期に殺されたんだ。タイミングからして、まず間違いなく、犯人は聖杯戦争にも介入してくる。まず監督役を殺したってことは……監督役がいたら、邪魔になるようなことをするんだろうね」

 

 聖杯戦争を円滑に進めるための、監督役の仕事は多岐にわたる。その中でも特に基本的な仕事は、大規模な戦いで、周囲に被害が出たとき、その被害によって、一般人に魔術の秘密がばれないようにすること。

 もし、隠蔽のことを考えず、あまりに被害を出し過ぎるようであれば、監督役が他の陣営をまとめあげて、被害を出し過ぎる陣営を袋叩きにするよう、要請することもある。

 だが、監督役がいなくなった今、そういった仕事もできなくなり、度が過ぎた外道を行う輩がいても、野放しになる。

 既に、聖堂教会に戦争を仕掛けるも同然の真似をするほど、手段を選ばない過激な参加者がいるというのに。

 

「何をする気かしら……犯人は」

「前回では、キャスターが子供を無差別に何十人と浚い、挙句の果てに町中で英霊の力を使い、ゾンビをつくって大暴れしたらしい。そこまでとは思いたくないが……派手なことをする気じゃないかねぇ」

 

 慎二は不愉快そうに言う。人一倍、魔術師にこだわりを持つ彼にしてみれば、魔術師としての基本、『神秘の隠蔽』を破ろうとしている誰かに、怒りを覚えずにはいられないのだ。そのこだわり――誇りとも言えるそれが、遠坂凛にとって嫌いな要素の多いこの少年を、明確に敵と見なさない理由となっていた。

 

(魔術回路が駄目なわりに、魔術師としての心構えはできてるのよね……。それが、こいつにとって幸福になるのかは、わからないけれど)

 

 つらい試練を乗り越える精神力はあるのに、そもそも試練に参加する資格を持つことができない。それは悲劇であろうが、凛は慎二に同情する気はなかった。そんな同情を、慎二が嫌うことはわかっていたからだ。

 

「まあそんな最初からルール違反しようとするのは、ルールを破らなくちゃ勝てない弱虫って、自分から宣言しているも同じ……僕の敵じゃ、ないね」

 

 慎二は不敵――と、自分では思っているだろう笑みを、顔に浮かべる。

 

「へえ、聖杯戦争に参加するつもりなの?」

「ふん……言いたいことはわかるけど、別にいいさ。後で驚くんだな」

 

 凛のちょっとした挑発(ジャブ)を、慎二は気を悪くしながらも、受け流し、会話を終わらせて、歩き去っていった。

 

(あいつには魔術回路がない……いくら御三家とはいえ、それじゃマスターになる権限は与えられないはずだけど……)

 

 しかし、没落してきているとはいえ、間桐は聖杯戦争を創った魔術師の家系だ。特に当主である間桐(まとう)臓硯(ぞうけん)は、聖杯戦争を創った当人であり、何百年も生き続けている怪物。何かしら、抜け道はあるかもしれない。

 

(そーなると、あいつは自分もルール違反をしようとしているってことに、なるけれど……)

 

 凛は若干呆れた目で、慎二の後ろ姿を見送るが、まあいいかと気にしないことにした。

 

 目的のために手段を択ばないのが魔術師であり、ルールを違反することで目的を達成するのなら、堂々とルール違反を犯すのもまた、魔術師だ。あとは、どこまでのルール違反を犯すことを、己の美意識が許すかの問題である。

 そして凛の美意識が我慢ならないほどのルール違反を、慎二がしない限り、凛が慎二の行動に口を挟むことはない。

 

(あんたは嫌いだけど、本格的に、敵対したいとも思ってない。だから……どうか馬鹿をやらかさないでよね、慎二。あんたは今じゃ、一応、あの()の義兄なんだから)

 

   ◆

 

 この世界には魔術が存在し、魔術師が存在し、魔術師たちのコミュニティが存在する。

 魔術協会と呼ばれ、その中の一つがロンドンにある『時計塔』である。魔術師の研究機関であり、学校であり、自衛・管理団体である。

『時計塔』内部は幾つもの部門に分かれており、部門ごとに部門をしきるロードが置かれている。

 その中で『現代魔術論』のロードを任されている男――ロード・エルメロイⅡ世と呼ばれる男は、一人、書斎で報告書に目を通していた。

 報告書の内容は、冬木で起こった、スティクス神父殺害と、教会への放火についてと、それによる聖杯戦争への影響についてである。

 今のところ、犯人は全くわかっていない。ただ、犯人は聖堂教会側の勢力を排除したいのだろう。聖杯戦争開始直前の町は、既に魔術師の領域だ。

 教会としては、犯人を捕縛、あるいは始末するために、凄腕の執行者を送り込みたいだろうが、今、それをすれば、聖杯戦争進行の邪魔になり、魔術師たちを刺激する。魔術師だけならまだしも、召喚されたサーヴァントを相手にしては、教会側に勝ち目はない。無駄死にを量産するだけだ。

 だから、今はまだ実力行使はしない。聖杯戦争が終わるまでは。

 

 それが犯人の狙い通りだとしても、そうするしかない。魔術協会と聖堂教会の全面戦争になることは避けねばならない。

 

「少なくとも、聖堂教会が勝てるように準備を整えるまでは――そう思っているのだろうな。本当は我々のような冒涜者は絶滅させたくて、ウズウズしている奴も多いはずだ」

 

 報告書によれば、新たな監督役は置かず、聖杯戦争で起こる被害などを隠蔽する活動だけをするとのことだ。つまり、教会は、次に送る監督役も害されることを恐れ、聖杯戦争に干渉する権限を放棄した。

 

「――ように見えるが、責任や義務を背負わず、聖杯戦争で起こることを見定めつつ、戦力を準備し、不意打ちする機会をうかがおうという腹だな」

 

 世界を変えてしまうかもしれない、あらゆる願いを叶えると謳われる『聖杯』から、教会が完全に手を引くとは思えない。聖杯戦争を止めることは叶わない以上、最後の最後で台無しにしてしまおうという目論見だろう。

 

「……本来、私が出たかったところだがな」

 

 ロード・エルメロイⅡ世は、机の上に置いた一振りの剣を見つめ、様々な感情を込めて呟く。

 

「私が出られない聖杯戦争など、どうにでもなれと言いたいところだが……不肖の弟子が出る以上、ほってもおけん。少し教会と交渉してやるか……それに」

 

 彼の脳裏に、10年前の最後の夜がよぎる。あの、降り注ぐ黒い悪意を見た夜を。

 

「聖杯には何か裏があるかもしれんからな」

 

 エルメロイⅡ世は、ロードでありながら魔術の素養は低い。自分が教えている弟子たちよりも遥かに。だがそれでも彼は『時計塔』のパワーバランスを担うほどの存在――大切な場面では、とても、そう、悲しいくらいに頭が良かった。

 

   ◆

 

 焼け落ちた教会跡。

 立ち入り禁止のロープが張られ、幾人もの警察官が動き回っている。

 人を殺したうえに火をつけるという凶悪犯罪に、当然ながら物々しい雰囲気が漂っている。そして、こんな事件に好奇心を抑えられない野次馬もまた多少はいるものだ。

 そんな毒にも薬にもならぬ輩に混じり、他の者たちとは確実に違う目つきの人物がいた。

 

 黒い髪を肩まで伸ばした女性。冷たく静かな空気をまとう、中性的な美人。容姿はまだ若々しいが、印象は冷たく静かで、老成した感じさえあり、歳は見た目では判断がつかない。

 

 その眼は教会の惨状に対し、他人事と思っている者のそれではなく、次は我が身かもしれぬという警戒と、犯人への敵対心が宿っている。同情の類は一切なく、冷徹にその有り様を確認していた。

 

(証拠隠滅にしても強引なやり方……神秘の漏洩を防ぐという意味では、警察を介入させる時点で失格。犯人は魔術師とは言い難い……魔術使い)

 

 魔術使い。

 魔術の追求により、万物の根源を目指さんとする魔術師にとって、魔術は人生そのものだ。対して、魔術をただ、利益を得るための手段として使う者は、魔術使いと呼ばれる。

 魔術師にとって、魔術に誇りを持たず、本来の目的を捨てた魔術使いは、蔑視の対象である。

 

(けれどこと戦争において誇りなど邪魔なもの……倫理的に外れた手段をとることを厭わない相手は、危険。注視しなくては)

 

 女性は見るべきものは見終えたと、(きびす)を返し、その場を後にする。

 歩きながら、ポケットから携帯電話を抜き出し、

 

「……私よ。ええ、そう……予定通りに」

 

 電話の向こうから聞こえてくる、男の声に受け答えし、

 

「早く終わらせなくてはならない。運命というものは、人間を引き寄せ、巻き込むもの……これは勘だけれど、因縁の深い彼はきっと巻き込まれる」

 

 そして、最初から胸に抱いていた決意を口にする。

 

「衛宮士郎は私たちで護る。あの子の性格なら、きっとこの戦いにじっとしてはいられず、介入して、危険な目に遭う」

 

 彼女は、幼い頃より知り、育つ様を見続けてきた少年の行動を予測する。

 

切嗣(きりつぐ)の子は、死なせはしない」

 

   ◆

 

「ただいま……」

 

 桜は我が家の戸を開ける。

 出迎えの声は無いはずと思っていた。兄が今の時間、家に帰っていることは少ない。

 

「帰ったか。桜」

「あ……」

 

 だが出迎える者はいた。

 桜の顔が固まる。いつになっても、その顔に、その存在に慣れることはない。恐怖が、彼女の骨の髄にまで染み付いている。

 

「お爺さま……」

 

 桜の前に立つのは、和装の老人。皺くちゃの矮躯は、子供の力でも折れそうに見えたが、同時に肌に触れただけで爛れそうな妖気を漂わせている。

 老人の名は、間桐臓硯。慎二と桜の祖父となっている男。

 

 だが実際は数百年を生きる、彼らの遠い先祖にあたる怪物。

 家族のことなど、いや他の何であろうとも、平等に道具として扱っている魔術師。

 

「慎二の奴はまだ帰っておらん。魔術師でもないくせに、聖杯に随分入れ込んでおるようじゃ。まあ頑張ってほしいものじゃ」

 

 その言葉と裏腹に、老人の言葉に期待は一切含まれていない。道化を嘲る悪意のみがあった。

 

「…………」

「ん? まさか慎二が何か成し遂げられると、そう思っているのか? カカカ、確かに奴は、非才の身で何やら怪しげな知り合いをつくって、ふらついているようじゃが……所詮は失敗作よ。何ができようはずもない。あの、雁夜(かりや)のようにな」

 

 ビクンと、桜の身が震える。10年前のことは、今でも桜の心に焼き付いている。

 あの人の、最期が。

 

「愚かなことをするなよ、桜。雁夜のように、わしに逆らうような真似をすれば……何もなせずに、無様に死ぬだけよ。貴様らは……無力ゆえに」

 

 臓硯は桜に言い聞かせ終えると、『ゾワリ』とその身を崩し、霞みのようにその場から消え去った。

 どこへ行ったのかはわからない。あの怪人は怪人で、裏で何か動いているのだろう。何を企み、何をしようとしているのか、桜ごときではわからない。だが、桜ごときでは、止められないことをしようとしているのだろう。

 桜ごときでは、歯向かえば、無様に死ぬだろう。

 

「でも……あの人は綺麗だった」

 

 桜は、誰にともなく、呟く。

 かつて自分を護ろうとしてくれた人への嘲笑に、歯向かう言葉を。

 

   ◆

 

(ちょっと遅くなったな……)

 

 すっかり暗くなり、街灯に照らされる道を、衛宮士郎は歩いていた。

 

(藤ねえからは、遅くならないようにって言われたのにな……)

 

 士郎は、自分の家に入り浸っている、長い付き合いの女性の言葉を思い浮かべる。

 藤村(ふじむら)大河(たいが)。士郎の学校の教師であり、彼の幼いころからの顔見知りであり、今でも夕ご飯を食べに通っている半居候的存在である。

 彼女の言うことには、最近、彼女の実家に外国人が出入りしているらしい。この町で商売をするために、彼女の父親に挨拶と交渉を行っているということだ。

 彼女の父親というのは、町の顔役と言えば聞こえはいいが、要するにヤクザの元締めである。そんな彼に挨拶しなければならない立場ということは、彼らもそういう職業なのだろう。

 彼ら自身は中々紳士的だそうだが、言葉も文化も違う人間が急に交流を持てば、トラブルはどうしても発生するものだ。

 そんなピリピリした時だから、面倒事が起きて巻き込まれないように、早めに家に帰っておけと、藤ねえは言っていた。

 

(慎二には馬鹿にされるけど……性分だしな)

 

 今日も慎二には嫌味を言われた。

 慎二とは中学からの付き合いで、高校からの付き合いである一成とのそれよりも長い。

 一成からは、友人はもう少し選んだ方がいいんじゃないかと訝しがられるが、長く付き合うと、慎二の憎まれ口も一つの味だと思えてくるものだ。

 士郎がそのようにとりとめもないことを思っていると、士郎が進もうとしている方向から、人影が姿を現した。

 

 相手は、雪の妖精のような美しい少女であった。

 

 シルバーブロンドの綺麗な髪に、ルビーのような赤い目をした、西洋人。年齢は10を過ぎるかどうかというところ。紫の上着に白いスカート、その上から紫のコートと円帽子(カミラフカ)を身に着けている。

 ただ立っているだけでも品の良さが感じられ、上流階級のお嬢様という表現が自然と浮かんでくる。

 

「ふふっ」

 

 少女は士郎をじっと見つめて、やがて無邪気に笑うと、すっと士郎の脇を通り過ぎながら、

 

「早く呼び出さないと、死んじゃうよ。お兄ちゃん」

 

 謎の言葉を投げかけた。

 

「……?」

 

 士郎は一瞬、言葉の意味をとらえかね、硬直する。すぐに振り向いたが、そこには誰の姿もなかった。

 

(……なんだったんだ?)

 

 曲がり角も、隠れるような物もない一本道で、少女の姿が消えたことに首を傾げる。少女の言ったことは気にかかったが、本人がいない以上どうにもならず、士郎は諦めて歩き出す。

 

 この日が、彼の最後の平穏な日常となることを、神ならぬ士郎が知る由もなかった。

 

 

 

 

 ……To Be Continued

 

 




 スゥ~~~~、ハ~~~~、スゲーッ、爽やかな気分だぜ。新しいパンツをはいたばかりの正月元旦の朝のよーによォ~~~~~~~~ッ!

 というわけで、新作を開始します。書き溜めてないので、更新は遅くなると思います。気長にお待ちいただきたい。

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