寮に戻れば、もう夕方。手早くジャージに着替えると、俺は寮を出て裏の畑へと急いで走った。そこにはもう涼花が居て、ジャージ姿で昨日の作業の続きを黙々とこなしている。
「ごめん! 遅れた!」
「……あ、式」
声を掛けて近寄ると、涼花は作業の手を止めて振り返る。手に持っているくわを地面に置くと、心なしか得意げに彼女は胸を張った。
「仕事、終わったよ……次は何する?」
「マジか、もう終わったんですか。そうだなあ、じゃあ次はね……」
幾つか残っている仕事を頭の中で思い浮かべ、優先順位を付けながら整理していく。処理を繰り返し、決めた仕事を涼花に告げてから俺達は作業を始めた。
春の日は長い様で、結構短い。夕暮れの太陽は『聖域総合高等学校』を覆っている大きな山脈の向こうへと赤く赤く吸い込まれていく。東の空が藍色に染まり始めたくらいの所で、俺と涼花は一息付いた。
これ以上の作業は少し無理があるな、と思い俺は帰ろうか? と促す。
しかし涼花はまだやると言い、結局俺も一緒に残ることにした。と言っても、出来るのは日が暮れても作業に支障の出ない楽な仕事。てきぱきと手を動かしながら、俺は夕張先生の言葉を唐突に思い出して、思い切って切り出した。
「……涼花、[アマテラス]って知ってる?」
涼花の体が、一瞬跳ねる、蒼い瞳が驚きに見開かれて、作業していた手が少し止まった。
先を促すわけでも無く、作業を続ける訳でもなく。俺は手を止めて、涼花の反応を待ち続ける。
「知ってる、よ」
やがて告げられる言葉。緊張したように固い声音。
「その……[イザナミ]から言われたんだ。俺と涼花が、[アマテラス]を倒す役目何だって。俺は俺が戦わなきゃ行けない理由を教えて貰ってないんだけどさ……」
そこまで言ってから。
俺は、涼花の内側へと確かに踏み込んだ。
「涼花が戦う理由を、教えてくれないか?」
沈黙が広がる。涼花と俺はいつしか作業を放り出して、懐中電灯とランプの灯りだけが灯る闇の中で押し黙っていた。
やがて、すうと息を吸う音が聞こえる。
俺は、そっと耳を澄ませた。一言も、聞き逃すまいと。
「……私の『精霊』は[ツクヨミ]。太陽の神の正反対、月の神の『精霊』なの」
涼花は空を見上げる。その視線を辿れば、そこには新月が輝いていた。
「月と太陽は正反対。だからこそ、どちらかの暴走を抑えて、力の拮抗を保つ。月と太陽、どちらかが欠ければ世界は滅びる。……『精霊』の中でも飛びぬけて力を持ってるのが[アマテラス]と[ツクヨミ]。お互いの力はお互いに必殺の威力を持つ。だから、この二つの間ではそんなにトラブルは起きなかった」
でも、と涼花は続ける。ランプの光に浮かび上がる涼花の表情には、暗い影が落ちていた。
「私が……[ツクヨミ]が未熟だから、私が[ツクヨミ]と契約した瞬間に[アマテラス]は自身の我儘のままに動き始めた。本来、暴れる[アマテラス]を押しとどめるのは私の役目だけど、弱い私は[アマテラス]を抑えられるほど[ツクヨミ]の力を使えない」
悲しみが瞳に滲んでいる。新月が雲に隠れて、俺たちを照らす光は弱くなり、闇は更に強くなった。
ぎゅっと強く拳を握りしめた涼花に掛ける言葉も、俺には見当たらない。
「だから、私は頑張って強くなった。これでも一応、精霊実技の模擬戦では負けてない」
彼女の模擬戦で感じた必死さ。
あれはどうやら、俺の思い違いでは無かったらしい。彼女の[ツクヨミ]と契約したから故の理由に使命感を持ったからこそ、あそこまで鬼気迫り強くなったのだろう。
そしてそれ程までに、[アマテラス]の力は強大だと言う事も分かる。
疑問は深まる。どうして、どうして今まで頑張ってきた涼花とつい最近『精霊』と契約した俺が[アマテラス]を倒すんだ。俺よりも強い人はごまんと居るのに。
涼花がやらなければ行けない理由は、[ツクヨミ]と契約しているから。
対して俺じゃなきゃダメなんだ、という理由は何だ? 俺のオンリーワンは、[フィニティ]と契約している事くらいだ。
かと言って、今の話には[フィニティ」は出てきていない。ならこの可能性は、否定すべきか。
「……[アマテラス]を止める。それが、私の義務なの」
涼花は静かに、そう言い切った。