残暑もずいぶん落ち着いてきたが、私生活では色々と温かいままの2014年10月。
アニメ制作会社サンサーラの俺のオフィスに961プロの社長が訪ねてきた。
「君のところの次のアニメに出資してやろうと言っているのだ」
「いや~お陰様で儲かってますのでぇ、そういうのは……」
「じゃあうちのタレントを使わせてやろう、安くでいいぞ」
「あー、キャストも既に決まってるのでぇ……」
「…………」
「…………」
「…………好きなんだよ」
「はぁ」
「うちの末っ子が好きなんだよ君のとこのアニメが、お菓子のカードも全部持ってるんだ」
「はぁ、そりゃありがとうございます」
「パパの会社、最後の名前出てくるやつに入ってなかったよって言われたんだよ」
「へぇ」
「…………」
「約束しちゃったとかですか」
「…………端の端の役とかでもいいんだが、なんとかならんか?うちのタレントならば誰でも出すぞ」
「あー、そういう事でしたら……うーん、なんとか調整してみます」
まぁ無茶振りには違いないが、黒井のオッサンとも長い付き合いだ。
子煩悩なパパの顔を立ててやるのもいいだろう。
それから1週間ほど。
役が決まったので黒井社長に連絡して、会談の席を設けた。
「今回は世話をかけたな、それで……誰を起用するのだ?四条貴音か、速水奏か?」
「いやー、実は主題歌を歌ってもらおうと思いまして……」
「そうか……そこまでして貰って悪いな」
ホッとした様子の黒井社長だが、そう簡単な話ではない。
「この曲です、お聴きください」
俺がスマホを操作すると、部屋に備え付けのオーディオからピアノで始まるイントロが流れ出した。
「男性ボーカルの曲か、うん、いい曲だ。うちのタレントだと……」
顔つきもにこやかに色々と考えている黒井社長、どうやら気に入って貰えたようで一安心だ。
「これを黒井社長に歌って頂きます」
「そうそう、私とか……んんっ!?」
黒井のオッサンはなぜか声だけは吹き替え声優並に良いからな。
「待て待て、そういう冗談は……」
「社長~お年頃の女の子を喜ばせるならご自分で主題歌歌うぐらいのインパクトがないと駄目っすよぉ~」
「いやいや」
「社長の美声に当て込んでこういう渋い曲を作ってきたんですから、ここは一つなんとかお願いしますよぉ~」
「いやいや、そういう話では……」
結局黒井社長はノリノリで『哀 戦士』を歌ってくれた。
元々出たがりで歌いたがりな人だからな。
やっぱり機動戦士ガンダムⅡの主題歌は『哀 戦士』じゃなきゃな。
こちらとしては渋い美声の歌の上手いオッサンにロハで歌わせられて大助かりだ。
もちろんおだてまくって、機動戦士ガンダムⅢでは『めぐりあい』を歌わせるつもりだ。
十二月、庭の芝生に初霜が降りた日の事だ。
買ったばかりの新居、そのリビングルームにただならぬ雰囲気が漂っていた。
「ですから、その……ですね。楽曲を、提供して頂きたいと思いまして」
「やだ」
武内君が屈辱感を全く隠そうともしない苦々しげな顔をして頭を下げるのを見ながら、俺は即答した。
最近とみにこういう話が増えた。
佐久間まゆのCDが売れに売れ続けて、CDとダウンロード販売を合わせて500万枚売れたからだろう。
このCD不況の世の中、出せば売れる俺の前世のヒット曲は嵐の中遠くに光る灯台のような存在なのだ。
KTRというインチキ作曲家の正体を知っている美城、961、765の社長達が菓子折り持って作曲を頼みに来たのもわからない話じゃない。
やらないけどね。
俺はもう新しい音楽の種を巻き終えたと思っているし、率直に言ってこっちの世界の音楽のファンなのだ。
これ以上手出しをする必要性を感じていないというわけだ。
やはり金があるというのはいい、やりたくない仕事にNOを突きつけられるからな。
武内君の方から、ドチッ!という巨大な舌打ちが聞こえた。
ん?
なんか態度おかしくない?
君僕に頼み事しに来てるんだよね?
というような事を視線に含ませながら、昨日の残り物のアゴ出汁の海苔茶漬を彼の前にスッと出す。
「大人しく何曲でも作っとけや……」
小さな声でブツブツ言いながら茶漬けを一気にかきこんだ武内君は机の上に、ドン!と封筒を叩きつけた。
強気な武内君にビビりながら封筒を開けてみると写真が一枚。
そこには18歳になった記念に武内君と美城社長に連れていってもらった高級ピンサロで、どえらい美人のおっぱいにむしゃぶりついている俺が写っていた。
「新婚」
武内君は勝ち誇った顔で一言だけ呟いた。
俺は無言でポケットからスマホを取り出して、あるムービーを流す。
そこには仕事の愚痴をぶちまけながらキャバクラ嬢の内腿をさする、赤ら顔の武内君が映っていた。
「アイドル事業部、総合プロデューサーやりたいって若者はいくらでもいるんじゃないの?」
俺が言うと、武内君は懐からまた何かを取り出そうとする。
俺はそれを制し、渋々ある提案を持ちかけた。
「サギゲームス主催でイベントをうつから、また楽曲争奪戦をやらないか?」
武内君は無言で懐から出しかけの封筒をチラチラ見せてくる。
「実は芸能各社から同じような事言われててさ、美城だけってわけには……ちょっとねぇ」
武内君は「奥さーん!!奥さーん!!」と家の奥に向かって叫びだした。
甘いな、武内君が来た時点で嫁さん二人には「ランチでも食べてきなよ」と金を渡して家から出してある。
「まぁ落ち着きなよ、俺もさ、何度もこうやって作曲なんて向いてないことに駆り出されるのは迷惑なんだ」
「…………」
「今度はアルバムだ」
「それなら、分割すれば……」
「あれ?自信ないの?社長と娘さんに言っとこうか?」
武内君はイラッとした様子で舌打ちひとつして貧乏ゆすりを始めた。
「正真正銘、これで最後だ」
部屋の壁にかけてあったソニックブルーのコロナドⅡを持って椅子に座る。
俺の前世の超モンスターバンド、ビートルズのハロー・グッバイを爪弾きながら歌い始める。
この曲は好きだった。
わかりやすいのが一等良かった。
俺はこの曲から洋楽にハマったんだ。
歌い終える頃には、武内君はすっかりやる気満々の顔になっていた。
俺が彼を買っている理由、それは彼も俺と同じぐらいの音楽ファンだっていうところだ。
やりましょう、とだけ言って彼は帰っていった。
アニメ制作会社サンサーラでは機動戦士ガンダムⅡ制作が終盤に入っていた。
来年二月に公開が決定している機動戦士ガンダムⅡは声入れまですでに終了していて、あとは細かい直しが残っているのみ。
その細かい直しを奪い合いながら、とにかく金のない社員たちは会社にタダ飯を食いにやってくるのだ。
「飯の心配がないのが一番嬉しいや」と言っていた社員がいたが、そいつは家賃未納で賃貸の部屋を追い出されて会社の床で寝ている。
飯どころか寝床まで会社頼みな奴が何人かいるのが悲しいやら逞しいやら。
前世なら若い女が会社の床を不法占拠して暮らすなんてことはありえなかったが、この世界じゃ若い女なんかどこで何やってたって誰も心配しない。
ある意味ではその気楽さが羨ましくなる。
俺はそんな生活は御免だが。
さて、この日の食事当番は財前さんだ。
最近は財前さん、日野さん、俺の三交代で食事作りを回している。
別に財前さんと日野さんが格段に料理が上手くなったとかそういうわけじゃない。
単純に俺が面倒になっただけだ。
整骨院みたいなもんだ、超上手な先生は五回に一回ぐらいしか施術してくれなくても、腕が良ければ患者は我慢するわけだ。
一応見れるときは二人の料理の味も見てるから問題はないだろう。
今日の料理は豚の生姜焼きだ。
味は普通、でもオッケー出しちゃう。
うちの社員は何作っても美味いとしか言わんしな、文句が出るのは量の事だけだ。
最初の頃は財前さんもパイとかキッシュとかテリーヌとかを一生懸命作っていたんだが、途中で諦めて簡単かつ大量に作れる料理に切り替えた。
日野さんなんかはずーっとネギ塩炒飯とか茸の炊き込みご飯とか鳥かつ丼とかのドカ飯系を作り続けていて、欠食社員達からは評判がいい。
財前さんが苦々しげな顔でガラーンゴローンと食堂の鐘を鳴らすと会社中の亡者達が集まってくる。
エコなんかそっちのけでガンガン暖房をかけているのでみんな薄着だ、うちはコンプラやCSRより社員還元メインの会社だからな。
中にはジャージにスリッパ履きで、ボサボサ頭をタオルで包んでいる奴もいる。
おい!実家にいるんじゃねーんだぞ!!
2015年1月1日、俺はサギゲームス近くの銭湯で毎年恒例の餅つきを行う事になった。
紅白で『魔法を信じるかい?』を歌う佐久間まゆを見てから、千川さんの運転するプロボックスで銭湯へやってきた。
銭湯の前には元ヤンアイドルの向井拓海が仁王立ちでスタンバっていて俺達を出迎えてくれた。
中に入ると女湯の方から姦しい笑い声が聞こえ、男湯の方でもテレビを見ながらビール飲んで「社長遅いっすよぉ~」なんてすっかりゴキゲンな社員達が待っていた。
普段夜更かしをしないらしい財前さんが不機嫌な目で俺を睨み、健康優良児の日野さんは床に突っ伏して爆睡していた。
今年はサギゲームスとサンサーラの社員が両方来ているので例年の倍餅を作らなければならないのだが、俺のチートの前には無意味だ。
餅米は前日から用意して仕込んであったので、臼を温めてからさっさと突いていく。
財前さんはどうやっても起きない日野さんに一発蹴りを入れてから、大量の餅米を次々蒸す作業に入った。
ここからは朝までノンストップだ。
できるはじから社員たちがどんどん食べていくのだが、俺が突くほうが早い。
満足した社員たちが冷ました餅をお土産に持って帰ったかと思うと、初詣帰りの社員が入ってきてはまた餅を食べていく。
向井拓海は餅に粉をつけたり色々と手伝いをしてくれ、なぜかニマニマ笑いながら餅を突く俺をずーっと見つめている。
朝になると飯屋きらりの社員たちや、仕事のないアイドルマスタープロジェクトのアイドル達も遊びに来てくれた。
ニート本田の妹も今年から高校生らしい、立派な身体つきに育ってくれてお兄さんはうれしいぞ。
お年玉をせびられたのでぽち袋をあげ、おまけで武内君の名刺もあげた。
ヒモの嫁さんは赤ん坊をベビーカーに乗せて連れてきていて、俺は慌ててヒモに「絶対に餅を赤ちゃんに食べさせるなよ」と念押しをすることになった。
あいつならやりかねんからな。
他にもアイドルマスター二期生の輿水幸子というアイドルが俺の所にやってきて。
「フフーン、かわいいボクにお年玉をくれてもいいんですよ」
と言われたのでぽち袋をあげたら、美城プロの武内君の後輩プロデューサーが凄い勢いで謝りにきたりもした。
別に俺より年下の子には全員お年玉をあげるつもりでいるからいいんだけどね。
その後もどうしても貧乏癖が抜けないサンサーラ社員たちが餅を吐くほど食べたり、風呂に入り貯めするとか言って逆上せてぶっ倒れたり。
朝の9時までたっぷり寝た日野さんが財前さんに屠殺場の豚を見るような目で見られたりと、例年よりもはるかに騒がしい1日になった。
正月番組の生放送があるので嫁さんたちはいなかったが。
入れ替わり立ち替わり色んな人が来てくれたので、全く寂しい正月ではないのだった。
二月、待ちに待っていた俺の車が届いた。
モスグリーンの車体にアイボリーのコブララインが入った、可愛い可愛いマスタングだ。
オールペンしたのとだいぶ足回りを弄ってもらったので納車に時間がかかったのだが、大満足の出来栄えだ。
縁石に擦っただけでアライメントが狂う?
それがどうした、金ならある。
普段使いしない俺ならいくらでも車屋に任せられるし、いくら金をかけても誤差の範疇だ。
道具としての面倒臭さよりも、こういう車を維持できる喜びの方が勝った俺だった。
「かっこい〜☆これ兄ちゃんの?」
ほらな、妹からも大評判だ。
「ね、ね、きらりも乗せて?」
もちろんだとも、助手席に乗りな。
「うっきゃー☆かっこいいにぃ」
きらり!この車は左ハンドルなんだ!助手席は逆だぞ!
ああっ!きらり!ステアリングに触っちゃダメだ!
「取れちゃった……ごめんにぃ」
大丈夫だ、大丈夫だからそれをそこに置くんだきらり。
「戻したらくっつくかも」
やめろーっ!!
ンギギギギギギギと凄い音が鳴り、10キロしか走ってないマスタングの車体がL999を抱き込んで曲がった。
あ、ああ……
「ごめんごめんごめ〜ん」
焦ったきらりが思いっきりステアリングを引くと、ベキッ!という音とともに車体から剥がれた。
「兄ちゃんごめんにぃ……」
……け、怪我なかったか?
とぎこちなく微笑み、俺はその夜ステアリングを抱いたまま泣いて眠ったのだった。
いよいよアニメ本編の開始時期が近づいてきました