その日は婆ちゃんの収録が長引いたので、俺は楽屋でモンハンをやっていたのだが。
いつの間にか消えもの室へと連れ出されていた。
料理を作る予定だった消えもの係が、他の収録先で渋滞に巻き込まれて帰ってこれないらしい。
「高峯ちばりさんの許可は取ってあるから、ねっねっ、お願いっ!このと〜り!」
と婆ちゃんのお気に入りの新人局アナ、川島瑞樹が言う。
俺の許可は取ってねーだろ!!
全国各地のあるあるネタを流す番組の収録らしく、今回は大阪名物の関西風すき焼きを作ることになった。
豊かな茶髪をポニーテールにした川島さんは、清楚な女子アナって感じで凄く美人なんだけど。
なんとなくヘタレ感と残念感が漂ってて、将来面白い独身のお姉さん枠になりそうな匂いがプンプンする。
「しかしすき焼きって大阪名物かぁ?だいたい大阪って名物店はあっても名物料理ってないよね」
「一理あるけど、ディレクターが決めたんだからしょうがないじゃない。まさか金龍ラーメンや蓬莱のアイスキャンデー出すわけにはいかないでしょう?もうたこ焼きとお好み焼きは使っちゃったし」
「どて焼きやかすうどんは?」
「あれも諸説あるのよね……論争を呼ぶものはなるべく避けるんだってさ」
「すき焼きも危ない線だと思うなぁ……」
言いながらも手は動いていて、あっという間に野菜を切り終えた。
あとは野菜と肉と餅の量に合わせた割り下を調整していく、関西風は割り下を具材に合わせるのだ。
わざわざすき焼きなんか作らなくても、粉物の味を濃くしてご飯に合うようにすれば大抵のものは大阪風になると思う。
調理しながら話していると、川島さんもしきりに頷いていた。
スタジオに出す時間から逆算して野菜を割り下で煮込み始める。
大阪の老舗、はむ菊から取り寄せた貫禄のある薄切り肉をさっと炙り、肉汁を鍋に加えておく。
あとは肉を出す前に鍋に入れるだけだ。
川島さんは弱火で煮られている鍋を覗き込んでニコニコ顔で甘い匂いを吸い込んでいる。
「美味しそうね〜!勘太郎君はほんとに料理上手いわよね、今度教えてもらおうかしら」
「いいけど、グラム単位で材料計ってもらうからめんどくさいと思うよ」
「あらあら、それじゃ私にはクックパッドの方がいいわね」
「ていうか川島さんは収録いいの?」
「あたしはちばりさん担当として居残りしてるだけだから」
「うちの祖母がご迷惑をおかけします……」
俺は笑顔の川島さんに深々と頭を下げた。
「すき焼き、味見します?」
「あら、いいのかしら?」
材料が多めにありますので……と言いながら、俺はさっさと賄いの調理を始めた。
ちょうど婆さんの収録が終わったので、料理を出した後はさっさと帰ったのだが。
後日テレビの放映を見たら、みんな血走った目で最後のひと舐めまですき焼きを奪い合っていた。
放送後にはむ菊の株が上がって店に行列ができたらしい、知らんけど。
それはそれとして、今日も料理だ。
1年ぐらい前から俺は婆ちゃんの言いつけで芸能界暗黒首脳会談みたいな集まりの料理番をやらされている。
俺自身は庶民料理しか作れないんだけどな。
他の料理人さん達が前菜なんかを作って、メインに俺の料理をオシャンティーに盛り付けるって形でなんとか回している。
料理業界はガチクソ体育会系なんだけど、ある程度まで上に来るとなんだかんだで味が全てだ。
反論は全部味で黙らせ、今日も俺は別にやりたくもない料理に汗を流していた。
だってこれやっても1円も貰えないんだもん!
カキフライにアボカドのタルタルソースを盛り付けて、素晴らしい美的感覚を持つ副料理人のチェックを受けて俺の料理は配膳された。
小学生の俺にまで味の感想を聞いてくるくそ真面目な前菜担当の料理人に、塩が6グラム足りないとか、胡椒の粒が細かすぎとか、卵がもう一日分古いといいとか言いがかりに近い感想を伝えていると暗黒会談のメンバーから呼び出しを受けてしまった。
いつもなら作ってさっさと帰っているのに、逃げそこなってしまったらしい。
「やあ、今日も素晴らしい味だったよ」
「非常にトレビアーンな味だったぞ、勘太郎少年よ」
「今日も美味しかったよ、勘ちゃん」
「素晴らしい料理だった、勘太郎。カキフライなんぞ10年は食べていなかったが、ああいう味の料理だったのだな。あの緑のソースはアボカドの他に何か個性的な味が混ざっていたような……いやいや言わんでもいい、そのうち突き止めるからまた食わせてくれ。それと……」
「お父様」
ほっとくと一人で一日中でも喋り続けてる芸能事務所経営者の美城のオッサンを、隣に座っていた美人のねーちゃんが止めた。
キリッとした若干ヅカっぽい顔で、ウェーブを描くゴージャスな黒髪を頭頂部で止めて後ろに流している。
ドレスも着慣れた感じで、いかにもいいとこのお嬢さんって風貌だ。
「ああ、今日こちらに呼んだのは他でもない、私の娘を紹介しようと思ってね」
「美城美船よ、よろしく」
娘さんが右手を差し出してくるので右手で握り返す。
温度の低い、女らしい手だった。
娘さんは手を握ったまま俺の顔を覗き込み、どこの店で務めてるの?と聞いてくる。
「務めてませんよ、俺は高峯ちばりの付き人ですから」
「まぁ、ではもし心境が変わったらご連絡下さい。是非我が家の……」
「美船、だめ、だめ」
美船さんが気がつくと、周りは出席者達の剣呑な視線にぐるりと囲まれていた。
「みーんな狙ってるから、はは」
美城のオッサンの呑気な声だけが部屋に響いた。
「腹減った〜、勘太郎なんか作ってくれよ」
夏休みなのに全然休めてない俺の貴重な休日に、俺は朝5時から兄貴に起こされていた。
「今帰ってきたの?」
「おお、朝までずーっと飲んでたんだ。なんか作ってくれよ〜」
と愚兄に揺さぶられ、俺は渋々ベッドから起き出した。
冷蔵庫の中に保存しておいた自作の角煮を包丁で細かく刻み、角煮の煮汁を薄めた汁をベースに卵で閉じてご飯の上に乗せた。
お手軽レシピ角煮卵丼だ。
できたそばから兄貴がリビングへ持っていって「うまそううまそう、いただきまーす!」
とがっつき始める。
兄貴は懐石でも牛丼でも同じテンションでうまっ!うまっ!最高にうまーっ!とウシジマ食いする人間だ。
多分白飯に塩かけて食っても幸せだろう。
そこに姉ののあが起きてきて、クールに「小盛り」とだけ言って座った、飯屋じゃねーんだぞ!
寝起きなのに髪の毛もメイクもバッチリな姉の分の飯を用意してると、妹のきらりが起きてきた。
口をもごもごさせながら小さな手で目を擦っている、可愛い。
「ラジオ体操……」とふにゅふにゅ言うので、緩やかにウェーブする茶色の髪をツインテールにくくってあげる。
そのまま寝ぼけた様子で家から出ていった。
車に轢かれないか心配だが、真のフィジカルエリートであるきらりならば当たった車の方が全損するだろう。
さて、今日は何をしようか。
幽☆遊☆白書を見終わったらもう一眠りしようと思っていたのだが、ちょうど終わった辺りで幼馴染の新田美波が遊びにきた。
近所に住んでいて幼稚園の頃からずっとクラスが一緒の美波は、俺の無二の親友と言ってもいいだろう。
男の友達もいるが、前世ほどはいない。
というのもこの世界、男の人口が少ないのだ。
数世代前から徐々に男が産まれづらくなってきていて、なんと今は男女比3:7のスーパー女余り世界になっている。
そのため欧米諸国はいち早く多夫多妻制に移行しており、日本も建前上は一夫一妻制ながらも通い婚的婚姻関係が普通になっている。
俺と美波にどういう気持ちがあろうとも、外から見れば関わりの濃さから美波は俺の第一婦人的な扱いを受ける事になる。
というか精通と共にやる事は済ませてしまったから言い訳もできない、若い身体には勝てなかった。
「今日はどこか行く?」
「うーん、釣りでも行くか」
その日は釣った魚をフライにして食べたりした。
くそっ!休日も結局料理じゃないか!
あっという間に中学生になった。
小学校、ほとんど行ってない気がする。
婆さんにくっついて料理したりスケジュール管理したり、料理したり、電話したり、謝ったり、料理したり、ロシア語の勉強したり、料理したりな。
あまりに評判が高まりすぎて俺を直接スカウトに来る金持ちや料理人がめちゃくちゃ増えた。
パーティーで料理をしてくれだのデリバリーをしろだの店を持たせてやるから娘と結婚しろだの、色々面倒くさい感じになってきた所で婆ちゃんから無茶振りが入った。
「勘や、中学入った祝いに店作ってあげよう」
「いや、いらない」
「どんな形でもいいから作んな、あんたこのままフラフラしてると酷い目に合うよ」
なんて言って飲食の開業で有名なコンサルを連れてきた、また俺の預かり知らぬ所で俺の予定が勝手に決まっていたらしい。
予算は青天井、駐車場を作るならどこに建ててもいい、なんて言われても普通に困る。
俺は前世じゃ責任逃れに熱心なリーマンだったし、学生時代のバイトも友達の実家に誘われて工事現場の棒振りばっかりやってた。
美食家でもなけりゃ意識も高くなかったんで、贅沢と言えば餃子の王将でビールをつけるぐらいのもんだったからな。
しばらく時間もらって部屋でうんうん考えてると、妹のきらりがゲームをやりに来た。
きらりがどうぶつの森をやっているのを眺めながら「きらりはどんなご飯が好き?」と聞いてみると。
「兄ちゃんのご飯が好きだにぃ」と嬉しい答えが帰ってきた。
「兄ちゃんのどんなご飯が好き?」
「にょわ……うーん、カレー!」
「カレーの他には?」
「ハンバーグ!あと餃子も好きだにぃ」
「兄ちゃんの店があったら食べに行きたい?」
きらりは家にいたら兄ちゃんが作ってくれるからいい、と言ってゲームに夢中になってしまった。
めんどくさいし、カレーとか出す店でいいや。
俺はめんどくさくなり、ごく普通の飯屋を作った。
飯屋『きらり』は3ヶ月の準備期間の後にひっそりとオープンした。
店員は5人、メニューはカレーだけだ。
そうそうたるオープニングメンバーを紹介しようか。
一人目は兄貴の友達で、大学に落ち続けて3年の口の悪い女。(20)
二人目は親父に頼まれたどっかのニートのオッサン。(28)
三人目は婆さんが連れてきた、小学生にラブレター渡して逮捕されたピュアな喪女。(20)
四人目は大学中退して起業した次の月にリーマン・ショックで全てを失った運が悪すぎる元女社長。(20)
五人目は普通に応募してきた近所に住んでたヒモのオッサン。(30)
俺の投げやりな店舗経営に巻き込んでもこれ以上人生が狂わない素敵な人材だ。
俺はこいつらを勝手にエクスペンダブルズと呼んでいた。
俺の店のカレーの作り方は非常にシンプルだ。
黄金レシピに則って、規定のサイズの食材を規定の大きさに切って、規定の重量から数グラム以内の誤差に収めて鍋に入れ、俺特製のカレースパイスと一緒に煮込む。
具材は玉ねぎ人参ジャガイモ、あと豚肉だ。
電子はかりがズラッと並ぶキッチンは、調理場というよりは製薬の現場みたいな感じになってしまったが仕方ないだろう。
こんなきっちり計って意味あるんですか?って不満も噴出したので、完璧に具材の量を測ったものと計らないものを両方作らせてみた。
エクスペンダブルズは不完全なカレーをうまいうまいと食べた後、黄金レシピのカレーを血走った目で腹がはちきれんばかりに貪り食っていた。
俺のフリーダムさに呆れ果てていたコンサルも、カレーを食った後は「絶対に成功しますよ!」と太鼓判を押して帰った。
オープンするまで隣家の人が飯屋ができる事に気付かなかったぐらい徹底して無宣伝だったので当然かもしれないが、オープン当日の昼は客が2人しか来なかった。
昼に来た客が夜に来て、友達を連れてきた。
次の日も来た、毎日来た。
オープンから1週間にして、店の周りは異様な雰囲気を醸し出していた。
8席あるカウンターと4つある4人がけのテーブルにはびっしりと人が座り、店の外には長い列が形成され、社員達は死人のような顔でカレーを作り続けている。
客の顔ぶれは様々だった。
男子高校生がカレーの大皿と並皿を2つ並べて心底幸せそうにかっこんでいたり。
ターバンを巻いた男が青ざめた顔で泣きながら豚肉のカレーを食べていたり。
しわくちゃのお婆さんがひとさじひとさじ拝むように食べていたり。
OLらしき4人組が沈黙のままに食べ、意味深な視線を通わせていたりした。
「この鍋で終わりです、この鍋で終わりです」
ニートがぼそぼそと言いながら、カウンターの上に設置したカウベルをカンカン鳴らした。
エクスペンダブルズの顔に喜色が浮かび、並んでいた客は最後尾辺りからばらけていった。
作れば作るだけ売れる状態だったが、5人で回すならばこれ以上は難しいという状況だった。
コンサルは「今すぐ2号店を出しましょう!」なんて鼻息荒く言っているが、そう上手くはいかないだろう。
今の状況でも店の維持費店員の給料、俺の小遣いを差っ引いて、内部留保を少し残して来年にはボーナスが夏冬出るかなってぐらいには儲かっている。
もう少し客足が落ち着いてから店員を増やしたりメニューを増やしたりしてみようなどと、この時は考えていた。
1人か2人は辞めるだろうな、と考えていたエクスペンダブルズがなかなかどうして1人も離脱者を出さずに続いていた。
ニートの親からは親父を通して感謝され。
ヒモのオッサンの飼い主は店の常連になり。
明らかに全員ジャンルの違う女三人は、お互いの家で女子会をしたり下の名前で呼び合うぐらい仲良くなっていた。
俺は基本的に味のチェックと調理の指導に当たり、たまに早朝に出て賄いを作ったり、姉貴ときらりにせがまれて作ったスッウィーツのあまりを差し入れたりしていた。
店を開いてからの3ヶ月、俺は学校行ったり婆ちゃんの付き人やったりで店にかかりっきりにはなれなかったのだが、その間に店はとんでもない事になっていたのだった。
「こないだ勘君のお店行ったけど、駅まで人が並んでて入れなかったよ」
そう美波に言われて異常さに気づいた。
明らかに店のキャパシティを遥かに超えた人数が開店前から並んでいるのだ。
呆然と列を眺めていると、色々と頭の痛い話が聞こえてくる。
「今日の主任は三船嬢だから間違いない」
「三船の味は若干濃い」
「本田さんとこの息子が1番バランスが取れてるだろ、カレーは芸術作品なんだ。繊細さのない料理人にはあの味は作れない」
1日ごとに調理主任を回していく方針を取っていたが、どうやらこの客たちは5人それぞれの味の違いを理解しているようだった。
たしかにショタコン三船の味付けは若干濃いし、ニート本田の味付けは俺のレシピに1番忠実だ。
つまりこいつらはそれがわかるぐらい毎日毎日食べ込んでるって事だ!あの油分の多いカレーを!
「そんなん全然わかんねーよ、お前らおかしいんじゃないか?」
「俺は週8で来てるからな、お前もまだまだ徳が足りんな……」
そう言って腹を叩くデブは昼も夜もうちの店に来ているらしい。
さすがに俺も客に対して少し悪いなっていう気持ちというか、仄かな責任感のようなものを感じ始めていた。
カレーもそう体に悪いメニューではないが、客の体のことを考えてもっと体に良いメニューをいくつか考えてみることにしたのだった。
最初に作ったのはポトフだ、大量の玉ねぎと大根人参に少なめのジャガイモ、厚切りベーコンとウインナーを加えて業務用圧力鍋で煮込んだ。
素材が溶けてしまうので、わざわざ2段階に分けて煮込みゴロゴロ感を出した自信作だ。
ふた鍋分作り、夜に出してみることにした。
「今日はポトフあるよ……」
ニートがぼそぼそ客に告げる。
「ポトフぅ?食ったことねぇやそんなもん、美味いの?」
「美味いス……」
「じゃ、もらおうかな」
「り……」
ニートの接客は独特だが、何気に客あしらいが上手い。
繊細な心と鬼瓦のような顔のギャップがいいという客も多い……らしい。
「うちのオーナーのポトフには玉ねぎ100個分が溶けてるよ」
「えー、それってめっちゃ臭そう〜やばくない?」
「カレーの方が臭いから大丈夫、ポトフは今日限定だよ」
「うーん、じゃあポトフで……」
ヒモはよく喋る喋り下手だ、程度の低すぎる冗談をよく言うが、相手の好き嫌いがはっきり別れるタイプだからある意味生きやすいのかも。
ポトフはほどほどに好評だった、鍋2つ分は1時間でなくなり、食えなかった連中が地団駄を踏んだらしい。
その後もシチューやらおでんやらロールキャベツやら、色々やってみたが総じて駄目。
大好評だが商売的に駄目なのだ、野菜を大量に使う料理なんかはカレーに比べて利益率が低すぎたり、手の込んだ料理は俺以外の人間には作れなかったりと、店では使えないものばかりだった。
たっぷり二月かけて決定した第二弾レギュラーメニューは、豚の角煮丼だった。
豚を縛って煮て切って盛って出すだけの簡単料理にうちの店のスタッフもニッコリだった。
煮汁にインカコーラやマスタードを入れたりしてちょっと風変わりな味にしてあるが、特になんの変哲もない普通の角煮と言ってもいいだろう。
材料費も安くて利益率が高い、俺は満足だ。
客の健康?
大人なんだから自己管理しろよ!!
消えもの=食べ物など、使うと消えるもの
高峯ちばり=オリキャラ、主人公の祖母
きらり=諸星きらり、原作では180cm超えの恵体
美城(父)=オリキャラ
美城美船=アニメに登場する美城常務
エクスペンダブルズ=消耗品軍団、シルベスター・スタローンの映画
美波=新田美波、原作では歩く何何
ニート本田=オリキャラ
ヒモ=オリキャラ