なにしおはば改   作:鑪川 蚕

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9話 朝食

木曾と別れた後大鳳はしばらく走り続けたが、あまり身が入らなかった。着任後初の朝がこんなにも気分がよくないものになるとは運が悪い。あの「運」は意味合いが違うのだが案外関連しているのかもしれない。

シャワーを浴びた後、制服に着替えると食堂へ向かった。

食堂には木曾達がいて、すでに半分ほど食べ終わっているようだった。

運が悪い。しかし出直そうにも集合時刻は近づいている。3隻が出ていった後に食べ始めることは出来なさそうだ。それに、

 

「大鳳さーん、こっちよ」

 

暁に気づかれてしまった……。

大鳳は軽くため息をつき、MAMIYA-Ⅲへ向かった。 出てきたトレーには目玉焼き、鰆の切り身、胡瓜の漬物、味噌汁、白飯。THE朝飯という感じだ。 それらを持って、暁達の席に着く。向かいには暁、隣には島風。そして、斜め右には木曾、といった配置だ。陸奥は既に食べ終えたのかいなかった。

暁は「おはようございます」と言うと、お茶を淹れてくれた。木曾は大鳳を一瞥すると「早く食べろよ。間に合わないぞ」と言い、味噌汁を啜った。島風はひたすらに目の前の朝飯をかき込んでいた。至って普通の、これから毎日繰り返されるであろう朝の風景であった。

木曾が何事もなかったような態度を取ったことに苛立ちながらも安心する。

これから過ごす仲間との間に変な諍いを作りたくはなかったのだ。

そして、大鳳はいつものように、何気なく机に置かれている調味料箱から醤油を取りだし、目玉焼きに垂らした。

 

「はあ?何してんだ?目玉焼きに醤油とか」

 

心底呆れたような哄笑が飛んできた。

声の主は木曾であった。

大鳳が絶句していると木曾は、ある調味料を食べかけの目玉焼きにかけつつ、鼻を鳴らした。黒々とした流動体がドロリと満月のような黄身を覆っていった。

 

「普通ソースだろ。醤油なんざ合わねえよ」

 

 

 

「人それぞれでしょ」と大鳳が流してしまえばそれで終いだっただろう。木曾も本気でバカにした訳ではなく、大鳳との気まずさを少しでも和らげる冗談のつもりだった。陸奥や京ならば受け流すから、いつもの調子で言ってしまっただけだった。

しかし

 

「は?そちらこそ何を言っているのかしら。醤油こそ目玉焼きの最高の相棒よ。卵のまろやかな旨味に醤油独特の辛さがアクセントとなって、絶妙な調和を生み出すのよ」

 

大鳳は生真面目過ぎた。言葉をそのまま受け止めてしまうきらいがある。さらに大鳳は朝の件を引きずっていた。気にくわない考えをする奴の言動は何をしても癪に触るものだ。

賛美は皮肉に、謝罪は不服に、そして冗談は罵詈雑言に聞こえてしまう。

 

「ソースをかけるなんて邪道もいいところ。

卵の繊細な風味がソースの大味さで破壊されてしまうでしょ?あぁ、なるほど。味オンチだからソースみたいな分かりやすい味でなくては美味しいと思えないのね?いっそのこと朝御飯をソースだけにしたら?」

 

フッと笑みを漏らし、ほかほかの白米とともに醤油がかかった黄身を頬張る。

 

「なんだァ?てめぇ…………」

 

どこぞの眼帯空手家のような睨みを効かせる木曾。茶色染みた目玉焼きを口いっぱいに詰め込む。口周りがソースまみれとなってしまったが、構わず木曾は反論を繰り出した。

 

「いいか?ソースは雑な味と思ってるかもしれないが、それは大きな間違いだ。トマト、人参、玉ねぎ、リンゴなど、味わい豊かな素材の旨味が詰まった、いわば旨味の極みとも言うべき存在だ。ソースが卵の旨味を消す?違う。調和しているんだ。溶け合っているんだ」

 

木曾の口調は徐々に熱を帯びていく。身振り手振りは大きく、ソースの素晴らしさを演説し続ける。

 

「ソースとはオペラだ。主役は卵だ。しかし一人だけが輝いてもいけない。脇役との軽快な掛け合い、ステップがあってこそ舞台は輝き完成する。こんな芸当、醤油には出来やしない。大豆の絞り滓にはな」

 

言い切った木曾は天井の蛍光灯を眩しげに見上げた。壮大な音楽が太鼓とともに終わりを告げ、スポットライトが主演女優を照らしているかのように。口周りがソースだらけだが。

大鳳は思わず拍手をしかけたが自身の主義を思い出し、ひっこめる。されど拍手は聞こえた。大鳳によるものではなく、ある黒髪のレディの手によって。

 

「なかなかよい演説だったわ、」

「お褒めいただき有り難う。ミス暁」

「でもまだまだお子さまね」

 

そう切り捨てると、暁はどこからかサングラスを取り出し、右手である粉末をひとつまみ。

 

「レディは黙って塩よ」

 

手首を白鳥の首のように曲げ、指先から塩を放つ。それは夏に降る雪。薄氷のベールのごとき残像を描きながら、皿へと舞い降りる。塩の結晶が照明の光を乱反射して、目玉焼きが輝いているではないか。

一同は息を呑む。目玉焼きに対してもだが、それ以上に暁に対して。塩を振る暁の姿が実に魅惑的だった。まるでトルコで肉料理のシェフをしていそうだ。

 

「塩!そういうのもあるのね」

 

中年サラリーマンのように頬づえをつき、大鳳は新たな選択肢に関心を寄せる。

目玉焼きに塩。あまりにも素朴すぎる味付け。だがそれが良い。人類は飽くなき食欲に従い、未知の食材を発見し、新たな器具を発明し、革新的な調理法を考案し、多種多様な料理が生み出した。しかし人はふと思い出したように単純な塩味を求める。それは故郷たる海の味だからかもしれない。都会に暮らす息子が田舎の母の手料理を恋しく思うように…。

 

 

「Ms.サマーソルトと呼んでちょうだい」

 

得意気な顔でサングラスを外すとMs.サマーソルトは薄い胸を張る。

 

「サマーソルトはsummer salt(夏塩)ではなく somersault(蜻蛉返り)よ。ミス・サマーソルト」

「皿周りにこぼしすぎて、ほとんどかかってないぞ。ミス・サマーソルト」

「う、うるさーーーい!」

 

2隻の指摘を受け、顔を真っ赤にしながら、ぶんぶんと腕を振り回すmiss.蜻蛉返り。

 

「そもそも暁ちゃんはゴマだれ派じゃなかった?」

 

そこへ追い討ちをかけるように、今まで会話に加わらずに朝御飯を食べ続けていた島風が暴露する。島風の盆には何もなくなった皿のみが載っていた。何かをかけた形跡がない。

早食いであまり味わわない島風にとって「かける」という動作は煩わしいからだ。それを知らない大鳳は、渋い嗜好だとひっそりと感嘆した。

 

「そういやそうだ。暁の皿はいつもゴマだれかドレッシングまみれじゃないか」

「そ、そんなことないわよ!」

「陸奥さんは塩をかけるよね」

「んん~、そうだったわね~。グーゼンかしら……?」

 

木曾と島風の追求の手は止まらない。

暁は否定したり、ごまかしたり、しらばっくれたりするが最終的に机に突っ伏してだんまりを決め込んでしまった。うーー、と唸る声が漏れ聞こえる。

 

「可哀想に…。暁さんはちょっと背伸びしたかっただけなのよね。恥ずかしがることでは全然無いわ」

 

しっとりして柔らかな黒髪を鋤くように撫で付ける。「大鳳さぁん……」と暁がうっすらと瞳を潤ませ顔をあげた。大鳳は凍える仔猫を照らす暖かな太陽のように微笑む。「お前もイジってたじゃん…」という木曾のツッコミは無視された。

 

「これからは私とともに醤油レディの道を歩きましょう?」

「あー!汚ねぇぞ!暁、ソースの方がレディだ!なんたって西洋のもんだからな!!」

 

醤油とソースをそれぞれ手に持ち、大鳳と木曾は暁に必死でアピールする。

「……どうして塩じゃ駄目なの?」という暁の至極真っ当な意見は当然のように無視された。

 

「もう埒が明かない!徹底的にけりをつけよう!」

「誰かにどちらがいいか決めてもらいましょう」

 

2隻は誰が決めるにふさわしいかしばし考え、同時に解を出した。

 

「提督!」「坊!」

 

さあ、決まったとばかりに2隻は我先にと駆け出した。残された暁と島風は顔を見合せ、ため息をつくと後片付けを始める。

 

執務室前に着いた2隻はノックもせずに室内に突入。集合時間になっても来ない艦娘達を呼びにいこうとした陸奥に衝突。手に持っていたソースと醤油が見事に陸奥の全身に浴びせられた。

 

無事大目玉を食らった。

 


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