なにしおはば改   作:鑪川 蚕

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8話 早朝

レースのカーテンごしに朝の日差しが起床を催促する。大鳳はむくりと起き上がり、ぐっと伸びを一つ。壁にかかった簡素な針時計を確認。短針が5と6の中間を指していた。

眠たげにまぶたをこすりつつベッドから抜け出し、木製箪笥を開ける。数少ない衣服から支給品である白のインナーシャツ、黒ジャージ上下を取り出した。ジャージは何回もこけたせいで所々膝に小さな穴が空いている。

後で新品を申請しよう。

 

集合時刻はまだまだ先だ。他の皆を起こさないようそっと廊下を歩く。まだ少し肌寒いが我慢。厚着をしても、最後は汗をかいて脱ぐことになるし、洗い物が増える。

 

洗面所に着き、顔と歯を洗う。これで眠気とはおさらば。右後頭部辺りで跳ねる髪が鏡に映るが、運動後のシャワーで整えればいいだろう。大鳳はそこだけを濡らしてごまかすだけに留めた。

 

 

1階に降り、硝子扉を開けると少し肌寒い風がまだ弱々しい春の日差しと共に大鳳を迎えた。

 

「いい風ね」

 

別にこうだから良いという基準はないが、気持ちの良い風だ

 

軽く準備体操をし、走り始める。朝のジョギングは兵学校からの習慣で、何があっても毎日すると決めていた。準備体操をしながら考える。

 

(さて、どこを走ろうかしら。)

 

本館の裏側には運動場がある。そこを走ってもいいのだが、せっかくだから探険も兼ねて支部内を走り回りたい。

とりあえず海へと向かってみる。

 

 

浅緑の芝生に囲まれ、まがりくねったレンガ舗装の道を走っていると、嗅ぎ慣れた、オイルの匂いが混じった潮の薫りが強くなってきた。硬く反発するコンクリートへと足裏の感触が変わった時には目の前には海が広がっていた。

太陽が彼方の水平線で綱渡りをしているような高さに昇っていた。綱渡りの出来映えを拍手しているかのように水面で無数の反射光が瞬く。

兵学校と代わり映えなく、されど飽きない。

この美しさは変わることなく大鳳を魅せる。

新しい場所への不安を溶かす暖かな光。

大鳳は足を止め、眺めていた。

軽やかな日差しを、吹き抜ける風を、静かな海を。

 

 

「お、大鳳じゃないか」

 

走って軽く温められた身体も冷めた頃、男勝りだが少女の幼さも混ざった声が大鳳に呼び掛けてきた。

振り返るとネイビーのドライパーカーとショートパンツの格好をした眼帯の少女がいた。

 

「木曾さん」

 

そう大鳳が返すと、彼女は微妙な顔をした。

 

「木曾さん……ねぇ……」

「どうかしましたか?」

「あぁー……これ以降、さん付けと敬語禁止な」

「え、何故です?」

「なんかなー背中辺りがむずむずするってゆーか、耳がかぶれた感じがするっつーか。端的に言えば苦手なんだよ 」

「ですが木曾さんは先輩に当たる訳ですし」

「だったら駆逐艦のガキ共にも敬語を使うべきだろ」

「あ……それは…」

 

確かに木曾の言う通りで、先に着任している者を敬わなければならないのなら暁、島風も例外ではない。

しかし、昨晩大鳳は暁達を同等に、いや子供扱いしていた。

一貫していない言動。木曾に指摘され大鳳は恥ずかしさで言葉に詰まる。

 

「意地悪言っちまったな。ま、難しいとこだよな。敬語を使うべきかどうかは。序列が着任順で決まる鎮守府もあれば大型艦か小型艦で決まる所もある」

「………」

 

木曾が気まずそうに頬を掻きながら語る。気遣われていることがわかるからより一層恥ずかしい。

 

「ここでの序列は坊、陸奥、オレ、その他だ。着任、艦種関係無くな。…いや陸奥、坊、オレ、その他か?」

 

そう言う割には木曾は陸奥に対して敬意を払っていないのでは?というツッコミはさておき、聞いたことのない人物名を訊ねる。

 

「ぼん?」

「あいつだよ。墨野京」

「提督じゃないですか!?」

「敬語禁止て言ったろ?」

「提督じゃない!?」

 

律儀に言い直す大鳳に失笑しつつも嘲るように肩を竦める。

 

「それが?」

 

あっけらかんな物言いに大鳳は唖然とした。

 

「……え、だって提督に対して坊なんて馬鹿にした言い方。私は聞こえていない所でそんな風に悪く言うのは好きではない…わ…」

 

丁寧にしたら又茶化されてしまうため気を付けながら批判する。自然と拳に力が入っていた。

木曾はハッと軽薄な笑みを浮かべた。

 

「勘違いすんじゃねーよ。オレは面と向かって坊って呼んでる」

「!?」

「前言撤回、序列なんてない。皆が等しいのさ」

 

かつてない程の衝撃を受ける大鳳。提督とは艦娘達の上に立ち、敬うべき存在だと教えられてきた新兵にとって木曾の発言は到底理解できるものでは無かった。

黙ったままの大鳳を無視して木曾は続ける。

 

「あんな奴は提督じゃない。……提督ってのは男気があって、優しく、時には非情で、豪快なようで計算高い、オレ達艦娘を最大限まで活かす、そんな野郎を言うんだよ……」

 

言い終えた時、木曾は頭上を旋回する海猫を見つめながらどこか過去を慈しむような悲しみを滲ませていた。

朝焼けに照らされ煌めいているはずの海が今は曇って見えた。


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