少し時間を遡る。
大鳳は執務室の扉前で大きく深呼吸した。この敷地内に入ってからというもの顔はひきつり、脚は震えが止まらない。ついつい廊下の窓を鏡代わりに寝癖がついていないかなど確かめてしまう。もう一度深呼吸すると勇気を振り絞り、扉のレバーに手をかける。捻りそうになったところで慌てて手を放す。
危ないところだった。鹿島先生から部屋に入る前はノックが必須だと聞いていたのに。2回だったか、4回だったか迷い、間をとって3回ノックした。後は開くだけ。
第一印象は大事。ここはいかに戦意に溢れた艦娘だということを示さなければならない。
よし、と気合いをいれると一気に開けた。途中、何か抵抗があったが、立て付けが悪いのだろう。提督とおぼしき姿を確認するやいなや、昨晩3時間自主練習した挨拶を述べた。
「お初にお目にかかります!大鳳型装甲空母一番艦大鳳です!提督、貴方の艦隊に勝利を!」
完璧だ。キレッキレだ。
着任3日目にして旗艦と秘書艦を任される未来が見えるくらい完璧だ。
その証拠におそらく提督と思われる青年がこちらを見て口をあけているではないか。
練習の成果で淀みなく挨拶ができ、大鳳はこっそりと胸をなで下ろした。
とはいえ緊張が無くなった訳ではない。失礼が無いようにと目の前の男から目をそらさず、紺の絨毯を踏みしめる。今にも膝から崩れ落ちてしまいそうだ。
その予感は的中した。
ぎゅむ
「ぎゅむぅわぁぁぁぁ!!?」
何か柔らかいものが足先にひっかかったかと思うと身体の重心が前へと飛び出す。
そして大鳳は膝から崩れ落ちた。
美女の背中に全体重を載せるように。
「あーあ……」
そんな男性特有の低い声が大鳳の頭上を飛んでいった。
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「ようこそ、舞鶴鎮守府大坂支部へ。僕はここの提督の墨野 京。こちらは秘書艦の「陸奥よ」
「「……」」
提督の紹介をぶった切り、ぶっきらぼうに自身の名を告げる秘書艦。
大鳳と京は陸奥の態度に何も言えずにいた。
一隻は恐怖で、一人は呆れで。
「…陸奥さん。大鳳さんの部屋を整えてきてくれますか?」
「アタシがですか?」
「今ここにいても貴方にしてもらうことはないので」
「…わかりました。」
提督の言い方に少し苛立ちが含まれたのを感じたのか、秘書艦はおとなしく部屋を出ていった。「イタっ…」とわざとらしく額をおさえながら。
扉が閉じたことを確認すると、京は先程から一言も発していない新艦に目を向けた。
身じろぎもせず、ひたすら京の後方にある見目麗しい花の絵画を見つめていた。京の視線に気づくと慌てた表情で何か言おうと口をパクパクとさせる。
怯えた子犬のような姿を気の毒に感じながらも京は苦笑してしまう。
秘書艦は提督の補佐を行う艦娘だ。秘書艦を見ればその鎮守府のレベルがわかると言われる程の花形。従ってその鎮守府で最も優秀な艦娘が就くことが多い。
その秘書艦を着任早々ぶっとばしたとなれば、もう絶望の淵に立たされた気分になるというものだ。
フム……と京は一呼吸おいた。
そして、立ち上がって頭を下げる。
「申し訳ありません。初対面の貴女に陸奥が無礼な真似をして。後できつく叱っておきます」
「そ、そんな!私に非があるのであって、陸奥秘書艦には何の非もありません!」
京は顔をあげると、秘書艦机を見やりながら腕を組む。
「すみません。いつもはああではないのですが、今日は機嫌が悪いようで…」
そこでニヤッと笑った。
「もしかすると優秀な貴女が着任するから焦っているのかも。追い抜かれるかもしれないから」
勿論嘘で冗談だ。機嫌が悪いのは大鳳が着任する一切の事柄を秘密にしていたから。
歯の浮くような台詞で場がなごめばと言ってみたのだが、大鳳の反応は芳しくなかった。
「ははは…、そんなこと…ありえません」
から笑いして、場を濁してしまった。
京はその反応が初めに部屋に入ってきた彼女から感じたものと違っていたため奇妙に思いつつ腰をおろす。
頭の隅に留めたまま先程大鳳から渡された艦娘詳細報告書を眺めた。
そこにはNo.153 大鳳型装甲空母1番艦大鳳の題名から始まり身長、体重、火力値、雷装値、搭載数などの数値や訓練所における成績や鹿島教艦による講評などが記載されていた。その中に一つ気になる点がある。いや、本当は他にもいくつかあるのだが。
「少しお聞きしたいのですが、これらの数値は全て最新のものですか?」
「は、はい。2週間前に取り直したものです」
大鳳は答えると、あっと気づいた顔をした。
「やはり搭載数が少ないですか?」
大鳳は不安そうにうつむいた。
搭載数61。一部の軽空母より少なく、正規空母にしてはおかしい。確かに気になる点だ。しかし、
「そうではありません。少なかろうが、航空戦力のないこの支部では大助かりです。装甲値もかなり高い」
そんな風には見えないけれどと、京はチラリと大鳳の胸を見る。甲板を模した黒のプロテクターに覆われるそれは可哀想なほど起伏がない。そこも気になるが重要ではない。……はず。
「ええと…、では運ですか?それはあまり気にすることはないと鹿島先生から教わったのですが…」
京の最低な視線に気づかず、大鳳は緊張した面持ちで尋ねる。
「そう、そこが気になりましたが、鹿島教艦の言う通りです。この質問も特に深い意味はないので気にしないでください」
半分嘘であった。書類上に書かれたある数値、運2。
運とは艦娘の能力測定時、細かく言うと機力測定時に計測機に映るグラフが一定時間内に正常値を示す回数、つまり運搬値である。
何故正常値で計測するのかと言うと、まだ計測機が未熟で、異常値を示す割合の方が多いからだ。
京はほんの少しの間だけ思考に耽る。
運は平均的な艦娘でも20ほどと低い。それにしても運2は前代未聞だ。貴峯根提督が存外呆気なく手放したのもこれが大きな理由の一つだろう。
運が実際艦娘にどう影響を及ぼしているのかわかっておらず、気にする提督もそこそこいる。京は気にしない側の提督なのだが、それでも少し気にしてしまう。
大鳳もやはり気になるようで顔はまだ少し強ばっている。
「ですが、運が低い艦娘は被弾しやすい、自分が発射した砲弾や魚雷が不発になることが多いなどの噂を聞きました」
「そういう噂は確かにありますが、それほど実感しません。ねぇ、陸奥さん」
京はちょうど帰ってきた陸奥に話しかける。陸奥の存在に気づいた大鳳はびくりと肩を震わせた。大鳳にお構い無しに陸奥は提督へと歩み寄る。
「あら、何の話ですか?」
「運が低くても支障はないという話です。大鳳さんは運が低いのですが、不運に関する噂を気にしているんですよ」
「あーはいはい。んー、気にする必要はないと思います。運がどうだろうと不発は必ずありますし、被弾しやすさも陣形や艦速、その場の戦況によるので一概には言えませんもの」
陸奥が頬に指を添えて答える。
「で、ですが私はたったの2ですよ!何かあると思いませんか!?」
ずっと悩みの種だったのだろう、大鳳は陸奥に叫ぶように訊いた。
「あら、イヤミ?アタシもたったの7よ」
「なな…」
「改造前は5だったわ」
「ごっ!!」
大鳳は驚きのあまり口が半開きだ。
「気にしながら戦う方がよっぽど危険よ?運がどうであれ堂々としていればいいのよ」
「……はい!」
同じ境遇の先輩艦娘から納得のいく解答が得られたようで大鳳の顔つきが明るく変わった。
着任早々作られた溝が少し埋まっただろうかと京は安堵する。
「では、大鳳さんは陸奥さんに寮の説明をしてもらって来て下さい」
「……はい」
埋まっていないようで陸奥と二隻きりになることを恐れている。
陸奥はすたすたと、大鳳はちょぼちょぼと扉へと進む。
「あぁ、陸奥さんは少し話が。大鳳さんは外で待機してください」
「…?」「はい…?」
大鳳と陸奥は揃って首を傾げた。
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「なぁに?話って」
「これを見てください」
大鳳を廊下に追いやり、扉に鍵をかけた陸奥。口調はいつも通りに戻った。
そんな彼女に京は書類を突き出す。
「……特に変なところはないけれど」
受け取った書類を一瞬で読み終わった秘書艦の感想はそれに尽きた。
「ある欄が空白になっているでしょう?」
「あぁこれ?」
秘書艦が指を差しながら提督に見せた欄は確かに何も書かれていなかった。
提督は頷く。
「まだこの項目があるのね」
「その艦娘がどういった性格で何を信条とするかがわかりやすいですから」
「そうかしら。国民、名誉、仲間が大体で、たまに酒や布団が今まであったわね。こんなんでわかるものなの?」
「やはり性格が出るらしいですよ」
「ふーん、司令長官から教わったの?」
「……そうです」
急に歯切れ悪くなった京を気遣うことなく陸奥は話を進める。
「で、ここから何かわかったわけ?」
「…おかしくないですか?まだあまり話していませんが大鳳さんがそこを空欄にするとは」
「別に?参考までに彼女への印象を教えて」
「? 勇敢で誠実そうだなと」
京は不思議そうに首を傾げたまま率直な印象を述べる。
陸奥は書類を執務机に放り投げ、大鳳の待つ外へと向かう。
「アナタの観察眼、大したことないわね」
去り行く陸奥を見ながら京は乱れて置かれた書類を直す。
書類には空欄があり、その項目は『守りたいもの』であった。
「アタシには臆病で卑怯にみえたわ」
陸奥はそう言い切ると扉を開けた。