俺のこんな学校生活も悪くない   作:天然水いろはす

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第15話

 一限の終わりを告げるチャイムが鳴り、俺はとある教師に教卓の前まで呼び出されていた。

 ガヤガヤとする教室でたった一人、般若(はんにゃ)のような顔をして俺のことを睨みつけてくる。

「それで比企谷。私の授業に四十五分も大遅刻した理由は何だね? 理由次第で君のみぞおちに撃滅のセカンドブリットが放たれるぞ?」

 指をポキポキと鳴らして、平塚先生は問う。

 撃滅のセカンドブリット云々はともかく……、俺にも言い分があるのだ。

「っつーか、何で一限が現代文なんすか? 体育じゃなかったのかよ……」

「何だ、授業が入れ替えになったことを聞いてないのか? 昨日のSHRで伝え忘れたから、委員長に他の者にも伝えるように頼んでおいたんだが……」

 その平塚先生の言葉が聞こえたのか、教室の最前列のど真ん中の席にいる男子がこちらを向いた。四角い眼鏡がきらりと光る。

「平塚先生。僕は先生の言われた通り、ちゃんと二年F組のグルチャの方で『一限の体育と二限の現代文が入れ替わる』と伝えましたよ」

 七三分けの眼鏡。

 いかにも委員長タイプの男子はそう言って教卓の前を通り過ぎ、緑の体操服を身に(まと)って教室から出ていった。その後を追うように何人かの男子がまた教室から出ていく。

 あの眼鏡くんの言うことが正しければ、確かに俺が授業変更のことを知らないのにも頷ける。このクラスにグルチャというものが存在していたことを知らなかったわけだし……。いつの間にそんなの作ってたんだよ。誘ってくれれば、俺だって「お、おう……」みたいにちょっとどもりながらも連絡先を渡したよ? いや、ほんと、誘ってくれれば……。

 気づけばさっきまで話し声で騒がしかった教室が静かになっていて、今この教室にいるのは俺と平塚先生だけになっていた。

 女教師と二人きり……。

 もはやこの後に続くのは大人の階段へ登るような展開しか感じられないのだが、平塚先生の放つ雰囲気はそんなエロいものではなく、大好きなものに囲まれた子どもみたいだ。あの般若のような恐ろしい表情をした平塚先生はどこに行ったのやら、今はホクホクと嬉しそうな顔をしていらっしゃる。

「比企谷。私は君のことを少々誤解していたよ」

「何をです?」

 平塚先生は俺の肩にぽんと手を置いて、にやりと笑った。

「いや、なに、近頃の高校生はクラス同士でグループチャットというものをやるそうだが、それに入れてもらえないなんて、君にはやはり友達が……ぷっ、……はははっ、あはは!」

「あんた、教師として最低だよッ‼︎ 」

 肩に置かれた手を振り払い、俺はキッと睨む。

 だが、平塚先生は俺の暴言ともいえるそんな言葉に一つ大きな溜め息をついて俺を見やった。

「馬鹿者。教師というのは日々の学校生活で生徒からのストレスが一番多いんだ。やれテストを簡単にしてくれだの、やれ内申点を上げてくれだの、果てはデートがあるので補習に参加できないだの、全くもって不愉快極まりない。だいたいデートって何だ、デートって……ふざけてるのか……」

「……あー、なんかすいません。教師は教師で色々とあるんすね」

 ここ千葉市立総武高校は県内有数の進学校だ。

 他の進学校(例えば、総武高校から程近くにある三つの高校が合併してできた海浜幕張総合高校)はどういう方針で授業を行なっているのかは知らないが、総武高校は授業の進度が速い。この間まで現代文の授業でやっていた夏目漱石の『こころ』がそのいい例だろう。普通の高校だと、夏目漱石の『こころ』は二年生の一月下旬から三月上旬にかけてやるそうだ。

 まぁ、授業の進度が速いからといって定期考査の内容が簡単になるわけではない。

 そのため、予習復習をきちんとしておかないと定期考査の点数が赤点ギリギリらしい。らしい、というのは去年の夏休み前に、材木座から「勉強を教えてくれ!」と泣きつかれたときに問いただ……訊いたからだ。

 まったく、趣味に没頭するのもいいが、学生の本分を忘れてしまっては本末転倒もいいところだろ。

「しかしまぁ、そのデートを理由に補習を休もうとした奴、かなりの問題児ですね。平塚先生が殴るなり蹴るなりして(しつけ)たほうがいいと思いますよ」

「私だってできることならそうしたいが最近は小うるさくてな。肉体への暴力は許されていなんだ。それに、女の子を殴ったり蹴ったりするような趣味は私にはない」

「肉体への暴力が許されていないんだったら、じゃあ何であのとき俺を殴ったんですかね」

 俺がそう言うと、平塚先生はばつが悪そうに顔を背けて、教卓の上に置いてあるチョークをそそくさと片付け始めた。

「……さーて、そろそろ二限も始まることだし、次のクラスに向かうとするか」

「おい、ちょっと待て。自分に都合が悪いからって、生徒の質問に受け答えないのは教師としてよくないと思いますよ」

「何を言うか、比企谷。教師という立場だからこそ、生徒達の質問に一から十まで答えてやるわけにはいかないのだよ」

 依然、平塚先生は顔を背けたまま。

 長い黒髪が横顔を覆い隠しているため表情がわからないが、真剣みを帯びたその声から、自ずとどんな表情をしてるのか想像がつく。

「君は、あいつと似て──」

 平塚先生が何かを言おうとしたその時。

 ガラガラガラッ、と教室の扉が大きな音を立てて勢い良く開いた。

 何事かと二人して振り向くと、ちょうど一人の女子生徒が教室の中へと入ろうとするところだった。

 ……あ、目が合った。

 女子生徒は俺の姿を発見すると、「うわぁ……まじかぁ……」と言いたげな引き攣った顔をしたが、すぐさま申し訳なさそう顔する。

「もしかして、お取り込み中でしたか?」

 教室には入らず、扉の向こう側で女子生徒は立ち止まって訊いてきた。

 当然、その言葉は俺に向けられたものではない。

「いいや、そんなことはないぞ。それより、二年の教室に何の用だ? 一色」

 先生の口振りから察するに、この女子生徒は二年生ではないらしい。

 ん? っつーか、今、一色って言ったか?

 学校を遅刻した原因である凛也と同じ苗字に、俺は思わず二度見する。

 改めて見てみると、ふわっとした亜麻色の髪とくりっとした大きな瞳は小動物めいていて可愛らしい。制服もちょっぴりと着崩していて、カーディガンの袖はたるっと余っており、スカートの丈は膝よりも高めであった。

 と、そこで上履きに入っている細いラインの色が赤なのに気づく。この学校は三学年それぞれ割り当てられた色があり、それで学年の区別がつく。一年生は赤。二年生は緑。三年生は青。つまり、彼女は一年生だということだ。

 ……別に上履きにまっさきに気づいたのはスカートから覗く太ももに目がいっていたわけじゃなくて、偶然目に入っただけだからね? ちなみにけっこうむっちりとしている。

 そんな俺が向けた不躾な眼差しに気づいたのか、少しはにかんだ微笑みをこちらに向けてくる。

 その瞬間、()いでいた心にざわざわとさざ波が立った。無論、一目惚(ひとめぼ)れなんかじゃない。これは単純な警戒警報だ。

「もぉ、『二年の教室に何の用だ?』じゃないですよ〜」

 媚を売るような話し方でトテトテと平塚先生に歩み寄る。

「それで、用件は何だ? 確か、一色のクラスは二限が移動教室の家庭科だっただろう」

「いやいや、何言ってるんですか。二限は現代文ですよ現代文。平塚先生がいつまでもたっても教室に来ないから捜しに来たんですよ、私が」

「その、倒置法で暗に優等生アピールするのはやめたまえ。先週の……ふざけた理由で休んだ補習の分を二倍にするからな」

「ちょ、何でですか⁉︎ 理不尽じゃ──」

「そんなことより。すまないな、比企谷。お前は体育の授業に急いで行ってこい。遅れた理由は後でちゃんと厚木(あつぎ)先生に言っておくから」

 何か言いたげな一色を無視して、平塚先生は次の授業に行けと俺を促す。

 どうやら俺が学校に遅刻した罰はないらしい。対して、一色は補習の量が倍になるという罰が課されてしまうようだ。どんまい一色、心の中で合掌し、俺はのんびりと席に戻る。

「ほら、一色。さっさと行くぞ」

「せ、先生っ、ちょっと待ってくださいよー! 私はまだ補習の量が増えることに納得できてないんですけどっ‼︎」

 バタンと空いた教室の扉が閉まり、俺は教室にたったひとり取り残された。

 脅威が遠のいて安心したのか、今日何度目かわからない溜息を吐く。

 久しぶりの感覚。初めて陽乃さんに会った日のことを思い出す。あの時と同じ、一色も陽乃さんと同じモノを持っている。

 ただ、あの人と違って(もろ)い。ダイヤモンドのように表面上の強がりを見せても、突発的なことに対してボロボロに決壊してしまう脆さだ。

 まぁだからといって、他人である彼女にどうこうしてやりたいなんていう差し出がましいことは考えていない。

「それにしても一色、ね……」

 世間は狭いとよく聞くが、さすがに違うよな。だって全然似てないし……。

 

 

 ◇

 

 

 近くのイチョウの木に隠れて、そっとグラウンドを見渡す。

 案の定、既に授業は始まっていた。

 しかし、ここへ来るタイミングが良かったのか、ちょうど種目別に分かれるところであった。これで目立たずに済む。俺は背景に溶け込むカメレオンのごとく、ステルスヒッキー(小学生からのぼっち生活で身につけたスキル。尚、熟練度はMAX)を発動し、体育教師の厚木の背後を取る。

「…………」

 あ、間違えた。これじゃ気づいてもらえない。

 げふんげふんと咳払いして喉の調子を確かめる。よし、問題ない。いざ尋常に参る。

「厚木先生、すみましぇん」

「厚木先生、すみません」

 爽やかな声が俺の声と重なる。

 誰だよ、俺に被せてきた奴。しかも噛んでやんの。……あ、それは俺ですね。いや、噛んでないから。かしこまっただけだから! 

「どないした? 葉山(はやま)

 厚木が反応したのは爽やかな声をした金髪の男子生徒の方だった。しかも、かなりのイケメンである。

「実は、ペア決めで一人余ってしまいそうなので三人組でも大丈夫ですか?」

 葉山の提案に、ビクッと体が無意識に震えた。

 ペア決め……嫌な言葉だ。

 ひとりぼっちの学校生活において、何度も俺の前に立ちはだかる障壁のひとつ。

 その障壁を越えようと、中学の時に何度も対応策を練った。ある時は『ペアなんて誰でも良くないか?』的な雰囲気を醸し出しつつ、近くにいる適当な奴に声を掛けようとした。またある時は『二次元だいすき♡ 三次元はクソ』的なオーラを放つヲタクそうな奴に声を掛けようとしたが、ヲタクにはヲタクの仲間が群れていたので諦めた。いや、距離を取った。

 策を練って行動に移すこと暫し、俺はついに秘策を見つけた。

「ああ、別に構わんぞ。ただし、くれぐれも遊びにならんようにな」

「心配ご無用ですよ。戸部(とべ)には十分言っておきましたから」

 テニスラケットを片手に持って笑顔で立ち去る葉山を横目に、俺も動き出す。

「先生、ちょっといいですか?」

「おう、どないした……って、比企谷か。遅刻やぞ、何で遅れたんや」

 授業に遅れた所為か、ややお怒り気味のご様子。

「いや、その、平塚先生に捕まってまして……」

 別に嘘はついていない。俺の遅刻が原因で呼び止められ、俺の余計な一言で愚痴に付き合わされただけで。総合的観点からして、俺は平塚先生に捕まっていたと言える。

「そうか。それなら今日からはテニスとサッカーやさかい、確か比企谷はテニスやったよな。ほんならペア作って──」

「あの、そのことなんですけど今日あんま調子よくないんで壁打ちしてていいっすか。迷惑かけることになっちゃうと思うんで」

 そう宣告して、厚木の返事を待たずに俺はさっさと壁際まで移動してぽこすかと壁打ちをやり始めた。そんな俺に厚木も声をかけるタイミングを失ったのか何も言ってこなかった。

(ふはははっ、完璧すぎる……)

 調子が良くない+迷惑かけるのダブル文句がシナジーを生むうえに、体育自体のやる気はあることをさりげなくアピールするのがポイントだ。

 これぞ中学生活で策を練りに練って編み出した究極の「好きな奴とペア組め」対策だ。今度、材木座にでも教えてやろう。きっと泣いて喜ぶに違いない。

 テニス自体は去年陽乃さんに誘われてから何度か一緒にやるようになり人並みにはできるようになった。ただ、陽乃さんには勝てたためしがあまりない。コースが毎回嫌なところを突くうえに、ジャンプサーブのときのある部分の揺れの破壊力に反応が遅れてポイントを取られ負けることが多い。ほんと反則だと思います。

 黙々と同じ箇所に目がけて打球を打って打ち返すだけの単純化作業のような時間が続く頃。

 周囲ではわいわいわちゃわちゃと騒ぐ男子の歓声が聞こえてきた。

「おっしゃぁ! 今のヤバくね⁉︎ すごくね?」

「今のは絶対取れないわー、激アツすぎでしょー」

 静かにしてやれよと思いながら振り返れば、葉山達のグループが騒ぎながら楽しそうにラリー練習していた。実際うるさいのは葉山ではなくその周りなのだが。

「こら、戸部。お前うるさくしすぎだ。また内申点下げられるぞ」

「っべー。葉山くんそれは誰にも言わない約束でしょー」

「あー、そうだったか。まぁともかく次は俺と戸部の番だから真面目にやるからなー」

 そう言って葉山が打ったボールは綺麗にコートに落ちたのだが、うるさい金髪の奴が打ち損ねてそのまま俺のいる場所に向かって飛んできた。

 幸いなことに一回バウンドしているおかげで緩い打球で俺にまっすぐ向かってやってきているわけだが、これ絶対に俺が取らなきゃいけない流れになる気がする。

「あ、ごめん! ヒキタニくん! ボールがそっちに──!」

 案の定、俺が返球する感じになった。

 てか、ヒキタニくんって誰だよ。

 しかしまぁ、間違われてるけど呼ばれてしまっては対応せざるを得ない。

(はぁ、めんどくさ……)

 内心でぼやきながらも正面にやってきたボールをラケットで勢いを殺して、相手が取りやすいようにアンダーサーブの要領で軽く打ち返した。

「おぉ、ヒキタニくん上手いな! ボール取ってくれてありがとねー」

 葉山が(ほが)らかに笑いながら俺に手を振ってきた。

 それに、軽くラケットを振って問題ないと返す。

 何気なしにやったことに上手いなと褒められてちょっぴり気分が良くなったので、名前を間違えてることに関して今日は不問にしておいてやろう。

 




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