除霊師・安倍あやめの非日常的日常譚   作:ゆうと00

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除霊師・安倍あやめ(6/7)

「えぇっ!」

「コバセン、そうだったの?」

 

 あやめの背後で話を聞いていた春が、驚きのあまり声をあげて立ち上がった。隣の清音も立ち上がりこそしなかったものの、驚愕の表情を浮かべている。

 先程あやめが言ったことは、友人達から“情報通”と呼ばれている清音ですら知らないことだった。この中学校に入学した頃、自殺した生徒の存在を知った彼女が教師に訊いて回ったときも、当時のことを思い出したくないからか、あるいは箝口令でも敷かれていたのか、詳しいことは何1つ分からなかったのである。

 そんな2人の眼差しを受けながら、小林は口を閉ざしてまっすぐあやめを見つめていた。その表情は落ち着いているようにも見えるが、その目つきはとても鋭く、彼女を“睨みつけている”と表現して差し支えないほどだった。

 

「……どうだったかな? よく憶えてないな」

「憶えてない? 本当にそうですか? 昼間に色々な方からお聞きした話によると、小林先生が初めて担当したクラスだそうじゃないですか。そんな思い出深いクラスの、しかも自殺してしまった生徒なんて、忘れたくても忘れられないと思うんですけど」

「……私のことを調べて回るなんて、随分と良い趣味をしているじゃないか」

「いえいえ、この部屋の幽霊について自分なりに調べていたら、たまたま小林先生が出てきたってだけの話ですよ」

 

 苛立ちを隠そうともせず静かに語気を荒げる小林に、あやめは尚も笑みを崩すことなく答えてみせた。

 

「……まぁ良い、別に隠すことじゃないからな。――確かに5年前、初めて私は自分のクラスを受け持った。そしてその中から自殺者が出たことも、君に言われて思い出した。しかし私が彼女を憶えていないというのも、紛れもない事実なんだよ」

「……それって、ちょっとひどいんじゃないの? 自殺したんだよ?」

 

 小林にそう尋ねたのは、清音だった。

 

「……君達には分からないと思うが、“担任”というのはクラスを持たない先生よりも圧倒的に仕事量が多いんだ。いくら目の前の問題を片づけても、次から次へと問題が舞い込んでくる。特に僕は初めての担任だったからね、クラスでもほとんど目立っていなかった生徒にまで気を回している余裕なんて無かったんだよ」

「ああ、成程」

 

 あやめは突然そう言うと、何かを納得したようにポンと手を叩き、頻りに何度も頷いていた。後ろからそれを眺めていた清音と春には、それが少し芝居がかって見えた。

 

「何が、成程なんだ?」

 

 それは小林も同じだったのか、あやめをギロリと睨みつけてそう尋ねた。

 するとあやめは「別にたいしたことじゃありませんが」と前置きしてから、

 

「つまり小林先生は、担任という慣れない仕事のせいで彼女がいじめに遭っていたことに気がつかなかった、ということですね?」

「……学校で自殺したからといって、安易にいじめだと決めつけるのは、あまり感心できることじゃないな」

「では、いじめは無かったと? 彼女のことをほとんど憶えていないほど気に掛けていなかった小林先生がそう断言するのなら、話は変わってくるのですが」

「……確かに、その生徒が自殺をするほどに何かを思い悩んでいた、というのは紛れもない事実だ。そして私が、それに気づけなかったこともな」

 

 そう言ったときの小林の表情は、先程までの強気なそれとは違っていた。喉の奥から振り絞るように声を出し、顔を俯かせて肩を震わせている。

 

「あの頃の私は未熟だった。自分の仕事にばかり目を向けて、肝心の生徒のことは何1つ考えようとしなかった。もし私が彼女の悩みに気づくことができたら、彼女は自殺なんかせずに済んだかもしれないというのに……。そういう意味では、確かに彼女は私が殺したようなものかもしれないな……」

 

 彼は小刻みに震える声でそう言って、目元に手を当てて何かを拭うような仕草をした。元々部屋が薄暗いこともあり、あやめ達が彼の表情を知ることはできない。

 しかしそれを眺めていた清音と春は、何だか彼が気の毒に思えてきた。

 いくら彼が担任だったとはいえ、当時はまだ初めてクラスを受け持つような新人だったのだ。彼が生徒の悩みに気づけなかったのは事実だが、それは他の教師達も、さらにはその生徒の親だって同じことである。自殺の責任を彼1人に負わせるのは、あまりにも酷というものではないだろうか。

 これ以上彼を見ていられなくなった2人は、もう止めるようにとあやめに話し掛け――

 

「本当に、気づかなかったのですか?」

 

 ようとしたが、あやめのその言葉によってそれは遮られた。

 小林が顔を上げた。その視線は鋭くあやめを貫き、目元に濡れた跡は一切無かった。

 

「小林先生、本当は気づいていたんじゃないですか? 気づいていながら、それを無視したんじゃないですか?」

「…………」

「彼女からいじめのことを聞かされて、それでも小林先生は何もしなかったんじゃないですか?」

「…………」

「いつもいじめに使われていたこの部屋にわざわざ呼び出して、服を脱いでまで傷痕を見せて、涙ながらに訴えかけたのに、それでも小林先生は忙しいからと突っぱねたんじゃないですか?」

「…………」

「もしそうだとしたら、彼女の絶望はどれほどのものだったでしょうね。いざとなったら自分を助けてくれると信じていた相手に、勇気を振り絞って告白したというのに、どうでもいいとばかりに見捨てられたんですから。――それこそ、自殺してしまうくらいに」

「…………」

 

 無言のままこちらを睨みつける小林に、あやめは矢継ぎ早に言葉を叩きつけた。彼女は穏やかな笑みを浮かべてはいるが、その目はまったく笑っておらず、次第に彼女の雰囲気が刺々しいものになっていく。

 

「ちょ、ちょっと……」

「安倍さん、いくら何でもそれは……」

 

 部屋を包み込むただならぬ空気に耐えきれなくなった清音と春が、嗜むようにあやめへと声を掛けた。

 

「ところで2人共、1つ疑問に思うことがあるのですが」

 

 しかしあやめはそれに聞く耳を持たず、むしろ2人の言葉を遮るように後ろを振り返って唐突に尋ねてきた。

 

「それだけの仕打ちを受けてきた彼女のことです、いくら自殺という手段を選んだにしても、1人でも多くの人に自分の境遇を知ってほしいと思うのが普通でしょ? それなのに、彼女の遺書が発見されたという事実はありませんでした。なぜでしょうか?」

「え? えっと、それは……、その子がそもそも遺書を書かなかったからじゃ……?」

 

 春が戸惑いながらも答えるが、あやめは首を横に振ってそれを否定した。

 

「これも昼間の内に色々調べてみて分かったことなのですけど、最初に彼女の死体を発見したのはこの学校の事務員でした。――しかし、その事務員が最初に学校へ来た訳ではありません。実はその人よりも前に、学校へ来た人間がいるんです」

 

 あやめはそう言うと清音から視線を逸らし、ゆっくりとした動作で振り返ると、未だにこちらを睨み続けている小林をじっと見つめた。

 

「そうですよね、――小林先生?」

 

 あやめのその問い掛けに合わせて、清音と春は2人揃って小林へと視線を向けた。

 

「――――!」

「――――!」

 

 その瞬間、2人は思わず目を見開いて顔を引き攣らせた。

 じっとあやめを見つめる小林の顔は、まったくの無表情だ。先程まで怒りや悲しみなど感情を顕わにしていた彼が、今は人形かと見紛うほどに一切の感情を浮かべていなかった。

 そして彼は、一切感情の無いその表情のまま口を開いた。

 

「……成程、なかなか面白い“お話”だったよ」

「あらあら、認めてはくださらないのですね」

「認めるも何も、今の話は全て君が作り出した妄想の産物だろう? まったく、こんな時間にこんな場所に呼ばれて、挙げ句の果てにこれか。大人しく自分の非を認めていれば、ガラスの弁償代だけで済んだものを」

「…………」

 

 子供を叱りつけるような口調で話す小林に、あやめは反論をする様子も無く、ただ黙って彼の言葉を聞いていた。

 

「悪いが、君の悪行は報告させてもらうよ。学校の備品を壊しただけじゃなく、ありもしない妄想話で私の名誉を傷つけようとしたとね」

「コ、コバセン! 本当に、さっきの話は安倍さんのでっちあげだったの?」

 

 清音が椅子から立ち上がって尋ねると、小林は彼女へと顔を向けた。人形のような無表情を見せつけられ、清音の肩がピクリと跳ねる。

 

「それじゃ逆に尋ねるが、君達は彼女をどこまで信用できるのかね? 君達は彼女と知り合ってまだ間も無く、彼女のことをほとんど知らないんだ。それなのに、なんで『この部屋には幽霊がいる』なんて彼女の話を信用することができるんだ?」

「で、でも! 私はガラスが独りでに割れるのを見ました! 先生だってそうでしょ!」

「そうだよ! それにさっきだって、あやめの手から出た青白い光で学校を包み込んだり、光の壁で私達を閉じ込めたりしたんだよ!」

 

 今度は春も混ざって一緒に反論してきたが、それでも小林の表情は変わらない。

 

「そんなもの、何かのマジックだと考えればいくらでも説明がつく。心霊現象だの何だのと恐怖心を煽ることで、君達に自分の話を信じ込ませることが彼女の狙いなんだ。――それじゃ訊くが、君達は実際に自分の目で幽霊を見たのか?」

「そ、それは……」

 

 小林のその質問に、清音も春も言い難そうに視線を逸らして黙り込んでしまった。

 するとそれに気を良くしたのか、小林はニィッと口角を上げて笑みを浮かべた。しかしそれに反して、あやめを見つめるその目はまったく笑っていなかった。

 

「残念だったね、安倍くん。多感な年頃の彼女達ならともかく、良識を持った一般的な大人はそんな“戯言”には耳を貸さないんだよ。何だったら今の話を、他の先生方にもしてみるが良い。どうせまともに取り合ってもらえず、むしろ君への罰が重くなるのがオチだとは思うがね」

 

 小林はそう言うと、くるりとあやめに背を向け、出口へ向けて歩き出した。

 

「さてと、夜ももう遅い。君達もさっさと家に帰るんだ。それと安倍くんは明日にも職員室に呼び出されるだろうが、ちゃんと逃げずに学校に来るんだぞ」

 

 あやめ達3人にそう呼び掛けながら、小林はドアに手を掛け――

 

「確かに小林先生の言う通り、証拠はありません。そもそも何年も前に起こったいじめなんて、証拠が残っている方が珍しい」

 

 ようとしたところで、あやめがふいに口を開いた。ぴくっ、と小林の動きが止まる。

 そんな彼を眺めながら、あやめはニィッと口角を上げて笑みを浮かべた。しかしそれに反して、小林を見つめるその目はまったく笑っていなかった。

 そしてその表情のまま、あやめはこう言った。

 

「なので、当時の“関係者”にお越し頂きましょう」

 

 ばばばばばばばばばばばばばばばばばりいいいいいいぃぃぃぃぃぃん!

 

 その瞬間、部屋の窓ガラスが一斉に割れ、その破片がまるで雨のように部屋中に降り注いだ。

 

「うわぁっ!」

「きゃっ!」

 

 月明かりを反射するガラスの破片が部屋を舞うその光景はとても綺麗だったが、実際に部屋の中にいる清音と春は堪ったものではない。2人は大きく目を見開いて悲鳴をあげながら、時々学校で行われる避難訓練よりも素早い動きで机の下へと逃げ込んだ。

 

「な、何だ!」

 

 一方小林は突然の出来事に体が完全に硬直してしまい、咄嗟にその場から逃げ出すことができなかった。自分に迫ってくるガラスの破片に、彼の足はまるで床に貼りついたように動かず、彼は自分の顔を腕で覆うことが精一杯だった。

 

「うぐ――!」

 

 その結果、彼は自分の体のあちこちに痛みが走るのを自覚しながら、背中から床に倒れ込んだ。そんな彼にも容赦することなく、ガラスの破片は次々と襲い掛かってくる。

 時間にして数秒ほどでガラスの破片は全て床に散らばり、部屋に再び静寂が戻った。

 いや、正確には完全な静寂ではなかった。

 

「ぐ……あ……ぁ……」

 

 教卓のすぐ傍で転がる小林の衣服はあちこちが裂け、そこから覗く肌には痛々しい赤い線がくっきりと刻まれていた。そこから流れる赤い液体が衣服を同じ色に染め上げ、彼は額に脂汗を浮かべて苦しそうに呻いている。

 そんな彼に視線を遣りながら、清音と春がそろそろと机の下から這い出てきた。彼女達は机に守られていたため、その体には傷1つついていなかった。

 そしてガラスが割れた瞬間から1歩も動いていないはずのあやめは、その身を守るものを何1つ持っていないにも拘わらず、どこにも怪我をしている様子は無かった。さらには床中を埋め尽くすように散らばっているガラスの破片が、なぜか彼女の足元だけには落ちていなかった。

 と、そのとき、

 

「――あやめっ! あれっ!」

 

 清音の悲痛な叫び声に、隣にいた春と床に転がる小林が彼女の指差す方へと視線を向けた。

 

「きゃっ――!」

「ひぃっ――!」

 

 そして次の瞬間、2人の口から悲鳴が漏れた。

 あやめも2人から1拍遅れて、そちらへと視線を向けた。しかし彼女は悲鳴をあげることなく、むしろ待ち人がやって来たのを喜ぶように口元にうっすらと笑みを浮かべていた。

 

 4人の視線の先にいたのは、背が低く腰に届くほどに長い茶髪をもつ、少し虚ろな目をした少女だった。月明かりの届かない影の中にも拘わらず、その体は青白く光っている。

 当然ながら、清音達が教室にいたとき、こんな少女はいなかった。

 

「……城田、朱菜」

 

 小林の呟きに、朱菜と呼ばれたその少女はフッと視線を彼へと向けた。


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