除霊師・安倍あやめの非日常的日常譚   作:ゆうと00

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迷惑な人々(3/5)

 それから、およそ1週間後。

 

「うーん……」

 

 北戸中学校の2年4組にて、眉間に深い皺を寄せて思い悩む清音の姿があった。彼女の右手には1枚の紙が握られ、彼女はそれを険しい表情でじっと見つめている。

 その紙の正体は、先程の授業で教師から返された、数学の小テストである。元々は小林が作っていたものだったが、当の本人が完成前に“一身上の都合”で長期休暇に入ってしまったため、急遽他の教師によって作られたという裏事情があったりする。

 

「くそぉ、テストごと懲らしめてくれれば良かったのに」

 

 清音はそんな意味不明なことを呟きながら、苛々をぶつけるように自分の頭をガシガシと乱暴に掻いた。

 

「清音、テストどうだった?」

 

 そんな彼女の後ろから顔を出してきた春が、彼女の背中越しに彼女のテストを覗き込んだ。名前の記入欄の横に書かれた数字を見て、春は思わず目を丸くする。

 

「……清音、35点はさすがにまずいって」

「う、うるさい! ほ、他の人だって悪かったに決まってるよ!」

「……さっき先生が言ってたでしょ。今回の平均点、70点だよ」

「え、嘘!」

 

 清音は驚きの表情を浮かべてそう叫ぶと、隣の席にいるあやめへと勢いよく顔を向けた。

 

「あやめ! さっきのテスト何点だった!」

「95点ですけど」

「えぇっ! は、春は?」

「私は88点」

「…………、おぅ」

 

 現実を受け入れたくなかったのか、清音は変な声をあげて机に突っ伏してしまった。

 そんな彼女の姿に、春が苦笑いを浮かべて彼女の頭を撫でる。

 

「……まぁ、清音。次のテスト頑張れば良いじゃん」

「そんなこと言われても、どう頑張れば良いのか分かんないよ……。――あやめ、ずばり数学の攻略法は?」

「ひたすら問題を解いて、解答のパターンを憶えることですね」

「地道にコツコツなんて、私が一番苦手なやつじゃん……」

 

 そのまま潜り込みそうな勢いで、清音は机に自分の顔を擦りつけていく。

 あやめはそんな彼女の姿に溜息をつくと、何と無しに教室の入口へと目を遣った。

 顔と上半身の一部だけを覗かせて、こちらを覗き込む明の姿があった。

 

「…………」

「えっと……、ども……」

 

 乾いた笑い声をあげて、明が気まずそうに軽く手を振る。

 

「…………」

 

 しかしあやめは一切口を開くことなく、睨みつけるその目を一切緩めることはなかった。

 すると明は、こほん、とわざとらしく咳払いを一つして、

 

「ちょっと、話があるんだけどさ……、ここじゃ何だから、別のところで良い?」

「…………」

 

 彼の誘いにあからさまな警戒心を見せるあやめだったが、とりあえず話を聞く気になったのか黙って席を立った。もちろんその様子を清音達も見ていたが、昨日の脅しがまだ効いているのか、2人に割り込むような真似はしなかった。

 明が歩き出し、あやめが後ろからついていく。

 周りの女子達の、嫉妬や怒りの入り混じった視線を感じながら。

 

 

 *         *         *

 

 

 明が足を止めたのは、3階と屋上を繋ぐ階段を昇りきった先にある踊り場だった。掃除用具の入ったロッカーと屋上へ続く扉しかないそこは、近づく者がいれば足音と気配ですぐに分かる、まさに内緒話をするには打って付けの場所だった。

 ここに到着するまで一度も振り返らず、じっと前だけを向いて歩いていた明が、ここでようやく振り返ってあやめへと向き直った。ここに来るまで一度も口を開かなかったあやめも、まっすぐ彼を見つめ返すことでそれに応える。

 互いの顔を見つめるその光景は、1週間前の告白劇を彷彿とさせる。

 そして、明がなかなか話を切り出さないのも、1週間前と同じだった。

 

「それで、話とは何ですか? 次の授業があるので、早くしてほしいのですが」

 

 痺れを切らしたあやめが問い質すと、明は「あ、ごめん……」と呟き、それでも尚あやめから視線を逸らして口籠もったままだった。

 しかし、待たされてるあやめは口を挟もうとはしなかった。彼の表情が、1週間前の告白劇のときよりも真剣だったからである。

 やがて、意を決したように明が顔を上げて口を開いた。

 

「安倍さんってさ、“除霊師”ってのをやってるんだよね……?」

 

 その瞬間、あやめの両目が細くなった。

 

「……その話は、どなたから聞いたのですか?」

「え? その、松山さんから……」

「まったく、あの人は……。そういうことは、あんまり言い触らさないでほしいんですけどね……」

 

 ぼそりと呟いたその言葉には、明らかに怒気が含まれていた。自分が怒られたわけでもないのにビクッと肩を震わせる明に、あやめは「すみません、こちらの話です」と小さく頭を下げた。

 

「それで、それがどうしましたか?」

「え、えっと……。ほ、他にも松山さんから、色々と聞いたんだ……。学校の幽霊のこととか、コバセンのこととか……」

「……そうですか。それで?」

 

 あやめがそう尋ねると、明が突然ガバリと頭を下げた。腰が直角に折れ曲がるほどの、実に見事なまでに深々としたお辞儀である。

 

「お願いです! 俺に除霊の仕方を教えてください!」

「……はい?」

 

 ポカンと開いた口を隠そうともせず、あやめは彼をじっと見つめた。頭を下げ続けているため、彼の表情を窺い知ることができない。

 やがて明は顔を上げ、話し始めた。

 

「この前街で偶然会ったときにも話したけど、俺、小さい頃から幽霊が見えてたんだ。友達とかは幽霊を怖いものだって思ってたけど、俺は昔からよく知ってるものだったから、特に怖いとも思わずによく話し掛けてたんだ」

「…………」

 

 あやめは無言のままだったが、続きを促してると受け取った明は再び口を開く。

 

「向こうも話し掛けられるのが珍しかったみたいでさ、嬉しそうに話し相手になってくれたんだ。ひょっとしたら小学校に通うまでは、人間よりも幽霊と一緒に過ごしてる時間の方が多かったかもしれないな。小学生になると周りの目が気になって幽霊と過ごす時間が減ったけど、それでも幽霊に話し掛けるのは止めなかった」

「…………」

「だから分かるんだ、あいつらの気持ちが。――みんな寂しくて、苦しくて、辛くて、助けを求めてた」

「…………」

 

 あやめはその表情を一切変えることなく、黙って明の話を聞いている。

 

「だけど俺じゃ、あいつらを助けてあげられなかった。幽霊が見えるといっても、所詮俺のできることなんて話を聞いてやるくらいだけだったし」

「……それで、私に除霊を教わりたいと?」

 

 あやめの問いに、明は首を縦に振った。

 

「除霊って、この世に留まっている幽霊をあの世に送ってあげることだよね? それができるようになれば、俺もあいつらを助けてあげられると思うんだ。それに……」

「それに?」

 

 あやめが首をがしげて尋ねるが、明はなかなか答えようとしない。先程までまっすぐ彼女を見つめていたのに、急に顔を紅く染めてチラチラと視線を泳がせている。

 そして、

 

「安倍さんを手伝えるかな、て……」

 

 やがて明は、顔を俯かせてポツリとそう呟いた。

 それに対するあやめの返事は、

 

「…………」

 

 これだった。

 しばらくの間、沈黙が2人を包み込んだ。明がチラチラとあやめの様子を伺うが、彼女は目を閉じたまま口を開こうとも動き出そうともしない。

 やがて、そろそろ次の授業の時間じゃないか、と明が心配になってきたそのとき、

 

「佐久間さんの言いたいことは分かりました。――それでは」

 

 あやめはそれだけ言うと、クルリと明に背を向けて階段を降り始めた。

 明が慌てた様子で「待って!」と彼女の背中に呼び掛けた。

 

「な、なんで認めてくれないの!」

「この前も話したじゃないですか、下手に素人が関わると危険だって」

「も、もちろん教わってすぐに実行しようとは思ってないよ! ちゃんと安倍さんの指導を受けて、しっかり腕を磨いてから――」

「そういうことじゃないんですよ。それに、どうしてわざわざ私が指導しなきゃいけないんですか? 私こう見えても、結構忙しいんですよ」

 

 あやめが再び歩き出した。階段に足を掛け、1段1段ゆっくりと下りていく。

 と、そのとき、

 

「俺、練習したんだ!」

「――――練習?」

 

 明の言葉に、あやめは足を止めて振り返った。その表情は、胡散臭さを隠そうともしていない。

 

「そ、そう! 松山さんの話だと、安倍さんは除霊をするとき、何か術みたいなのを使ってたんだよね! 金縛りみたいに誰かを動けなくする、みたいな!」

「ええ、確かにそうですが。まさか、それが使えるようになったとか言うつもりではないですよね?」

「た、確かにそこまではできなかったけど……。この1週間、色々と考えてたんだ。同じように幽霊が見える俺だったら、安倍さんみたいな術を使うための“力”が備わってるんじゃないかって」

 

 明はそう言うと目を瞑り、右手をスッと前に差し出した。掌を上へ向けると、意識を落ち着かせるためか何回も深呼吸をする。

 始めは半信半疑でそれを眺めていたあやめも、次第に真剣な眼差しへと変わっていく。

 そして、

 

 ――こぅっ。

 

 明の手がほんのりと、しかしハッキリと青白く光った。それはまさしく、あの夜にあやめが術を行使するときに見せていたあの光だった。

 

「…………」

 

 しかしあやめは特に口を開くこともなく、ただじっとその光景を眺めているだけだった。しかし明には、手が光った瞬間に彼女の目がほんの少し見開かれたように見えた。

 そうこうしている内に、光がフッと消えた。時間にして数秒ほどだったが、彼の額には球のような汗が浮かび、ハァハァと息を乱して肩を上下させている。どうやら光を維持するためには、かなりの集中力が必要のようだ。

 明は袖で額を乱暴に拭うと、あやめへ向き直ってニコッと笑ってみせた。

 

「どう、安倍さん? 独学でこれだけ使えるようになったんだから、術の使い方さえちゃんと教えてくれれば、俺でも安倍さんの手伝いくらいは――」

 

 ペラペラと喋っていた明だったが、突然自分に向かって右手をかざしてきたあやめによってそれは遮られた。

 明は自然と、彼女の右手に注目する。

 そして、まったく無表情のまま、あやめは手を軽く握って、開いた。

 

 ごおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお――!

 

「―――!」

 

 あやめの手が青白く光った。いや、輝いた。

 それは炎のように激しく、太陽のように強烈だった。その眩しさに、明は思わず腕で自分の目を庇うほどだった。

 それと同時に、あやめの立つ場所から爆風が吹き荒れた。明が腰を落として立っているのがやっとという風の中を、彼女はその長い髪をバタバタと靡かせながらも、眉1つ動かすことなく平然と直立している。

 そして唐突に、風が止んだ。あやめの掌にあった光が、いつの間にか消えていた。あれほど騒がしかった踊り場が、途端に静かになる。

 まるで先程の出来事は幻だったんじゃないかと疑うほどの変わりように、明はポカンと口を開けてあやめを見つめていた。

 そしてそんな彼に、あやめは、

 

「これくらいできなきゃ、術は教えられませんね。――それでは」

 

 冷たく言い放ち、再び踵を返して階段を降りていこうとする。

 

「…………、ま、待って!」

 

 しかしそれでも、明は諦めなかった。背後から呼び掛けられた声に、あやめはゆっくりとした動きで振り返った。その表情には、いい加減にしてほしいという呆れの感情がありありと見て取れた。

 

「今度は何ですか……」

「お、俺が力不足なのは分かったけどさ! それでも、あいつらを助けてやれる力が目の前にあるのに、あいつらを助けてあげられないなんて辛いんだ! 何かこう、上達するためのヒントみたいなものって無いかな?」

「……素人が関わるな、と何度も言っているつもりですが」

「頼む! この通り!」

 

 明はそう言うと、再び腰が直角に曲がるほどに深く頭を下げた。傍目には必死に頼み込んでいるように見えるが、あやめにとっては、了承の返事以外は一切聞き入れないという意思表示のようにも感じた。

 あやめは大きな溜息を吐くと、

 

「清音さんから“あの夜”の話を聞いているなら、その幽霊がガラスを割って襲い掛かってきたことも、当然聞いていますよね?」

「う、うん」

「それは一般的には“ポルターガイスト”と呼ばれるもので、一切手を触れることなく物を動かしたりする心霊現象です。除霊師の術にも、似たようなものがあります」

「うん……」

「では、除霊師の術など学んでいないはずの彼女が、なぜそれを使えたのでしょうか?」

「それは……」

 

 顎に手を当てて考え込む明だったが、いくら考えても答えが出てこなかった。

 降参の意を込めてあやめへと視線を向けると、

 

「それだけ、彼女の“想い”が強かったんですよ」

「“想い”……?」

「そう。彼女は小林先生に対して、並々ならぬ恨みを抱えていました。それが結果的に、そのような現象を起こす原動力になったんです。たとえ恨みという負の感情だとしても、想いは想いですからね」

「想いが、原動力に……?」

「後は、自分で考えてください」

 

 あやめはそう言い残して、階段を降りていった。

 やがて彼女の姿が見えなくなり、踊り場には明1人だけが取り残される。

 

「……想い、か……」

 

 授業開始の時間を知らせるチャイムが鳴り響いた後も、彼はそこから動く様子もなく、ポツリとそんなことを呟いた。

 

 

 *         *         *

 

 

「まったく、何してるんでしょうね……」

 

 忙しなく廊下を走り教室へと駆け込む生徒達の喧騒に紛れて、あやめはふとそんな言葉を漏らした。誰に対する言葉なのかは、言った本人しか知り得ない。

 そしてあやめは、先程の出来事を思い返していた。

 

 先程はあんな意地悪な対応をした彼女だったが、正直なところ明の芸当は、除霊師である彼女から見ても目を見張るものだった。1週間で、しかも専門の知識を一切持たずに独学であそこまで霊力を操れる時点で、彼に除霊師としての才能があると認めざるを得ないだろう。それとも認めるべきは、彼自身の“想い”の強さだろうか。

 しかもあやめの見たところ、彼の持つ霊力の高さもかなりのものだ。もしちゃんとした訓練を受ければ、ひょっとしたら優秀な除霊師になれるかもしれない。

 なのであやめは、明に対してそのことを正直に打ち明けても良かった。

 

 たった1つの“懸念”さえ無ければ。

 

「…………」

 

 ふと、あやめの脳裏に彼の姿が過ぎった。

 自分の力になりたいと言ったときの、彼の真剣な表情が。

 

「まったく、迷惑な……」

 

 ポツリと、あやめは忌々しげに呟いた。


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