PSO2外伝 絆と夢の協奏曲〈コンツェルト〉   作:矢代大介

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#9 現れし仇敵

 赤。

 中空を飛び散る鮮やかな赤が、俺の視界を埋める。

 

 

「ぇ――――」

 

 声。

 理解不能な現象を体験し、呆然とした、驚愕に満ちた声が、俺の耳を打つ。

 

 臭い。

 急速にあたりを埋め尽くしていく鉄のような臭いが、俺の鼻を突く。

 

 

 

 そして、一瞬だけ世界が止まったかのように錯覚した、次の瞬間。

 どさり、と言う音を立てて、フィルの身体が力なく地面へと頽れた。

 

「――――フィルっ!!!」

 

 叫びから一泊遅れて、ようやく身体は脳からの命令を受け取って、彼女の元へと走り出す。ほんの数メートルもないはずの間が、俺にはまるで何百メートルも遠くに居る人間のところへと走っていくように感じた。

 時間にして数秒も経たずに、俺はフィルの元へと駆け寄り、倒れた彼女を抱きあげる。腹のあたりから飛び出た遺物は、形状から見るに、結晶体で象られた剣とみて間違いない。似たような物体であるフォトンブレードとの大きな相違点は、その結晶体そのものが、まるで闇を凝縮したかのような、黒紫色に輝いていたことだった。

 急いで治療しなければ――と思った瞬間、黒紫の水晶剣はかすかな破砕音を鳴らして粉々に砕け散る。直後、傷口を埋めていた大きな物体がなくなった影響で、彼女の腹からは夥しい量の血液が流れ始めた。ボタボタ、ビチャビチャと音を鳴らして滴り落ちる血の赤で、纏っていたサウザンドリムのスーツもどす黒い赤に染まっていく。

 

(出血が酷い! この状態じゃメイトは飲めないし、レスタでも治せる傷の大きさには

限界がある――――なら!)

 

 血液が帯びる鉄のような臭気が満ちていく中で、彼女の容体から最善の対応策をはじき出す。傷を刺激しないよう、なるべくそっとフィルを横たわらせてから、俺はすぐさまアイテムパックの中身を改め、一つのアイテムを現出させた。

 

「ぁ、か、はっ」

「喋るな! 大丈夫、すぐに治す!」

 

 何事かを口走ろうとしたフィルを口先だけで制止して、俺は手にしたアイテム――淡い緑色に光り輝く、正八面体に整えられた水晶、その先端部分に設けられた、水晶を割るための部分を、指の腹で押し割る。

 瞬間、割り砕かれた水晶の戦端からは、白緑色に発光するフォトンの粒子が、まるで噴水のように吹き上がった。そのまま勢いよく天へと上がり、周辺へと降り注ぐそれを空へと放り投げると、手で押さえられていた部分にも無数の亀裂が入り、結晶体ははかなく砕ける。微細な粒子へと変わっていくと同時に、その中に圧縮して詰め込まれていたフォトンの粒子もまた、押し込めるための器を失ったことで、嵐のように周辺へとまき散らされた。

 ――いかに傷を治癒できるメイトと言うアイテムがあったところで、それを負傷者が使えなければ意味がない。加えて、重篤な怪我人がいる状況下においては、治療用テクニックとして多くのアークスが恩恵を受けるレスタであっても、その効力は十全に発揮できない物だ。よしんば効力を発揮したとしても、それは重症の患者にとっては焼け石に水と言ってもいい。

 ならばそのまま怪我人を放っておくのかと言えば、それは否。こういった状況の為、アークス研究部の手によって開発されたアイテムが存在するのだ。

 如何なる状況下においても、膨大な量の治癒フォトンを放つことにより、フォトンを浴びたものの自己再生能力を爆発的に強化。たちどころに傷を塞ぎ、戦闘可能なレベルにまで回復させるというアイテム――それが、先ほど俺が使った緑色の正八面体水晶、こと「ムーンアトマイザー」だ。その促進力は使い方を間違えれば危険なレベルとも言われており、ある例においては失った四肢の一つですら再生してのけた、という逸話さえも残っている、アークスの医療技術が詰まった結晶とも呼べる代物である。

 もっとも、あくまでできることは傷の治療と、再生力を促進することによる戦闘可能レベルまでの回復。身体から漏れ出た血を戻すことはできないし、傷を負うことによって生まれた心身へのダメージを回復することは不可能。加えて、回復できるのはあくまで「最低限」戦闘ができるところまでであるため、状況によってはそのまま回復を重ねる必要があったり、受けた傷の場合によっては、負傷者を連れて撤退しなければならなかったりするため、一概に万能アイテムとは呼び難い。しかし今回のように、一歩間違えれば死ぬこともありうる重傷を負った場合の応急処置としては、これ以上ない効果を上げてくれるのだ。

 フィルの負った大きな傷は、粉雪のように舞い散る薄緑のフォトンが付着していくとともに、淡い光を放ってわずかずつ、しかし確実に塞がっていく。傷口が塞がっていく過程を早回ししているような、見慣れていても少々の違和感を覚える光景を見ながら、俺は改めて周辺へと視界を飛ばした。

 先ほどの攻撃は、間違いなく人為的な攻撃。突き刺さった角度と、飛来した方向から鑑みても、俺たちと同じ地面に立っている者による攻撃なのは間違いなかった。

 しかし、周辺を見回しても、そこにあるのは鮮烈な赤と空虚な黒で彩られた、異形の空間が織りなす不気味な風景のみ。違うものと言えば、先刻倒れた少女の作った血だまりが地面に広がっているだけだ。

 何者の攻撃かわからない、という現状が、少しだけ俺の気持ちを急かす。原因を早く見つけなければ――と思う俺の耳に、一つの声が届いた。

 

「…………こ、ネクト、さん……」

 

 羽虫が鳴くような、そんなか細い声。出所が抱きかかえている少女の口だということは、何よりも明らかだった。

 

「っ――フィル、喋らなくていい! ……今動いたら、治した傷が広がって痕になる。すぐにシップに帰って治療してもらうから、今は無理に動くな!」

 

 俺の説得に耳を貸したらしいフィルだったが、頷きこそすれど、口を動かそうとするのをやめない。酷い失血によってうすらと隈を作りながらも、彼女の瞳はまるでなにか使命感に駆られているような、そんな光を持っていた。

 

「コネクト、さん……逃げて、くださ……ッ……ここ、は……ただの、ダーカーの、巣窟じゃ………………」

 

 そこまで言って、フィルのか細い身体から力が抜ける。かくり、と垂れ下がった頭をとっさに支えてから、俺はゆっくりと少女の身体を地面へと横たえた。

 もちろん、死んではいない。ムーンアトマイザーの効力は、一度心停止した人間であろうと蘇生するレベルであるため、腹に穴が開く程度の傷ならば容易く治療できるのだ。

 だが、このままの状態でいるのは非常に危険であることに変わりはない。倒れた彼女はしっかりとした設備で治療を行う必要がある重症なことに加え、この空間から脱出するための手立てもなければ、脱出するための糸口すらつかめていない状態。任意の場所からキャンプシップへと帰還するための小型転送装置として機能する「テレパイプ」も、座標の固定ができていないために、使用は不可能だ。

 どうするか――倒れたフィルの身体を抱きかかえたまま、打開策をはじき出そうと思案していた俺の耳に。

 

 

「――ほう、言葉通り、私の元へとやって来たか。その蛮勇を評価するぞ、矮小なヒトよ」

 

 まるで聞き覚えのない、重く低い男性の声が届いてきた。

 

「っ、誰だ!」

 

 声に反応して、はじかれたように顔を上げる。そうして俺はすぐ、目の前の空間中に悠然とたたずむ、その姿を見つけた。

 

 

 

 

 そのシルエットを一言で形容するなら、「翼を生やしたヒトガタ」だった。

 背中から伸びるのは、元々身に纏っていたのであろう物を千地に引き裂き、生えてきたものだとうかがえる、カマキリなどの昆虫が持つ腕を連想させる、六本三対の艶やかな黒紫色の翼。

 両手足にはめられた枷のようなリングから垂れさがっているのは、強引に断ち切られたことをうかがわせる、いびつな形状の鎖。

 全身を包み込むのは、アークスで採用されている物とは趣の異なる、しかしよく似通った特徴を持った、ロングコートを想起させる戦闘用のスーツ。

 不敵に笑む、少し老け込んだ青年のような顔立ちの男が持つ瞳は、周辺の空間を満たすそれとよく似た、黒みを帯びた赤。

 六枚三対の翼をばさりと羽ばたかせて、そいつ(・・・)は俺の目の前に悠然と降り立った。

 

 

「――――お前、は」

 

 その姿を、俺は知っている。 

 忘れはしない。忘れることなどできない。

 あの日、その場にあったすべてを壊し、全てを滅ぼした、強大な存在。

 あの日、生きとし生けるもの全てを殺しつくし、全ての命を奪い去った、凶悪な存在。

 あの日、俺の目の前で大切なものを奪い、俺の目の前で彼女を殺した、憎き存在。

 

 

 

 

「――――――――ドライ、ツェン」

 

 無意識のうちに動いた口が紡いだのは、一つのキーワード。

 

 目の前に悠然とたたずむ影の――憎き仇敵(ドライツェン)の、名前だった。

 

 

「……ほう、私の名を知る者だったか。あの日殺しつくしたと思ったが、因果なものだ」

 

 俺の放った呟きを耳ざとく聞き取ったらしいドライツェンが、クツクツと面白そうに嗤う。鋭利な翼を器用に折りたたみつつ、余裕を感じさせる緩慢な動きのままで、ドライツェンはこちらへと歩いてきた。

 

「な、ぜ……お前が、此処に!?」

 

 奴が全身から放つ、無音にして無形の強烈なプレッシャー。相対するだけでこの身を千地に引き裂かれてしまいそうなそれを受けて、俺は横たえていたフィルを抱きかかえながら後ずさる。

 ドライツェン。正式な呼称コードは「マークドライツェン」。

 かつてアークス内で計画されていたと言われている、「アークスに代わる新たな戦闘用の生体兵器」として開発された固体にして、俺の故郷である惑星ロビニアクスに生きるモノすべてを狩りつくした、因縁の仇敵。それがなぜ、ダーカーの巣窟に居るのか、急な展開についていけない俺の頭で理解することは叶わなかった。

 

「何故? 何故、か――私の名を知るのならば、私の成り立ちも、たどるべき末路も、知りえているだろう?」

 

 相対するドライツェンの表情は、どこかこちらを嘲り見下すような、酷く冷酷な表情。言葉尻から察するに、俺のことを何かしらの関係者だと勘違いしていると見て間違いないだろう。最も、関係者という括りで語るのならば、俺とて関係者の一人であることには相違ないのだが。

 

「まぁ、いい。私の目的はそこなる器にあって、手慰みに貴様を殺すことではないからな」

 

 なおも冷たい表情のままで続けるドライツェンが、ゆらりと片手を頭上に掲げる。直後、まるでダーカーのような赤黒いフォトンがその手の先に集束し、瞬きの間に黒紫色の結晶を――先ほどフィルを背中から貫いた、あの結晶剣が形成された。

 

「――ッ!!」

 

 攻撃の為の武器。それを取り出した理由に直感で思い当たってから、ようやく後ずさって固まっていた俺の体が動く。とっさに現出させた大剣――翼を象ったようなフォトン刃を持ち、数ある武装の中でも特にズバ抜けたフォトン出力が大きな特徴であるソード「リンドクレイ」を片手で振るい、済んでのところで振り下ろされた黒紫色の凶刃を受け止める。

 

「くっ……!」

「その刃を引け、アークス。その器を渡せば、私に楯突いたことを赦してやるぞ?」

 

 上から振るわれたものを受け止めた形ではあれど、お互いに片手で振るっていた。にもかかわらず、その刃は巨大な鉄塊のように重く、ほんの少しでも力を緩めれば、受け止めるリンドクレイごしに、俺たちまで叩き切られてしまいそうなそれを、全力をかけて押し留める。

 

「誰、がっ……引くか、よッ!!」

 

 フィルの体を再び、極力ゆっくりと横たえてから、俺は両手でリンドクレイを握りしめて、一気に力を籠めた。剣戟こそ想定をはるかに超える重さだったが、結晶剣そのものはそれほどの重量でもない。なので、全力で押せば立ち上がることは容易だったのは、不幸中の幸いだった。

 

「おぉあッ!!」

 

 裂帛の気合を込めて、ドライツェンの結晶剣を斬り払う。甲高い金属音を響かせながら後退するドライツェンの表情は、俺に対する苛立ちと下等生物に対する侮蔑で、複雑に歪んでいた。

 

「――ほう、あくまで抗するか」

 

 音もなく空中を滑りながら、一段とトーンを落とした低い声で、ドライツェンが忌々しげにつぶやく。かと思えば、その周囲ではパキパキと音を立てながら、ドライツェンが携えていた結晶剣が出現。奴の背後で、後光を描くかのようなフォーメーションを形成した。

 相対する俺は改めて立ち上がり、握りしめたリンドクレイを眼前に構える。その金の瞳が見据えるのはただひとつ、剣を振るえば届くような距離に居る、仇敵。

 

「……ずっと、お前を追い続けた」

 

 意図せず、静かに口をついて出るのは、胸のうちに去来する過去の片鱗に感化された、言葉。

 

「あの日、何もかもを奪われた。お前が、奪っていった」

 

 振り返れば、まるで昨日の出来事のように思い出される、懐かしい人たちの笑顔と、楽しげな喧騒。

 

「強くなった。いつかお前と出会った時の為に」

 

 意識すれば自然に生まれ出で、胸の内を痛烈に焦がすのは、あの時の絶望と、奴に対して抱いた憤怒の炎。

 

「絶対に、みんなの、故郷の、あの子の仇を取る。あの日、そう誓ったんだ」

 

 目を閉じれば鮮やかによみがえる、他の誰でもない、あの子の笑顔。

 ――動けなかった俺の目の前で、抗うすべもなく殺された、あの子の笑顔。 

 

 

 

「お前は」

 

 ザリッ、と言う音と共に、この足が異形の大地を踏み鳴らして。

 

「俺の手で」

 

 風を切って振るわれたリンドクレイに、嵐のようなフォトンの奔流が宿って。

 

 

「倒すッ!!!」

 

 そうして俺は、青白く光り輝く一筋の流星となり、ドライツェンめがけて突撃した。


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