突然のことというのはさとり妖怪であろうがなかろうが誰しも驚くものである。その驚きが表にでなるか出ないかは別としてですけれど。
靈夜の引退と同時にその後を継ぐ事になった現巫女にいきなり抱きつかれた。
「……えっと…」
どうしていいかわからず困惑している私の横で少し笑っている紫。
どうやら彼女が指示でもしたのだろうか。
「初めまして!
ああ…そうか。元からこの子はそういう性格なのですね。まだ幼さの残る笑顔で私から離れる彼女。くるりと一回転すれば、椿の花の香りが僅かに鼻を擽る。
「古明地さとりです。少しの合間ですがよろしくお願いします」
齢12歳、巫女として活動するには若すぎる。この年齢だとまだ弟子として技術や実戦のノウハウを学んでいるはずなのだ。だけれど靈夜が修行に入ってしまったためにそれらが圧倒的に不足している。
というか実戦経験無しときた。
それにこの幼さではまだ体力や知識も足りないし家事全般にも不安が残る。
「それじゃあ、よろしくねさとり」
「分かりました」
華恋が着ているのと形だけは同じ巫女服を翻し彼女の元へ行く。後ろで紫が隙間を閉じる気配がして…妖艶な気の流れが完全に断ち切られる。
神社の中では私は普通の人間と変わらない。
それに妖怪と人間とでは価値観すら違う。そのせいなのかなんなのか…話すことが出来ない。
妖怪である私は寝ているはずなのに……ああそうか……そういえば私は会話がほとんどないような存在でしたね。
私という人格が半分寝てしまえば…それも会話が得意になっていた方を寝かしてしまったらそうなるものですね。
後悔なんてしていない。
だけれど後ろをついてくる戦友となる存在がずっと無言のままでは彼女も辛いだろう。そんなことは分かっているのだ。
しかし考えても彼女になんていえばいいのか分からない。
「あの……」
神社に入り一息ついたところで彼女の方から声をかけて来た。
「……?」
何か言おうとしてどうしても言葉が出ない。やはり妖怪とばれるのを覚悟で私を叩き起こした方が良いでしょうか…これが靈夜や廻霊さんなら起こしっぱなしでも問題ないのですけれど…
首を傾げた私に華恋は言葉をつなげる。
「さとりさんはどうして巫女をやる事にしたのですか?」
一瞬何を言われているのか理解できなかったが、そういえば今の私の服装は彼女と形だけは同じ巫女服だったと思い出す。
そして私の経歴も人間の巫女だと言うことも……
まあ……妖力を下手に使えばバレてしまうから巫女といっても戦闘では力のない人間と同じ戦い方をしなければならないのですけれどね。
その点で言えば私はただの人間。それがなぜこのような危険な仕事をしているのか…気になるのだろう。なにせ私は神力が使えないから巫女らしい事は何にも出来ないのだ。
「何ででしょうね……」
「分からないの?」
「いえ…結局私が出した答えは私の行動の結果でしかなく、その行動における解釈は人の数だけあるのですから私自身に答えを聞いても貴方が求める答えにはならないと言いたいだけです」
「……?全然分からない」
まあ…まだ12歳。まだまだ子供なのだ。だけれど子供だからといって私は対応を変えるわけにはいかない。
「そのうち分かるかもしれませんよ?」
そもそも貴女を育てるために巫女のフリしてますなんて言えるはず無いです。
「まあいいや!これからよろしくね!」
「ええ、ですが…まずは……」
時間的にそろそろ昼食だろう。朝は確か紫の家でご馳走になっているはずですから……軽くでいいでしょうか。
「ご飯⁈さとりさんはご飯作れるの!」
「ええ、ですが、いずれは貴女も作れるようになってもらわないとですよ」
自炊できないとか致命的ですからね。
まあ…まだ幼いのだからいきなり全部というわけにはいかない。
先ずはお米の研ぎ方とか炊き方とかですかね。
「私も作れるように……」
「ええ、ですからまずはお米の炊き方を覚えましょうか」
「……ヒッ」
あれ?どうして逃げるんですか?怖くないですよ。ただのお米の炊き方じゃないですか。勿論火をつけるところから始めますけれどね。
火を起こせない?貴女は力を持っているでしょう。それを使えば普通の人間より遥かに楽に出来ますよ。
ええ、勿論普通に火を起こす方法もお覚えてもらいますけれどね。
だからほら、台所に行きますよ。嫌がっても仕方がないですよ。
その後昼食の時間が少し遅くなってしまったけれど、問題は大して無いはずだ。ええ…なんかご飯の時凄く美味しいって涙流しながら喜んでたくらいですけれど。
構えた木刀の前に、華恋の姿が現れる。その姿は地面に足をつけず、天狗のように空をかける少女の姿……だがその顔には驚愕が生まれている。
後ろを取ったとでも思っているのでしょうね。
まあ、実際後ろを取られましたよ?
ですが、…甘いです。
木刀を横に振り側面で彼女の体を軽く叩く。
大したダメージは入らないし痛くも無いだろうけど、大きくバランスを崩す。
バランスを崩しながらも私に対してお祓い棒を向けてくる。だがその狙いは既に私を捉えてはいない。
腕を掴み勢いに乗せて叩き落とす。
そのまま腕を回し動きを封じる。
「はい、負けです」
「はあ……はあ……勝てないよお」
本当にこれで大丈夫なのか心配です。まあ仕方がないでしょうね。そもそも今まで戦ったことなんてない少女にいきなり戦うなんてことが出来るはずがない。だけれど運命は非情にもこの子を戦いに放り込んだ。
「私に勝てないようじゃ誰にも勝てませんよ」
「うう……」
それでも筋は悪くない。背後からの奇襲に能力を利用した立体機動戦。うまく活用できれば……
「まあ……筋は悪くないので頑張れば貴女は強くなれますよ」
「……なれなかったら?」
「させますのでご安心ください」
なれないなんて選択肢はないですからね。
やっぱり怯えられた。解せぬ。
「まあ…稽古は一旦やめておやつにでもしましょうか」
1日2日で強くなれるなんて思っていないですし…まずは現状どの位置にあなたが居るのかが分かっただけでも良いです。
「おやつ!おやつくれるの⁈」
「ええ、疲れてる状態では効率的な修行は出来ませんからね」
神社に戻り保存庫からおやつを取り出してくる。まだまだ食べ盛りの子供なのだから沢山食べて損はない。というか食べてもらわないと困る。体が強くないと巫女なんて務まらないですしね。
「はい……」
私が作ったのだけれど…口に会うかしら?
「見たことない食べ物ですけれど…何ですかこれ?」
やっぱり聞いて来ますよね。ただのクッキーですよ。この時代にはまだ無いものですけれど……似たようなものならあったはずですよ。
「ただのお菓子…食べてみれば分かりますよ」
不思議そうに見ていた少女は、鼻をくすぐる甘い匂いに負けたのか。一つ口にする。
その瞬間彼女の顔に笑顔が灯る。
どうやら気に入ったようです。
「なにこれ美味しい!」
「作った甲斐がありました」
「さとりさんって無表情で怖いけど…優しいんだね!」
グっ……純粋な言葉のナイフを突き立てて来やがりましたよ。何ですかこれ…悪意がない分かなり染みるんですけれど…しかも気にしていることを的確に……
「無表情で悪かったですね。表情筋が仕事しないだけです」
だがたとえ表情筋が仕事をしたところで私は感情をしっかり顔に出せたのだろうか。
考えてもわからない事ですね。やめましょう。
「あれ……この茶葉…紫さんの所の同じ……」
「ああ、紫からの貰い物ですからね」
鋭いですねえ…私は茶葉の違いなんて全くわからないのですけれど…ただ単純に私の舌がバカなだけでしょうか。
「そういえば、妖怪退治ってどうするんですか?」
おやつを食べ終えた華恋が思い出したかのように訪ねて来た。
妖怪退治と聞いて私の腕が少しだけ反応してしまった。
彼女にとっては当たり前だけれど私にとってそれは……
忘れましょう。既に今更です。
今までだって人間を助けるためという名目で妖怪の命を奪って来たのだ。
警告だってしたし殆どは命までは奪っていない。だけれど、殺そうとしてくる相手に手加減など出来ないしましてや家族が危険に晒されたらもうどうしようもない。
いくら綺麗事を言っても私は…人もヒトも殺した身なのだ。その罪を忘れてはいけない。
「さとりさん?大丈夫ですか?」
いけないいけない……思考が飛んでいました。
「なんでもないです。妖怪退治…とは言っても悪さをしている妖怪はいませんから今日は夕方の見回りだけですね」
もちろん彼女には空からの見回りをしてもらう。一応巫女なのだからそれくらいはできるだろう。
靈夜の教育が生きていればですけれど…
「それってさとりさんも行くのですか?」
「ええ、もちろん飛べないから貴女に万が一があっても助けられない時があるかもしれないけれど」
「それくらい私自身で守ってみます!」
よく言いました。それでこそ巫女です。
と言うわけで不足の自体に対処できなくても紫から消される心配は薄くなりました。まあ…対処できる出来ないじゃなくてするのがこちらの役目なのですけれどね。
「それじゃあ行きましょう!」
「流石に早すぎるわよ。ちょっとだけ力の使い方を練習してから行った方がいいわよ」
練習と言ってもお札を投げたり針をぶん投げたり弾幕を撃ったりとそれだけである。だけど非常時にそれが出来るか出来ないかで生き残れるかどうかが決まるのだ。
だから地道にではあるけれどこういうものをさせていく。だけど疲れてしまわないように軽くである。
そんなことをしていればいつのまにか日は傾き、周囲は赤く染め上げられていた。
「夕方ですからそろそろ行きましょうか」
「え?もうこんな時間ですか…夢中になっていて気づかなかった」
それじゃあ準備して……見回りしましょうか。華恋と共に神社の中に戻る。
私の荷物から用意しておいた武器を持ってくる。
結界の外でも極力妖力を出すことは出来ないから私は武器に頼るしか道がない。
とは言ってもそこまで重たいものでもダメ。
刀と、拳銃一丁で十分です。
「……見たことない武器ですね」
「ええ…私くらいしか使ってないんじゃないかしら」
この時代、既に銃は生まれているはずなのだけれど……
まあいいか。
空を飛ぶ華恋を追うように、木々を足場にして駆ける。
妖力は使わないというかこの場合の使い方を知らない。妖力量が少なかった頃からずっとやっていたものだから自然と妖力を使わない方法が体に染み付いている。
いくら人間と同じといってもバランスや運動神経は人妖関係なし。
この体が動きを覚えていて追従できるなら妖力を使わなくても出来るのだ。
「さとりさん早くないですか⁈」
貴女が低高度で飛んでるからですよ。私の目の届く範囲にいてくれるのは嬉しいのですけれどね。
それに木を足場にして飛ぶのは速度を遅くしてしまうと転落しやすいからあまり遅く出来ないんですよね。
そんなことを話しながら見回りをしていると、華恋がなにかを感じ取ったらしい。
急に進路を変えたのだ。
「どうかしましたか?」
「邪悪な気配を見つけたので…」
また大げさな…それはただの妖怪の気配です。悪意を持っているようにも思えませんよ。
それでも一応確認という事で私も後を追う。
ふと華恋が止まる。ここら辺のようですね。
えっと……あ、いましたいました。子供っぽい姿をしていますけれど…確かに妖気をまとっている。
でも悪意があるわけでもなく…どこかに向かっているのでしょうかね?
「あ!いました!」
遅れて見つけた彼女が大声を上げる。
そんなに大声出したら気づかれますよ…ああほら気付かれて逃げ出したじゃないですか。
「ちょっと追いかけちゃダメよ」
追いかけようとする華恋の首を素早く掴み動きを封じる。
「何でですか!」
敵意のない相手を無闇に襲ったらダメです。
それに、何か悪さをしているわけでもなくただそこにいたというだけで退治されたらたまったものじゃないでしょう。
「でも…もしかしたら他で襲ってるかもしれないですよ?」
「でしょうね…でもあの子からは血の匂いはしませんでしたからその可能性は低いわ」
「……どうして見逃すんですか?妖怪は全部退治しないといけないんじゃ……」
「勘違いしているようですけれど…妖怪の全てが悪って訳じゃないんですよ。それになりふり構わず退治して要らない恨みを買って復讐の連鎖が出来てしまう事の方が人間にも妖怪にも不利益です」
難しいかもしれないけれど…分かって欲しい。
「難しすぎて分からないです……」
「そのうち分かりますよ」
どちらかがどちらかを滅ぼそうとすれば、それは果てしない復讐の連鎖を生んでしまう。
幼い少女には酷いと思うけれど、極力悪意がない妖怪は見逃して欲しい。
……結局、私は恐れているのかもしれない。
「……分かった。我慢する」
それに妖怪を退治するのに面白いなんて感情を抱かせてしまってはいけない。特に幼子はそういう傾向が強い。誰かを傷つけ、命を弄ぶ事に面白みを感じてしまう。
それを叱って悪い事だと思わせないと、後々大変なことになってしまう。
「それにもしかしたら他で人間を襲おうとしている悪い妖怪がいるかもしれないわよ」
「分かった……」
しょんぼりしていたけれど数分もすれば機嫌を直したのか鼻歌を歌い始めた。
彼女もまだまだ子供なのだなと思ってしまう。
「紫……想像以上に大変な事でしたよ」
今更投げ出すわけにもいかないのですけれどね。
一瞬、空気の流れが変わった。
「……さとりさん」
「ええ…想像している通りよ」
振りまかれる殺意と急にし始めた血の匂い。どうやらここら辺で狩りをしている妖怪でしょうね。
足を止めた私の横に華恋が降りてくる。
「どうするんですか?」
「向こうが出てくるのを待ちます。戦闘準備をしておいてくださいね」
こういった妖怪を退治したり追っ払ったりするのが巫女の仕事ですよ。さっきみたいな弱いものいじめみたいなものとは違うんですからね。