天気というのは気まぐれだ。
あたいの容量不足なこの頭だってそんな事は分かっていた。
分かっていたけれどそれに気づいた時にはもう遅くて、でもまだなんとかなるんじゃないかって思っていた。
さとりもその事に気付いて手を打っていた。だけどそれでもどうしようもなかった。
数分前から東に向かって吹いていた風は北寄りに変わり船を大きく北上させた。
さとりが慌てた様子で舵を回していたけどいつの間にか周囲の天候は青空から蟻の巣を突いたかのような荒れ方を始めた。
そう言えばこの船…時速数百キロ近く出てたんだっけ。
天候が荒れればこの船だって巻き込まれる。
風が帆を叩く打ち付け船体が大きく揺さぶられる。
「お燐!早く帆を畳んで!」
「は…はいはい!」
返事をしたのはいいけど帆ってどうやって畳むんだろう?
やり方が全然分からない…でもこうしている合間にもどんどん船は流されてるし…
「もう……お燐、マストを根元から切り落として」
「え⁉︎でもそんなことしたら…」
もうこの船は風を受けて飛ぶ事はもう出来ない……
「大丈夫よ……」
あたいの心を読んださとりがそう言う。だけど嵐の奏でる轟音で何を言っているのか聞き取りづらい。
「もう幻想郷の近くに来ているはずよ」
「それって嵐に巻き込まれるの計算してます⁉︎」
「してないわよ」
あまりあてにならない。でもそろそろ幻想郷の近くって事は少なくとも日本には入っているわけだから…うん、なら大丈夫だね。
「それじゃあ切り落としますよ!」
「派手にやっていいわ」
派手にと言われても派手になんか出来ない。それに船の床が右に左に大きく揺れるのまるでなにかの箱の中で揺さぶられているようだ。
酔いそう…
そう考えたら急に酔いが回ってきた。
やばい……色々見せちゃ行けないものが出てきそう…
でも先にマストを壊さないと…
弾幕を作り出し、一番近くにあるマストの根元に向けて放つ。
だけど足場が安定しないし視界もフラフラ。そんな攻撃が当たるはずもなく、甲板を削ったりマストの一部を破壊するだけに止まってしまう。
「う…狙いがつけづらい」
それに無理に力を出すものだから余計酔ってきた…やばい…一旦退散。
お燐って船酔いしやすい体質だったのね…
結局お燐はトイレまで間に合わずに手すりから身を乗り出して何か出してる。
それが何なのかは聞きたくないし本人だって突っ込まないでほしいと思っているはずだ。
可哀想だけれど…こればかりはどうしようもない。
さっきよりも揺れが激しくなった船の上ではもうお燐の元に駆けつける事すら困難だ。
可哀想だけれど落ちない事を祈るしかないです。
っと…舵が持っていかれそうです。
元々操舵性の悪い船でしたから風に乗せて動かしてましたけどその風に今度は逆らわないと行けないなんて…
この船にとっては苦行ですね。
「きゃ!」
考え事をしていたら船自体が横に大きく傾く。
至る所で木の軋む音がして、たまに割れるような嫌な音が響く。
「まずいわ……」
お燐を待っていたら本格的に嵐に飲まれる…そうでなくても嵐に飲まれているのだから不味いです。
出すもの全部出して項垂れてるお燐の方にマストが倒れないようにここからマストを狙えるかと言ったら難しい。
でもやらないともうどうしようもない。
まずは一本目。2メートル前後の巨大な斧を妖力で再現させる。
「お燐、頭を上げないでね」
「さ、さとり?一体何を…」
構えた斧を思いっきり投げる。
見た目によらず破壊力は強大だ。
お燐の頭の上すれすれを通過して行った斧は私から見て一番手前にあるマストの根元を綺麗に切り裂いた。
日本刀で斬られる時より鈍く、太い音がして、数メートルもある巨大は柱が傾く。
左右に揺さぶられる船の上でそれは恐ろしいほど不安定な存在で、バランスを崩し倒れた。
傾いた甲板に傷と破片を残し、数メートルの巨体は甲板から滑り落ちる。
後2本…早めに済ませてしまわないと…
「さとり…後はあたいがやる」
ふらふらとした足取りのお燐がそう言う。
そんな体で大丈夫なのかすごく不安なのだけれど……でも貴女がやるたいのであれば良いわ。
「分かった…それじゃあ破壊して」
操舵輪をつかみ直す。それじゃあ、私は船を壊さないようにしますか。
舵など空を飛び始めてからほとんど使う事はなかったけど…そもそも使えるかどうかわからないけれど…大丈夫よね。
手を離せば直ぐに回転してしまう舵輪をしっかりと押さえつける。
時折船体が大きく傾き、お燐が切り倒したマストが船体を激しく壊して下に落ちていった。
「お燐…気をつけて」
すいませんと心の声が聞こえた瞬間、今度は最後のマストが船尾に向かって倒れてきた。
このままでは操舵している私が巻き込まれる。
咄嗟に舵を左に切り風に対して真横を向く。当然この巨体に吹き付ける風は船を押し流そうとして横っ腹を押し上げる。
船体が真横を向き、私のすぐ隣をマストの先端が掠めて行く。
衝撃、甲板の破片が飛び散り、傾いた船体から滑り落ちていく。
マストは一段上がっている後部を大きく抉り取っていったようだ。
「……まあ、良いですよね」
「お燐…私を押し潰したいの?」
いくら再生能力があってもあんなものに押しつぶされれば即死よ。
でもまあ、これで風に流される速度は遅くなった。
残ってるのは船尾の小さいマストと前方のもの……は紐がたるんでしまってもう使えないわね。
「……雨ね」
頬に冷たい水が当たりそれは次第に私やお燐を濡らしていく。
あっという間に強く降り出した雨。風も強くなってきたし嵐のど真ん中に飛び込んじゃったようね。
「さとり…寒いです」
「船内に戻ってなさい」
「そうします……あれ?」
お燐が何かに気づいたようだ。どうしたのだろう?
事情が事情なので今は勝手に心を読ませてもらう。
………成る程。高度が下がっているのね。
ん?待って……高度が下がっているって……
まさか!
術式が解けている⁉︎
「お燐!ちょっと操舵輪変わって!」
「あ…え?わ、わかりました」
お燐が操舵を変わったのを確認してすぐに船体後方に行く。
術をかけたのはここら辺。あの後魔法陣のようなものが浮かび上がっていたはずなのだけれど……
様子を見ればやはりというべきか何というべきか…術のあった甲板の半分が引きちぎられてしまっている。さっき倒れてきたマストが持って行ってしまったのだろう。
このままでは高度は上がらない。再度式をかけ直そうにも、今かけている術が完全に解けないとかける事はできないし残った分を破壊すれば一気に落下する。
下がどうなっているか分からないが…確実に落ちるだろう。
この嵐の中だ。飛んで逃げようにももう手遅れ。それに下手な場所に落ちれば被害は大きい。
すぐにお燐のところに戻る。
「お燐、この船はもう長く飛べないわ」
「え⁉︎じゃ…じゃあどうするんですか!」
仕方がないけれど…どこかに軟着させるしかないわ。
でもこんな嵐の中じゃ下手をすれば山肌に突っ込むかもしれないし……
「なるべく海か湖のようなところに降りれたらいいんだけれど……」
「そんな都合よくありますかねえ…」
暗さと豪雨でよく見えないが多分下は地面だ。
そう簡単な話ではない。
「ともかく、どこか安全におろせる場所じゃないと…」
「って言ってもほとんど山肌ですよね?」
平原なんて日本の地形からしてあまりない。多くは山…やっぱり何とかして湖に持っていければ…琵琶湖とか…諏訪湖とか…どこでもいいから。
そうしている合間にも高度は下がっていくし左右前後の揺れも大きくなっていってる。ビショビショね…もう服脱ぎたいわ。
「さとり!⁉︎何で服脱ごうとしてるの!」
濡れてるからよ。だめ?
「今そんな事してないで!いやああ!傾く!落ちる!落ちる!」
大丈夫よ。ちゃんと甲板に足つけてれば。滑るけどね。
まあ滑って落ちるほど弱くはないわよね。
「操舵変わって。お燐、適当に船の中にある毛布集めて包まっておきなさい」
「そ…それってどういう…」
「いいから行って」
お燐を船内に入れる。そろそろ地面が見えてくるはずだ。もうこの子も飛べないし…外にいて放り投げ出されるよりかは船内で毛布に包まれていた方が安全だ。万が一があったらだが…
速度はまだかなり出ている。このまま地面に着陸なんてしても衝撃でばらけるのがオチだ。
「あ…もしかしてあれって地面?」
まずいわ…もう時間がない。
すぐ近くに無いかしら…水がある場所…
勿論雨とか田んぼとかは論外だ。
それとなんか向こうの方から誰かがこっちに来ているような…まさかこんな嵐の中を飛べる妖怪とかいるんですか?いやいやまさか。
でもあの灯のようなものは間違いなく灯だしそれにこっちに向かってきているような……
「……!」
おっといけない。よそ見していたらひっくり返るところだった。
えっと…湖…あるいはもう川でいいわ。
でも見つからないまま時は過ぎて行く。もう接地するまでカウントダウンが始まってしまっているような状態だ。
「どうしよう…このままだと」
焦りのせいなのかあるいは打ち付ける雨なのかは分からないが目に涙が浮かんでくる。
ああもう…まだ時間はあるんだから頭をあげて軟着陸させる努力でもしないと……
あら?あれは何かしら。
そこにあるのは……
一瞬だけ何かが光った。
「……あ!」
湖……やっと見つけた!
この距離なら間に合うはず…なんとか保って……
あまり効かない舵を使って船の進入角度を調整する。
地面に擦ったのか船の下の方からガリガリとへんな音がする。
だがそんな音もすぐに止み船の周囲に水しぶきが上がる。
バキバキと立て続けに木材が折れる音が響き、前から一本目のマストがあったところに亀裂が走る。
どうやら竜骨が壊れて強度が落ちたようだ。
衝撃で外れた扉からお燐が駆け出してくる。
「ちょっと!艦首が折れちゃったよ!」
「大丈夫です」
水の抵抗と合わさり速度が一気に落ちる。前のめりになった艦首が今度は大きく頭をもたげ、それを押すかのように分かれた後ろが突っ込む。
「きゃ!」
お燐が前に投げ出される。気づけば私の体も前に向かって吹き飛ばされ、甲板を転がっていた。
殺しきれない運動エネルギーが、船尾を持ち上げ、傾斜が大きくなる。
なんとか甲板に手を差し込む事で落ちるのを阻止する。
木の板を殴って貫通させるなんていつぶりでしょうね。
お燐はなんとか側面で垂れ下がっていた縄を掴んだらしく私のすぐ横でぶら下がっていた。
相変わらず激しい雨と風が吹きつけている。だけどさっきよりかはましだ。
「お燐。大丈夫?」
「なんとか無事です…」
ほんと…なんとかなるものね。
さて、まずは嵐を凌がないと…いつまでもここにぶら下がっているだけじゃいけないだろうし…
ってあれ?
「さとり…どうしたんだい?」
「お燐…あそこの灯りって…」
飛んでる最中にも見たあの灯りがこっちに向かってきている。やはりあれは妖怪のものね。
こんな破天荒な時にも来るって事は天狗かしら?
確か白狼天狗なら嵐の中でも飛んでいる事があったけど。
主に柳君くらいですけどね。
「助けかもしれませんけど…」
まあ万が一敵ってこともあり得る。でも私の敵って一体誰だろう?もう私がいなくなってから400年近くたっているわけだし今更復讐しにくる相手なんて知らないのだけど。
いるとしたら1人だけ……でもそんなわけないだろうし。
「……何か聞こえません?」
お燐の耳がなにかを捉えたようだ。
もしかして相手の声だろうか。
私も耳をすませてみる。
風の音と雨が打ち付けるリズムの合間に、ヒトの声が聞こえる。
どうやら呼びかけているみたいだ。
もう少し近づいてくれたらなんとか分かるのですが……
「合図を出してみます」
「危険すぎないかい?」
「一か八かです」
モールス符号…じゃなかった。前に椛達から教えてもらった灯を使った信号を使ってみる。灯りを妖力で生み出し何回か点滅させたりを繰り返す。
うろ覚えだから適当だけれど…
「あ…こっちに来てますよ」
「伝わったのかしら」
「ちなみになんて送ったんですか?」
「やろうぶっ殺してやる」
「アホ!」
嘘ですよ。実際には救助って打ったんですけどね。ちょっとした冗談なのになあ。
「貴様ら!ここで何している!」
近くに来た影がそう怒鳴りつけてくる。嵐が奏でる轟音に負けないようになのだろうけれど煩いし威圧感が出ていて怖い。
「完全に怒ってらっしゃいますよ⁉︎」
おかしいですね。何か怒らせることしましたっけ?
「えっと……どちら様です?」
「名乗る時はそっちからだが…まあ良い。私は妖怪の山の哨戒をしている者だ」
妖怪の山…という事はここは幻想郷?やっと帰ってこれたのね。
やったわ…やっとだわ。
「おい!聞こえているのか?」
嬉しさのあまり忘れていました。
「取り敢えず…保護を希望します。えっと…天魔さんに私のこと伝えてくれれば多分分かると思うのですが……天魔さんってここ最近変わったりしてます?」
「なぜそんなことを言わなければならない?まずあんたは誰だ!」
そういえば自己紹介がまだでしたね。
「古明地さとり。しがない妖怪です」
「えっと…あたいは火焔猫燐」
「……」
何で沈黙してるんですか?っていうかやっぱり暗くて顔が見えないのですけど……名前の方教えてほしかったなあ。
「……本当ですよね」
「え?」
「貴女が古明地さとりって言うのは本当ですよね」
そうだけれど…どうしたのだろう。
俯いたように見えますけど……この声…どこかで聞いたような…どこか懐かしい声なんだけれど。
「帰りをお待ちしてました。犬走椛です」
……え…椛だったの?
椛がかなり成長していた件。
そりゃ何百年も経っていれば成長するのは当たり前だけれど…それにしてもあそこまで大きくなりますかね。私とほぼ同じ身長が頭一つ分大きくなってますし…バストもなんだか大きくなったような……気のせいですよね。
椛に連れられて嵐の中を飛ぶ。時々お燐が飛ばされそうになるものの、先程よりは落ち着いてきた雨風。いや落ち着いているタイミングを狙って動き出したのだろう。
そういう気象のことに関しては白狼天狗の方が鋭い。
「色々と聞きたいことがありますけど……先ずは天魔のところに」
「そういえば天魔さん元気にしてました?」
「えっと…まあ元気です」
なるほど、病気なのね。
でも深刻ってわけでもなくちょっと寝ていれば治る程度のもの…だけどそんなことが外に知れれば山の実権争いが激化しかねない…か。
「まあさとりさんには隠し事はできないですけどね」
私の目を見て察したのか彼女が苦笑いする。
暗くてよく見えなかったけど心は苦笑い。
「あたいは早く帰りたいんだけど…」
「ごめんなさい。こっちの規則でそういうわけにもいかないんです」
申し訳なさそうな声。それにしてもあそこは湖…山の守備範囲ではなかったはずだが……まあいない合間に範囲が拡大したのだろう。
「大丈夫よお燐。酷いことにはならないから」
「そうだと良いんですけど……」
そうね…そういう反応になってしまうのも仕方がないわね。
でもここから逃げ出しても逆に不利になってしまうのは目に見えていますし……
椛さんは悪くないですし。
それにしてもどうしてこんなに不機嫌なのだろう…ああそうか。疲労が限界に達しているのね。折角家の近くに来たのに帰れないから。
「お燐、疲れているなら元に戻って寝ていてもいいのよ」
「……いえ、あたいは大丈夫です」
無理しなくてもいいのに。
それでもお燐は猫に戻らず結局、天狗の里まで来てしまった。嵐の中よくここまでこれたなと感心。やはり船が風に流されやすいだけだったのだろうか。
椛が他の天狗に話をつけてくるという事で大雨の降る中に取り残される。一応屋根のあるところにいるものの風が強いから悲しいことにあまり意味はない。
結局ずぶ濡れなのは変わらないのですね。まあ、椛もずぶ濡れでしたし大して変わらないか。
「準備はできたようです。では行きましょう」
椛が戻ってきて手を引っ張る。そんな椛の急な行動に思わず足が縺れる。
彼女に悪気は無いのだろうが濡れた尻尾が激しく左右に揺れるからなんだか擽ったい。
って濡れたまま天魔の所には連れていかれませんよね。うん大丈夫……一応着替えを用意しているようですね。
ならそこで着替えてなのね……うん?何やらパワーゲームか何かがあったみたいですね。詳しい事は分かりませんし椛もわかってないようですけど……でも椛が手を引っ張るって事は何かあったのだろう。椛本人は理解していなくとも……
何百年ぶりに訪れることになった天魔の所…あの時からほとんど変わっていませんね。
時の流れは変えるものもあるけれど…変わらないものもある……本当ね。
部屋の配置も記憶にある通り。ただ、一部の襖や壁が作り直されているあたり、全てが同じなんてことは無いのだろう。
案内されたのは小さな……でも家の部屋よりは十分広い和室だった。
「こちらの部屋でお召し物をお取替えください」
案内してきた椛が何処かへ行き、今度は隣の部屋から来た鴉天狗が服を持ってきてくれた。
被ったお面の下に表情をしているのかは分からない。だけど私のこの眼を見てあまりいい気分にはならなかったようだ。負の感情がひしひし伝わってくる。
どうやら私がいない合間に随分人員も変わったようね。まあそれもそうか。
それなら、私と面識のない天狗や妖怪はこの目を見て忌避するのでしょうね。やっぱり怖いです……拒絶の心は見るものじゃないですね。
「ありがとうございます…」
服を受け取りつつなるべく天狗さんを視界に入れないようにする。
濡れた服から滴り落ちる雫でも見ている事にしましょう。
「お気になさらず」
形式だけの言葉。心の奥底なんて見るもんじゃないですね。椛とか信頼できる人のもの以外は……
天狗がどこかへ行き、部屋にはさっきから無言のお燐と私だけになる。
「……」
いつまでも雫を垂らしている場合じゃないのでいい加減着替えるかと思ったものの反応が全くないお燐が気になる。
……ほとんど寝かけているじゃないですか。もう、だから無理するなって言ったのに。
ほらそこで寝ないで。猫に戻るか服を変えてからにしなさい。
「ん……」
覇気のない声と共に猫に戻る。
そのままの勢いで寝てしまいそうだったので天狗が持ってきてくれたタオルで拭き水けを取る。
……寒い。
私自身も濡れた服を着たままだった事を思い出し着替えに入る。
ご丁寧に下着まで用意されているなんて……どうしてサイズが分かっているのかは問いません。
「……」
濡れた服を脱いだところで変な視線を感じ取る。
まさか覗きだろうか。でも私の姿を覗くようなもの好きいるのだろうかと天井を見上げてみると……そう言えば前にも似たようなことあったと昔の記憶を思い出す。
なんと言えばいいのやら天井に張り付く天魔。
「……天魔さん」
なんでこう……私のすぐそばに来たがるんですかねえ。私といたって負の感情に巻き込まれるだけなのに。
「さとりーー!会いたかったよおお!」
飛び降りてきた天魔さんがそのままの勢いで抱きついてくる。
勢いを殺しきれず畳に押し倒される。
「ちょ!近いですって…」
あとまだ服着てないから…抱きつかないで
く……おっきな胸で押される…なんで普段みたいにサラシでぺったんにしてないんですか。アホですか
「折角だからね」
せっかくの意味が分からない…え?襲いたい?ヤダヤダ!完全にこの人ろりこんってやつじゃないですか!ほんと大丈夫なんですか⁉︎
そういえば天狗って大体ろりこんだったっけ。じゃあ普通なのか。でもどうして私なんですか。他にも可愛い子とか素直な子とかいるじゃないですか。
冗談ですよね…うん。冗談ですね。
たしかに時々悪戯っぽく襲おうとしてくることありましたけど…
「さとりから離れてください」
ナイスよお燐。
騒ぎで飛び起きたお燐が天魔さんの首筋を掴んで引き離す。
「残念…」
「残念じゃないですよ。私は誰かのところに嫁ぐなんてことしませんから」
そもそも愛とか恋なんて私にはない。心ときめくとかなんとかって感覚…感じたこともないですからね。
「じゃあ嫁にしてくれ!」
こんな男勝りな嫁やだ。っていうかいらない。私が誰かを好きになるなんてこと許されるわけないしそんなものとっくに消え去ってる。
愛されているなんて口では簡単に言えますけど心の底からの本心であるかと言われれば絶対そんなことはない。
「気に入りました。貴女は最初に潰します」
「理不尽な」
理不尽ですよ。でも理不尽なものなんてこの世の中じゃ当たり前じゃないですか。
「それで…もう堪能したからいいでしょう」
いつまでも服を着ないでいると襲われかねないのですぐに服を着込む。
藍色の生地に赤の紫陽花が彩られた服からは微かに天魔さんの匂いがする。きっと私に着せたくて所有していたものだろう。ならば服のサイズがぴったりなのも頷ける。
「そうれもそうだけど……あんたがいない合間にいろいろあってさ」
急に真剣な顔になる。
「いろいろと言うと?」
「さとりがいなくなったことで山のパワーバランスが大きく変わったり天狗社会でも幾つもの派閥が生まれたりさとりがいない事に付け込んで侵攻してくる勢力がいたり」
……それを私に言います?と言うかなんで私が抑えになっていたみたいになっているですか!普通はそう言うのって鬼か天狗ですよね⁉︎私個人なんて大して強くもないしそんな影響力ないですよ。
それに私は天狗のする事に関係ないですよね?むしろこれって本来天狗が抑えておかないといけないことですよね。
「どう見てもそれ私がじゃなくて運がなかっただけなのでは…私は強くないですし威厳もないですしむしろ迫害対象ですし」
今も昔も迫害は変わらない。
「なに言ってるのさ……まあ、さとり、あんたを利用していたのはうちらだからツケが回ってきたと言えばそれまでなんだけどね」
呆れ顔で言われても……
「そんで、さとり。しばらくここにいてくれないか?」
「どうしてそうなるんですか」
「既成事実を……」
お燐、こいつを処分するのを手伝いなさい。
椛さんも部屋に突入してきてくれた。うん、三対一。これならいくらあなたが強くても倒せますね。
「冗談だってば!それと椛、抜刀して入ってこないで、一応上司だよ」
こんな上司嫌だ。
「実際のところは、さとりがいなかった合間にもいろいろあったからな。昔からここら辺にいる奴なら平気だがよそから来た奴らはあんたを知らない。そいつらに出くわしたら大変だろう?」
「そうですけど…まだ家族にすら再会していないので…」
言いたいことは分かりますけど……
「それに俺たちの中にだって、お前の存在を快く思わない奴や若造で知らない奴だっている」
その言葉を聞いて思い浮かぶのは、さっき服を持ってきてくれた天狗……
「運が良かったな椛に最初に見つけられて」
まあ、私への認識が普通になっただけ。そう、さとり妖怪にとってはそれが普通。
「あんたが戻ってきたって事実が広がればしばらくは混乱が起こる。だからあんたの安全を考えて、ここにいて欲しいんだ」
確かに、道理としては正しいし私を狙う輩が前より格段に多くなったこの世の中ではそれが最も安全なのだろう。
だけどそれを聞いて最初に出てくるのはこいし達。やはり家族に会えないのは辛い。
「お気遣い感謝します。ですが、私の帰りを待っている家族がいるんです」
何百年も待たせてしまっているのだ……
「……だけどなあ…いや、そっちのほうがいいか」
何かを思いついたのか天魔さんの顔に笑みが浮かぶ。なんだか少し怖い。
「じゃあ俺も行こうかなあ」
なんで貴女まで行くんですか?
「だめ?」
「来る理由がないですよね。それに貴女は天狗の長ですよ?自覚してください」
なんで私がこんなこと言わないといけないのやら。
椛もやめてくれと必死に懇願しているし…でも無駄に作法遵守だからかなんだか押しが弱い。
まあ天狗の長相手に下っ端が口を挟めば即打ち首みたいな社会ですからね。
「まあいいじゃないか。減るもんじゃないし」
それもそうかと思ったけどやっぱりダメ。
私は一介の妖怪。貴方は天狗の長。
立場が違いすぎますよ。
「……それでは……失礼いたしますね」
いつまでもここにいるわけにもいかない。
「でも外は嵐だよ」
そうだった……さっきより風も雨も強くなってきてますねこれでは嵐がやむまで足止めですね。
嵐がやむまではここにいましょうか。
「では、安全のため私もご一緒します」
椛もいてくれるようですね。なら、天魔に襲われる可能性も低くなりますね。
「それともう一人、新聞記者が来てますので」
新聞記者?誰のことだろう。
サードアイは服で隠してるから誰なのか読み取れない。まあ、お楽しみということでとっておきましょう。
お燐もそう思って……ってこの子寝ているし。
こうしてみるとやっぱりこの子は猫よね。
「そろそろブン屋も来るはずですので天魔様はお戻りください」
「なんでさーいいじゃん」
良くないですから。絶対良くないですから。それにブン屋に変なこと吹き込んで私を丸めこもうとする魂胆が透けて見えてますよ。
……急に玄関の方が騒がしくなる。誰かが駆けてくる足音と声…止めようとして逆にねじ伏せられた音。うん、ブン屋のようですね。
まっすぐこの部屋に向かってきている…場所を誰かから聞き出したのかあるいは椛があらかじめここと伝えていた……多分後者ですね。
「さとりが帰ってきたって本当⁉︎」
襖が思いっき開かれる。
雨の中を走ってきたらしく、びしょ濡れで息は上がっている。紫と黒のチェックのスカート濡れて重々しい。
「えっと……はたて?」
そこにいたのは姫海棠はたて。
取材以外では会ったこと無かったですけど…ああそういえばこいしと良くどこかに出かけていましたね。
「なんだはたてか」
「て…天魔様!」
部屋にいる私に意識が向いてしまっていて天魔さんがいるのに気づかなかったようだ。物凄い勢いで片膝をつき忠誠の意を示す。
まあ、いきなり目の前に天魔がいたらそうなりますよね。
「ああ、楽にしてくれて構わないからね」
「貴女がそう言ってもダメだと思うけど」
だって目の前のいるのは妖怪の山で最も偉い件天狗の長だ。私だってこんな状況じゃなかったら敬うべき相手だ。
「やっぱりさとりなのね」
まじまじとみても…私は私ですよ。
「ええ、古明地さとり。ここに帰還しました」
「嘘じゃないのよね…」
ペタペタと私の頬や頭に触れる。そんなことしなくても本物なんですけどね
「私に化ける奴がいたら目玉を潰して舌を抜きますよ」
「一回化け狸がそれをやったから肉ダルマにして血祭りにあげたっけ」
ほんとですかい…その狸は運がないとしか言いようがないですね。
「その狸がいた群は責任を持って天狗が滅ぼしておいたよ」
マミゾウが聞いたら顔色を悪くしそうなことをさらさら言いますねえ。
なんだか狸がかわいそうです。
「ああ…無事でよかったわ」
大げさですね。
もう……
「貴女がいない合間こいし達大変だったんだからね。私も文もすごい手伝ってあげたんだから」
「それは…色々とご迷惑おかけしました」
「気にしないで」
……あの、ちょっと近くないですか?
それになんでもうメモと筆を持っているんですか。
「それで!色々聞きたいのだけれどいいかしら!」
ものすごい勢いですね。それに貪欲…天魔さんも呆れて苦笑いしてますよ。
……確かに。これなら天魔さんの付け入る隙はありませんね。椛の人選は間違ってないようです。
嵐が止むまでがまだ時間がある。質問に答えることにしよう。
「そうですね…どこから話しましょうか」