雪の中に沈む足を引き出しては前に進む。体が幼いせいで毎年のように体験する重労働。
飛べば良いとよく言われるのだが私にとって地面を歩くのは…当たり前なことであって普通に空を飛べるヒトたちとは考えが違う。
人里から少し山を下った東端に目的の場所はある。
今まで妖怪だからとずっと避け続けていた場所……それでもいつか行かないと行けない場所。
冬のこの時期になってようやく行く決心がついた。
それにしてもこんなに雪が深いと参拝客もほとんど来ないでしょうね。それはそれで人ならざるものがいれば目立つということの裏返し。
そんなどうでもういようでどうでもよくない事で適当に思考を回していると丁度良い暇つぶしになってくれる。
人里から歩くこと2時間。ようやく神社の鳥居が見えてきた。
後は階段を登ればすぐ…なのですがあそこら辺は対妖用の特殊結界が張り巡らされていてそう簡単に妖怪が行くことはできない。
すぐに妖力の放出を止めて外に力が流れるのを防ぐ。こう言った結界は纏っている力に反応して対象物へ干渉していくものです。
なので私のように完全に隠すことができるのであれば通過することができる。
1回目の結界を通過…異常なし。
ゆっくりと階段を上っていく。
2回目の結界は鳥居のところ。一瞬だけ体が外側に引っ張られる。
でも直ぐに違和感は消え去る。
境内は雪掻きがされているのか通路にはほとんど積もっていない。
人の気配がしないのは…寒くて本堂に籠っているのかはたまた私を警戒しているのか…どちらにしろここまできたからには引き返すことはできない。
お賽銭を何枚か入れてお参り。
なんの神様が祀られているのかわからない神社ではあるが、妖怪が神頼みというのもなんだかおかしな話だ。…神様として祀られた者よ。その役目、いつまでも続けられますように。
「お賽銭の音…」
すぐ真下で声が聞こえたと思った時には…そこに恐怖が広がっていた。
賽銭箱の真下から人の腕が思いっきり飛び出してきた。
腕に続いて少しづつ体が這い出てくる。
空中を彷徨い続けた手が私の足を掴み一気に引っ張る。
「なんか凄い怖いんですけど⁉︎」
「煩いのです…こっちは久しぶりのお賽銭なのですよ」
這い出てきたのは巫女服を着た女性。
やや青色になっている黒髪を後ろで一本にまとめ上げ、簡素だけどしっかりと美しさも出している。
「っち……これっぽっちですかい」
あの…本人の前でそれを言いますかね?
色々言いたいですけどそれ以前に呆れてしまいます。
「それじゃあ私はこれで…」
本来の目的は別にあったのですが、なんか出直したい気分ですので…ここは退散しましょう。
「待つのです。貴方、私に用があるんですよね」
服の袖が引っ張られ後ろに人が立つ気配が遅れてくる。
「……どうしてそれを?」
掴まれた袖から柔かい空気が流れてきて…霊気が体を駆け巡り体の自由を奪われる。
「博麗の巫女をなめないでくださいね。人のふりをする妖怪さん」
「よくわかりましたね」
「貴方のことは先代から聞かされているのです。人里に住む中立の妖怪ってね」
あはは…まさかここまで噂が広がっているとは…面倒ですね。まあそのおかげで変に攻撃されないのは良いことかと思いますけど…
「まあここで話すのも寒いですし中に行きましょう」
そう言う博麗の巫女に連れられて神社の中に連れて行かれる。
部屋の中は暖をとる設備が少ないせいか外とあまり変わらない。
「今お茶持ってくるから待っているのですよ」
私を炬燵に押し込んで巫女さんは奥に消えていく。
なんだかかなり強引な人ですね。
懐にしまっておいた手紙を出して机の上に置いておく。
それにしても天候が悪化しそうだ。早めに帰らないと吹雪になりそうです。別に帰れないわけではないですけど吹雪の中を帰るのは辛いです。
「おまたせ。粗茶だけどいいですよね」
「え、ええ…」
粗茶というより最早お湯のような薄さなのですけど…
そんなに生活困ってるのです?
「それで、これが用件?」
お茶に意識が行ってる事に気付いた巫女さんが露骨に話題を変えてきた。
「ええ、紫より渡してくれと頼まれまして…」
正確には藍なのだが結果は同じなので省く。藍本人が渡せば良いのだが本人曰く巫女は苦手なのだとか。好き嫌いしないと叱りたかったものの私が何かいう前に消えてしまいましたし藍に仕事を半分押し付けられた感あります。
「直接渡せばいいのに…あいつも回りくどいですね」
ため息を吐きながら手紙の封を切っていく。
「最もです」
妖怪の賢者なのであればこういう神社や里にも顔が効くと思うのだが…どうして本人はあんなに人間と距離を取るのでしょうか…それとも私が近過ぎるだけ?
「まったく……冬眠するとはいえこんな時期に渡すなんて…」
内容を読み終えた巫女さんがため息をつきながら机の上に伸びる。
なんて書かれていたのかは知らないものの良いものでは無いようですね。あくまでもあなたの主観でですけど…
あれ…雪が強くなってきてますね。そろそろ帰ったほうが良いでしょう。用件ももう無いですからね。
「……それで、巫女さん。そろそろ帰っていいです?」
「廻霊でいいわ。少しはゆっくりしていくのですよ」
そう言って私を引き止めようと腕を伸ばす。その腕はふわふわと空を切って虚空へ消える。
「吹雪になる前に帰りたいのですが…」
「私だって貴方には興味があるのですよ」
その言葉とともに雰囲気が変わる。神聖な気が流れ出し体が警報を発する。私達妖怪が最も苦手とする存在の一つ…昔から命のやり取りをしてきたこの関係は私の遺伝子にも受け継がれ、体に染み込んでいる。
「まさか博麗の巫女に興味を持たれるとは……それで私に何かありました?」
今ここで無理に帰ろうとすれば間違いなく酷い目にあう。そんな気を相手に刷り込んでしまうこの雰囲気に逆らうのはよくない。
「そうですねえ……一度お話ししてみたかったのですよ」
私が逆らう気が無いとわかったのかすぐに気は無くなる。
逆立っていた毛が戻る。
「妖怪を退治する巫女がですか?」
「人間に害を成す妖怪じゃなければ退治なんてしないのですよ。それに、貴方は人里の要ですから」
人里の要…ですか?正直何を言っているのかいまいちわからない。たしかに侵入してきた妖怪を追い返したり天狗の山方面に誘導したりはしていたもののそれだけでだろうか?
その上強い妖怪は殆どが博麗の巫女によって人里の手前で堰き止められているわけだから私のやっていることなどほんの一部に過ぎない。
「大袈裟ですよ」
大袈裟な解釈をされても困る。
「大袈裟なんかじゃないわ。お陰でこっちは閑古鳥が鳴くことが多いのですよ!」
それは神社の立地条件が悪いのもあると思うのですが…
「それに貴方が居なかったら人里に被害が出ていた件も沢山あるのよ」
時々警戒網をすり抜けて侵入する危険妖怪はいますけど…彼らの処理は基本天狗任せですよ?
それを指摘しようとしたが廻霊の拳が悔しさで震えているのを見るとなんだか言い出す気になれない。
確かに人間を妖から守る存在が妖に助けられているのとあればその反応も普通ですね。
「吹雪いてきましたね…」
視線を外に向けて話題をそらす。
「泊まっていく?」
「妖怪が神社に泊まるとはまたチグハグな…」
それを指摘するのが妖である私というのもなんだか矛盾していますね。矛盾が矛盾を引き寄せ連鎖させていく…
その矛盾が何を産むのか、わかる人はいない。
「別に良いのですよ。何かあればその場でしめ縄で縛って朝まで寝かせないから」
「あの…なんか発言的に色々とまずい気がするのですが…」
「ん?だってしめ縄で縛ったほうが効率よく相手を溶かせるのです。すごい痛いらしいのですよ。前回相手した怪物は凄い苦しんだ挙句骨だけになったのですよ」
貴方は鬼ですか…いや、私達から見れば十分な鬼なのですけど…生きたまま溶かすって……恐ろしや恐ろしや。
こいしに連絡を取るために廻霊にお願いして連絡用の式神を飛ばしてもらう。
その間私はまた客間で待たされる。
吹雪は治るどころかどんどん激しくなり、時々扉を強く揺さぶる。
「ご飯だけど……」
式神を送り出した廻霊が気まずそうな顔で聞いてきた。
さっきあんなお茶を出してきた時点で察していたことなので格段驚く事でもない。
「ほとんどないのですね」
「え…ええ」
全く…どうしてこんなにも生活力が無いのでしょう。
先程からずっと巫女服のままですし…もしかして普段着すらまともなものが…
いやいやそんなはずはない……無いはず…
それよりもまずは食事です!なんだか悲しいですから少しは手伝いましょう。折角泊めてもらうのですから…
「あ…でしたら台所使わせてもらっても構いませんか?」
「ええ、いいですけど…ほとんど食材は残ってないのですよ」
そう言う廻霊の脇をするりと抜けて台所に向かう。
「そっちは……寝室」
「……案内お願いします」
やはり知らない人の家を歩き回るときは床下から行った方が分かりやすいです。
廻霊についていき台所に到着…他の部屋と違ってかなり寒い。
それに全体的に使っていないのか使用感がない。
唯一あるとすれば竃くらいですかね。それとお米…
「あるじゃないですか」
お米しか無いですけど
「……料理できないのですよ」
だとしてもこれは少々やばいのではないのだろうか。今日の食事はどうするつもりだったのでしょうか。
「……でしたら任せてください」
「お願いするのです」
抵抗するかと思ったものの結構簡単に許可してくれました。
まあ何か変な気を起こせば一瞬で制圧できるからでしょうし…そんな気起こすはず無いのでいいんですけど。
とは言えど…ああやって啖呵を切ったものの何があるのかわからないようではどうしようもない。
廻霊に米を炊くようにお願いして床下収納の中を探してみる。……ほとんどが保存食ばかり。もう少し何かなかったのだろうか。越冬期間だから仕方ないとはいえそれでも量が少ないような…なんだかこれで越冬できるのか怪しいものです。
調味料が一通り揃っているのでまだ良いほうですけど…
「なんとかなりそうですか?」
「なんとかしてみせます」
鍋にするには食材が足りな過ぎる…でもなるべくあったかいほうが良い。
幸いにも鹿の干し肉と長ネギはあった。やったことはないですけど…これは試す価値がありそうですね。
一応器具も代用できそうですし…
問題は、彼女の口に合うかどうか……これだけは賭けですね。
「まあ先ずは作るしか無いですよね……」
なんとかなりました……
頭に残っている知識をフル活用し、鹿肉特有の臭みを消すために四苦八苦しましたけど……
牛丼擬き、完成です。あ…牛丼じゃなくて鹿丼ですね。
でも味付けとかは牛丼に近いです……吉◯家とかす◯屋レベルでは無いですけど…というかそこまでのものは作れません。
少なくとも味は悪くない……と思いたいです。
「見たことない食べ物ね…」
隣でずっと見ていた廻霊が不審な目を向けてくる。
「まあ…初めて作りましたからね」
嘘ではない。実際鹿の干し肉では作ったことがないですし。
まあ先ずは食べてもらわないとなんとも言えませんね。
冷めないうちに食べさせたいので直ぐに夕食の準備をして居間に移動する。
もちろん私の分は…あまり食材が無かったので作れてないです。
別に妖怪の私に食事は必要ない。その点で言えばありがたいですねこの体。
もちろん廻霊には私は食事が要らないということは伝えた。それでも食べないとダメとかなんだとか言われましたけど一応廻霊も妖怪の食事については一通り知っているので強くは言ってこなかった。
「まあまずは食べてください」
私の前に座った廻霊が無言で見つめてくる。
その目に映る感情はなんだか複雑で…よくわからない。
はじめて見る食べ物で警戒しているのはわかりますけど体は素直。早く楽になってくださいよ。
あれ?なんだか私おかしくなっているのでしょうか?
自問自答しているといただきますと警戒気味の声が聞こえる。
「……あら、美味しいのです」
廻霊の満面の笑み。効果は抜群だ……いや、効果なしですね。
「喜んでもらえて嬉しいです」
バタバタと襖が風で唸る。
全く、ここまで吹雪いてしまったら少し煩いですね。
唸る襖を見つめながら帰りのことを考える。雪が酷そうですから流石に歩いて帰るのは無理そうですね。
木の板でもあれば話は別なのですが…
「ねえさとりさん」
不意に廻霊が呼んできた。声につられ顔の向きを再び正面に戻す。
「どうかしまし……」
その言葉が言い終わる前に口の中に何かが突っ込まれる。
目の前にはニコニコ顔の廻霊。
「一口だけおすそわけなのです。感謝するのです」
一口だけかいと突っ込みたくなるものの、口の中に入った食べ物を先に飲み込まないと喋れないのでここは無言で耐える。
「……味見ならさっきしているのですが…」
「一口くらい食べたって私は構わないのですよ」
「は…はあ…」
廻霊がそれでいいのならそれでいいのですけど…目の前で笑いながら反応を楽しんでいる彼女の頭に一発入れておきましょうかね。
「そういえば、さとりはなんの妖怪なのです?」
食事も終わりに近づいた頃合いで廻霊が切り出してきた。
彼女なりにタイミングを考えてのことでしょうけど私にはあまり触れられてほしくない話題です。
「……黙秘します」
「……そう、じゃあ当ててみせるのです」
当てられるのでしょうか…確かに博麗の巫女の勘は恐ろしいほど当たるようですけど……
頬杖をついて片目を閉じている私の前に人差し指が伸びて行く。
それはどこかの探偵が犯人を当てる時のような感じ…真実が飛び出てくるかと身構えたくなってくる。
「そうね……心理に直接影響する妖怪なのです!」
「あまり答えになっていないですね」
「冗談よ。だいたい悟り妖怪かそこらへんなのです」
ふむ、覚妖怪ではなく悟り妖怪ですか…ちょっとだけ違いますね。
悟りと覚りはそっくりでいて違うものです。
「貴方のような勘の良い巫女は嫌いです」
答えのようで答えにはしない。どこかで聞いたような台詞を放り投げる。
「……そう、紫が時々自慢してきていたのはあなたの事だったのね。なんとなくそうなんじゃないかと思っていたのですけどね」
成る程、勘というのもある程度の経験によって精度を上げていると……
「それで…私をどうします?悟り妖怪であるなら真っ先に消さなければならないやつですよ」
半目の瞳に一瞬だけ光を灯す。
なんのことはない警告。
「どうもしないのですよ。妖怪のなり損ないみたいな感性の妖怪なんて倒すだけ損なのです」
なかなか棘のある言葉です事……事実ではあるし私がそれを望んでいるようなものなのでなんとも言えないのですけどね。
「……そうですか」
「それに私は妖怪はみんな嫌いなのです。だから今更どの種族が最も嫌いだとかそういったものはないのですよ」
妖怪が嫌い…なんのことはないですね。妖怪退治を専門とする巫女が妖怪を好きになっていいはずもない。
それに人間と妖怪は水と油。普通は混ざり合うものですらない。紫や私のような存在がおかしいような世界では、廻霊のような考えが最も普通で…それでいて最も妖怪に優しい考えなのでしょうね。
「それじゃあ嫌っている存在がここにいるのはどうするのですか?」
ちょっとだけ言葉遊びのようなものをする。それくらいの余裕はあっても良いだろう。
「そうなのですね…どうせこの世は矛盾によって成り立っているようなものなのです。矛盾の一つや二つあったところでさして問題ではないのですよ」
「矛盾の連鎖の輪の中では矛盾そのものが正しいものと変わらない程度の力を持っている。世界が矛盾の螺旋なのであれば矛盾は矛盾で無くなる…」
「そうなのですよ!」
いやいや結局何言ってるかわからなくなってるじゃないですか。こちらも同じですけど……
「まとめれば、矛盾してようがしてまいが大した違いはないという事なのです。あ、お皿片付けてくるのです。ちょっと待っているのです」
思い出したかのようにお皿を持って台所に戻っていく廻霊。
その背中は孤独で…少し寂しいものだった。サードアイが服の隙間から彼女を視る。
矛盾していようが、変わらない……廻霊は、守るべき人間からも怖れられてるその矛盾に…折り合いをつけようとしているのですね。
博麗の巫女はその性質上、妖怪からは殺気を向けられるか徹底的に避けられる。さらに守るべき人からもその力故恐れられる。
……最も孤独なのは彼女なのかもしれない。
それを見て見ぬふりできるかと言われれば……私は出来そうにない。
この後味の悪い鉛のような感じは最も嫌いなもの。紫やお燐はそのうち慣れるとか言ってましたけど…これに慣れてしまえば私はもう人ではない…ただのヒトデナシ。
もっと早く来ればよかったという後悔をするくらいならこれからどうすればいいか考えてみるべきですね。
夜はまだ長い。考える時間もまだ残されているはずだから……