寒い寒いと文句を垂れても世界の気候は変わるはずもなく…仕方なしに下山してみれば山の中腹で倒れてる文と大妖精を見つけた。
あの二人もここに飛ばされていたようだ。
それにしても地面で昼寝するなんて大した根性です。
取り敢えずこんなところで寝ていたら生命の危機になってしまうのは当たり前で、現に冷たくなっている大妖精を担いで下山を再開。
文も連れて行きたかったものの流石に私の体格で二人は担げないので諦める。
まあしばらくしてから私の足跡をたどって文が合流してくれたので手間が省けましたけどね。
「置いていくなんてひどいじゃないですかー!」
「流石に二人を担いでなんて出来ませんよ」
「じゃあ素直に起こしてくださいよ。なんで弾幕目覚ましなんてするんですか」
面白そうだったからに決まっているでしょう。それに……
「なんか文さんの胸元に殺気を覚えてしまいまして…抑えるのに必死だったんです」
なんで殺気なんて覚えてしまったのかは分かりません。嫉妬の感情が自らにないと言えば嘘になりますけど…
「もういいですよ。月の情報も無事手に入れたことですからね」
「そうですね…ところで、妖怪の山まで飛べます?」
そう聞くと難しい顔をしだした。てっきり素直にうんと言ってくれると思っていたのですが…
やはり方位や距離が分からないと難しいのだろうか。
「出来ますけど二人連れてはやったことないんですよね」
なるほど、そういうことでしたか。
「無理そうでしたら先に帰ってしまっても大丈夫ですよ。こっちはのんびり観光しながら帰りますので」
こいしが待っている事を考えればのんびりはできなさそうだけど……
「あやや!大丈夫ですよ」
私と大ちゃんをちらちらと見比べて慌てて大丈夫だと言い出してきた。
もちろん今の私は普段と違いサードアイは出したままにしてある。
心の中でなにを思っているのかは丸わかりです。
表情に出さないよう必死なのでなにも言いませんけどね。
それにしても気づかないものなんですね。まあ普段から心なんて読みませんし読めていても言わないですから気づかないのも無理はないですけど。
「わかりました…じゃあお言葉に甘えて」
それにしても失礼だこと…私はそっちの気もこっちの気も無いですって何度言ったら分かるんですか?
それに私のような種族にそんな感情…要らないですから。
音速を超えて飛行していた体がいつの間にか止まる。銀世界から緑、そして紅葉と目まぐるしく流れていた景色が一瞬にして戻り雲のように軽かった体に質量が戻ってくる。
「ちょっとだけ遅かったですね…」
初めての人にとっては遅いもなにもあったものでは無い。
体感時間すら置き去りにする速度のせいで平衡感覚が狂ってしまった。視界がぐるぐるしていて気持ち悪い。世界が回っているのか自らが回っているのか…視界を止めて吐き気をこらえる。
今度からは注意しないといけませんね。
「ありがとうございます…」
「いえいえ、困ったらお互い様ですよ。それじゃあ私はこれで!」
そう言い残しまたどこかへ飛び立っていく文。あんなに元気ならあんな中腹で寝なければいいのに…
「……ただいま」
「おかえりー。まさか大ちゃんをお持ち帰りして来るなんてね」
開けたばかりの扉を閉じる。
家の扉を開けるなり包丁を持ったこいしが玄関に立っていればそうなるでしょう。
少し経ってからもう一度開く。
他意はなかったにしても流石に包丁を持ったまま出迎えちゃまずいと思ったのか今度は包丁を置いてきたようだ。
「取り敢えず布団…と熱いお湯を持ってきて。すぐに大ちゃん暖めないと」
背中に背負っている大妖精をゆっくりと下ろす。こいしが台所の方に駆けていき、代わりにお燐が猫から変幻する。
「大妖精はあたいに任せてください」
「じゃあお願いねお燐」
お燐に大妖精を預け再び扉を開ける。
正直体の一部が休ませろって文句を言っていますけど、まだやることがある。
まずは紫の方ですね。
一回だけ振り返ってみればこいしがお湯を運んできたりと色々動き回っていた。あれなら私抜きでも大丈夫ですね…
静かに扉を閉め薄暗い山を見つめる。
「早く出てきてくださいよ紫」
虚空に向かってそう呟く。それで聞こえるのかどうかと不安になるが隙間に距離や物理的干渉は無意味なものだったと思い直ししばらく待つ。
「……出てきて上げたわよ」
5分程経った頃だろうか。不意に後ろから声が聞こえる。すぐ後ろは家の扉のはずである。
隙間ならありかと思い直す。
「さて、どうでしたか?月は?」
振り返らずに紫を問いただす。
「……」
黙秘ですか。まあ仕方ありませんよね。あれほど引き止めたのに無視して行って結局こうなったのでは……
「それじゃあ、何人生き残りました?」
質問を変えてあげる。それでもいい辛いのか黙っている。
「……400」
少しして小さな声でそう呟く。
4500体連れて行って400生き残ったと……惨敗ですね。
助けられなかった命の数に気が重くなる。
必要な犠牲とかなんだとか言い訳ならいくらでも出来る。ただ、必要な犠牲だったのだろうか…もし、私が覚妖怪らしく振る舞い全員の敵意を一時的にこちらに回せばゴタゴタで月侵攻が無くなったのだろうか……いやいや、考えすぎか。
「……そうですか。それで?どれだけ得られました?」
「………言わなきゃダメかしら?」
「別に、話したくないならいいです。ただ、友人が命をかけてまで欲しかったものはなんなのか気になりまして…」
すとんと何かが地面に降りる音がする。そして彼女の気配もはっきりと認知できるようになってきた。
改めて紫に向き直る。
「今はまだ秘密よ」
「そうですか。楽しみですね」
ふと顔に違和感を覚えて左手でそっと触れてみれば、私自身が自然と笑顔をしていることに気づく。
久しぶりに表情が出たものだと対して問題でもないのでスルー。
「……せっかくですし、ご飯でも食べていきませんか?」
傘を深く掲げて表情を隠す紫の手を引っ張る。
紫の表情が驚愕に染まっている。
文句の一つでも言われるかと思っていたのでしょうか。
そうですね…言いたいですけど、今更言う事もないでしょうしいつまでも引きずるのは良くないです。
「……軽蔑したりしないの?」
「どうしてです?」
心は読めない。だが何を考えているのかはわかる。
まああんなことがあった後ですからしょうがないとは言えど…あんな事で貴女を嫌いになる程私は薄情でも卑劣でも無いですから…
「さて、扉の内側で聞き耳を立ててる藍さんも食事しますよね」
どうせお腹空いているでしょうし…
「あの……お茶だけで十分だから…」
「何言ってるんですか?どうせ食事なんて取ってなかったんでしょう?お腹空かせてますから食べないと体に悪いですよ」
気まずいのかなんなのか知りませんけど、くよくよ思い悩んでばっかりじゃしょうがないじゃないですか。
紫を引きずって、家の中で逃げようとバタバタ暴れている藍を捕まえて、連れて行く。
「こいし、大ちゃんは?」
「寝てるよ。ちょっと体力消耗しすぎちゃったみたいだね」
そうですか…食事の匂いにつられて起きてきそうですけど。
「それじゃあ、台所使ってくるからこの二人を見てて」
勝手に帰られても困りますからね。
それに我儘に付き合ったんですからこっちの我儘にだって付き合ってもらいますからね。
まああんな血の海を見た後じゃ多少気がひけるかもしれませんけどアレはアレこれはこれと割り切っているでしょうし気にすることは無いですね。
そういえばこの前藍さんが持ってきてくれた日本酒が残ってましたね。せっかくですし…使っちゃいましょうか。
料理酒の方が味出せるのですけど料理酒自体は量が少ないですからなるべく使うのは控えておきたいところでしたし丁度良いです。
作ってみれば意外と食べるものですね。なぜか最初は無言だった二人ですけど食事を始めればいつもの調子を取り戻してくれましたし。やっぱり食事に誘って正解でしたね。
それに匂いで大ちゃんが復活しましたし。
貴方も空腹でしたか…確かに無駄に体力消耗してましたし仕方ないですけど…まさか私の分まで食べられるなんて…
「だって美味しいんですもん」
いやいや、分かりますけど…あの、私の分は…
「あ、お肉もう残ってない…」
「え?結構残しておきましたよ?」
いや、私の取り分なんですけど…ね?残しておきましたよじゃなくて…
「紫……」
「ナンノコトカシラー」
「……ふふ。まあいいですよ」
和室…と言うよりかは古代中国の様式を採用した室内に私の妹が入ってきた。
どことなく疲れているように見えるけどそんなに処理が大変だったのかしら。
やっぱり私も手伝うべきだったわね。
「よかったんですか姉さん?」
入ってくるなりそんなことを言い出す。ちょっと座って落ち着いてからにしなさいという意味を込めてお茶を差し出す。
その意味を汲み取ってくれないほどこの子も堅物ではない。
でももうちょっと物腰柔らかくてもいいと思うのよね…
「それで、本当に良かったんですか?」
しばらく時間が経ってから再び聞いてきた。
「よかったって……死体処理はもう終わっているし汚れも浄化できてるからいいんじゃないの?」
「そういうことでは無くてですね!」
まあまあそう怒らないの。血圧が高くなったら大変よ。
桃でも食べて落ち着きなさい。暑い?扇子で扇いであげるから…
ちょっとは落ち着きなさいよ。
「言いたいことは分かるわ。あの子達の事でしょう?」
「……ええ」
当然聞いてくると思っていたわ。むしろ聞いてこないほうが異常ね。
「……隙間の賢者は貴方の思っている通りよ」
あの妖怪は地上に必要な存在。その能力を加味すればかなり強力な駒となってくれる。まあこちらの意図に簡単に乗ってくれるとは思わないでしょうけど今後の保険として取っておいた方が良いわ。
「私が聞きたいのは…」
「依姫ちゃん。あーん」
咄嗟にあーんと開けた口に、お皿にあった桃を一切れ押し込んでしばし黙らせる。
「美味しい?」
「話を逸らさないでくださいよ」
絶対零度の眼差しで睨まれた。部屋の気温が下がりブリザードが吹き荒れ始める。
まあ怒っているわけではないのだしここは軽く流すことにしましょう。怒っていても流すけど。
「あの覚妖怪でしょう?」
「そうです!心も読まずにこちらを正確に分析してその上私の脅しすら効いているのかわからないんですよ?正直得体の知れないあんなのをなぜ始末しなかったのですか?」
まくしたてるように言われてもすぐには答えられないわよ。ちょっとまってね。少し整理するから……
あ、茶柱立ってる。
「みてみて茶柱」
「お、これはいいことありそう…じゃなくてですね!真面目に答えてくださいよ姉さん」
もう、ちょっとはゆとり持ちなさいよ。
茶柱を眺めながらのんびり待つとか出来ないの?どうしてこんな妹に育ってしまったのかしら…幼い頃はあんなに可愛かったのに…
「あの…幼い頃の写真を眺めるのはやめてくださいません?」
「だって今のあなたが可愛げ減ってるんだもん」
「どういうことですか。それに、可愛げなんて要りません」
閑話休題
「それで、覚妖怪の事でしょう」
「ええ…」
「正直私も…あの得体の知れない存在は脅威と思っているわ。アレほどの軍事知識を持っている上にあの口ぶりや挙動から私たちの弱点も熟知してるはずよ。敵に回れば最優先の抹殺対象よ」
なら!と体を乗り出す妹を小突いて座らせ直す。
話は終わってないわよ。
「確かに脅威ではある。でもそれ以前にあの少女に惹きつけられたわ」
「惹きつけられた?魅了かなにかですか?」
「違うわ。……最も妖怪らしい種族でありながら、まるで人間のような中身…全てにおいて真逆なもの同士がくっついてそれでいて狂うことなくかみ合っているのよ。面白いと思わない?」
「思いません」
即答しなくてもいいじゃない。どうせ私達に娯楽なんてあんまりないんだからちょっと面白いものがあるならみてみようと思わない?
「それに観察ってどうするんですか?」
「そうね…地上に降りてみる?輝夜様みたいに」
「ダメですよ!」
わかってるわよ冗談通じないわね。
「確か、観測用望遠鏡あったわよね」
「え…ええ、地球表面を1メートル単位で観測できるタイプのものなら」
もう一機作るとして予算はどこから持ってくるべきかしら…流石に今回の件があった後じゃ防衛費から引くことはできないし…個人で作るにしても技術的に難しいわ。
「ちょっと、なに考えてるんですか。まさか観察用の望遠鏡を作ろうとしてるんじゃないでしょうね?」
「ダメだったかしら?」
「ダメに決まってるでしょ!それに、八意様がいなければあの精度は作れませんよ!」
そこをどうにか…今の月の技術なら可能なはずよ。
やっぱり幼かった頃の妹が恋しいわ。
胸元から写真を出して愛でる。
そんな私をジト目で睨んでくるその顔には懐かしさが……
殆ど残ってないけど少しだけ面影がある。
「その写真……」
「ダメよ。渡したら没収するでしょ?」
「当たり前です!」
覇気を孕んだ声が部屋をビリビリと撼わす。
同時に部屋の温度がどんどん下がっていく。
「没収したいなら力づくで奪うといいわ。最も、姉より勝る妹はここにはいないわよ」
「言ってくれますね。なら一度試してみましょうか」
あら、言ってくれるじゃないの。偶には身体を動かさないと鈍っちゃうからねえ。
貴女も、今回の事で部下の事とか色々と溜まっているでしょうから少し発散させましょう?
その後しばらくの合間は月の都に爆発音が幾度となく響き渡り、住民が恐怖に震える時間が伸びたとか伸びなかったとか。
それもこれも、後から聞いた話であり確証は無いのだが…