「ねえお姉ちゃん本当にやるつもりなの?」
「……ええそうよ」
日も傾きだし、本格的に私たちの時間が始まる頃の山に私とお姉ちゃんの声が響く。
本当はもう、危険なことに関わって欲しくはない。向こうからやって来ちゃうって言うのならわかるんだけどこれはそれとは違う。お姉ちゃん自身から突っ込んでいくもの。
そこまでしてあの大妖怪を助ける義理があるのかな。
何を考えているのか見たくて、お姉ちゃんの方を見る。河童の所で調達してきた沢山の荷物を持っているお姉ちゃんの心は分からない。
どうして、姉妹同士でこんなにも分からないのだろう。
「どうしてここまでしてお姉ちゃんはあの大妖怪を助けようとするの?」
「……そうね。私のお節介かな」
お姉ちゃんはたまにお節介が酷すぎる。今だって、普通なら放っておくような事なのに…
結局、私はお姉ちゃんの事を何にも分かっていない。
「荷物持つよ…?」
「危険なものもあるけど…そうね。じゃあこれ持ってくれる?」
そう言って渡してくれた袋にはよくわからない球体が一個、木製の木箱がいくつか入ってる。
これがなんの道具なのか私にはわからない。
「この木箱の中身はなんなの?」
やけに重たいそれを軽く振ってみる。ゴロゴロと何かが転がるような音が聞こえる。
「時限信管なので大丈夫ですけどあまり触らないほうがいいですよ。爆発すれば金属の矢が飛び散りますから」
お姉ちゃん……どうしてこんなものもらってきたのさ。
振っていた手を止めてすぐに袋の中に戻す。
そんな危険なものなら先に言ってよ心臓に悪いじゃん。
「それで?こんなものを頼ってまでお姉ちゃんは何がしたいの?」
「……何がしたいのでしょうね。どう言えば良いのかよくわからないわ」
そう言ってはぐらかそうとしてもダメだよお姉ちゃん。どこまで知っているのか分からないけど…私はお姉ちゃんしか家族が居ないんだからね。へんなことして何かあったら…どうするのさ。
私の気持ちを察したのか、お姉ちゃんが私のそばに寄ってくる。
「ごめんね……」
それは何に対しての謝罪なのだろうか…もちろんそれをさせるような状況にしたのは私…
なんだか、気分が晴れない。
何か言わないといけないのに…言葉が続かない。
どうしたら良いか悶えて…目線をずっと下に向けていると急に体が包まれる。
優しい温度が服を伝って体に入ってくる。
「心配してくれてありがと…でも大丈夫だから」
抱きしめてくれているお姉ちゃんの声がなんだか遠く感じる。
……嘘つき。お姉ちゃん大丈夫な訳ないじゃん。誰かを傷つける事が嫌いで…それでいて妖怪だから誰かを傷つけちゃって自分は傷ついてさ。
それでいて私達を守って…お姉ちゃんずるい。
ずるいよ……
目線を上げてお姉ちゃんの顔を見ようとして……でもそれは叶わなかった。
抱きしめていたはずのお姉ちゃんの感覚が霧のように拡散する。
異変に気付いた頃には既にお姉ちゃんの姿はどこにもなくて…ただ地面に空いた目玉と闇の世界が私を見上げていた。
その世界は私が動き出す前に閉じられ、後には何もなかったかのように地面が続いていた。
「お姉……ちゃん?」
こいしを離した瞬間、私の足元が真っ黒になる。
気づけば落下。しかしすぐ落下速度は消え去りなにもない空間に着地する。
周辺は目のようなものが閉じたり開いたりしていて見られているようで何処か落ち着かなくなる。近くにある目に触ろうと手を伸ばしてもその手はどこか虚空を切ってしまう。まるで私とは違う次元にあるかのような…そこにあってここにない。そんな感じだ。
通過した事は何回もあったけど、こうしてまじまじと観察したことは無かった。
あまり長く見ていると気がおかしくなりそうですけど…
「さっきぶりかしら」
上から声が聞こえ顔を上げると、紫色のドレスが宙を舞っていた。あまりにも美しい光景に、見とれてしまう。
「何見とれているのよ」
気づけばいつもと同じ…大妖怪としての仮面を被った紫が目の前にいた。ちょっと動けば接触しそうなほど近い。畏怖の感情が再び生まれる。
ただ、そんな感情よりも疑問が次々と湧いて出て畏怖を消し飛ばしていく。
「久しぶり…でもありませんね。一体なんのご用件で?」
あの時あんな啖呵を切っておきながら再び私を呼ぶなんて…それも今度は相手のホーム。これは協力要請ではなく協力を強制させてこようと言う魂胆ですね。はて、私程度の妖怪が必要とされる事態なんて思いつかないのですが…一体どうしたのでしょうかね。そもそも私自身に話が回ってくること自体おかしなことですけどいちいちそんなこと言ってる場合ではないですね。ここで紫の要求を飲まないとなると何されるか分かったものじゃないです。
「そうね、月の事。これだけ言えば分かるわよね」
「あのですねえ…その件は断りましたよ。と言うか良い加減諦めてくださいよ」
「そうね。貴方が藍に言ったことが正しいのなら、修正が必要ね。だからこそあなたが必要なのよ」
……理解できない。普通なら諦めるはずなんですけど。
「どう言う意味かよく分かりません」
「……最初の考えでは、月の都まで侵攻するつもりだったのよ。そこにいけば沢山の技術や知識があると思ったから」
なるほど、ですが月の都は月の裏側。更に強靭な防衛結界で囲まれているはず…流石の貴女でも今の能力概念だけでは到底たどり着くことができない。
だから、水面に映った月を利用するのですよね。
「それでも都まで直接結界を開通させることは出来ないわ」
「……出来ないのですか?」
「無理よ。都に張られている結界を通過するには一度破壊しないとダメよ」
そう言うものなのですか…正直、結界の境界を曖昧にして結界の意味を無くしてしまうといった方法も考えつくことはつくのですが、本人がそれをやらないということは多分無理なのでしょうね。
「それで…どうして私が?」
「最初は、妖怪で押し切って都まで侵攻出来ないかどうか考えていたのだけれど…藍から聞いた話じゃそれは無理そうね」
話がわかってくれて何よりです。でしたら、月に侵攻なんてことさっさとやめていただけないかと……
「だけど、相手の兵器を鹵獲することなら可能だったわ。最初の目的とはだいぶ違うけど、技術が手に入るならこれに越したことはないわ」
どうして……どうして紫は分かってくれないのですか!そんなことして…何になるって言うんです⁉︎
どれだけあなたは月にこだわるんですか!
そう叫びたい気持ちを必死に堪える。ここで叫んでも意味を成さないし、機嫌を損ねて滅多刺しなんて嫌です。
「……手伝いませんよ」
きっぱりと否定する。ここで私が折れれば…私も彼女の罪に加担してしまう。
「お願いよ。少しだけで良いから…」
そう言って頭を下げてくる。その姿には、さっきまでの威厳は全くなく普通の少女の姿がただ映っていた。おそらく本心からなのだろう。
それでもだ…友であるならもし間違った方向へ進んでしまっているなら、友情を壊してでも止めるべきなのだ。
ここで嫌われてしまっても構わない。そうなったらそれまでの付き合うだったと割り切るしかない。
私が黙っているのを見た紫は諦めたのか深いため息をつく。
「本当はこんなことしたくなかったのよ……」
どうやら私が非協力的なのを考慮して切り札まで用意していたようだ。用意周到なことで…
「藍、いらっしゃい」
その言葉とともに、溶けていたものが構築されていくかのように紫の後ろに気配が現れる。数は二つ。
その気配がゆっくりと視界に現れる。
見たくない現実、いやこの空間では夢のようなもの。でも事実であり目を反らせないもの。
藍と一緒に現れたお燐に、動揺が表に出る。
サードアイを服から出し、戦闘態勢に入る。もし下手をするならこの場で抵抗する。そんな通用するかどうかもわからない脅し。
「すいませんさとり様。主人には逆らえません」
「ごめんね。なんか一緒に連れて来られちゃってさ」
苦笑いしているお燐の心を少しだけ読む。なるべく紫に悟られないように…
……なるほど、人質のふりをしてくれと。いいえ、人質をやってくれと。
「お燐……まさか餌でつられてないでしょうね」
「………」
どうして…そこで釣られちゃうのよお燐……
目が泳ぎっぱなしで誰が見ても暴露る。
後藍も傷つける気が無いならそのいかにもなナイフはしまいなさい。違和感しかないですよ。
「……典型的ですね」
と言うかもうグダグダすぎてなんだか……紫も呆れてますよ。どちらにしても心を読める私を欺こうなんて無理にもほどが…あ、そうかだからこんな三文芝居打ったわけですね。
「だって協力してくれないから…」
私が悪いんですか?まあ確かに大妖怪相手じゃこっちに権利なんて無いんですけどね。公私混同しないのは良いのですけど…少しは私情で見逃して欲しかったです。
「もしこれでいやだって言ったら…?」
そう聞くと紫の顔に不敵な笑みが現れる。紫の心は読むことが出来ない。さて、どうくるのか…
「そうね。藍、お燐を好きにして良いわよ」
その瞬間、藍の頭がとんでもない妄想で埋め尽くされる。
あの…まさかお燐をそんな目線で見ていたんですか?ドン引きってレベルじゃ無いんですけど…後お燐もこの状況を楽しむんじゃありません。藍なら良いかじゃないです!
「……藍顔赤くなってますけど?」
名前的に蒼そうなのに…
「察しなさいよ」
「YADA!」
「どうしてそうなるのよ!」
「どうしてでしょうね?」
不毛すぎる言葉の投げ合い。
とまあそろそろ本題に入らないといけませんね。
「……結局、私は貴方に協力すれば良いんですよね?」
「ええ、最初からそうして欲しかったわ」
まあ、お燐をどうにかしてしまうと言うのは冗談半分なのかもしれないがこのままだと本気でやりかねない。手が滑ったーで済まされることではないしある意味ナイフでズバッの方が何倍もマシだった気がします。
「分かりました。協力しますよ」
仕方がない。ここは素直に従うしか無さそうです。いくら実行する気が無いとしてもこのまま突っぱね続けるのは得策じゃないです。むしろこれ以上家族を巻き添えにして欲しくない。
巻き込まれるのは、最も生き残れる可能性のある私だけで十分です。
この場合巻き込んだ原因も私ですからね。
「……ありがとう」
大妖怪特有の空気が消え、流れ出ていた威圧が消え去る。
紫のホッとした表情を見ていると…ここで私が拒否し続けた時の切り札はもう残っていなかったみたいだ。
「その代わり!」
「私が手伝うのは撤退だけです」
ここだけは譲らない。そもそも月に侵攻して最前線にいたら生きて帰れる気がしない。
「……分かったわ」
さすがにこれ以上は無理だと判断したらしく、紫も諦めてくれた。
なぜか清々しいほどの笑顔をされてますけど…どうしてそんな笑顔するんでしょうか?
少し気になります。
「あー丁度天狗と河童が侵攻計画から離脱しちゃった後だったし助かったわ」
あれ…あのーそれ多分私が原因な気がするのですが…いえ、ここはあえて言わないようにしておきましょう。
「誰かさんが手紙なんて送ったりするから…」
見事にバレちゃってますね。その誰かさん…私でしょうけど私から私とは言わないことにしましょう。
「嫌味ですか?」
「ただの愚痴よ」
本人の前で愚痴を言いますか……
「ほんと…これで力さえあれば大妖怪でもかなりヤバいヒト達の部類に入るのにね」
ため息を吐いてもどうしようもないですよ。
それに私なんて畏怖とかそんなものとは無縁ですから。
「御愁傷様。私はずっとただの妖怪やってますよ」
「いつまでそう言っていられるのかしら」
「ずっと言います」
二人のやり取りを聞いていると、さとりと言う存在がどうにも分からなくなってくる。
大妖怪相手に全く屈せず妖怪の山の主にすら働きかける事が出来る人物を、私は知らない。紫様だって何回も交渉していたのだ。一体どうしたらあのような芸当が出来るのだろうか。それとも何かと交換したのか……
「……?私はただ、天魔さんに警告を送って代わりに文さんをこっちに回してくれるように頼んだだけですよ」
それを手紙一本で出来るさとり様はもはや…大妖怪です。
種族に見合った行動をせず、異様なほど広い交友関係と影響力。それでいて本来妬み嫌われるはずの彼女は、多くの妖怪から信頼されている。その上紫様と並ぶほどの英才な頭脳ときた。
彼女は一体何者なのだろうか?もしかしたら神か何かの化身なのだろうか。だがそんな感覚は微塵も感じられない。
…紫様の脅威になるのかそれとも強力な味方となるのか。どちらなのだろう?
もし、彼女が敵に回った場合私は……
「何考えているんだい?」
ハッとして隣を見るとお燐が怯えた表情で見つけていた。
いつの間にか私はかなりの妖気を放ってしまっていたようだ。その上さとり様がこっちを見つめ続けていた。
忌まわしくも美しいその眼がこっちを見ている。さっきの考えを全部見られた……ああ、やってしまった。
もともとさとり妖怪の前で隠し事など出来るはずもなかったのだと考え直す。
「……なあお燐。一ついいか?」
「構わないけど?どうしたんだい?」
妖気をしまった私に安心したのかいつもの感覚に戻ったお燐の頭にハテナマークが浮かぶ。
「さとり様は…一体何者なんだ?」
「……前に藍が言った通り、臆病な子だよ。ただ、その割には異様に仲間思いでね…それこそ、さとりは仲間を助けるためならなんだってする…多分生きているなら…」
その先の言葉がどう続いていたのか。今となっては思い出せない。
ただ、さとりの功績を見ればあの時お燐がなんと言っていたかはわかるかもしれない。
「そういえばこいしのこと忘れてます?」
「「「あ……」」」
お燐のその言葉に私を含めた全員が言葉を失った。
さとりにいたっては顔面蒼白になってしまっている。
「紫、早くこいしのところに!」
「わ、わかったからそんなに怒らないで…」
「怒ってないです!焦ってるだけです!」
無表情で怒鳴られても正直わからないぞ。どうしてこう、表情が出ないのだろうか。
もっと笑ったら可愛いと思うのだが……もうちょっと成長した姿であればストライクゾーンだぞ。
この考えも結局は読まれてしまっているのだろうが、さとり様は全く気づいた様子がない。それほどまでに焦っているとは…
すぐに隙間が開かれさとり様がそこに突っ込んでいく。それに続いてお燐も空間から飛び出す。
慌ただしいことこの上ない。
裂け目から見えた世界は、明るくて暖かそうな光が満ちていた。
二人を送り出した隙間が閉じる瞬間、ものすごいドタバタとした光景が繰り広げられた。
私と紫様だけとなった空間に完全な静寂が奇妙奇天烈な空間に広がる。
「それで、藍、どうだったかしら?」
どうだったとは?と言いかけた言葉をかろうじて飲み込む。
紫様が何を言いたいのか。どんな答えが欲しいのか。少し考えればすぐに思いつく。きっと聞きたかったのだろう。ならそれを素直に答えれば良い。
「……大丈夫です心配は要りません。さとり様は、一度決めてしまったことは断らないはずですから。それより、さとり様達に何かしましたか?」
二人が飛び出す瞬間、なにか術のようなものをかけていたのを見逃すほど私の目は節穴ではない。
「なんでもないわ。ちょっとしたおまじないよ」
そう言い捨ていつの間にか手に持った傘をおもむろにかざし、歩き出す。
その後ろ姿が綺麗で、異様な世界の中に舞い降りた妖精のようだった。
「もう行くんですか?」
振り返った紫様は、純粋な少女のような笑みを浮かべていた。大妖怪としての仮面なんてものはそこにはなく、私ですらほとんど見たことない。本来の姿だった。
「出来ればもう一人だけ、連れて行きたいからね」
「……今からですか?」
ちょっとさとりに時間を費やしすぎたと呟く紫様は、既にいつもの仮面をかぶっていた。いつもながら切り替えが早いものだ。そんな少女のその妖艶な微笑みの内側は、さっきのように普通に笑える主人なのだろうか。
もし紫様の計画する妖怪の楽園…それが成された果てに、主人が仮面を被らなくてすむ未来はあるのだろうか?
主人の本来の姿は、夢幻となって消えるか幻想の中で生き続けるか…いや、今はそんなことを考えている場合ではない。
思考を切り替え終わった私は紫様の後ろを追いかける。
私を追いかける目線は、空間の目かそれとも……