紅魔館を後にして帰りの道をのんびりと歩いていると、木の陰で誰かが座っているのが僅かに見えた。
木陰で昼寝なんていうのはこの時期珍しくも何ともない。外気温が少し高い春だと思えば良い。
ただ、木の陰から見えるその透明な翼と緑色の髪のサイドテールがそこで寝ているものの正体を導いてくれた。
近づいてみるとやはりそれは大妖精だった。破損した腕から人工筋肉が見え強化合金のフレームは途中から綺麗に切断されている。
何かあったのかと一瞬焦ったけれど注意して見ればそれは相当前のものだとわかる。
それにしても寝ていますね……起こした方が良いでしょうか?
そう思い肩に手を置いて軽く揺さぶれば、少しだけ顔をしかめてしまう大妖精。だけれどすぐに意識が覚醒したのか目を覚ました。
「あ…起きました?」
少しの合間寝ぼけているのか私の顔を見ながら光の灯らない瞳を泳がせていた。少しすればようやく意識の方も起きたのか私の瞳を見つめ返してきた。
「さとりさん?久しぶりです」
少し元気がないように見えるけれど…大丈夫かしら?
「お昼寝するにしては場所が場所ですよ」
「ここそんな場所だったんですね……」
分かっていなかったのだろうか?というより大ちゃん貴女が着ているそれは冬服ではないの?結構軽装になっているから春先で使用するものだと推測されますけれど。
それに腕の損傷から見ても放っておくなんて普通では考えられない。
「直してもらってないんですか」
「疲れて寝ていましたから…それにしても暖かくなりましたね」
疲れて寝ていたにしては後に続く言葉の少しニュアンスがおかしい。
「どれ程寝ていたんですか」
私がそう聞けば分かっちゃいました?と苦笑しながら私にもたれかかってきた。
「冬が明けてすぐからですね。少し疲れちゃいましたし」
サードアイが想起される情報を回収していく。
「そう……チルノちゃんと戦ったから?」
思い当たる原因などそのくらいだろう。それ以外でとなったらもうお手上げだし月の医者にでも連れていかなければどうしようもない。
「ええ、おそらく……」
力を消耗しすぎると回復までに時間がかかる。それが原因で長期間の眠りに入るというのは妖怪では珍しくない。ただそういう場合は基本的に実体を伴わず魂だけの状態でいることの方が多い。大ちゃんは例外なのだろうか。
「一応直しには行ったんですよ…でも素材を揃えるのに時間がかかるって言われて…」
ああ…でもそれって冬が終わってすぐですよね…
「多分もう出来ていると思いますよ」
流石に二、三ヶ月すれば完成しているはずだ。他の研究に没頭してしまって完成していないとかじゃなければ……
「ですね…行ってみます」
いやいやそんなふらふらの体じゃどうしようもないじゃないですか。
私が背負っていきますからまだ寝ていてください。
「そうですか?じゃあもう一眠りしますね」
そうしておいてください。腕云々より先ずは家に連れて行ったほうがいいですね。このまま放置は嫌ですし…
結局家に連れて帰ってもまだ寝ていたのでしばらくこのままにしておくことにした。
明日になったら確認しますか…
日暮れが近づいてくると、祭りだか宴会だかが行われているのか博麗神社の方は人の気配がたくさんあった。
そのかわり神社近くの森の中は全くと言っていいほど人気がない。なんとも対象的です。
それだから赤灼けに染まった森には私と玉藻さんの歩く音しか聞こえない。
「流石にここまで気配が多いと見つけるのは大変ですね」
隣を歩く玉藻さんについそんな言葉をかけてしまう。
そうだねえと返してくれるあたり一応は友好的なのかな?
「普通の気配ならそうですが彼女のは拡散して薄く広がっていますからねえ」
それぐらいならあなたもわかるでしょうと暗に言ってくる。
「それはわかりますが意識の濃いところを探し当てないとこちらに反応してくれませんし」
戦闘中や意識して隠れている状態であれば私でも見つけられるけれど今の彼女は意識を神社周辺に拡散させてしまっているから私ではどうすることもできない。
だからこそ玉藻さんが必要だったんですよ。
「それで、もう始めちゃっていいのかい?」
「そうですね…あまり人の多いところでやっても迷惑になるでしょうから…」
それにあまり近づきすぎて霊夢に見つかる方がまずい。だったらここら辺でこっそりやった方が良いだろう。
玉藻さんが片手で宙に印を描く。淡い光が指の動いた位置を示し、幾何学模様とラテン語系の文字が記された術式が浮かび上がる。
「…拡散した意識を相手の意思に反してこちらに持ってくるなんて久しぶりだからねえ…」
そう言いながら彼女は術式に力を入れる。
周囲に風が巻き起こり、木の葉が飛び散る。
ガリガリと地面の一部が削れまばゆい光がその場を支配する。
それが視界を埋め尽くし、やがて消えれば目の前に人の気配がする。
「んや?まさか見つけられるなんてねえ」
知っているヒトの声。それも当然といえば当然なのだけれど……人影がのんびりと動き出す。頭についている二つのツノが左右に揺れている。なんだか動き方が酔っ払いみたいです。ってそういえば萃香さんは常に酔っ払っていましたね。
「少し遊びが過ぎますよ萃香さん」
「なんださとりと……連れかい」
私と玉藻さんを交互に見て…なんかかなり冷めた反応ですね。
玉藻さん流石にそんな対応されたら怒りますよ?一応このかた強いですし。
しばらく無言でにらみ合っていた玉藻さんと萃香さん。何でしょう…物凄い威圧感なんですけれど…怖い。
「それでは私はここらで失礼いたします。ご主人様もお待ちでしょうから」
終始にらみ合ったままであったが、結局先に降りたのは玉藻さんだった。だけれど逃げたとかそういうわけではない。無益な硬直がこのまま続けば最終的に戦いに発展する羽目になっていただろう。彼女は無駄な争いは自ら行わない。
「わざわざありがとうございます」
神社の方に歩いていった彼女を見送り萃香さんに向き直る。
「ちぇ……なんだか好きになれねえ」
それは彼女が騙す側の存在だからでしょうか?別に仲良くしていれば騙されたり裏切られたりはしないと思いますよ。
でもそれがわかるのは私とレミリアさんくらいだろう。
「それじゃあ萃香さん、宴は終わり。帰りますよ」
いつまでもずっと祭りだ宴会だなんて出来ないんですから……
「ええーもうちょっとだけ」
なぜ駄々を捏ねる。いやわかりますよ。今年は春の宴会がほとんど無かったです。でも……
「もう夏なんですよ。それにこのままだと幻想郷の営み自体に影響が出かねないのですよ」
毎日祭りばかりとなれば大きく影響はしないにしても生活に支障が出てしまう。今はまだ大丈夫ですけれど……そうなってからでは遅いのだ。
「はいはい…さとりは真面目だねえ…」
瓢箪の中身を飲みながら萃香さんが私の方に近づいてくる。足と手についた重しが彼女の動きに引きずられる。
「霊夢にボコされるよりマシでしょう」
少しづつ近づいてくる萃香さんの気迫に押されて少しだけ下がってしまう。
「確かにマシだったな!そのかわりさとりが鬼退治をしてくれるんだろう?」
そう言いながら準備体操のようなものを始める萃香さん。
「え…何で私なんですか」
ちょっと待ってほしい何で私が戦う流れになっているのですか?ただ地底に帰りますよと言っただけなのに……
「だってなあ……鬼を止めるにはやっぱり鬼退治じゃないのかい?」
ああそうだった…この人今酔っ払っているんだった。
風が吹き、萃香さんの体がブレた。顔に向けられた拳とお腹に向けられた拳…二段の拳を手で押さえる。いきなりすぎませんか?
「場所を変えようとは思わないんですか?」
力をずらして斜め後ろに放り投げれば、地面を蹴って再度殴りに来た。
それを体をひねって回避する。お返しにと軽い後ろ蹴りをするけれど寸前で回避された。
「場所?いいじゃんいいじゃん」
よくないから言っているんです。変装していないんですからね?察してくださいよ!とは言っても私と霊夢との関係性は萃香さんには伝えていないわけですからこれは仕方がない。
だけれど流石にこの場で戦うにはまずい。少し場所を移動しよう。飛び上がった私を追いかけるように萃香さんも飛び上がる。後ろから弾幕が追いすがり左右で爆発、体が跳ね飛ばされそうになる。
体を左右にひねりながら少しでも命中率を下げようとするけれどあまり意味がない行為だと思い途中からやめる。
後ろを振り返れば、萃香さんはちゃんと付いてきてくれている。
「あはは!どうしたんださとり!逃げてばかりかな!」
だってあそこで戦ったら絶対巫女がくるんですもん。
左右に体をひねり回し素早く方向転換。
高度を落としつつ加速する。背中が撫でられるような感覚がする。体を起こして強引に減速。コブラ機動のような動きで止まると私の真横を妖弾が通り抜ける。
「鬼ごっこは終わりだよ!」
真横⁈
動こうとしたけれど向こうが早い。体に衝撃が走り視界が回転する。腕を伸ばしてどうにか体を安定させたものの片脇がどうにも鈍い……
どうやら脇腹を蹴り飛ばされたらしい。骨が数本折れている感触がする。
「やっと追いついた。さて戦おうじゃないか」
ああ…確かにこれじゃあ逃げられませんね。
どうにか山の方まで引き連れることはできた。ただ……
「そこの2人!止まりなさい!」
流石に戦闘をしながら飛び込んできた私達に容赦をする気はないのか警告をしながら2人の白狼天狗が弾幕をばら撒いてきた。その上アホみたいに突っ込んでくるではないか。
「煩いなあ…」
萃香さんが白狼天狗2人に向かって回し蹴りをする。発生した真空波で2人が吹き飛んだ……
だけれどそれで終わりではなかった。
やっぱり天狗の領域に入ってしまっているためか白狼天狗さんがわんさか集まってくる。
見た感じ鬼を知らない世代ばかりだ…多分鬼を知っているヒト達は恐れ多くて上がってないのでしょうね。でも若造を見捨てちゃダメでしょ…
あ、何人か来ているんですね。巻き込まれていますけれど…
でも一応止めようとはしているんだ…
流石にただ見ているだけというのはまずいので萃香さんと天狗達の合間に割り込む。
「天狗さんは今すぐ退きなさい!相手は鬼の四天王ですよ!」
叫ぶはいいけれどあまり話を聞いているようには思えない。
実際別の方向からさらに天狗さんがやってきてしまった。私が割って入った意味がない…
「邪魔するなあああ‼︎」
ああ…萃香さんがキレた。
日がくれたばかりの空に白い光を放つ弾が生み出された。あれはまずい…
「落ちろっ‼︎」
放たれた光の弾が天狗を巻き込み、地面に命中し爆煙が上がる。運良く回避できた天狗達だったけれど唖然としている合間に萃香さんに距離を詰められ全員殴り飛ばされていた。
鬼の四天王怖し……
増援に来ていた白狼天狗と鴉天狗が1分も経たずに全員落とされた。
しかもご丁寧に腹パンだけでだ…痛そうです。というよりあれ内蔵破裂しないのかなあ…いくら妖怪が頑丈でも萃香さんのパンチだ。無事であるはずがない。
下は死屍累々…上は私と萃香さんだけ…
「それじゃあ続きしようか!」
やりきった笑顔でそんな言い方はないでしょう…っていうか怖いですよ。
完全に気分が高揚してあっちに行っちゃっている…こりゃ大変です。
「嫌だと言っても戦うのでしょう…」
「まあね…」
肯定しないで欲しかった……
空気が鳴き、咄嗟に出した右手が萃香さんの脚を防いだ。ある程度力を入れているのにものすごくしびれますね…
もう片方の足で回し蹴り。体を後ろに反らして避ける。目の前を足が通り過ぎているのですが動体視力で追いきれない。速いです…
空中でステップを踏み後ろに逃げる。
妖弾の至近射撃。だけれど腕にぶら下がっている重りで弾き飛ばされる。
それでも射撃を止めず少しづつ後ろに下がり距離を取る。遠距離は萃香さん苦手ですからね。
「おいおい逃げるなっての」
「普通逃げますから…」
「じゃあ逃げられないようにしておくか」
萃香さんから何かが飛び出す。咄嗟に守ろうとして腕を出してしまう。
鈍い金属音がして腕に何かが接触、衝撃で手首がへし折れた。だけれどそれだけでは終わらない。へし折れた腕をチェーンのようなものが巻きつく。
それは萃香さんが普段腕につけている鎖付きの重りだった。
これで逃げられないだろうと萃香さんが鎖を思いっきり引っ張った。
腕が引っ張られ体が持っていかれる。
踏ん張りの利かない空中でバランスを崩してしまう。
「……!」
あ…まず……
気がついた時には回避不能な本気の拳が私の体を正確に捉えようとしていた。
「全く…仕方がないですねえ……」